Life is no wonder!!

詩人

パナップと烏とShadow bride

 地球上で一番の幸せ者な僕は、心温まる優しいストーリーを描く。人間の優しさ、時には辛さを題材に、生死にまつわる話なんか書いたりして。それはエッセイではないのだから、別に現実の話に縛られる必要性はない。ファンタジーの世界で「禁断の魔法」を獲得すべく多種多様な仲間たちと冒険をするような話でもいい。人間という生物の儚さを知っている僕は、作中の登場人物を死なせてしまうこともある。しかし、絶対に殺しはさせない。病気か、老衰か。犯罪的な内容は書かない。だって僕はたくさんの優しさを知っている、幸せ者なのだから。


 だったなら、どれほど良かっただろう。


 俺は一体何を夢見ている。それは眠った時に見る夢ではなく、野望や理想の「夢」である。とりとめのない日常を夢見て、そんなことをする方がかえって辛くなるというのに。

 この世界には俺が理想に描いているようなご気楽な人間もいるのだろう。人の苦労も知らずに、知った気になって優しさを振りかざしてくるような害悪。当の本人にはそのつもりがないから、余計悪質だ。世界には辛さしか味わっていないやつもいるってことを知れ。痴れ者風情が。

「おはようございます、やさぐれ隊長。今日も今日とて目つきが最悪ですね」

 別に目つきの悪さは関係ないだろう。朝一番から軽口を叩かれて、俺は長い溜息を吐いた。扉の前で〈パナップ〉が面倒くさそうに煙草に火を付けた。

「いい加減煙草、やめたらどうですか?」

「お前も吸ってんじゃねえか」

 火に付けた煙草は俺用、彼女は既に煙草を咥えていた。「そろそろやめようかな」でやめれるものであれば世話ない。俺だってこんな病気の根源を歳を重ねても吸っていたくはない。

 イライラがメントールに浄化されてゆく。しかし彼女が部屋に俺を呼びに来たということに、理由は一つしかない。明白だ。そうでもなければこいつが部屋に来ることなどない。それに、わざわざ「隊長」と強調しているのだから、仕事の話に決まっている。

「さて隊長、新たな〈シャドー〉です。煙草を吸い終わったら行きましょうか」

 ほら、やっぱり仕事だ。俺に休みはないってのか。つい八時間前も同じ会話をしたような気がする。しかし、パナップのやつれも少し酷くなっている。報告書を書いていたから、もしかすると寝ていないのかもしれない。それなら申し訳ない。

「今度はどこだ」

「新町の教会です」

「教会? 宗教系は願い下げなんだが……」

「いえ、今回のマテリアルは新婦です。結婚式の最中に『シャドー化』したと通報を受けています。てか歩きながら行きません? 時間がもったいない」

 はぁっ、と息を吐きながらパナップがだるそうに言う。見ながら、煙草が本当によく似合う女だなぁと思う。ダウナー系、というんだったか。これで仕事の腕はピカイチなのだから、カッコいい。

 俺はトレンチコートを羽織り、ポケットに煙草の箱を二箱入れた。部屋を出、廊下を歩きながら詳細を聞いた。

 ――それは結婚式のメインイベントとも言える「誓いのキス」での出来事だった。神父の言葉に頷く新郎新婦。新婦の流動的な純白のベールを新郎が外し、いよいよ唇を重ね、両者共に永遠の愛を誓う――というところで、事件は起こった。

 突如として新婦の顔面が「影」と化したのだ。薄い黒い靄のような影の中に目が二つ。かのベールのように真っ白い目と、その影よりも黒い禍々しい目。新婦は苦しむように悶え、会場は騒然。その間に新婦の背中に片翼が出現。その症状が何なのか知っていた新郎は、すぐさまゲストに通報を求める。しかし、新婦の左脚が新郎を蹴り上げ、新郎はそのまま爆散。その際に左脚を覆っていた部分のウェディングドレスは破けた。その破けた布から覗く屈強な脚が目印となっている。

 ――とのことだった。

「おいパナップ。早く出るぞ」

「ちょっと待ってくださいよ! 隊長がダラダラしてんのが悪いんすからね!」

 パナップが、職場の冷凍庫からアイスのパナップを取り出して口へ放り込んだ。右手に煙草、左手にパナップ。気持ち悪くて俺には一生分からないが、その怪奇な行動から同僚から「パナップ」という愛称で呼ばれている。

「今日は俺が運転してやるよ」

「え、いいんすか? あと『俺』っていうのやめてください。貴方は『僕』の方がお似合いです」

 ちっ、せっかくの俺の厚意を無下にしあがって。お前が眠そうだったから、今日ぐらいは運転代わってやるって言ってんのに。

「んで、レートはどのぐらいなんだ?」

「3880です」

「はぁ!? それって『Pop star』と殆ど一緒じゃねぇか」

「だって人一人殺してんですよ? 私も最近はレート1500以上に遭ってなかったからなぁ……。ちゃんとやれるか不安です」

「いや、それは大丈夫だと思うけどな」

 会話が途切れる。俺は車窓を五センチ開け、信号待ちの隙に煙草に火を付けた。先頭だったので大通りの交差点が良く見える。数年前までこんなに開発は進んでいなかった。近未来を望んで、馬鹿な人間はフィクションに近づくために金を投資する。俺たち保安局には雀の涙程度しか支給されない。

 俺たちは「国家保安局・影踏かげふみ課」に所属している隊員だ。十年前、突然体の一部が影と化して人に危害を与えてしまうという症例が初めて確認された。未だに原因は不明で、政府が公にしていないので一般市民は「影化」について多くを知らない。俺たちは政府直属の部隊として、未知の存在である「影」を生け捕りにして研究機関に送っている。

 六人いる「影踏課」の中でもほぼ固定でバディを組むのがパナップだ。こいつはこんなだるそうに日々を過ごしているのに、仕事が始まると目の色を変える。これまでに捕獲してきた「影」は数知れず。一日におよそ一件のペースで全国で現れる。

「パナップ、行ってこい」

 車を教会の前に停めてパナップを先に行かせる。現在教会内は「影」の捕獲を実行すべく、担当者の俺たちが到着するまで包囲して警戒態勢を取っている。そこでまずはパナップが「影」とのコンタクトを試みる。その反応を俺はこの車の中から窺い、どれくらい戦闘しなければならないのかを判断する。

 パナップが教会に入ったその時――教会が崩壊した。

 決して比喩ではない。黒い靄のようなものが教会の天井を貫き、空中まで伸びた。その影響で建造物としての教会は崩れ去った。これは厄介だ。

 俺は煙草が吸えなくなるまで待ち、火が消えたと思ったら指先で、煙草の火がぼんやりと点滅している赤を指で挟んだ。微かに熱さと痛みを感じた。そして車を降り、トランクに詰めていた荷物の中から黒いハット帽を取り出し被った。小柄な俺の頭はすっぽり埋まってしまう。鍔を少し上げ、視界を確保する。

「なるほど、こりゃ高レートも頷けるな」

「た、隊長殿! ターゲットが暴走を……」

 警戒に当たっていた保安局・警備課の警備員が俺の異様な姿を見た瞬間に小さな悲鳴を上げながら言った。現場には焦りと恐怖で緊張感がマックスに達している。

「君たちはすぐさま保安局に連絡と応援を。今すぐ行け。この教会――もうないが、とにかくから半径三キロ以内の住民をすぐさま避難させるんだ」

 アバウトな指揮をする。この場で一番立場が上なのは俺だから。

 それより、厄介なことというのはパナップの心配ではない。教会を壊してしまうと宗教関連だから後に面倒なのだ。

「パナップ、ちょっと下がれ」

 俺はけろりと煙草を吸いながら頭から血を流しているパナップと、それに相対するかのようにいる凶暴な影の怪物を目に焼き付ける。

 現在、「影」に対する効果的な対処法含め、明確な情報は殆どない。しかし、一つだけ言えることがある。それは――

 ――俺がこの「影」よりも強い、ということだ。

 ハット帽を顔の全てが隠れるまで被り、黒のコートをバサッと広げる。

 そして俺は、影と化した。

 影の怪物に溶け込む。

「やぁ、こんにちはお嬢さん」

「だ、誰なの貴方は……!」

「後輩からは〈カラス〉なんて言われてるよ。君のことを救いにきたのさ」

「あんなに愛してしたのにっ……どうしてもキスはできなかった……っ!」

 永遠の愛を誓えなかったことに、ふさぎ込んでしまったのか。結婚式のキスについて深く考え込みすぎてしまう人は良くいる。だけど。

「だけどね、別に好きの裏返しだからって嫌いの象徴ではないと思うよ。君みたいな人はよく出逢うけれど、そんなに気に病むことではない」

 影が影なりにも揺らぐ。その隙を突いて、巨大な俺の烏が怪物を掬い込んだ。まるで「大丈夫」と抱擁するかのように。俺たちはそうして影を捕獲する。決して傷はつけない。

「パナップ、帰るぞ」

「あのね、隊長。毎度言うようで申し訳ないんですけど、コートとズボンをマテリアルに影を作ってるので隊長今、下着姿なんですよ? その捕獲方法なんとかなりませんかね? 一応隊長、女の子なんですから」

「一応ってなんだ一応って」

「パッと見小学生じゃないっすか。壁パイ先輩」

「おぉぉぉん!? なんじゃとこの野郎!」

「はいはい。じゃあ教会の神父さんのところに行きましょうか」

 頭から血を流しながら言われてもなぁ、と思う。仕方ない、俺はパナップをおんぶする。体格差で言えば完全に真逆なのだが、力の強さでは圧倒的に私の方が上だ。しかし、スーツに包まれた豊かな二つのクッションが鬱陶しい。「私」なんか柄じゃなくて無理やり「俺」に矯正したが、本当に男子みたいなことを考えてしまっている。

「残念でしたね、こんな不細工が巨乳で、隊長みたいな美人が壁パイで」

 これは俺を持ち上げているようで、全く逆なのだ。これは嫌味。パナップが不細工だなんて百人いたら誰が言うだろうか。超が付くほど美人なくせに巨乳。勝ち組じゃねぇか。

 相変わらず人生は何の面白味もない。おかしなことなど、起きているようでこれは日常だ。だけどそれでいい。仲間がいて、最高の相棒がいる。優しさはなくとも、私は今日を幸せに生きているのだから。

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