第3話 ※センシティブ疑惑あり

「なーんか最近しーとことりんって仲良さそーじゃない?」

 じろじろと疑わしげな視線を向けてくるサクノ。その言葉のほとんどは冗談だが、面白くないのは本当らしい。僕らは目を合わせて肩をすくめる。またおかしなことを言い出したものだ。

「またどうしてそんなことになる」

「なにかあったっけ?」

「やや、だってことりん、最近しーの家によく遊びに来てるでしょ?わたしに内緒で!」

「わざわざ言うことでもないだろうに」

 事実それは隠していることでもない。僕がしいの家に遊びに来るのは自然な事だ。理由なんていくらでも挙げられる。なぜなら僕らは未だに"親友"だ。それなのにわずかに表情を固くする彼女が少し面白い。ここまで脆くなると少し不安でさえある。

 からかうように首筋に吐息をかける。後ろから前に回した手で彼女の腿をさすった。サクノに変に思われないようにと彼女は懸命に声をこらえているが、むしろその方が扇情的だった。

 そんな些細なじゃれ合いにサクノはまなじりを吊り上げる。

「まったく、わたし差し置いていちゃいちゃしやがってよー」

「サクノも遠慮せずに来ればいいだろう」

「むむっ」

 僕が誘えば、サクノは少し悩んだ様子を見せる。

 普段のサクノなら一も二もなく飛びついて、しいの太ももにでも乗っかってきそうなものだった。もしや本当になにか感じているのかと今更になって少し心配になる。

 彼女はそっと頬を染めてそっぽを向いた。

「と、トイレしてきたばっかだし」

「君は乙女か」

「サクノがそんなことを気にするなんて……」

 僕は呆れ、しいはわざとらしく驚愕している。ああしまった、その方がよかったと少し後悔した。子供扱いされたサクノは唇を尖らせ、八つ当たり気味にスナックを食す。

 しいはくすくすと笑った。

「大丈夫だよ、サクノはいい匂いだから」

「それ今言われてもあんま嬉しくないっ」

「そう?」

「しいは乙女心が分かってないよ!」

「私もうら若き乙女だったはずなんだけど」

 彼女のささやかな抗議は黙殺される。かと思えばサクノは徐に立ち上がると、しいの足元にやってきた。ベッドの縁に座る彼女の足の間に腰を落ち着けたサクノは、それをまるでジェットコースターのストッパーみたいにがっちり捕らえた。

「えっ、それが乙女の所業なの?」

「あれー?もっとなんかいー感じになるはずだったのに」

「多分君のイメージは間違っている」

 しきりに首を傾げるサクノに僕らは苦笑する。彼女はしばらくすると諦めて、うがーと吠えながら僕らを諸共に押し倒した。ふたり分の体重に押しつぶされて一瞬吐きそうになる。舞い上がった彼女の匂いが部屋を舞う。やんちゃすぎないか君。

「ふふ。サクノはやっぱりいい匂いだと思うよ?」

「これは悪くない気分」

「うーん。やっぱり私乙女じゃないのかも」

 僕の上でほのぼのとしないでほしい。

「重いんだが。なあおい」

「ちょっとそれシツレイじゃない?わたし最近ちょっとヤセたんだけど!」

「コトリが一番乙女心分かってないね」

「君らは心理学より物理学を学べ」

 げしげしとふたりを追い落とす。きゃっきゃとはしゃぎながらベッドを転がるふたりを見下ろして僕はため息を吐いた。まったく仲のいいことだ。よくもまあそんな綺麗なものと触れ合える。

 呆れ混じりに見ていると、サクノがふっと時計を気にしだす。

 つられて視線を向けると時刻は八時五十五分だった。そろそろサクノが河野臨と通話をする時間だ。あまり時間に細かいイメージのない彼女だが、このときだけは妙に敏感になる。それだけ河野臨のことを大切に思っているのだろう。知らないというのはどこまでも幸福なことだ。僕も彼女の親友として、その幸福が続いてほしいと本気で思った。

 彼女は僕らに断りをいれて、もちろん僕らにそれを拒む権利はない。

 しいはガラス一枚に隔てられた夜に飛び込んでいくサクノを惜しむように見つめる。ぼくはその目を手のひらでそっと閉ざした。彼女はもう僕しか見えない。それは多分、暗闇とほとんど同じ意味だった。

「疑われてしまったな、しい」

 僕は濡れた言葉で彼女の耳を舐るねぶる。いやいやする彼女に覆い被さるようにして身体をすりつけた。

「もしかしたらサクノは気がついたんじゃないか?なあ」

「そんなはずない」

「そうだろうか。けど、しい、君はこんなにもいやらしい匂いがする」

 彼女の首筋に鼻先を触れる。甘い華の匂いがする。華やかなボディソープに混ざる甘苦い芳香。それは彼女の血管から染み出している。僕が与えた匂いだ。河野臨はきっと自分が抱かれることばかりを望んだのだろう。僕は違った。ただそれだけのことだった。

「気がついているんだろう、君だって」

「知らない。聞きたくない」

 彼女は僕を突き放した。

 僕は大人しくベッドに転がる。

 笑いは自然とこぼれた。

「君は美しくなったよ、しい」

 汚れを纏って、その身さえ蝕まれて、肌には消えないシミがいくつも残って。その中で声も上げずに佇む彼女は、吐き気がするほどに美しい。河野臨が素体を仕立て、僕が作り上げた汚物の姫だ。それが僕のものであるという確かな充足感に陶酔する。

 他ならぬ僕の指先には彼女の身体のほんの些細な突起でさえ記憶されていた。触れずとも彼女の輪郭を想い描ける。それはどこまでも等身大な彼女の全てだ。彼女と恋愛などしないでよかった。おかげで僕は彼女そのものに触れられる。

 それはサクノでさえできないことだ。

 だから僕は彼女に嫉妬する必要がなくて、今も彼女と親友であれる。そういう意味では、僕がこうであることは、しいにとっても理想的なことのはずだ。だから彼女は拒まない、拒めない。

 僕が触れていない間、彼女はひたすらにサクノを見つめていた。この空間を隔てるガラスはあまりにも分厚くて彼女は手が届かないようだ。立ち上がったとしても僕は止めないのに。だからそれはあくまで彼女の意思でしかない。

「さみさみーっと、おおっ?なんかえんもたけなわ?」

「難しい言葉を知っているものだなサクノ」

「えへへ……えっ、待って今バカにされた?」

 およそ二時間と少しの通話を終えたサクノが戻ってくる。僕らが各々適当に過ごしていたので面食らったらしい。彼女は自然にしいのところに行って、じゃれつくように膝の間に座った。そのとき僕は、しいが泣きそうに顔を歪めたのを見ていた。

 サクノの首に、唇が、触れる。

「にょわ!?」

 驚いた声を上げるサクノだが逃げ出しはしない。

 目を白黒させる彼女だが、しいは自分のやったことに困惑している様子だった。

「おいおい、見せつけてくれるな」

 僕は彼女を嘲笑った。

 しいはハッとしてぎこちなく笑う。

「ごめん、つい」

「や、やー、いーけど、あんまビックリするから」

「ふふ。サクノが可愛い反応するからついね」

「そーゆーこと彼女持ちに言うんじゃないよもぉー!」

 しいがすぐさま取り繕えば、サクノも特別おかしなこととは捉えなかったようだ。赤くなった顔をパタパタと仰ぎながら「ひゃー」とヤカンみたいな声を上げる。沸騰するくらいには熱い口付けだったらしい。

 とはいえ気を取り直せばぎこちなさも残らないような些細な代物だ。唇を奪った訳でもない。

 どちらかといえば、しいの方が少しぎこちないくらいだった。彼女の気持ちは僕には理解できた。サクノがそれに気がつく前に、僕は就寝を提案することにした。

 大学生のお泊まり会にしてはあまりに健全すぎる就寝時刻だったが、明日は全員講義がある。特にサクノなどは一限だ。特に反対もなく僕達は床に就くことになった。

 しいの部屋のベッドはなかなか大きい。しかし三人が川の字になって眠るにはさすがに狭い。だから僕が部屋に置きっぱなしにしているマットレスを敷いてひとりは床で寝ることになる。そのひとりはジャン負けと決まっていて、僕はとてもジャンケンが強い。僕はマットレスで眠ることになった。

 電気が落ちる。

 しいのことを思いながらのんびりしている間にも、サクノの寝息が聞こえてくる。

 彼女はとても寝つきがよく、そして一度寝るとなかなか起きない

 しばらくして起き上がった僕に、しいはぴくりと反応してしまう。狸寝入りの下手なことだ。僕は彼女の耳元で囁いた。

「しようか、しい」

「……サクノが、いる」

「そうだな。バレたくないなら声を潜めろよ?……ああ、そうだ」

 僕は彼女に命じて、サクノの上で四つん這いにさせる。

 泣きながら首を振る彼女もまたとても美しい。

「いいじゃないか、しい。たまらなくなったら襲いかかってもいいぞ?そうしたら僕は知らん振りしてやるさ」

「そんなこと……ッ!」

「嘘をつくなよ。したいんだろう、しい」

 彼女の首元に口付ける。

 なるべく同じような場所へ、彼女が見ないふりをしようとするそれを強調するように、じっくりと。ほら、またひとつシミが増えたぞ。

「君も僕と同じだろう。サクノを犯したくてたまらないんじゃないか、なあ」

「違う、私は、」

「じゃああれがただの戯れだったと君は彼女に言えるのか?」

 言える訳もなかった。

 僕には分かるさ。

 君を作ったのは僕だ。

「彼女の恋人を抱いて、彼女の親友に抱かれて、君はまだ彼女を諦めていないんだな」

「違う、私はもうサクノを、」

「だったらいいだろう?どうせ彼女はもう手に入らない。それなら強引に自分のものにしてしまえよ。犯した後に写真でも撮って脅せばいい。動画でもいいぞ。彼女の喘ぎ声を録音してやれ。そうしたら好きにできるさ。現に僕はこんなにも楽しめている」

「お前と一緒にするなッ!!!」

「んぅ……」

 彼女の絶叫に、サクノが身動ぎをする。

 とたんに全ての音がなくなって、サクノがむにゃむにゃと寝言をこぼしてようやく音が返ってくる。

 しいは粗く呼吸をしながら苦しげに嗚咽する。僕は彼女のパジャマのボタンをひとつひとつ外していった。

「いい声で鳴くじゃないか、しい。サクノの顔を見ながらだと興奮するのか?ははは。いいぞ。遠慮せずに鳴くといい。彼女に君の逝く声でも聞かせてやろう。そうすれば君も諦めがつくだろう?嫌なら堪えろ、簡単だ」

 せいぜい頑張れよ、しい。

 僕は彼女の頬に優しく口付けをした。


 彼女はまた美しくなった。

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