第27話『エピローグ その二』

 安曇高座は週に一度のペースで一人夜の街を歩く、という。

 ボディ・ガードも何もつけず、ただ一人で繁華街を散策する。

 それは女性を漁ったり、酒を浴びるように飲んだり、酔っ払いの喧嘩に首を突っ込んだりと本当に意味のない行動ばかりらしい。

 無目的を目的とした夜の散歩だ。

 月は見た目を変える性質から気まぐれの代名詞になっているが、正にその眷属らしいと言える。


 夕音子はその時を狙いなさいとアドバイスしてきた。

 荘司のポケットの中には『弾丸』があり、使い慣れた菊一文字が相棒として傍にいる。

 準備は万端だった。

 大都会の繁華街。一つ路地を違えれば荒れた裏面も見られるだろうが、荘司は表通りの目立たない場所で襲撃のイメージを養いながら時間を潰していた。


 待つ。

 ジッと待つ。


 そして、冬の寒さに筋肉が強張りかけた頃、ようやく目標が現れた。

 彼はランダムでいくつもの街に足を運ぶのでこれは幸運だった。覚悟は決めていたが、今日現れるとは期待していなかったし、もう少し遅ければ帰るつもりだった。


 荘司は安曇高座の変哲なさに驚く。

 年の頃は三十代半ばに見える。背は低いし、かなり痩せている。一六〇くらいしかないだろう。しかし、二百年前から生きている人間だと考えれば、これくらいは普通かもしれない。むしろ、当時の平均身長を考えると大柄な方だったのかもしれない。

 顔立ちは凛々しい。苦悩の末なのか、眉間に深いシワがあった。

 短めの髪は黒々と後ろに撫でつけている。浅黒い肌も含めて、どこかヤクザの幹部みたいな雰囲気がある。実際はその程度とは比較にならないのだから、恐ろしい。

 派手な色の着物を着崩して、一升ほどは入りそうな徳利を紐で縛って保持している。時々、その中身を口に含んでいるが、安曇高座は毒物生成の能力で定期的にアルコールを摂取する必要があるらしい。アセトアルデヒドから千人単位を殺戮可能な毒物がどうやって作られるか、荘司には理解できない。


 本日は何か目的があるのだろう、安曇高座の足取りはのんびりしているのに迷いがなかった。

 不自然でないように荘司は移動を開始する。最も命を狙い易い場所が良いだろう。人は多い方が良いが、人目があっても困るという矛盾をどう解消すべきか……。理想的なのはすれ違いざまに斬り捨てる通り魔メソッドか。

 吸血鬼化するのはギリギリまで待つ。

 時間制限もあるが、どういう理屈か分からないが、吸血鬼は吸血鬼を感知しやすいらしく、そのセンスが安曇高座は別格らしい。人間のまま距離を詰めた方が成功率も高いのだ。


 そして、安曇高座が行き当たったのは、飲み屋が入ったビルの一階だった。

 この周囲で安曇高座の関わっているビルはない。

 つまり、罠ではない可能性が高い。

 安曇高座がエレベーターの前に立ち、昇降ボタンを押した瞬間、荘司は躊躇せず『弾丸』を飲み込んだ。世界が変質し、肉体に火が灯る。

 血液が沸騰する感覚にも慣れつつあったので、そのまま一気に襲いかかる。


 ――つもりだったが。


 荘司が踏み込んだ瞬間――足元から崩れた。足場が崩れたのか、と一瞬勘違いするほど膝から崩折れ、強かに顔面をコンクリートに打ち付けた。痛みに悶絶する間もなく肉体が修復するが、それでも全身が痺れたように動かず、呼吸さえ苦しい。

 何が起きている!?


「ん? お前、どっかで見たことあるな」


 そんな声が降ってきたが、顔を上げることもできない。

 無理矢理髪を掴まれ、顔を上向かされたが、やはり動くことはできなかった。

「おー、誰かと思ったら、榊坂のガキんちょじゃねぇか。お前が殺し屋か。そういや、真の野郎と連絡が取れなくなったーとか騒いでたな。んじゃあ、お前が父親殺ったのか? ん? って、喋れないか。おれ、解毒だ」

 口元に何か液体を流し込まれた。

 無理矢理嚥下させられたが、効果は速やかだった。

 手足の痺れは依然として残っているが、呼吸はできるようになった。


「ああ……」

「お、喋れるようになったか。んで、お前、どうして俺を殺そうとしたんだって、決まっているか。魔女姉妹の軍門に下ったんだろうな。で、お前、真の字は殺したのかよ」

 嘘を吐く意味があるとは思えなかった。とりあえず、正直に答えて様子を伺う。

「……殺してない」

「なら、魔女共が何かしたんだろうな。そういや、何か言ってたなー。基本、そういう雑事は任せきりだから忘れちまったよ。ま、それならそれで構わないけどな」

 あまりにも軽い言葉で、彼が本心からどうでも良いと思っていることが伝わってくる。


 荘司は一つ思い出す。

 婆娑羅者――権威や秩序を軽んじて、派手な振る舞いを好むという姉の評価を。


「……どうして、俺の言葉をあんたは信じるんだ」

「ん? 嘘なのか?」

「……本当だけど」

「なら、良いだろうが。つか、どっちでも構わないんだがな、俺にとっては」

 ケケケッと疫病神のような笑いをあげる安曇高座。

「で、お前は俺を殺そうとしてんだよな。まだ続けるのか?」

 当然だったが、荘司はただ睨みつけるだけに留めた。

「ま、そりゃ、そうか。いつでも俺の命を狙うのは自由だぜ。あの魔女姉妹にはそう言っている――が、ま、適当に痛い目に遭って貰うけどな」


 安曇高座の能力は毒物生成である。

 ありとあらゆる毒物を体内で生成し、それを汗腺から吹き出す。

 その威力は化学兵器とほぼ同等。むしろ、何の手間もなく可能な時点で、その脅威は比べ物にならないだろう。しかも、その毒物は吸血鬼にも効果を発揮する。


「ま、とりあえず、呼吸器を焼いとくか。ああ、大丈夫だ。殺しはしない。つか、お前、回復早そうだな、それが能力か……ん? お前『弾丸』で仮吸血鬼になっただけか。ま、死にはしないさ、多分な」

 それから拷問が始まった。



 爪を一枚ずつ剥がされた。

「ああ、どうして、人が来ないかって? 悪臭を放ってんだよ。しかも、無意識に作用するな。意識できない悪臭で人は来られない。そろそろ、痛みで発狂するか――しかし、悲鳴も上げないのは大したもんだな。お前、父親よりも我慢強いのな。ああ、あいつは最初、俺を殺そうとしたんだよ。無理だって諦めちゃったけどな。つまんねぇ」


 その次に、指を一本ずつ潰された。

「ところで、最強は退屈だって話どう思うよ。俺はそんなことないと思うぜ。最強であることを維持するのは人一倍の努力と気を遣う必要があるからな。追われる者の方が必死だって言うだろ? なのに、どうして、最強は退屈だなんて思うんだろうな? 多分、弱者の戯言なんだろうな。そもそも、慢心した時点で最強の座は手のひらから溢れちまう。それほどに強いやつに世の中溢れてんだぜ。俺は強いからこそ、人生が愉しめている。弱い奴はどうやって人生愉しんでんだ? なぁ、教えてくれよ」


 そこで吸血鬼化が解けた。

「お、傷が治らなくなったな。でも、涙も流さない、と。大した強さだな。うん、褒めてやりたいぜ。いっそ、発狂した方が楽だろうに。真の字と似たもの親子だが、お前のが強そうだ。ああ、『弾丸』の替えか、魔女に吸血鬼化させてもらって治せよ。でも、あの姉妹、何か奇妙な実験やっていて『弾丸』の保有数が少ないんだよな。全く、兵隊に飲ませる武力まで削るって意味が分からねぇよな」


 手首と足首の健を断たれたところで、拷問は終わった。

「あ、次は目玉を潰して、睾丸を潰して、舌を切り取るからな。今回は初心者向けってところだ。ん? いつでも殺しに来いってのは本当だぜ。約束は守るんでね。諦めるなら諦めるで構わないさ。お、その目は良いな。何か言葉はあるか」


 痛みで外界への認識が薄くなった荘司は、絞り出すようにして言う。

「くたばれ……てめぇ……」

 ケケケッという安曇高座の笑い声は愉しそうだった。

「お、良いね。その憎悪に満ちた目。最高じゃないか。気に入ったぜ、真の字の息子、名前何だったっけ?」

「榊坂、荘司……」

「おお、荘の字な。憶えた。また、俺を殺しに来い」

 ケケケッと笑い声を残して、安曇高座は去って行った。



 荘司は食いしばり過ぎて血の混じった唾液をその場に吐き捨てる。痛みで粘度が増し、吐き捨てる力がなかったせいで、口元から垂れ張り付く。それさえも苛立たしい。

 ポケットの携帯でエマージェンシーをしたいが、痛みでできない。そもそも、指を動かすことさえできない。誰か人が来るまでこの痛みに耐えるしかないようだった。


 しかし、それは罪人である自分にとっては相応しいことだ。

 彩葉を屍山血河の道へと引きずり込んでしまった自分は罪深い。

 自分を殺すなんて大したことではない。好きな人のために生きているに等しいのだから幸せだとさえ言えた。むしろ、安曇高座と対峙して生き残ることができた現状はベストに近い。

 絶対に、彩葉の生きる世界を作ってみせる。

 それだけを胸に、荘司は安曇高座の顔を脳裏に焼き付ける。あれが敵。越えるべき壁。

 強いモノが喰うし、弱いモノは喰われる。

 弱肉強食という一つの真理。

 今、負けたのは荘司が弱かったからで、故に、強くならなければならない。

 荘司は痛みをこらえながら心に誓う。


 殺してやる――と。


   +++


 荘司が出て行った後、寝た振りをしていた彩葉は考えていた。

 荘ちゃんは後悔しているんだ、と。

 別に彩葉と一緒に逃げ出したことを後悔しているわけではないだろう。

 むしろ、そうであれば良かった。おそらく、現状のようなどん詰まりは想定していなかった。もっと自由に生活を制限されないことを夢見ていたはずだ。

 正直、彩葉にとってはそんなことどうでも良かった。

 どうでも良いというか、それは重要ではなかった。

 一瞬でも、一生でも大差ない。

 ただ、荘司が傍にいてくれるだけで満足だったのだ。


 どうせ、助からないと思っていたし、夢が見られた。選んでくれたことが嬉しくてたまらなかった。それだけで本当に生きている価値があると思えたし、生きていて良かったと幸せだった。

 だが、荘司はそれだけでなかった。

 本当に、生きていける世界を作ってくれる気になっていたのだ。

 それが彩葉には嬉しくもあり、悲しくもあった。


 本気だったのだ――信じきれなかった自分とは違って。


 そう、彼女は逃げ切れるとは思わなかったし、だから、荘司を吸血鬼にするつもりがなかったのだ。遥かに長命になった自分と同じ時間は生きられないと悟っていた。

 グッと歯を食いしばり、彼女は襲ってきた何かわけの分からない感情を抑えこむ。これを直視してはダメだ。ただ、耐える。

 そして、これから何が起きるかを考えた。薬でも飲まされたのか、クラクラする。でも、まだ大丈夫。今のうちに可能な準備は行わないと。


 想像することもできないが、彩葉にはこれから何らかの処置が施されるだろう。

 物理的か、精神的かは分からないが、荘司との仲を絶たれると思った方が良いはずだ。それに備えておく必要がある。彼女は新米吸血鬼で、夕音子たち十三真鬼に比べて脆弱な存在だが、全く抗う手段がないとは限らないのだ。


 彩葉はどうすべきか考え――一つ策を思いつく。

 先ほど荘司からプレゼントされた大きな犬のぬいぐるみだ。これが鍵だ。

 これに、彼女は自分の能力を発動させた。

 彩葉の能力は吸血鬼としての支配力で、他者を自分の仲間にするものだ。そして、それは自分の力を貸与し、分け与えるに等しい。

 そう、貸すのだ。

 それは人に限らない。生物や物でも構わなかった。

 ただし、それぞれ、用途は限られてしまうが。元々、吸血鬼の眷属は蝙蝠や狼などだから、それが例え、犬のぬいぐるみであっても問題ない。と思う。


 実際、試してみると可能で、彼女は喜ぶ。

「やった! あとはこれに託せば良いのよね……」

 茫洋とした頭の彼女が預けたのは、一つの強い感情だった。

 他にも残すべきものはある気がしたけど、とっさの判断でそれを預けることにしたのだ。

 それは一言でまとめてしまうと、

「あの(、、)シスコン(、、、、)野郎(、、)ぉぉぉぉ(、、、、)!」

 怒りだった。


 それは彼にとって褒め言葉かもしれないけど、彩葉にとっては不満以外のナニでもない。もっと自分だけを見て欲しいというワガママ。

 怒りを残すことで、何があっても荘司に対して不満をぶつけようと思った。

 そして、それは支配という形で、彼に力を分け与えてくれるはずなのだ。


 彩葉は怒りを八つ当たりという形でぶつけ、感情が涙として溢れてから手で目をこすった。

「荘ちゃん、待っていてね……」

 ……無事でいてね。

 今、荘司がどんな目に遭っているか分からない。おそらく、まともな扱いではないだろう。今の自分たちの状況を考えると、身の安全は保証されていない。

 自分はあまり戦闘向きの能力ではないが、それでもこういう戦い方もある。


 愛する人との明日を夢見る為に――祈る。

 傷ついていれば、その身を癒してください、と。

 あなたはアタシのものだから、と。


 つまり、それは釜田彩葉が悪鬼羅刹の群れに、自分も投身する覚悟を抱いた証だった。



   +++


 どうやら痛みで失神していたようだ。

 こんな寒空の下、放置されて荘司は死にかけていた。

 正直、あの男は本物の悪魔だとしか思えない。人には優しくしようと思う。半死半生の人間を放置なんて絶対にしない。


 ――と、そんな余裕めいた思考ができたのは痛みが減っていたからだ。

 剥がれていた爪が、潰れていた指が、断たれていた腱が――元に戻りかけていた。まだ鈍い痛みは残っているが、もう少しで動けそうだ。

 決して荘司は『弾丸』を口にしていない。

 吸血鬼の能力はないはずなのだ。なのに、何故だ?


「あ……」


 それと同じ現象は父との戦いの後にもあったじゃないか。

 彩葉の能力だ。

 胸の中に暖かい『光』のようなものが感じられた。

 それは『明日』の形をしていた。


「ああ……」


 思い出せないはずなのに、こうやって自分なんかのために祈ってくれているのだ。

 だから、危険な状況から癒やされている。

 それがどれほどの奇跡か。

 いや、そんな陳腐な言葉で片付けてはならない。もっとハッキリとした想いの結果だろう。それはつまり、どれだけ彼女に想われているか、というとんでもない衝撃として襲われる。


「あああああ……っ」


 荘司の目から涙が溢れる。

 あれほどまで安曇高座に拷問されていた時にも溢れなかった涙を止めることができない。

 嬉しくて、悲しくて、感情が制御できない。

 一言では言い表せないほどの様々な想いで胸が張り裂けそうになる。


 ただ、苦しかった。

 どうしようもなく苦しかった。


 ひとしきり涙を流した後、荘司は袖でグイッと涙を拭く。

 荘司は決めた。

 もう、泣かない。

 殺意の虜になりかけていた彼を引き戻してくれた彩葉に感謝する。

 もう一度、彩葉に笑顔で会う。

 何の屈託もなく再会する。

 それが、いつになるかは分からない。叶う保証も何もない。道半ばで死ぬくらいに思っていた方が良いかもしれない。でも、心の底から願う。


 それが荘司の抱いた明日への夢だった。



            〈Does a vampire dream of tomorrow?〉Closed.

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吸血鬼は明日を夢見るか はまだ語録 @hamadagoroku

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