闇に消えゆく
夢咲彩凪
第1話
深い闇に閉ざされた静寂の夜。
気温がマイナスに達した寒さの中で背中に感じる温もりだけが、ひどく暖かかった。
夜は嫌いだ。
なにもかも闇に飲まれていってしまいそうで。
かすかに光を放ちながら地面に降りそそぐ雪もやがて闇に溶けていく。
目の前で高く高く燃えさかる火の柱さえもこの儀式が終われば夜の闇に消えゆくのだろう。
*
「おかしな運命だよね、私たち」
背中合わせに座った反対側でふとキミがつぶやく。
「最期だけは離れ離れ、なんて」
双子──同じ腹から生まれ、運命を共にしてきた片割れと片割れ。
「……本当に行くのか?」
「行くに決まってるでしょ」
本心では怖がっているくせに絶対にそれを態度には出さない。
わずかに震えている声に気づかないとでも思っているのか。
「私が行けばこの事態だって避けられるかもしれないから」
違う。避けられるわけがないのだ。
これはキミというたったひとりの命と引き換えになるような事態じゃない。
「それに」と、キミは一瞬迷うように間を開けたあと、
「父様の気も収まるだろうし」
と小さな声で呟いた。
自分の目からひとつ、こぼれ落ちた透明な液体が炎の光に反射して光る。
なぜ愛されなかったのだろう。
幼いころ、何度も考えたその問いの答えは今もわかりそうにない。
別にキミが死ぬことを悔やんでいるわけでも、憂えているわけでもないのだ。
どうせ自分だってあと5分後には死ぬ。
急速に宇宙を進んでいる巨大隕石が5分後に衝突し、地球は消滅するから。
そうして数々の物語と歴史を生み出した人間たちの営みはだれからも忘れられて、宇宙という闇に消えていくのだろう。
ただ全てが終わるその瞬間まで、キミの隣にいたかっただけだった。
キミの隣にいられるものだと思っていた。
だからまさかこの小さな小さな村のとんでもなく時代錯誤な掟と古めかしい父様の考えのせいで、
最期をひとりで迎えることになろうとは思いもしなかったんだ。
*
──この人里離れた辺鄙な場所にある村で俺たちは村長の子として生まれた。
俺たちを産んですぐに亡くなった母様の他に血の繋がった親戚は、俺の知る限り村長の父様だけ。
だから父様の命令は絶対だった。
村で頻繁に行われる祭事や神事には毎回のように駆り出され、対をなす双子として舞を踊り、儀式を行う。
俺たちは村のお堅い決まり事や掟に洗脳されてしまうのが怖くて、なるべくふたりだけで過ごす時間を増やした。
その時だけはお互いに素の自分でいられるから。
遠方にある学校にいける日も次第に少なくなり、友だちなどできるわけがない。
でも隣にはいつだって片割れがいた。
俺はそれでよかったんだ。たとえなにもかも失っても。
今朝、地球消滅のニュースが流れたあと、姿を消していた父様。
おそらくこの村の神様とやらに一日中祈りを捧げていたのだろう。
俺たちは久しぶりの自由な時間を幼いころから叩き込まれた作法も所作も何も気にせずに過ごした。
気の向くままにしたいことをして、たまにいつもみたいに軽口を叩きあい、なんとなく今までの人生のことなんかを語り合って。
このまま地球が滅びるのを待つだけ、そう思っていた。
そう──癇癪を起こした父様が俺たちの元へやってくるまでは。
父様の考えはこうだ。
〝神様が怒っているから地球は消滅する。ならば生贄を差し出せばいい〟
生贄は女だけ、というのがこの村のしきたり。
父様が指名したのは──俺の片割れだった。
正気の沙汰じゃないと思う。なぜ免れられない運命に抗い、その手で自分の娘を苦しませることができるのか。
それでもキミは言った。
『私がやらないと他の誰かがやらなきゃいけないから』って。
キミもキミだ。
こんなときに無駄な正義感なんていらない。
キミだけが苦しみ抜いて先に死んでいくなんて考えられない。
キミは俺にとって星のような存在だった。
なにもかも闇に消えゆく世界で、決して光を絶やさない希望の星。
いつまでも俺が迷わないように行く先を照らしていてほしい。
だから俺は──。
「やっぱりこんなの間違ってる」
キミの温かい手が俺の手をどこにも行かせまいとでも言うように強く引く。
「こんなの、おかしいだろ。だってホントは俺が……っ」
声を荒らげるキミから逃げるように、俺はその手を振り払い、火が燃える祭壇の前に立った。
「おい、待てよ!」
「もう行かなきゃ。父様が見てるかもしれないでしょ」
俺は長い髪を──つけ毛をすばやく後ろで結い、覚悟を決める。
だから俺は──『キミの代わりになると決めた』
お互いになりきる遊びは幼いころからよくやっていた。
元々性は違えど、顔はそっくりな俺たち。
髪型と服を入れ替えれば、だれも俺たちが入れ替わっていることになど気づく人はいなかった。
それにお互いのことはお互いが一番わかっている。
声も仕草も似せようと思えば、本人そっくりに仕上げられた。
『どっちが先に死ぬかじゃんけんで決めよう』
俺の誘いに渋っていたキミも、結局この話に乗った。
お互い頑固な俺たちはこれしか方法がなかったから。
そして俺は──勝った。
「やっぱりじゃんけんなんかで決めていいことじゃなかったんだ」
キミの声が震える。
それが泣いているからなのか、怒っているからなのかはわからなかった。
「落ち着いてってば……」
「……ホントはキミだって怖いくせに。もう私の真似するのもやめろ、バカ」
俺の格好をしたキミが濡れた瞳で俺を睨みつけながら、大股でこちらに近づいてくる。
……完全に素に戻っていた。
父様がどこからか見ているかもしれない手前、せっかく俺がキミの真似をするとき、わざとおしとやかな女を演じていたのに。
「あーもー、うっせえ」
父様……なんてもうどうでもいいっか。
最期くらい俺らしく、キミとお別れしよう。
「キミさ、素に戻ると、ホントに可愛げもないただのうるさい男だよね。二重人格?」
「特大ブーメランなんですけど」
祭壇の前で見つめあう俺たちの瞳を炎が赤く染める。
「まあ私はそっちのキミの方が何億倍も好きだけどね」
「はいはい、知ってる」
「キミは? どっちの私が好き?」
──そんなの決まってるだろ。
「どっちも好き」
「言ってくれるじゃん」
俺のキミに対する〝好き〟は家族に対して抱く想いよりもずっと大きくて、
恋人に対して抱く想いよりともまた違って。
どんなキミであろうと好きであることには変わりないんだ。
「もうさ、行きたいなら行けば? さっさと炎の中にでも行きなよ。私はどこまでもキミの後に着いてくからさ」
「……っ」
そうだ、最初からそうするべきだった。どちらかだけが先に死ぬなんてやっぱりおかしい。
「意気地無しさん、どうしたの?」
それなのにいざとなると怖くて足がすくんでしまって。
キミの口元が俺をバカにするように意地悪く笑う。
「仕方ないから私が先に行ってあげる。着いてこなかったら呪うよ」
「いや俺が行く──」
「変なところで虚勢張んなくていいから」
もう何も言うな、とばかりに唇にそっと添えられた指。
思わず黙ってしまった俺を細い腕が抱きしめる。
「じゃあね、相棒」
耳元でボソッとキミがつぶやく。
──言葉は必要なかった。
『ありがとう』も『大好き』も『また会おう』も。
「……じゃあな、相棒」
息をすることさえ忘れて、強く抱きしめ返せば、世界から音が消える。
温もりが消える。
キミが消える。
わずか数秒の光景がスローモーションのように目に映った。
手を胸の前で祈るように組んだキミが炎に包まれている姿は、
どこまでも儚く、
どこまでも悲しく、
どこまでも美しかった。
顔を苦痛に歪めながらも一切声をあげない。
そしてキミは──舞う。
いつもの儀式と同じように。
こちらを見たキミと目と目がぶつかる。
しばらく動けないでいた俺はやっと我に返り、無我夢中でキミの元へ駆け寄り、共に舞った。
父様、これで満足ですか。
俺たちを見てもなんとも思わないなら──お前は正真正銘のクズだ。
一瞬にも何時間にも感じる時を経て、キミの手と俺の手が重なる。
──今、片割れと片割れがひとつになる。
夜は嫌いだ。
だから。
キミと共に夜明けを探しに行こう。
闇に消えゆく世界のその先で。
fin
闇に消えゆく 夢咲彩凪 @sa_yumesaki
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