第5話 苗字は絶対に譲りません!
芹沢さんが沖田の元バイト仲間から聞いたという話を共有してくれた。
俺はいろんな勘違いをしていたらしい。
まず、沖田はニートではなかった。沖田はなりたいものになる為に、俺に隠れて努力をしているらしい。
「刀鍛冶職人?」
「そうらしいよ。刀鍛冶職人になりたくて、県内外のいろんな所に出向いてるんだって……それで」
「それで?」
「……」
芹沢さんは言葉を詰まらせた。
沖田が刀鍛冶職人になりたいと言っていたのは知っているが、まさかその為に動いていたとは知らなかった。
たまに顔を見ない日があったが、まさかそれが理由か?
彼奴、ゲーセンに入り浸ってたなんてウソツキやがって。
話の続きを聞きたがると、芹沢さんが鼻で息を吐いてから答えてくれた。
「……沖田ちゃんって、美人でしょう? 刀鍛冶職人になりたいなんて自己紹介で言うみたいで、変に反感買っちゃうみたいなの。美人で個性を主張すると、同性は敵に回りやすくなるから……彼氏がいるとなるとさらに、ね」
その理屈は全く理解できないが、ただの妬み嫉みで沖田が一方的に嫌われて、それに腹が立った沖田が詰め寄って喧嘩になる。らしい。
それでクビ。なんというか、沖田ばっかりが悪い訳ではなかったのか。
喧嘩は褒められたものではないが、彼奴なりの抵抗だった。話も聞かずに決めつけていたのはよくなかったな。さすがの沖田も怒り、会ってもくれなくなるわな、と1人反省会が止まらない。
と、同時に理由がわかって良かったと安堵する。
「だから土方くん、沖田ちゃんはそっとしておいてあげた方がいいと思うの。刀鍛冶職人になるために県外へ行くってなったら、土方くん面倒みれないでしょう? 土方くんを好きな女の子は他にいるんだし、これを機に沖田ちゃん離れしようよ」
親離れ子離れみたいな事を。芹沢さんの言う通り、沖田が県外に行くとなれば俺も目を掛けられなくなる。
折角県内で条件に合う内定を貰ったのに、切り捨てるわけにもいかない。
ここは細かく迷わずに、俺の行きたい方へすっぱり決めてしまった方が良い。
「沖田が県外に行くなら俺も行く」
「えぇ、副長マジ? 内定はどうすんだよ」
皆驚いたので、逆にこっちも驚かされる。ごまんとある仕事と人間1人を比べるまでもない。
会社は1つだけじゃない。が、沖田洋は1人しか居ない。本人に確認してからにはなるが、奔放に生きてきたと思っていた幼馴染が本気で目指しているのなら、応援してやるのが筋だ。
そう答えると、永倉が「副長らしいや」と言えば、他もまた納得したように頷いてくれた。
どうやら、沖田の事でいっぱいになっている方が、責任感のあるバカ真面目な副長さんでいれるらしい。
そうと決まれば本人に真意を確かめに行こう。腕時計を見ると、まだ20時を過ぎたばかりだから、電車も余裕がある。
どうせ電話には出ないだろうから直接家に行く。
初参加だった飲み会に、快く俺を迎え入れてくれたゼミメンバーにお礼と別れを告げ、永倉に言われた金額を彼に預けて店を出た。
すると後ろから女性の声が「土方くん!」と俺の名を呼ぶ。
振り返ると、芹沢さんが顔を赤くし、背を丸めて立っていた。
「そういや、芹沢さんにはお礼を言ってなかったな。沖田の事を教えてくれてありがとう。おかげで謝る事が出来る」
「……彼女とは違う人生を歩くんじゃなかったの?」
「ああ、そうだ。沖田とは違う人生を歩く」
「言ってる意味がわからないんだけど」
芹沢さんは酷く怒っているように見えた。いや、憎んでいるのか。折角美人だと言われてちやほやされているんだから、そんな顔をしたら皆に引かれるだろうに。
「土方くん、鈍感なんだね」
「感は鈍いな。さっき証明された」
「私がどうして追いかけてきたのかとか、沖田ちゃん離れしてって言ったかわからないの?」
「……」
さすがにわかった。芹沢さんは俺の事を異性として意識しているのかもしれない。言われてみれば訳に近くにいたり、休日の予定を聞かれたりしていた気がする。
ゼミイチの美女に惚れられるとは、俺は罪な男かもしれない――なんて素直に浮かれる事が出来たらいいのに。
そんな事を考えたら沖田が泣くかもしれないと思うと、その好意すら嫌悪に感じ、芹沢さんが仲を引き裂こうとする悪女にしか見えなくなった。
「俺は嘘吐きなんだ。思った事と反対の事を沖田には言ってしまう。沖田が現状に安心してると、何処かに行ってしまうぞなんて、不安にさせたかったんだ。でもいい。沖田は沖田で頑張っているとわかったから、嘘をつかなくてよくなった」
「じゃあ今までのは……? 本当に嘘だったの?」
「ああ」
相槌と共に、頬を勢いよく叩かれてしまった。この後、彼女は俺の愚痴を肴にして酒をたらふく飲むだろう。俺はゼミイチの美女を本気にさせてたぶらかしたクソ男だと。
元々あまり好ましくないと思うのは苗字のせいか、などと偏見で嫌ってしまっていた事は言えない。
にしても、一方的に好意を持っておいて打つとはどういう教育を施されて来たんだ? それとも美人の特権か? フったのは俺のようなもんなのに、俺がフられたみたいになったな。
さて、本当にフラれちゃいけない奴にフラれる前に帰ろうか。
✳︎
自宅を目の前にすると、隣の一軒家にも明かりが灯っていた。沖田家にも人がいる。沖田はともかく、叔父さん、叔母さんは居るって事だ。
もう21時。こんな時間にインターホンを押したら迷惑だろうが、今日は許してほしい。いいえ、幼馴染なんだから、許してください。
勇気を出して呼び鈴を鳴らすと、すぐに叔母さんの声が返って来ては、扉が開いた。
「あら」
「こんばんは。すみません、こんな遅くに」
「いいのよ。全然会おうとしない洋に痺れを切らしたんでしょう? さっき帰って来て部屋に居るから、どうぞ」
叔母さんは話がわかる人だ。俺の顔を見て全てを察してくれる。お言葉に甘えてお邪魔すると、陽気な叔父さんも歓迎してくれた。沖田家の良いところは皆明るくて、細かい事は気にしない性格だって所だ。
2階にある沖田の部屋に迷わず向かう。廊下に仄かに香る石鹸の匂いに、胸がザワザワした。
どうせ裸でベットに転がってるんだろう。覚悟して扉を開けた。
「沖田!」
「……なんだよ、五月蝿いな」
久々に訪ねた沖田の部屋には本が山積みになっている。決して沖田が読まなさそうな、難しい本に付箋がついていて、手元にあるノートは真っ黒だ。
一冊拾い上げてみた。芹沢さんの言う通り、どれも刀に関するものばかり。本気で沖田は刀鍛冶職人になりたいらしい。
「芹沢って女に聞いたんだろ」
「ああ。バイトをクビになった理由も聞いた。今まで悪かったな」
「別に? アンタの事を財布だと思ってたのは本当だし。都合が悪くなったから利用しなくなっただけよ。なんの用?」
沖田は落ち着いていた。寧ろ冷めていた。勉強の邪魔だから消えてくれ、とも言われそうだった。
俺の顔を一切見てくれないから、尚怖い。
「沖田に冷たくしていた事を謝ろうと思って……」
「あっそ。冷たくされたなんて思ってないから。ていうか、アンタ彼女が居るのに他の女の家に入って来ていいの? 芹沢に泣かれるからやめてくんない? 面倒臭」
「なんで芹沢さんが泣くんだよ」
「ウッザ、アンタの彼女なんでしょ? この間、アンタに結婚しないって言われた後にそう言われたの。土方と付き合ってるからこれ以上付き纏うのはやめろってね」
「なんだそれ!」
事実無根だ。芹沢さんが沖田にそんな事を言っていたのか。だとしたら会わなくなる筈だ。
沖田の顔は呆れているのか、表情がない。
「お前、それを鵜呑みにしたのか?」
「あんな美人に言われたらするんじゃないの? ウザいから帰ってくんない?」
芹沢さんにそう言われたから、それを信じて沖田は気を遣って会わなくなった。
あのクソ女、妄想が過ぎるぞ。勝手に好きになって、勝手に妄想を現実にしようとして、沖田にこんな顔をさせて――。
いや、元々は俺が悪い。沖田に素直にならなかったから、こんな顔もさせたし、機嫌も悪くさせてしまった。
今、素直にならなければ今までの22年間が無かった事になってしまう気がする。恐らく、沖田だって同じ気持ちなんだ。俺と同じ気持ちで無ければ、刀鍛冶職人なんて目指す訳ないんだから。
昔、それも中学生とかそのくらいの頃。土方と沖田でセット扱いされるなら、刀でも持ってみたいもんだなぁと痛々しい発言をした事がある。
どうせなら、きちんと刀鍛冶職人が目の前で打ったものの方が浪漫があっていいなんて、訳の分からない事を言った記憶だ。あんまりにも痛くて、恥ずかしい記憶として残っている。
だが、沖田もその発言に乗っかって来ていた。沖田は、女の刀鍛冶職人が居たらかっこいいかもしれないと目を輝かせ、毎日包丁を金槌で叩いて真似をして、叔母さんに怒られていたっけ。
「他の誰かのたった一言で、俺達の22年間は無くなるのか?」
「何? 別に、ただの幼馴染なんでしょ? アタシ以外の女が結婚して欲しいって言ってんだから、すりゃあいいじゃん。社会不適合者のアタシはほっといて」
クソ、俺がついて来た嘘が仇になってる! んな事微塵も思って無いつうのに、過去の俺は本当に最低だな!
「国立大に合格して、将来有望な昔から成績優秀、文武両道、才色兼備の四字熟語がお似合いの土方くんにはニートの沖田は釣り合いませんものね。本当イヤな感じ。もしかして、勉強してるアタシをバカにしに来たの?」
益々拗れてきた。芹沢さんが何を言った知らないが、沖田は完全に俺を敵と見做している。
「バカにしたいところ申し訳ないけど、アタシ、京都に行くから。刀鍛冶の修行をさせてくれる人を見つけたの。よかったねぇ、青春を邪魔する忌々しい沖田と離れられるんだから、泣いて喜んだら!?」
怒りを堪えられなくなった沖田がクッションを投げて来た。
ずっと隣に居たからわかる。沖田は泣きそうな時、必ずキレる。弱い自分を見せない為に強がるんだ。
俺はようやく気づいた。
沖田は冷たくされたことに怒っていたんじゃなくて、結婚しないと言われた事にショックを受けていたんだ。
俺達にとって結婚は恋愛の延長や世間体の云々ではなくて、ずっとセット扱いされる為の約束に近い。一緒に居たいという意味では他と変わらないのかもしれないが、幼馴染や恋人なんて言葉では言い表せない何かになるための約束なのだ。
こういう時にどうしたらいいかわからない。
とりあえず、感情の赴くままに沖田を抱き寄せて、逃げられないように腕で締めた。
「ばか! 大学だって、ホントはお前と居たいから行ったんだ! 沖田に毎日唐揚げを食わせてやるのに、いい会社に入ってちゃんと稼いでこないといけないだろ! お前が居なくなるなら、俺だって、俺だって……」
「意味わかんないし!」
長く近くにいると、たった二文字が言えなくなるらしい。今までも言った事はないが、確実に幼い頃から心の中にある感情で、それを伝えたいのに喉でつかえる。
それでもジタバタと暴れる沖田に嫌われたくなくて、やっと出た言葉は――。
「俺だって沖田と京都に行く!」
"好き"とは言えなかったが、言えた。言ってやった。
これは実質プロポーズみたいなもんだ。沖田だって、ツンツンしないで顔を赤くして照れているに違いない。
ここでキ……いやいや、接吻もすればお互い素直になって、本当はこうでありたかった関係になれるのでは?
鼓動を早めながら沖田の顔を見ると、ほら、予想通り顔を赤くして照れて――ない。
「……アンタ、何しにくんの?」
「え……?」
本気で何をしに来るのかと問う顔だ。
俺の勇気返せよ。空気でわかるだろ。
✳︎
俺が大学を卒業すると同時に、俺と沖田は京都へ引っ越す事にした。
今まで隣に住んでいたが、京都では同棲する事になり、なんならもう籍を入れてしまえと同家の両親が強く押してくるので、なんやかんやで結婚する事になった。
どうせなら婚姻届は新撰組の聖地・京都で出そうと決まったが、俺達はその苗字が故にまた喧嘩が絶えないでいる。
「絶対に土方になりたくない! アタシは沖田総司の生まれ変わりなの!」
「沖田総司とは一切関わりのない沖田家だろうが! 俺は土方家の長男なの!」
「出た出た、古い考え方。男の苗字に女がなるなんて決まり、法律にあるんですかぁ? アタシと離れるのが寂しくて京都に来たくせに、黙って沖田を名乗れっつうんだ!」
土方になるか。沖田になるか。
京都に来たらますますお互いに譲らず、苗字への思い入れが強すぎて籍を入れられないんである。
第三者を交えて話し合いもしたが、喧嘩がヒートアップ。大体面倒くさがられて相手にされない。
「あのー……決まったらまた来て頂けますか」
現に役所の職員さんも、婚姻届の受理が出来ずに困っている。しかし籍を入れないと法律的に結婚した事にはならない。
なんとか京都に着いた今日、決着をつけなければ!
「絶対に沖田には!」
「絶対に土方には!」
「ならないからな!」
役所に響く、2人の絶対譲らない宣言。
喧嘩する時は嘘をつかずにいれる。これはお互いに一生治りそうも無いな。
俺は沖田とは"まだ"結婚しない。
俺は沖田と絶対に結婚しない! 陸前フサグ @rikuzen_fusagu
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