第24話『榊坂家の裏仕事 その三』

 竹刀袋に入ったままの菊一文字を手で弄びながら、夕音子のそっくりさんは唇を尖らせる。

「私も会話したいなー。ね、荘司君は私が誰か分かる?」

 さすがにここまで来て、誰か分からないほど鈍くはない。

 そもそも、彼女に会うのが目的だったのだから好都合なはずなのに、とてもそうは思えないのは何故だろう。


「母さん――朝陽さんだよね」


 朝陽は「キャーッ」と嬉しそうな悲鳴をあげる。

「母さん……母さんだって夕音ちゃん! なにこの感情! 超嬉しいんですけど!」

 一応、自分を産んでくれた人のはずなのに、いろんな意味でとてもそうは見えない。


 夕音子は呆れたように笑って、自分の双子の姉を窘める。

「分かったから。それよりも、彩葉ちゃんは大丈夫?」

「うん、もう問題ないよ」

 パッと手を広げて示す朝陽。失神していると思った彩葉だったが、今は死人のような瞳でボーッとしている。これは意識が朦朧としているだけか。しかし、この反応は薬か何かを飲ませたのか? しかし、吸血鬼に麻薬や睡眠薬は効果的なのか?


「彩葉、大丈夫か?」

「呼びかけても無駄だよ。別に命に支障はないから安心して」

 父の言葉を荘司は思い出す。確か母のあだ名は『黄昏の魔女』。その能力は魅了の魔眼だったか、記憶操作だったか……。もっと詳しい情報を仕入れておけば良かったと後悔するも先に立たず。こんな状況だって想定すべきだったのに。


「荘司君、本当に下手な抵抗はしないでね。彩葉ちゃんがどうなっても良いなら抵抗するのも一つの手だとは思うけど、それは嫌でしょ」

 先ほど約束したのに、やはり母とは言え他人だな、と荘司は思った。実際、夕音子は「そんなことするわけがない」と理解してくれている。氏より育ち、は少し違うか。

「……抵抗できずに殺されるくらいなら、俺は彩葉の命を見捨てて、あなたたちに歯向かうタイプの人間だからね」

 下手な脅しは無駄だ――という警告をしたが、二人はケラケラと笑った。

「分かってるってば。そういう冷静な計算、私は好きだな。合理的よね」

「真一君と似てるね、やっぱり。二人とも死ぬよりはよほど正しい選択だと思うよ」

 夕音子も朝陽も、不思議なことに好意的な解釈を行った。


 でもさ、と夕音子は言う。

「荘ちゃん、きっとギリギリまで彩葉ちゃんを見捨てられないでしょ? それで、結局、最後までズルズル行っちゃう。決断力がないんじゃなくて、世界に歯向かう理由だもんね。彩葉ちゃんが死んじゃったら戦う意味ないもん。そりゃ、大切にするよね」


 正解だった。

 自分の命と彩葉の命だったら荘司は後者を選ぶ。目的が失われるくらいなら、自分の命くらいくれてやる。その覚悟がなければ、あの時、父の後を追うように斬っていた。

 だから、冷静な駆け引きが必須なのだ。しかし、父も強大な討伐人だったはずなのに、夕音子たちの方が遥かに厄介だ。力を誇示しないからこそ底も天井も全く見えない。父では不足という想いは実に的確だったのだ。これがラスボスの風格か。


「分かったよ。姉さんたちが吸血鬼だったことは想像できるけど、一体、どういうことなの? 俺たちをどうするつもり?」

「どちらかと言えば、それは私たちの言葉ね。荘ちゃんは一体、これからどうするつもり?」

 どうする、と問われて答えは決まっていた。

「彩葉の生きていける世界を作る」

「無理だよ。荘ちゃんじゃ」

 悲しそうな声で一刀両断されていた。


「…………」

 分かっていた。そう、何も言い返せないが、本当は荘司にも分かっていたのだ。今、こうやって十三真鬼の二人と対峙して実感していた。

 自分では役者不足だ――と。

 彩葉の命を救いたいと思っても、所詮は自分がちょっと剣の腕が立つただの高校生だ、なんて分かっていたのだ。実際に行動を起こしてしまったのだから、無力な子供がヒーローに憧れるよりもある意味性質が悪い。メサイア・コンプレックスの教祖様みたいなものだ。


 しかし、何も言い返せない荘司にも、夕音子は容赦なく続ける。

「だってさ、行き当たりばったり過ぎるよ。覚悟も不足している。あ、そんなことないって顔したね。でもさ、今すぐ私たちを斬り捨てるくらいの覚悟、本当にある?」

 姉と母を殺せるのか――即座にイエスと答えることはできなかった。

 簡単にできるわけがない。


 それまで黙っていた朝陽が、アハハッと笑う。

「夕音ちゃん、無理だって。というか、その質問は荘司君には酷だよね。どう答えたって揚げ足取れるし。そもそも、殺せることが覚悟の有無に繋がるものでもないよね」

「そうかな? 誰かの命を奪うって覚悟の証明になると思うけど……だって、取り返しがつかないもの。荘ちゃんはどう思う?」

「……分からないよ」


 一つ分かるのが、この二人はその道を通ってしまったということ。

 人を殺す覚悟はもちろん、殺される覚悟も済ませている。

 自分(、、)が(、)殺される(、、、、)覚悟(、、)しか(、、)できて(、、、)いない(、、、)荘司とは一線を画する。

 普通、図星だと感情的に反発するものだが、だからこそ、彼女の言葉に苛立ちも覚えなかったのだ。経験者の言葉は重い。これは姉が重箱の隅をつついているというより、先達のアドバイスなのだ。正確に受け取る必要があった。


 夕音子は「それもそっか」と頷いた。

「荘ちゃん、優しい子だもん。こんな血腥い世界に顔を突っ込んじゃダメだよね。無理矢理元の世界に戻しても良いけど、それじゃ絶対納得できないよね」

「……ああ、姉さんに言われても俺は彩葉の生きていける世界を作りたい」

「うん、それが荘ちゃんたちの夢だね。で、その手段はどうするの? 例えば、今、国内には十三真鬼っているけど、殺して終わりだと思う? 本当に勝った時点で席を奪えると思っている?」

 違うのか?

「ダメだよ。適切な手順を踏まないと無理だからね」

「……どういう意味なのさ」

「無理にそんなことしたら、他の十三真鬼たちが命を狙ってくるの。『大義名分我にあり。仲間の命を奪った逆賊め!』が建前で、本音は『厄介な奴を殺してくれた。ラッキー』ね。荘ちゃん、言っている意味分かる?」


 分かる。

 そこまで説明されれば分かる。いや、そこまで説明されなければ分からなかった。

 つまり、吸血鬼を始末したからと言って、その席を奪うことは容易ではないという意味だ。

 何故なら、他の十三真鬼たちが認めないから。代わりに自分の子飼いを派遣して、空いた席を奪いたい、権力を拡大させたいと考えているのだ。

 どれだけ手を血で汚しても、その席が得られないのであれば、意味がない。

 徒労でしかないと夕音子は言っているのだ。


「……それは、考えるさ」

「本当に? 荘ちゃんは目を逸らしているだけじゃないかな」

 生まれて初めて姉に激昂しそうになった。

 が、それは自身の負けを認めているのに等しいので、荘司は心を落ち着かせる。意味がないし、姉の言っていることの方が正しいのだ。感情的になった時点で負けだ。


 しかし、今のは激痛だった。自分が揺れていることを自覚する。感情がブレている。

「……じゃあ、どうすれば良いのさ」

「あれー。それを十三真鬼の一人である私に訊いちゃう?」

 冗談っぽく言うが、荘司は夕音子の人となりを知っている。つもりだ。それは仮初で嘘だったかもしれないが、姉との関係が全て嘘だったとは思えないし、思いたくない。

「ただ俺に現実を突きつけていたぶっているわけじゃないんだろ。姉さんたちの言っていることが正しい。でも、それが俺たちの間違いというわけじゃない。だって、彩葉は飼い殺しか、殺されるかのどちらかしか道がなかった。嫌だったから抵抗した。それを間違いだなんて、誰にも言えないはずだろ」


 夕音子は優しく微笑んだ。

「……やっぱり、荘ちゃんは偉くなったね。うん、私はとってもドキドキしているよ」

 手が伸ばされ、クシャクシャと頭を撫でられたが、それがいつものようで、だから、荘司は悲しくて仕方がなかった。もっと詳しく事情を知りたい。しかし、それは今の状況で許されることかどうか。


 夕音子はパッと手を離しながら言う。

「私は荘ちゃんに一つの道を示そうと思うの」

「道?」


「ええ、私を殺すかどうかって道よ」


 いきなりバカなことを言い出した――なんて思わなかった。

「……姉さんを殺す? それはどういう意味なのさ」

「んー、まだ荘ちゃんは吸血鬼になっていないんだよね。あ、見れば分かるから駆け引きとか意味ないから。で、私と朝陽ちゃんはそれぞれ十三真鬼として席を確保している。はい、つまりどういうことでしょうか?」

 純粋に席は二つで、吸血鬼は三人ということ。

「椅子は限られている……だから、一人を排除。それが一番手っ取り早い選択ってこと?」

「正解」


 無茶苦茶な提案だった。

 確かに非常に合理的な判断かもしれない。三引く一はニ。小学一年生の算数でも分かることだ。しかし、それが人の生命となると急に不定になってしまう。虚数か何かとしか思えない。リンゴを分け与えるのとは違う、学校で教えてはくれない方程式だ。

 彩葉を救う手段が姉の殺害――産んだだけで育てて貰ったわけではない朝陽なら、まだ覚悟を決められるかもしれない。だが、夕音子は別だ。今までに育んできた愛情が深すぎる。


 荘司はこれが何かを試されていると考え、伺うようにして訊ねる。

「姉さんにメリット皆無だよね。どういうつもり?」

「いきなり益不益の話になる辺りさすがだね。あ、皮肉じゃないよ。でも、世界一愛する弟のためって思えないかな?」

「私も愛する息子のために命を投げ出しても良かったんだけどね。じゃんけんで負けたから夕音ちゃんになったんだよ」


 何を企んでいるのか? 意味が分からない。もう何から何まで分からない。

 じゃんけんで負けたらから殺される役目を負ったのか、それとも、じゃんけんで負けたらから殺されない役目になったのかさえ分からない。

 明らかに思考が回っていない気がする。もっと考えろ。深呼吸して肩の力を抜け。


「それ、姉さんを僕の手で直接殺せってこと?」

「直接手を下すのはさすがに嫌? 個人的には愛する人の腕の中で死ねるって最高に幸せだと思うんだけどね。真ちゃんからもスッゴク愛を感じられたし」

 そういえば、父は殺したつもりだったのか。

 同じような決断を親子で迎えるとは――本当に榊坂家は呪われているのかもしれない。しかも、殺害相手が同じなのだから、ある意味ゾンビのようなものか。


「姉さんのこと好きだから、直接は嫌だよ」

「嬉しいなー。でも、ダメ。選択をした時点で殺したも同然だから、せっかくだし直接首を落として貰おうかな。ここに名刀菊一文字もあるしね。朝陽ちゃん、荘ちゃんに返したげて」

「そうね。はい、荘司君」

 刀を受け取るが、まだその道を選んだわけではない。


「この場で殺せってこと? 大騒ぎになるよ」

「大丈夫だって。十三真鬼の力を舐めないでよ」

 そもそも、車両内に荘司たち以外誰もいないって状況がおかしい。

 何度か停車したのに、誰も入って来ないのだ。今、自分はどんな状況なのか。少し考えをまとめたいが、二人は考える時間を与えてくれない。


「さぁ、荘ちゃん、どうする?」


 例えば、これは決断までの時間を計っているのかもしれない。

 しかし、愛する幼なじみと愛する姉のどちらの命を選べるか、という答えのない問題だとすれば、どちらを選んでも間違いの可能性さえある。選ばないことも間違いの可能性が高い。以前、彩葉には彼女を選ぶと言ったのに、今は悩んでいる現状があった。あんなに気楽に言うのは間違いだった。この問題は途方もなく難しい。思考の袋小路だ。


 もしかして――既に詰んでいるのか?


「荘司君、早く答えないと」

「……もう少し考えさせてくれないかな」

「じゃあ、荘ちゃん。特別にあと一分ね」

「短いなー。ははは」

 思わず乾いた笑い声が漏れる。

 どうするべきか誰か教えて欲しいと心底から思う。


「……父さんはどうしたの?」

「んー、真ちゃんのことが今、関係あるのかな」

「いや、ただの時間稼ぎ」

 もしくは、何でも良いから判断材料が欲しかった。

 夕音子は昔、父のことを「真ちゃん」と呼んでいたんだな、とそんなどうでも良い情報でも何かの決断に繋がるかもしれない。絶対無駄だ。もっと有益な情報が欲しい。


 夕音子はニッコリと微笑んで頷いた。

「正直でよろしい。真ちゃんはもう私たちの世界とは無関係よ。何も憶えてないし、平和に暮らせるよう手配しているとこ」


 憶えてない――それはつまり、記憶を操作したということだ。

 朝陽の能力は魅了の魔眼――記憶操作。そうだ、彩葉を見ると未だに意識を混濁させている。こういうこともできる。それに対し、姉は幼女の姿に変身していた。つまり、それが能力だろう。この二つを掛けあわせて、今の状況を考えろ。そして、姉たちの真意を探れ。理解しろ。


「あ、私を殺せず、元の世界に戻りたいならそれはそれで良いと思うよ。残念だけどね。元通りの生活は保証するよ。ただし、吸血鬼と彩葉ちゃんの知識は全部なくなるけどね」

 残念――つまり、夕音子は荘司に何か期待していたのか?

「あ、彩葉ちゃんの生命が残念って意味ね」

「……そういう意味か」


 これは、下手の考え休むに似たりかもしれない。決断しろ。

「さて、時間だよ。どうするのかな?」

「もうちょっと弟に優しくしてよ」

「可愛い子は谷に落とせって言うでしょ?」

 混ざっているけど、冗談でないとしたらかなりのサディストっぷりだ。こんな一面、今まで全く知らなかった。しかし、これだって計算かもしれない。すなわち、荘司に罪悪感を抱かせないためのものだとしたら、とてつもなく計算高い優しさだ。

 そうだ、夕音子は優しい人なのだ。

 自分の生命を奪おうとした真一と、生活を共にしても良いと思うくらいに心が広い人なのは間違いではない。

 記憶を操作すると言っても、そんな記憶全てが嘘なわけがない。

 そこまで疑っては決断なんてできない。


 幼い頃から家事が完璧だったのは、吸血鬼だったから。

 しかし、だからこそ手を抜くことはいくらでもできたのだ。

 それなのに愛情を込めて丁寧に世話をして、ずっと傍にいてくれた。彼女の愛情がなければ、荘司はもっと性格が歪み、生活も荒れていただろう。

 そんな夕音子を、彩葉の為とはいえ、本当に斬ることができるか?


 荘司はある決断を下す。


 菊一文字を竹刀袋から取り出した。

 夕音子は悲しそうに呟く。

「あ、私を斬るんだ」

「いや、それは違うよ」

 荘司が鞘に入れたままの刀を向けたのは――未だに意識を混濁させている彩葉だった。

 そして、荘司は言う。

「こっちが姉さんだね?」

 彩葉は瞬時に目の輝きを取り戻す。

 そして、彼女のものではない笑みを浮かべた。


「正解」

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