第61話 花火の下で

 昨日のうちに下見しておいた場所へと綿岡を先導する。屋台の連なる道筋から外れ、暗がりが深くなる方へ。


 祭りが開催されている場所で見るのもいいが、花火の時間が近づくにつれて人が増えてくるので、あの場で座ることはできないだろう。


 それに告白するなら、自分たち以外介入しないところに行くのが良いと思った。


 賑やかな場所から少し離れた、街灯のすぐ近くにあるベンチにやってくると、


「ここでどうだ?」


 綿岡に訊ねた。


「いいね、ゆっくりできそう」


 駅と反対の方向にやってきたから、わざわざここまで足を延ばす人は多くない。


 下見をしておいてよかった。


 耳に入ってくる喧噪が薄れ、まるで祭りの終わりかのような錯覚に陥ったが、本番はこれからだ。


 この祭りのメインは花火だし、何よりここに来た目的をまだ果たせていないから。


 俺たちが座って夜空を見上げたのとほとんど同時に、炎の華が咲いた。


「わぁ」と綿岡が感嘆の声を上げる。


 感想を述べる間も無く、次から次へと大きな花火が打ち上げられた。


 ひゅーと空高く昇っていった花火は、パンと弾けてすぐに霧散して消えていく。


「すげーな」


 花火ってこんなに綺麗だったっけ。もう何年も実物を目にしていなかったから、ここまで壮大で迫力のあるものだとは思わなかった。


 目の前で弾ける衝撃に目が焼き付いてしまってなかなか離れないでいたが、慣れてきて綿岡の方を向いた。


 彼女もまた、花火にくぎ付けになっていた。うっとりとした眼差しでそれを眺めている。


 火花によって照らされる彼女の横顔は、月並みの表現だが花火よりも綺麗だった。


「なあ、綿岡」


「なに?」


「盆休み、橋川と会ってた?」


「なんで知ってるの?」


 驚いたように、訊ね返された。そりゃそうだよな。


「いとこの小学生たちを公園に連れてきて遊んでたんだ。タコの遊具のある公園あるだろ? あそこ。おばあちゃんの家の近くでさ、たまたまそこの隣の道路で綿岡が橋川と歩いているのを見かけた」


「そうなんだ、偶然だね」


「気になってたんだよ、あれ何してたんだ?」


 やっと訊けた。自然と口にしていた。綿岡は、困ったように眉尻を下げた。


「自転車が近くでパンクしちゃってね。たまたま会った樹くんに直してもらったの」


 偶然会ったという俺の予想の一つは当たっていた。彼女の言葉に安堵する。


 しかし、樹くんか。名前呼びなのは元恋人だからわかるし知っていたが、それでも妬いてしまう。


「そうか、俺はてっきりよりを戻したのかと思った」


「えぇ、そんなわけないよ。浮気されたのは硲くんにも話したでしょ?」


「あぁ、それは覚えてたよ。けど、そう考えてしまった。だって──」


 溜め込んでいた感情が濁流のように溢れ出してくる。もう止められなかった。



「お前のことが好きだから。もしものことを考えたら気が気でなかった」



 こんな会話の流れで想いを告げようとはしていなかった。


 花火の終盤に、「好きだ、付き合ってください」と男らしく言う予定だった。やってしまった。


 綿岡は団扇うちわで口元を抑えてふふと笑っていた。どんな反応だよ。


「……何がおかしい」


「だって、そんなにあからさまにやってしまったって感じの顔をするんだもん。面白くて笑っちゃうよ」


「あのなぁ」


 たった今、告白した相手にその反応をされたらショックだ。俺が悪いけども、人の決意をなんだと。


 笑っていた綿岡は呼吸を落ち着かせて、「実はね」と語りだした。


「あの日、樹くんによりを戻そうって言われたの」


「マジか」


 身体が震える、油断も隙も無い。


「浮気しておいてありえないよね。わたしは許せなかったからすぐ切って捨てちゃったよ」


 彼女は優しいからもしかしたら情けをかける可能性があると考えたが、考えすぎだったようだ。


 杞憂きゆうでよかった。


「それによりを戻そうと言われたとき、硲くんのことを考えてた」


「俺のこと?」


「うん。仮にもう一度付き合ったとしたら、また一緒にゲームできなくなっちゃうんだろうなって。自分から関係を絶っておいて、こんなことを言うのもあれなんだけね」


 申し訳なさそうに小首を傾げてる綿岡。そんなことはないと首を横に振った。


 俺を思い出してくれるだけで、嬉しかった。


「硲くんのおかげでまたゲームをするようになって、楽しみ方も教えてもらって、今、昔みたいにキミとゲームができなくなっちゃったら、めちゃくちゃ病んじゃうと思う。それくらい硲くんの存在は大きいよ。もちろんゲームだけじゃなくて、私生活もね」


 彼女にとって自分が大きな存在だというのは、自惚うぬぼれかもしれないが何となく理解はしていた。


 近くに住んでいる友達が俺しかいないからだろうだけど。


 ただ、実際に彼女の口からそれを聞くと、身に染みて嬉しく感じた。


「だから、わたしだけじゃなくてキミにも恋人ができたら困るなって考えた。そしたら、硲くんから一緒に遊ぶことを拒否されちゃうでしょ? そんな想像をしていたら、自然と気持ちがどんどん膨らんでいっちゃって。夏祭りに誘われたとき、もしそうだったらいいなって思った通りの展開になっちゃった──」


 彼女の頬はいつの間にか紅潮しきっていた。自らの両手で口を覆って大きく息を吐き、決意に満ちた瞳をこちらに向けてこう言った。



「わたしも硲くんのこと好きだよ、彼女にして欲しいな」



 俺の告白が成功する確率は低いと思っていた。


 恋人になれるような段階を踏んでいないと考えていたし、綿岡が俺のことをどう想っているかわからなかったから。


 彼女は「はぁ、暑い」と団扇で自らの顔を扇いでいる。


 上手く呼吸ができない。気づけば視界が揺れていた。


「え、どうしたの」


「どうもしてないけど」


「いやいや、おかしいって。なんで泣いてるの?」


 目元を指で擦る。熱い液体が付着した。


「えぇ、嘘だろ。俺」


 自覚したら、止まらなくなった。決壊したダムのように涙がとめどなく流れてくる。


 困惑している綿岡。無理もない。いきなり大の男が目の前で泣き出したんだから。


 告白が成功して泣くなんて、あまりにも情けなすぎる。


「ほら、その涙を拭いて?」


 彼女にハンカチを手渡された。


「すまん、ありがとう」


「びっくりするよ、そんなにわたしと付き合えて嬉しかったの?」


 小悪魔めいたことを言ってくる。


 そうだけど、そんな一言で表現できるものではなかった。


「俺と高校の時に最後に電話した日のこと、覚えてるか?」


「覚えてるよ、いつも通りゲームしたよね」


「あぁ、その日俺が綿岡を誘っただろ? 何に誘ったか覚えてるか?」


「えっと確か……あっ」


 彼女は固まった。全てを察したらしい。やはり、気づいてなかったのかよ。


「お前のこと、あの時も好きだったんだよ」


「でも、そんな仕草一度も……」


「だろうな、正直表に感情を出すのが得意なタイプじゃなかったから。今もだけど」


「ご、ごめんね。硲くん」


「なんで謝る」


「だって」


「百パーセント俺が悪いだろ、綿岡に謝られたらばつが悪い。むしろ俺の方が謝りたい」


 涙を拭きながら頭を下げた。


「あれ以降、綿岡のことをしばらく嫌ってた。失恋して悔しかったし、妬ましかった。だから、お前のことを避けてた。彼氏さんに悪いって言ったけど、そんな理由はほとんど建前だ。ごめんな」 


「なんで謝るの、謝る必要なんてまったくないよ。硲くんに辛い想いをさせちゃったし、そんなの普通だよ」


 彼女の瞳が潤んでいた。


「なんでお前が泣きそうになってる」


「硲くんが泣いてるから……ごめん、わたしがもらい泣きする権利なんてないのに」


 途端に、場がしんみりとした空気になる。必死に涙を抑えて言った。


「まっ、そういうわけだから。お前が思ってるより、俺は重たい感情を抱えてるってわけ! かっこ悪すぎる、恥ずかしすぎるわ、死にたいよ」


 もう情緒がめちゃくちゃだった。普段口にしないようなことまで喋ってしまった。


 流れで告白しちゃったし、綿岡の回答の方が全然男前だった。


 しかもぼろぼろ涙を零して。あまりにも情けない。


 自己嫌悪に陥っていると、ベンチにくっつけていた手に、綿岡が手を重ねてきた。


「かっこ悪くないし、恥ずかしくないよ。死なないで。むしろ、すごく良いなと思ったよ」


「ええ、なんで」


「そこまでわたしのことを想ってくれてるんだなって。絶対浮気しないでしょ」


「するわけないだろ、絶っっっっ対しない」


「だよね。自然に溢れる涙以上に、信頼できるものなんてないもん。ますます硲くんのことを好きになった」


 重ねた手を交差させるように握ってくる。俺は手をひっくり返してそれに応じた。


「じゃあこれからは彼女としてよろしくね?」


「あぁ、こちらこそ」


 元カレへの嫉妬とか、過去への悔恨とか、無くなったわけではない。


 だが、今の俺は世界中の誰よりも幸せな自信があった。


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