第26話『エピローグ その一』

 彩葉が目を覚ますとそこは見知らぬお屋敷だった。

 控えめに言っても豪邸の一室だ。

 ベッドは沈み込みそうなほどフカフカで、真新しいシーツは清潔な純白である。広さは二十畳ほどだろうか。あらゆる装飾品や家具にお金がかけられているようだが、窓を見ると鉄格子が嵌っている。居心地を良くさせることで、外へ出させないなんて罠を思い出した。


「……ここ、どこ? 荘ちゃん……?」


 一体、何があったのか?

 荘司と共に旅立とうと電車に乗っていたのだ。

 肩を寄せ合いながらうたた寝をしていると、小さな女の子が現れて――。

「ダメだ、思い出せない……」

 とにかく、何かとんでもない事態に巻き込まれたことは明らかだった。

 そもそも、巻き込まれたのはかなり前からの気がするけど、とりあえず、今の状況の方が急転直下と言えるだろう。さて、どうしよう。

 荘司を捜すためにはここから出ないとダメか。


 彩葉はとりあえず、唯一の出入口である扉のドアノブを捻ってみたが、鍵がかかっていた。この分厚く重い扉を破ることは難しそうだ。次に、今の自分の腕力なら鉄格子を引き抜けないかな、と試しに押したり引いたりしてみたけど、ビクともしなかった。さすがにそこまで化け物にはなっていなかったか。

 さて、次にどうしよう。


 意外と冷静に彩葉が考えていると、いきなり錠の開く音がした。

 ビクッと驚きながら振り返った瞬間、扉が開いた。

「あ、彩葉、起きたか。おはよう」

 そこに現れたのはよく見知った顔だった。

「荘ちゃんっ!」

 荘司はニヤリと笑って言う。

「おいおい、喜びすぎだろ。そんなに俺と会いたかったのかよ。どんだけ寂しがり屋だよ」

「当たり前だよ! 超不安だったし! 超寂しかったですとも! 大好きな人がいきなりいなくなったら超ヤバイですよ!」

 直球で気持ちを伝えると、荘司は「お、おう……」照れて目を逸らした。そんなになるなら言わなきゃ良いのにと彩葉は内心で苦笑する。超可愛いですよ?


 彩葉はギュッと荘司に抱きついた。

 すると、荘司は「ヨシヨシ」と頭を撫でてくれた。

「ねぇ、荘ちゃん。それより、ここはどこなの?」

 荘司はゆっくりとした足取りで、備えつけられていたソファーに座った。彩葉は自然とその隣に座る。手は離せなかった。

「ああ、どこから説明すべきかな……。最初からか。まぁ、飲み物でも持って来させるからのんびり話しようぜ。何か飲みたいものはあるか?」

「何でも構わないよ。それよりも早く教えて」

「そうだな。とりあえず、昔話から始めるか」



 紅茶を運んできたメイドさんで一時中断した以外は、最後まで遮られることなく荘司の説明は終わった。

 二十年ほど前にあった荘司の父や夕音子を中心とした悲劇。その結果、十三真鬼の中に荘司の母と姉(夕音子だが、正確には叔母か? 伯母?)がいたこと。現在、荘司たちがその庇護下にあること。ただ、その代償として多少の働きを求められていることなどだった。


 非常に整理された内容で理解しやすかったが、彩葉はどう言って良いか分からなかった。

 ただ、どうしても訊きたいことが一つあった。

「あの、アタシの両親が殺されたのは……?」

 荘司は首を横に振る。

「多分、安曇高座も計算してなかっただろうな。鈴木一郎の暴走だ。少なくとも『常勝将軍』が彩葉を狙ったわけではないみたいだな。もちろん、狙っていないというだけで、どうなろうと知ったことじゃないだろうけどな」

 それはどうしようもなく悪趣味な話ではあったが、だからこそ、嘘ではなさそうだった。荘司は事実を教えてくれているのだ。


 何の為に?

 答え――必要だから。


 強く生きる為にだ。

 彼はそういう強さを他人にも求める部分があるから。

 正直、あまりの理不尽に彩葉は喚き散らしたいくらいだったが、そんなことをしても意味がない。ぶつける相手が同じ被害者の荘司なのだから、取るべき行動は腹に収める一択だ。グツグツとお腹の中で煮詰め、それを然るべき時にぶつける為、我慢する。

 生きている人の方が大切だから――こんな冷酷な判断を下す人間だったかなぁ、と彩葉は内心で自嘲する。

 どうしようもなく変わってしまったのだ。

 わずか数日で。


「ねぇ、荘ちゃんはどんな代償を求められたの?」

「……大したことじゃないさ」

 何かを隠しているのは明らかだが、それを隠す必要があると荘司は判断した。つまり、彩葉は知らない方が良いということ。もしくは、彼女には知られたくないこと。

 彩葉は現在、この世で最も信頼し信用している人間が荘司だ。

 だから、彼の考えを尊重すべき、と心のどこかが囁いている。本当に不利益があれば、絶対に教えてくれるだろうから。


 だが、

「お願い、荘ちゃん、教えて欲しいの。ううん、アタシが知りたいの」

 隔離されている現状、その真偽を判別するだけの情報はない。得られる手段がない。だから、彩葉は荘司の言葉を鵜呑みにするか、疑心暗鬼に陥るかどちらかしかない。

 だが、それでも知りたかったのだ。

 荘司はため息をついた。そして、ボソッと一言。

「精子の提供」

「は?」

「姉さん、俺の子どもが産みたいらしくてね」


 聞かなければ良かった、と心底から思った。

 気持ち悪いと反射的に感じた。

 そういえば、自分はもう子どもが産めないんだなぁ、と思い出し、脳みそを直接ハンマーで叩き潰されるほどの衝撃を受けた。ああ、神様――好きな男性が姉弟で子どもを作ります。いや、姉弟ではないんだっけか。

 とにかく、どう反応して良いか誰か教えて欲しい。


「……吸血鬼は子ども産めないんじゃないの」

「その弱点を克服した唯一の例が姉さんなんだよ。その、ゴメンな」

「どうして荘ちゃんが謝るの? 生きるためだもん。仕方ないよ」

 死ぬほど空腹で、もう十日も固形物を食べていません。その際、生きるためにパンを盗むことは正義か悪か――という命題を思い出した。荘司とはそんな話をたまに交わしていた。いつも結局、答えは出ないのだ。今も出せる気がしない。そもそも、そんなものがあると明言できるのは詐欺師か嘘つきだけだろう。

 ただ、彩葉はとにかく衝撃が大きくて仕方なかった。


 荘司はギュッと彩葉を抱きしめる。

「本当にゴメン」

 もう言葉を返せなかった。

「でも、代わりに俺たちはもう追われないからさ」

 そう、その点に関しては喜ぶべきなのだろうが、最初にこの部屋で感じたことを思い出す。

 居心地が良ければ人はその状況から抜け出せない――中途半端な幸福が一番人から闘争心を奪う。これは彩葉の一番大事なものから目を逸らさせるための策ではないのか。

 例えば、荘司が自分の傍からいなくなる、という可能性を。


「なぁ、彩葉」

「何? 荘ちゃん」

「俺さ、お前のこと、本当に好きだから。あ、その、愛してるから」

 真っ赤な顔で言う荘司に彩葉は愛おしい気持ちでいっぱいになる。

 顔が火照り、涙目になっている実感があり、言葉が継げないから短く頷く。

「うん」

「間違いなく世界一だから」

「うん」

「一緒に平和に暮らそうな」

「うん」

「あ! そうだ、プレゼントがあるんだぜ!」

 いきなり何だ、と思ったが、一旦部屋から出た荘司は大きなぬいぐるみを抱えて戻ってきた。

「ほら、彩葉、前に欲しがっていただろ? 誕生日プレゼントで」

 深呼吸をして、彩葉はおどけてみせた。

「アタシの誕生日、まだ四ヶ月ほど先だけど?」

「八ヶ月遅れのバースデープレゼントってことで納得してくれ」

「いやいや、アタシ、荘ちゃんから前貰ったし。ハンカチだったかな」

「それ、家に置いてきただろ? だから、代わりってことでさ」


 言っていることは筋が通っている気がしたが、違和感しかない。

 例えば、そもそも、もう追われないというのであれば、どうして鉄格子で閉じ込められているのか? その旨を彩葉が質問すると、荘司は簡潔に応えた。

「情報が漏洩する一番の原因って分かるか?」

「んー、ハニートラップ?」

「キチンとルールを守れない人間の怠惰な心だよ」

 だから、「大丈夫だろう」と安易な気持ちで出歩けないようにするための処置だと言う。

 つまり、これは出られない檻であると同時に、堅牢な砦でもあるのだ。実際、刑務所は強固な要塞としての側面も兼ね備えている。この二つは見方が違うだけで、同じものなのだ。

「大丈夫だ。俺を信じてくれ。彩葉には手を出させないから」

 荘司は信用できる人だ。

 だから、彩葉は頷いた。

「うん、分かったよ」

 現状を受け入れていると、嘘をついた。


 荘司はとても信用できる人だから、こんな状況を良しとするわけがないのだ。

 しかし、どうしようもないからこういう手段を取った。

 つまり、それ(、、)ほど(、、)追い込まれて(、、、、、、)いる(、、)ということ。

 そこで、頷かないという選択肢は彼女の中にはなかった。



 彩葉との会話を終え、淹れた紅茶に混入させた睡眠薬が効き始めてから荘司は部屋を出た。彼女はしばらく目を覚まさないだろう。そして、その時には全て終わっているはずだ。

 そして、部屋の前で待っていたのは夕音子だった。


「終わった?」

「ああ、終わったよ」

「もう良いの? 後悔はない?」

「姉さん。俺は後悔しないために決断したんだよ。逆だよ、逆」

 そっか、と少しだけ寂しそうに夕音子は笑った。

 彼女が何を考えているか、荘司には分からない。


「これから、荘ちゃんは安曇高座に挑んで貰うから」

「分かってるよ」

 それこそが本当の――いや、もう一つの契約内容だった。

『常勝将軍』安曇高座と戦うことで荘司は彩葉の安全を買ったのだ。


「安曇高座は強いよね?」

「ええ、十三真鬼の中で最強ね。もちろん、安曇高座以外にも難敵はいるよ。『鬼界の太陽』とか『天獄殺』とかね。だけど、あいつは別格。超人のような勘と隙のない性格。毒物生成の能力もね、ただそれだけだったら良いけど、奴が生成する毒は全て指向選択性があるの」

「指向選択性?」

「簡単に言えば、自由に操れるってこと。最大範囲は不明だけど、戦争中に一キロ四方の人間を皆殺しにしたなんて伝説もあるしね。あいつを殺したければ、超長距離狙撃か絨毯爆撃か食料に毒物を混ぜるか――いくつか手段は考えられるけど、現実的じゃないわ。警戒して、人の少ない場所に行かないからね。もしも、国家権力がそんなことをしてきたら、報復で道連れになる人数はどれくらいになるかしらね」

 そんなの個人の力を超えている。ほとんど天災。本物の怪物だった。


 ブルッと荘司の足が痙攣するのは武者震いではなく、純粋な恐怖だった。

 もちろん、恐れているからといって、それで止めるわけがないが。

「ねぇ、荘ちゃん、止めても良いんだよ?」

「でも、姉さんたちの野望には邪魔なんだよね」

「ええ、でも、逃げてもそれはそれでどうにでもなるから。本当にダメだって思ったら、止めて良いよ」

 夕音子は本気で言っているようだった。


「大丈夫だよ、多分、殺されないと思うから」

 それは希望的観測でしかなかった。

 安曇高座は強い。圧倒的に強い。だから、刺激を求めているため、敵は生かして玩具にしようとする婆娑羅者だ。

 例えば、鈴木一郎を送り込むようなことをして、父を挑発もした。妹を斬られた復讐心を利用していたようだ。つまり、あれは醜悪であってもただの遊びでしかなかったのだ。それに、一度刃向かおうとも、遊び相手である間、殺しはしない酔狂な面もあった。

 だから、生きる為にはむしろ、敵として認識される必要があった。

 そういう理屈は分かっているのだ。そして、同時に絶対に安全が保証されているわけではないということも。


 夕音子は一瞬迷ったように目をさまよわせてから言う。

「荘ちゃん、自罰的になってない?」

「どういう意味さ」

 荘司は本気で何を言われているか分からなかった。

「彩葉ちゃんに希望を与えたこと、後悔してない?」

「…………」

 押し黙った荘司に、彩葉はそれでも続ける。

「私たち姉妹はね、あんまり人の気持ちを重要視してないの。朝陽ちゃんは他人の気持ちを弄くれるし、私は変身することで印象をいくらでも操作できる。例えば、可愛らしい女性と不細工な男が同時に困っていた――人はどちらを助けると思う?」

 それは、前者だろう。

「所詮、理屈なんて感情には敵わない。それが人間社会なの。だからさ、重要視していないからこそ、逆に、他人の気持ちを尊重しているの」

 夕音子は一体、何を言いたいのか。

「だからね、荘ちゃんが戦うべきって決めた気持ちは大切だと思うの。でも、それがただの自殺志願でしかないのであれば、止めなさい。無駄だから」


 どう考えても自殺のようなことにしかならなかった。

 なのに、希望があるように見せかけた。実際に、二人はこう捕まっている。

 それが荘司の罪だ、と夕音子は言っていた。


「……姉さん、俺は間違えているのかな」

 ボーッとしながら荘司が問いかけると、夕音子は首を横に振った。

「ううん。正誤なんて些細な問題よ。人間、正しくても行えないことなんていくらでもあるもの。私たちは弱いから、人間を超越した存在なんて言っても、それは大きな視点に立てば個性の一つでしかないから、だから、捻じ曲げられちゃうんでしょうね」

 よく見ると、夕音子はやや涙目になっていた。悲しいのか、辛いのか。もしくは、それら以外の別の感情か……荘司には分からなかった。


 分かったことはただ一つ。夕音子も苦しいということ。望んでいるわけではない。あの父がいて、毎日のように特訓しながら一緒に暮らしていた日々が楽しくなかったわけがない。今の状況は彼女が望んだものとはかけ離れているのだから。


 それでも、夕音子も明日を夢見るため戦っていた。

 それに手を貸さないなんて選択肢、荘司には選べなかった。彩葉とはやや意味は違うが、夕音子も彼にとって特別な相手なのは違いないのだから。


「……姉さん、大丈夫だから。俺、勝つから」

「うん……期待しているわ」

「だから、約束通り処置お願いね」

「ええ、彩葉ちゃんの中に『荘司が帰ってこなくても違和感を覚えなくさせる』ね。分かっているわ」

 荘司の記憶を丸ごと消すなんてことは不可能だ。

 そんなことをしたら、人格そのものに大きな障害が生じてしまうだろう。

 だから、荘司が考えたのは傍にいなくても、不思議に思わないという処置。ちょっと出て行くという言葉を信じ、すぐに戻ってくると疑わなくさせる。

 徐々に風化させ、万が一の場合もショックを弱めるため。

 それが彩葉を保護するだけではない、荘司が決断した、取引の真の内容だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る