第10話 高一の夏休み、最後の日 後編
なかば呆然としたままふらふらと部屋へ戻ると、じいちゃんとさゆりんが揃ってベッドに腰掛け、僕を待っていた。
「なんじゃその腑抜けきった顔は」
「マスクしててもわかるマヌケ面ね」
言い返すこともできず、僕はボーッとしたまま右手をそろそろと持ち上げ、マスクからはみ出ている頬を隠した。
さっき、ここに一瞬……なつみの、唇が………やわらかくて、あったかくて……
立っていられなくなり、僕は膝から崩れ落ちた。
「もう駄目だ……俺はもう、死ぬ……」
「なんじゃ、やっぱりふられたか」
「えー、上手くいくと思ったのにぃ」
床に転がりながらも、ほっぺたを守る手は外さない。あの感触を忘れないように……
「幸せすぎて、死ぬ………」
視界の隅で、じいちゃんとさゆりんが微笑み合っているのがわかる。でも、今はそれどころじゃないんだ。悪いけど。
「なんじゃ、人騒がせな。もう、大丈夫みたいじゃな」
「ええ。全く、世話が焼けるったら」
「フミヨシ、ワシらは向こうへ帰る。役目を無事に果たしたからな」
「特別延泊期間もちょうど今日までだしね。ギリギリだったわ」
「霊力ももう、残り少ない」
聞き捨てならない言葉に、僕はさすがに身を起こした。
「霊力がなくなったら、どうなるの? 消えちゃったりしないよね?」
「なんじゃフミヨシ。心配してくれるのか? さっきは消えろだの帰れだのと邪険にしとったくせに」
「きっ、消えろなんて言ってないだろ!」
「大丈夫よ、フミヨシ。霊力はまた貯められるから」
ホッとして、肩の力が抜けた。そして、もうひとつ気になった言葉を思い出す。
「役目を果たしたって、どういうこと。役目って……」
さっき聞いた言葉を脳内再生する。ろくに聞いてなかったはずなのに、記憶には残ってた。たしかさっき、じいちゃんは……「もう、大丈夫みたいじゃな」って言った。ってことは、役目っていうのは……僕に関すること。
もしかしてじいちゃん達、僕を助けに来てくれた? ドラ◯もんが、未来からのび太を助けに来たみたいに?
「ひょっとして僕、トラックにでも撥ねられる運命だった?」
「なっ!! フミヨシ!! どうしてそれを……おぬしまさか、ほんとうに?! 転生か? 転生狙いなのかっ?!」
やっぱり『転生トラック』の概念も知ってるんだね、と思ったのはほんの一瞬。じいちゃんが血相を変えて詰め寄ってくる。胸ぐら掴み上げられそうな勢いだけど、まさか……
「冗談、冗談だって。じいちゃん!」
よろよろと後じさり、じいちゃんは再びベッドに腰を下ろした。ドサッと音が聞こえた気がしたけれど、もちろんそれは錯覚だ。
「でも、どういうこと? 僕はなんで、そんなことに?」
「全く、最後の最後でバレちゃって……あなたったら昔から詰めが甘いんだから」
胸を押さえてゼイゼイ言っているじいちゃんを一瞥し、さゆりんが床に正座した。その途端、ミニスカさゆりんは消え、正座した着物姿のさゆりばあちゃんに変身した。
帯に挟んでいた扇子を抜き、コツッと床を叩く。僕はさゆりばあちゃんの正面に正座した。
「中途半端に聞いてしまっては不安だろうから、あたし達がここに来た経緯を少しだけ話しましょう。きっかけは、仏壇の引っ越しだった」
この家へ移ってきて、仏壇を通してこっちの世界を見た時、文衛門さまは驚いたと言っていたわ。幼い頃以来会っていなかったフミヨシが、暗い未来を背負っていたから。あたし達には、現世の人の未来を、ほんの一部、覗き視る事ができるの。うんと集中すると、写真みたいに映像で視える。動画で視ようと思ったら、天国の鏡の間へ行かなきゃ視えないけどね。
とにかく、未来のフミヨシは……自ら死を選んだ。その発端が、ネット小説。そう、あんたが書いて発表した小説だよ。
あたしは読んでないけど、そりゃぁ酷い内容だったらしい。それで、フミヨシが書いたモノだと級友達にバレてしまい、学校あげての大炎上。ネット上でも散々晒されて……あんたは不登校のひきこもり状態になった。
フミヨシはかつての友を恨み世を恨み、その恨みつらみをこれでもかと小説に込めて、次々に発表した。その怨嗟に満ちた小説には、毒が毒を呼びドブに蠅がたかるように、似たような境遇のファンがつき、あんたを祭り上げたんだよ。
そこまでは、まぁ良かった。酷いのはこれからだよ……
「いま一度言っておくが、フミヨシ。お前はもう、大丈夫じゃからな。安心して聞きなさい」
僕はきっと、顔面蒼白になっていたのだろう。じいちゃんに言われて、額のあたりがものすごく冷たくなっているのに気づいた。そっと触れると、その指までが冷たくなっていた。
さゆりばあちゃんが話を続ける。
あんたの書いた「世を恨んだ主人公が無差別大量虐殺を行う小説」に感化された読者が、次々に小説の真似をし始めたんだ。
あんたは苦しんだ。最初こそ、自分の恨みを込めた憂さ晴らしの小説を書いていたにしても、次第にそれを求める読者のために書くようになっていたんだから。あんたは人を喜ばせるのが好きなんだね。根っからそういう性分なんだ。
それで、その最悪の事態を阻止しようと、おじいちゃんはネット小説を猛勉強して、あんたの前に現れた。
「それで……だから、じいちゃんは」
「そう。皆の求めるものばかりを書くことを、止めたかったのじゃ」
「創作自体をやめさせたかったわけじゃないの。それなのにこの人ったら、作家の自殺率なんかの話を持ち出して」
「面目ない……」
じいちゃんはベッドの上で縮こまった。膝の上で組んだ両手がモジモジしている。
ま、結局あんたは創作を止めなかった。けど……正直、文章力は微妙よね。だからあたしたちは現世に留まって、あんたの文章力をどうにかしようとしたってわけ。そもそも炎上するような酷い作品さえ書かなければ、その後の不幸も防げると思ってね。
「あの数々の駄目出しには、そんな意図が……」
「そうじゃ。厳しいことも言ったが、許して欲しい」
ベッドの上のじいちゃんをまっすぐ見上げて、僕は背筋を伸ばした。
「許す、許さないなんて話じゃないよ。じいちゃんには、感謝してる。ほんとに、感謝してる。もちろん、ばあちゃんにも」
さゆりおばあちゃんに向き直り、やはり背筋を伸ばす。
「ばあちゃんにも、感謝してる。僕に言ってくれたこと、絶対忘れないよ。僕は先祖にとっての宝物。何の取り柄も無くたって、受け継いで来た遺伝子に恥じない生き方をしなきゃって、本気で思えたんだ。だから今日だって、勇気を出せた」
僕は背筋を伸ばしたまま、深く頭を下げた。心からの感謝を込めて。
「おじいちゃん、おばあちゃん。僕のために、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。フミヨシ」
ふたりの声に顔を上げると、銀色に発光したじいちゃんとさゆりんが微笑んでいる。
「さゆりん、もう元に戻っても平気だよ。僕は…」
「え、この格好は別に、フミヨシのためじゃないよ? こっちへ来たのは、文衛門さまに助っ人頼まれたからだもん」
「久々に会ったらこうなっとって、驚愕した」
ヒゲを撫でながらじいちゃんが深く頷いた。でも、活動にはもう口出しはしないと決めたみたいだ。
「さゆりんのアイドル活動は、ガチ寄りのガチだから☆ あびらうんけ〜ん♡」
仕方ないので、僕はさゆりんの手印を真似て、大きな声で返した。
「そわか〜♡」
さゆりんが、嬉しそうに笑った。
「……ときにフミヨシ。今日の分のおやつはまだかの。帰るのは、おやつを食べてからじゃ」
さゆりんとのほんわかムードをぶち壊してまで……じいちゃん、最後までブレないな。ひょっとして、こっちに残った理由の何割かって、スイーツのためなんじゃ……
小さな疑いを抱きながらも、僕は砕いたルマン*を使ったフルーツタルトを取りに、台所へ向かったのだった。
これが、高一の夏休みに僕に起きたこと。
ちなみに、なつみには翌日の晩に告白しに行って、OKして貰えた。昨日の今日って! って、だいぶ笑われたけど。
大きな声で「好きです! ずっと大事にするから、俺の彼女になってください!」って言ったら、泣かれちゃって焦った。昨日僕が話しだした時、「これからもずっと良い友達で」って感じで振られるのかと思ったんだって。
携帯用のアルコールで手指消毒してから手を出したら、なつみは笑って「よろしくおねがいします」って、手を握ってくれた。指が細くて手が小さくて柔らかくって、ヤバかった。
最後の日、一緒にスイーツを食べながらじいちゃん達に聞いたんだ。気になっていた、天国のシステムのこと。ほら、延泊とかポイントとか言ってたからさ。
そしたら、「死んだ後のことは、死んでから知ればよい」だって。じいちゃんのケチ。でも、精一杯生き抜いた後のお楽しみなのかな、って思うようになった。じいちゃんたち、なんだかんだで楽しそうだったし。
あれ以来、じいちゃんとさゆりんは出て来ない。でも、毎日仏壇に手づくりスイーツを供えてる。きっと喜んで食べてくれてると思う。だって、下げる頃には味が少し薄くなってるから。
そうそう。手づくりスイーツがきっかけで、食べた人の喜ぶ顔を見る嬉しさとお菓子作りの楽しさに目覚めた僕は、パティシエを目指すことになるんだけど……
それはまた、別のお話。
おわり。
「おぬし、正気か。その終わり方、ありがちにも程があるじゃろう!」
「じいちゃん! もういいから、帰ってくれぇ!」
おしまい♪
もう、帰ってくれ。 霧野 @kirino
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます