親友を脅して好きにしようと思う

くしやき

第1話

 白い冬だった。

 嫌いだ。無垢そうな顔をしているくせになにが溶けているか分かったものじゃない。普段はできるだけ外に出ないようにしている。同族嫌悪というやつだ。この辺りは踏んづけても残るほどに分厚いから目に見えてさえ汚れている。そのくせ純情な顔して光を弾いているのが気に入らない。見下ろせばまるで鏡だ。白々しい。反吐が出る。

 だけどその日僕は外に出ていた。冬休みの終わりも近い日だった。珍しいことだと我ながら思う。必要はなかった。ただ目が覚めてなんとなく彼女の顔が思い浮かんだ。それだけの理由だ。それだけの理由で突然押しかけてもいいというのが親友のいいところだと思っている。もちろんこれは僕と彼女だからこそできることだが。

 そんな思いに胸を張っていれば目障りな白はあまり気にならなかった。

 彼女の住まう部屋はマンションの最上階にある。真ん中の辺りだ。大学までの距離だけを見て選んだのだろうと手に取るように分かる。女性の一人暮らしなのだからオートロックくらいは条件に含めればいいのに。利点など突然押しかけるサプライズ感が増すくらいしかない。それを今まさに悪用しようとしている僕の言えたことではないか。

 エレベーターは一度も止まることなく彼女と同じ高さに届く。

 もう好き放題に見下ろせる視線は、自然と彼女の部屋に向いた。似たような扉の立ち並ぶ廊下、だが数えるまでもない。今やずいぶんと見慣れたものだった。彼女の顔を見たら最初になんと言おうかなと考えながら扉の前に来た。

 声が聞こえた。

 彼女以外の声だ。

 聞き覚えがあった。

 ここから聴こえるべきでない声だった。

 そして恐らくは、聴くべきではない声だった。

 気が付けば僕は隠れていた。階段の踊り場に息を潜める。扉の開く音。足音。エレベーターが鳴った。僕は最上階に取り残された。階段はもう崩れ去っている。

 僕は。

「―――おはよう、コトリ」

 扉を開いた彼女は柔らかく微笑んでいた。全てを諦めていた。いや、最初からすべて期待などしていなかったに違いない。彼女の好みとは違うはずだったパジャマに包まれた背中を追う。部屋の中は濃密な華の匂いがした。頭がガンガンと痛い。

 ベッドの縁に座る彼女を見下ろす。彼女は私の問いかけをただ待っている。言葉は胸の中で渦巻いて、どれを選べばいいのかも分からない。だがこの空間で沈黙を続けることなどできる訳もない。僕の口は、最も単純な言葉を選んだ。

「なぜ河野臨と、?」

「私が拒んだら、サクノの恋人をやめるんだって」

「そんな、ことで……?」

 僕の絶句を彼女は笑う。彼女もまたそれを下らないことと思っている。

 親友の恋人を部屋に招くこと。

 親友の恋人に部屋を侵されること。

 親友と恋人が恋人関係を続けるために。

 そのために自分の身を売ることを。

 いつからだ。

 初めてこの部屋に上がった日には彼女のパジャマは布地の厚いふわふわしたものだった。けれどその前後で彼女の様子が変わった記憶はない。いや違う、その頃の出来事で、あったはずだ、彼女が変わった出来事。だが、だとしたら。

「サクノが付き合い始めたときから、なのか」

「そうだよ」

 彼女はあっさりと頷く。なにかを思い出すように彷徨う視線が、すぐにそれを見つけた。

「最初はサクノとノゾムが付き合い始めた……二日後?かな。まあ、その頃はまだほんとにただベッドで眠りに来てただけなんだけど」

 それは暗に、今はそうではないのだと告げている。彼女にとってそれはもう隠すことでさえないのだ。推理モノの犯人のように、全てを語ることにカタルシスさえ感じている様子だった。

「でもそっか。コトリだったんだ―――ううん。なんだかんだ、それが一番そうかも」

 彼女は僕を見上げている。

 彼女は終わりを望んでいた。

 それが僕には痛いほど分かった。

 僕は彼女の親友だから。

 そしてサクノとも親友だ。

 そんな僕が、彼女の不貞を、サクノへの裏切りを看過する道理はない。

 友であるならば間違いを正そう。

 それこそが僕の役目だった。

 断頭台に捧げられた首筋を汗が伝う。

 暖房の効いた部屋だった。

 熱い。

 僕はネクタイを緩めた。

「しい」

 彼女の肩を押す。

 倒れた彼女は初めて表情を歪めた。

 終われるとそう思ったのだろう。

 僕もそう思ったさ。

 だけど君は知らないじゃないか。

 僕ももうとっくにすべてを諦めているんだ。

 僕はもう、雪を愛してさえいた。

「黙っていてほしいのなら、抱かせろよ」


 これから親友を脅して好きにしようと思う。

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