メッセンジャーの頭巾

有馬 礼

「おばあさんのお口はどうしてそんなに大きいの?」


 赤ずきんはデコードのための暗号鍵を音声で送信する。


「それはね、赤ずきん……お前を食べるためさ」


 おばあさんはカッと大きな口を開くと、悲鳴をあげることもできない赤ずきんをゴクリと一飲みにした。


「ふう、手こずらせやがって、レジスタンスの虫けら共め……」


 人間をいとも簡単に飲み込んだ狼は、満足げにその腹部をぽんぽんと叩いた。この手柄で、体置換術待ちの順番はかなり早まったはずだ。狼は舌なめずりしながらにんまりと笑う。そうでなければ、体内異空間埋没術を受けた意味がないというもの。体置換術を受けることができればこの犬のような醜い身体ともおさらばだ。この見た目のせいでどれほど酷い差別を受けてきたか。死んだ方がマシな人生だったが、死ななくてよかった。もう少しの辛抱だ。もうすぐ。もうすぐ「普通」の人生が手に入る。

 ギッ、と木の軋む音がしてそちらを見ると、毛皮の服に身を包み、猟銃を肩に担いだ猟師が俯きながらのっそりと入ってくるところだった。毛皮の帽子を目深に被り、顔の下半分は髭に覆われている。


「んだよ、おっせーな。小娘はてめーが動物と間違えて撃つ算段だったろ。ここに来ちまってんじゃねえか。どん臭えんだよ」


 狼は毒づきながらおばあさんから奪って身につけていたナイトキャップを投げ捨てた。


「行くぞ。あとはこいつらを拷問にかけて吐かせるだけだ」


 狼はベッドから身を起こす。


「さっきから何黙って……」


 相方の様子がおかしいことに気づいた狼がそちらに顔を向けた時には、猟銃は既にその眉間にぴたりと照準を合わせている。


「な……」


 その先の言葉は銃声にかき消されて音にならなかった。銃弾は正確に狼の眼と眼の間を貫通した。

 猟師は1発の銃弾で仕留めた狼に素早く近づくと、だらりと口の外に垂れた大きな舌を引っ張った。

 狼の腹部が、骨格を無視してドーム型に膨らみ、縦に1本の割れ目が走る。強制リリース。左右に開いた腹部の中には、おばあさんと少女が抱き合って座っていた。


「あ、あなたは……」


 おばあさんが恐る恐る言う。


「お逃げください」


 猟師が言葉を発する。その声は、見た目に反して若い女性だった。

 猟師が毛皮の帽子を取ると、顔がずるりと崩れてその下から真っ白な人工体が姿を現した。ボディスーツのように猟師の皮を脱ぐ。エメラルドグリーンに輝く目がある以外はつるりとした、白磁のような卵型の顔面、髪のない頭部、男女どちらとも見えるボディ。しかし他の人工体と違い、その右腕には精緻な昆虫の彫刻が施されている。他との差別化が許された者。帝国皇家の一員である証拠だ。


「第8皇女……」


 おばあさんの言葉にその人物、月帝国第8皇女パルスは頷く。


「手を貸してください。死体を完全に破壊します。井戸へ」


 第8皇女は狼の死骸をベッドから引きずり下ろした。3人の女は、力を合わせて腹が開いたままの狼を家の外へ引きずっていく。

 家から少し離れた井戸まで狼の死骸を引きずった3人は、苦労して狼の死骸を井戸に投げ入れる。狼の死骸は自由落下を遥かに超えた爆発的加速で、宇宙に直結するような深い井戸を落ちてゆき、やがて燃え尽きた。


「なぜここが超時空間シュートだと……」


 赤ずきんが言う。第8皇女は直接それには答えなかった。


「月帝国は、あなた方の中核に迫りつつあります。お逃げください。この世界がレジスタンスの、文字どおりの井戸端であることは、既に知られてしまっています」


「皇女様は……?」


 おばあさんが気遣わしげに言う。


「わたくしは大丈夫です。従順なだけが取り柄の愚かな小娘と見下しているわたくしがこのような大それたことを行うなど、兄たちは想像もしていないでしょう。……お姉様を、お願いします」


 赤ずきんとおばあさんは無言で頷く。


「わたくしは、お姉様のようにはなれなかった。わたくしは弱い人間です。これが精一杯。でも、体置換術を受けて、はっきりとわかりました。わたくしは最早、以前のわたくしではなくなりました。お姉様の言葉は、全て正しかった」


「タナバタにもう一度会えたら、あなたのこと、必ず伝えます」


 おばあさんがそう言って、女たちは抱き合って互いの幸運を祈った。


「あなたは、既に私たちの同志です。トゥルーエンドで会いましょう」


 赤ずきんは目尻の涙を拭った。


「ありがとう。さあ、早く」


 おばあさんと赤ずきんは井戸に飛びこむとKASASAGIを展開し、飛び去った。

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