通勤電車

もちもち

通勤電車

 25分乗り換えなし。


 これが今の僕の通勤電車の乗車時間だった。最寄り駅の二番ホームから出発し、到着する駅では一番ホームに滑り込む。

 線路が走っている位置が高く、住宅街を走るときは遠くの山の方まで見通せるのが僕の中でちょっと自慢だ。

 音楽を聞いて過ごすには勿体なく、読書で没入するには少し足りない。前にうっかり没入して二駅も乗り過ごした。

 朝の時間帯は様々な『人種』の人がいる。勤め人もいればランドセルの小学生から高校生、私服は学生なのかそういうカジュアル服が許される社会人なのか定かではない人も含めて。


 だからなのか、僕はいつの間にか人間観察が日課になってしまった。

 同じ時間帯、同じ車両。おそらく同じルーチンなのだろう顔なじみ(僕が一方的に知ってるだけなのだが)や、まいど新鮮な顔ぶれもある。

 小学生や中高生は記号制服を着ているので分かりやすい。この分かりやすさは場合によってはちょっと危ないのかもしれないが、いつも通り電車に乗ってくる顔を見ると安心してしまう僕がいるのも確かだ。彼ら彼女らの後ろで今日も何事もない日常が続いているのだと思える。


 考えると家でもなく会社でもない、固定されないようで完全な通りすがりでもないこの時間と空間は奇妙だ。

 知っているようで知らない距離感がある。


「おはよー」

「うーぃ」


 つり革を掴んでいる僕の隣に立っていた女子高生が、乗り込んできた男子高生に挨拶をする。男の子の方は照れくささなのかそれが彼の通常運行なのか分からないがかなりラフな返事だった。

 この時間帯、この電車、この乗車口を僕が使い始めてからほぼ毎日見る二人だ。


「部活いつまで?」

「盆まで…… 8月の二週目でいったん終わる」


 唐突な女の子の質問だったが、ああと僕は気づいた。夏休みに入るのか、入ったのか。日付的には今日が終業式というところだろう。

 女の子とも男の子とも良い日焼け具合である。厳しい暑さなので外部活は気を付けてほしいなと思った。

 最近は気候も安定しない。今朝も急な雨が降ったと思ったら通り雨だった。手持ち無沙汰になってしまった濡れた傘ほど手に余るものもない。


 二人は今週の予定の話しを始めていた。仲が良いらしく近く遊びに行く計画があるようだ。

 僕は二人に全く関係のない大人であったが、その日は晴れると良いなと思っていた。同じ制服を着ている高校生が他にたくさんいたとしても、僕はきっとこの二人に対してその子らとは異なる心象を抱いている。ただ同じ電車に乗り合わせただけのことだが。

 奇妙だ。けれど不快ではない。この感覚を表現する言葉はなんだろう。


 今から見たところで全く参考にはならないが、僕はなんとなく気になって窓の外を見た。

 目の前を通り過ぎていくビルの間、何か素晴らしいものが見えた気がした。僕はソワッと胸が躍るのが分かった。もう一度目の前が開ける。

 その向こうに、上っていく虹が見えた。

 思わず声が出そうだったが、グッと堪えてスーツのポケットからスマホを取り出してかざした。


 と、そのとき目の前に座っている女性が明らかに不審な顔をして僕を見上げた。女性には僕が彼女を撮るように見えただろう。

 僕は慌てて窓の外を指した。


「虹が出ていて」


 女性はきょとんとした顔をして、自分もまた窓の方を振り返った。

 走行音と控えめな話し声のみが響く車内で僕の声は思ったより通ったようだ。方々から「虹?」「どこに」と囁く声が聞こえだした。


「虹が出てるの?」

「そうみたい。どこだろう」


 傍らからも期待の声が聞こえた。高校生二人が身体を寄せたり離したりしながら窓の外を探している。

 電車が走行する方向を変えようとしていた。僕は勢い、二人の目の前に指をかざした。


「真っ直ぐより少し左」


 驚いた二人は、しかしすぐに僕の指す方を見た。

 その4つの眼に喜色の光が灯るのを、僕はハッキリと見た。



 もしかしたら、二人は明日から部活の時間に合わせて乗る電車を変えるかもしれない。

 そうでなくても、僕が通勤する現場は来月から反対方面へ変わり、この電車は使わなくなる。


「ありがとうございます」


 二人は僕へ頭を下げて礼を言い、次の駅でいつも通り降りて行った。

 これ以上を知らない僕らはここで永いお別れになる可能性が高いのだ。

 僕は二人の後姿をずっと見送った。明日も変わらない日常があることを祈り。


 通り過ぎるには長く、繋がるには短すぎる奇妙な場所だ。

 だが、それもまた粋だと評すのかもしれない。

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