第25話『榊坂家の裏仕事 その四』

 グンニャリと世界が歪んだように感じたが、変化したのは荘司の認識であって世界は何も変わっていなかった。

電車の振動も椅子の固さも上り始めた太陽の位置も変わっていない。

 ただ、夕音子と彩葉の座っている位置だけが先ほどまでと逆になっていた。彩葉はやはり気を失っているままだ。しかし、いつ入れ替わったのか――考えても仕方ないか。


「荘ちゃん、よく分かったね」

「偶然だよ」

 本当に偶然だ。根拠なんてなかったし、一か八かの賭けだった。ただ、姉が本当に殺されるのを良しとするようなことはないだろうと思っただけ。そして、彩葉を荘司に殺させることで、罪悪感から支配しようとするのは自然な方法じゃないかなと考えたのだ。

 非常に残酷で最悪だけど、有効な手段だ。


 いや、どうせ姉のことだから、荘司が殺せないと見切っていたのだろう。

 実際、見破ることはできても、斬りつけることはできなかったのだし。

「……これが朝陽さんの能力なの?」

「正解。あと、私のことは『母さん』で良いわよ」

 自分にとっての母役は夕音子だから、似ていてもさすがに今からそれは難しい。が、少しくらい媚を売る必要はあるか。


「……さすがにそれは違和感があるからさ」

「えー」

「『お姉ちゃん』じゃダメかな?」

「グッジョブ! それ、最高!」

 なんか朝陽は鼻血を出しそうなほどに興奮している。これ、大丈夫だろうか?


 その時、夕音子が「あーっ!」と目を大きく見開いて叫んだ。

「私は『姉さん』なのに、朝陽ちゃんは『お姉ちゃん』ってなんかズルい!」

「フッフッフッ。これが私の溢れ出さんばかりのお姉ちゃん力よ!」

「そ、それはどうやって手に入れるの!?」

「姉さん力がマックスの夕音ちゃんはもう手に入れることができません」

「そんなー!?」

 この二人、本当に大丈夫か?


 荘司は一抹の不安を抱きつつ、咳払いをして二人の注目を集めてから質問する。

「最初から教えてくれないかな。多分、姉さんたちは俺に何かさせたいんだよね」

「その冷静さ、やっぱり、良い育て方してきたなーって安心できるね。うん、じゃあ、最初から話をしようか。見破られた時点で私たちの負けだしね」

 話というよりもこれは交渉になるだろうな、と荘司は思っていた。

 そして、最初に訊きたいことはもう決まっていた。


「姉さんは……吸血鬼なんだよね。どういう能力なの?」

「うん。十三真鬼の一人で、あだ名は『百貌の魔女』。能力はどんな者でも変身できること。それこそ、首なし死体から赤ちゃんにまで変身できるからね」

「……それ、見分けることってできないの」

「内緒って言いたいけど、無理だよ。あ、血を舐めれば、吸血鬼なら分かるでしょうね。逆に言えば、吸血鬼でも血を吸わなければ分からないって意味」

 それは実質、不可能という意味か。


「じゃあ、人以外には変身できるの?」

「んー、それは内緒。できないとは言わないけどね」

 何らかの制限があるのか。そして、それを言うつもりはない、と。

 確かに奥の手になりうる能力だから隠すのは常套か。


 前置きはこれくらいで、本題に入ろう。

「姉さんは一体、俺たちに何をさせたいの? どんな目的があるのさ?」

 夕音子と朝陽は目を合わせた。

「えっとね、どこから話すべきかしら?」

「一から話すのは難しいよね。でも、一言で言うなら――復讐の手伝いかな?」


 復讐。

「それは吸血鬼化したことと関係があるんだよね」

 夕音子は「うん」と一つ頷いて語り始めた。

「私たちはね、榊坂家とは隣家だったの。ちょうど彩葉ちゃんの家があった場所だね。真ちゃんとは幼なじみだった。私たちは一つ年上だったけど、彩葉ちゃんと荘ちゃんとの関係に似ているかな」

「それで、ある日、夕音ちゃんが安曇高座に吸血鬼にされたの」

「本当にいきなりよ。レイプされたに等しいもんね。あれ、最悪だったなー。しかも、動機信じられる? 暇潰しよ、暇潰し」

「それで真一君に殺せって命じるとか、最悪でしょ。性格悪すぎ」


 二人は交互に淡々と言うが、それは悪趣味なんて言葉では不足なくらいに最悪な話だった。

「それでね、私はこの能力で死体を偽装して生き延びたの。それからは朝陽ちゃんと密かに連絡を取り合っていたけど、基本一人だったなー。それでも、この能力と吸血鬼の身体能力、頭脳があったから、どうにか十三真鬼の一人の正体を探ってね、不意打ちで殺してその地位を乗っ取ったの。朝陽ちゃんは真ちゃんと結婚してさ。情報はそこから手に入れたの。朝陽ちゃん、その頃、荘ちゃんを孕んでいたから、一人で大変だったんだよ?」

 軽い口調なのが荘司には信じられない。

「それでさ、荘ちゃんが生まれてから、私は朝陽ちゃんを吸血鬼として仲間にした。前々から鬱陶しかった十三真鬼の一人を殺して、この子もその地位を手に入れたの」


 殺したなんて簡単に発言しているけど、それが彼女たちの普通なのだ。

 大仰に語るほどのことでもなく、悲劇でもない。軽い口調で当然の話。そして、荘司もその世界に片足を踏み入れているのだ。元々、こんな人間だったわけではないはずだ。すくなくとも夕音子は違う。その倫理観を破壊したという意味で、安曇高座は本当に罪深いと思う。


 夕音子は少し言葉に迷ってから言う。

「そしてね、私は荘ちゃんに恋しちゃったの」

「ん? は? んん?」

 一体、この人は何を言い出すのか?

「だーかーらー、女として荘ちゃんとの子供が欲しくなったんだってば」

 きゃーっと頬に手を押さえて照れる夕音子。荘司は冗談かとも思うが、夕音子の顔は照れつつも真剣そのものだった。

「……は? 姉さん、正気?」

「うん、正気だよ。というか、荘ちゃんその反応は酷くないっ?」

「いや、だって、姉弟だし……」

「違うし! 伯母と甥だよ」

 そう言えばそうか。多少は遠ざかったが、どちらにせよ親族だが、彼女たちのような存在からすれば些細な問題には違いないか。


「私の目的の一つはね、荘ちゃんと子供を作ることなの」

 待て待て。それは倫理的に考えても、論理的に考えても破綻しているだろう。

 とりあえず、倫理面に目をつぶったとしても大きな障害がある。


「え、吸血鬼って子供作れないよね? だから、吸血鬼が増え過ぎないようになってるんだよね? 人類絶滅させないために」

 フフンッと意味深に笑って夕音子は答える。

「私は、子供が産めるの!」

「……それ、吸血鬼を超越してない?」

 超越しているのは吸血鬼の定義か。


 夕音子は微笑む。

「そうね。変身能力のおかげだとは思うんだけど、具体的な理由は分からないし、正直どうでも良い。検査をしたんだけど、人間の女性と差異がなかった。試したことはないけど、間違いなく問題ない。だから、生理が普通にあった。多分、吸血鬼では世界で唯一の体質ね。お姉ちゃんに月のものがあったことは荘ちゃんも知っているでしょ?」

 確かに知っている。

 しかし、子供を産む――それが、夕音子の目的?

「私の子供にその性質が受け継がれるかどうかは不明だけどね。私の夢は、世界を私のように子を産める吸血鬼で満たすこと。人間と古い吸血鬼を駆逐する。それが望み」

 アダムとイブかよ。いや、こんな破壊的な始祖ではないけども。


「……それ、どうやるのさ。姉さんが子供を作れたとして、増えるとは限らないだろ」

 変身能力の作用だとすれば、吸血鬼は個人で能力が異なる。親子でも真一は肉体硬化で、荘司は超回復。朝陽が精神汚染――だから、同じ性質が受け継がれるとは限らない。

「そもそも、俺が吸血鬼になったとして、生殖能力を保持できるとは限らないし……」

「今、人間の状態なら、子供作れるでしょ?」

「……まぁ、多分ね」


 試したことは一度もないが、普通に作れると思う。

 だから、鈴木一郎の件であんなにも吸血鬼化することを恐れていたのか。

「半吸血鬼化って状態、憶えている?」

 それは『弾丸』を服用し続けた場合の副作用。父がそうだった。


「私は、あの状態でいくつか研究させたの。問題なく子供は作れたわ。半吸血鬼同士でもね。その子供も半吸血鬼だった。その血を吸っても吸血鬼にはならない。しかも、身体能力は人間の水準からすれば、極めて高い。寿命についてはどれくらいか分からないけど、多分、人間よりは長いでしょうね。もちろん、吸血鬼に比べると短いのも道理」

 つまり、それは人間と吸血鬼の混血化を推し進めるというのか。それも目的の一つ。

 本当に、世界を作り変えるのか、この人たちは……。


 荘司は呆然とさせられた。

 あまりにも壮大で、果てしない。しかし、彩葉が生きる世界を作るという自身の目的とも合致している。みんなが吸血鬼としての特性を持てば、悩む必要がない。

 まるで、お腹が空いたからと料亭ごと買い取るような本末転倒さだが、目的としては分かりやすい。


 本当に可能かどうか分からないし、これは一種の人類滅亡かもしれないが――荘司としては悪くなかった。

「……分かったよ。だから、俺は姉さんたちの手伝いをすれば良いんだね?」

「あれ? やけに物分かり良いんだね」

「ああ、俺は選択肢を放棄したから」

 命を奪えというあの時に殺してしまえば、荘司の勝ちだったろう。

 しかし、それはできなかった。

 確信があったとしても姉に手をかけることはできない。


 どちらかを殺さなければならなかった。

 しかし、どちらも殺せなかった。

 だから、荘司は自分を殺す必要があるのだ。


 自分の望みを、彩葉の傍にいるという願いを殺す必要があった。

 これは、そういう椅子取りゲームだから――荘司に選択権はない。

「そっか、うん、物分かりが良くて嬉しいな」

「だからさ、彩葉だけはさ」

「うん、彩葉ちゃんは手厚く保護するよ。だから、安心して」


 それは計算通りの結果。

 夕音子はとっくにヒントをくれていたのだ。

 彩葉に吸血鬼のことを告げた日、『常勝将軍』安曇高座の話をしている時に、言っていたではないか。


 不要な吸血鬼は殺している、と。

 逆に、有用な吸血鬼は手駒として残している、と。


 一定数の吸血鬼を生かしているのは、他の十三真鬼だって別ではないと推理するなんて推理以前の自然な発想でしかない。

 彼らは皆必死に生きるため戦っているのだ。足元をすくわれないよう細心の注意を払いながら、様々な『力』を維持し続けているに違いない。

 ベストではないが、信頼できる相手を利用するのは最悪ではない。

 死ななければ、違う道だって拓けるかもしれないから。


 ただ、この結末を知った彩葉は多分泣くだろうな、と荘司は思った。

 憂鬱に襲われている荘司の肩を抱きしめながら、夕音子はニッコリと笑って言う。

「こんな残酷で、どうしようもない世界を私たちは許さない」

 やんわりと更に肩を抱きながら、朝陽も続ける。

「荘司君も力を貸して。一緒に世界を変えましょ」

 荘司は「ああ」と短く頷いた。



 悪魔へ魂を売る人間の気持ちが少しだけ分かった。

 あれは苦悩の結果ではないのだ。

 もちろん、欲望や葛藤が皆無とは言わないが、多くの場合は違う。

 他(、)に(、)選択肢(、、、)が(、)なかった(、、、、)だけ(、、)。

 悪魔の甘言はそんな袋小路だからこそ、より一層魅力的に聞こえるのだ。

 ただし、選ぶことができなかったからと言って、決めることができなかったわけではない。


 ――荘司はとても大切な一つの決断を行った。

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