32.ネフィライト

 蒼の龍が自然に呑まれていく。

 抵抗する余地すら与えられず、悲痛な叫びを樹海に響かせる龍を、少女たちは見ているしか出来なかった。


 何もできない無力さを噛みしめて。

 何かしようと必死に頭を悩ませて。


 一歩前へ。

 フィライトさんが震える足を動かして、地面を踏みしめる。


「……ホント、嫌いよ。こんなバカな奴」


 落とした小銃を拾わない。


 怯えるネフィーさんよりも、前へ前へ。

 内に巣食う恐怖に怒りをぶつけ、慟哭どうこくする龍へ向かっていく。


「好きになれる訳ないでしょう。コイツなんか」


 フードを深く被り、フィライトさんの瞳が輝くと世界は一変する。


 樹木の海に漂うのは、ネフィーさんが人の姿を取る前と同じ輝石たち。

 炎を灯し、各々の魂の在り方を石として表す彼らは、総じて生きているとは言えない。


 世界には強大な力を持つが故に、死後もなお生前と変わらず活動を行える、幽霊ジェットと呼ばれる種族に変質する者がいる。


 だが少女に視えている彼らは、全員そうではない。

 誰も彼もが、何処にでもいるありふれた人たち。


 けれども死に際に強い心残りを持った者が、こうしてフィライトさんには視えていた。


「どうしてアンタは、これだけの人たちがいるのに、嘘ばっかり吐いてんのよ」


 暴れ、苦しみ、ともすれば否定の力を振りまく龍の周りに集うのは、小さな村が一つ出来そうな程の人々。

 その全員の表情に悪意はなく、むしろ心配の色が濃く出ていた。


 側でいるのに、言いたい事は山ほどあるのに、伝える手段は存在しない。

 フィライトさんの後ろにいる少女だって例に漏れず、無力故に祈る様に変わってしまった少年を見ていた。


 だからこそ、唯一彼に触れられる少女は彼を嫌悪する。


「嘘つきなんか、嫌いだ」


 そこにいるのに、いないって嘘つきだって否定される。

 そんな人たちはフィライトさんの事を、偽りの言葉で拒絶してきた。


 誤魔化して、曖昧あいまいにして、視えていないくせに見えているなんて言って。


 だからフィライトさんは、嘘が嫌いだった。

 だから……自分に嘘を吐いている、少年が嫌いだ。


『ねぇ、アンタ。コウをどうするつもりなの! これ以上、アイツに酷いことしないでよ!』

「そうね。アタシ、アイツ嫌いだからそれも良いかも。……でも」


 フィライトさんが龍に近づいているのは、イザナ様と同様の少年を屈服させる力を振るおうとしている。

 そう思ったネフィーさんは、抱え込んだ不安を一手に投げ出して、従姉へと駆け寄り肩を掴んで抑えようとする。


 当然、そんな事ではフィライトさんを止めることは出来ず、進む少女の顔は影を濃くしていく。


「アンタの前で、そんな事できる訳ないじゃない」

『……じゃあ、どうすんのよ』

「別に。出来ることをやる、それだけよ。――イザナ様、もう手を出さないで下さい」


 フィライトさんが呟いた言葉の意味を、ネフィーさんが理解したのは直後の事だった。

 承知したとばかりに、猛攻を繰り広げていた自然の脅威は忽然こつぜんと消え、苦汁をめていた蒼の龍が解放される。


 混乱し、全てが嫌だと否定していた龍の瞳に映るのは、一人の少女。

 彼の一番大切だった人によく似ている、誰か。


 誰でもいい。

 誰でもいいから――


 そう聞こえて来そうな形相で、手を伸ばすように龍は少女へ迫る。

 今の自分がどんな姿をしているのか、理解できていないまま。


「――化装カソウ


 嘆く龍を前にして、フィライトさんは言霊を紡ぐ。


光霊想憑依コウレイソウヒョウイ


 誰かを求めて、駆け出し振り向いた少年を前に。

 触れられない事を分かっていても、従姉いとこと家族を守る為に身を投げ出す少女を後ろに。


 嘘偽りなく、彼女の出来る事を成す。


「……きゃっ!」

「……ッ!」


 短い悲鳴で、目前まで迫っていた龍の動きが停まる。

 龍の放つ風圧により体をあおられ、足をもつれさせた上に少女は転ぶ。


 蒼い霧が晴れ、静寂の樹海へと周囲が戻る中、紅い龍の瞳が捉えたのは不可思議なもの。


 姿形はフィライトさんそのもの。

 けれども身を丸め、牙が迫るのをただ待つだけの様子に、龍どころか遥か上から見ているシンクさんすら眉をひそめる。


「な、なによこれ。いったいどうなって――」


 混乱しているのは、フィライトさんと思われる人も同じだった。

 何も起こらないと顔を上げ、忙しなく辺りを見渡す彼女は、微笑むイザナ様以外誰もがその言葉を顔に描く。


 けれども、少女と龍の目線が合った途端。

 コウの口から言葉が零れ落ちる。


「ネフィー……さん……です、か……?」


 細く、すがるように。

 重い石に磨り潰された筈の欠片へ、手を伸ばす。


 嘘じゃない、真似でもない、偽物だなんて信じない。

 本物のネフィーさんが目の前にいる。


「ネフィーさん……なんですよね……?」


 少女が被っていたフードは風で退けられ、素顔を見るもフィライトさんなのは変わらない。

 でもいつも一緒にいた僕の心は、彼女をネフィーさんだと断定する。


 今にも泣き崩れそうで、誰かを憎んでいた気持ちなんて霧散した。

 たった一つの宝物はまだあったんだって、隠していた本心の隙間に希望ひかりが指す。


「ネフィーさん。僕は貴女さえ居てくれれば、それで良かったんです。他には何もいらない」


 あの日、崩れ去った心の欠片。


 ネフィーさんに胸を張って生きたいから、誰かを助けたいと思った。

 僕と彼女に置き換えて考えたから、ローエンさんの進む道に納得がいかなかった。

 スクリュードへの憎悪も、ネフィーさんを失った原因全てに復讐をしたいから。


 果ては騎士を目指すことすら、ネフィーさんがいたからこそ抱いた夢。

 だからもう消えてなくなった宝箱の底を埋めるために、模倣品で埋め尽くしていたんだ。


「だから、良かったです。ここに居てくれて」


 崩れ落ちた宝箱の果てに宝石を見つけ、僕は少女に笑いかける。

 真っ赤な殻を砕き、冷たく流れる悪意の熱を温め、隣で一緒に歩いてきた一人の少年﹅﹅として。


「……そんな事言われても、知らないわよ。バカ」


 よく知っている照れた顔で、少女はそっぽを向く。

 だから僕も、いつも通りに笑ってみせる。


 視界が揺らぎ、伸ばした筈の手が地へと落ち、保たれていた意識が暗闇に染まるその時まで。


「――……ん。アンタたちは良いの? 一言ぐらいなら、代わってあげる」


 崩れ落ちる僕を受け止めたのは、ネフィーさんではなくフィライトさんだった。

 倒れる幼馴染を抱き止めようと両腕を広げた少女の姿は、当に半透明となっていて、呆気に取られる彼女はすぐに抗議しようと従姉いとこを睨むも、相手の視線は別に向けられていた。


 それは眠る僕の周りに集まる、数々の輝石ひとたち。

 一人の男性だけ触れもしない僕の頭を気安くかき乱そうとするが、代わると発言するフィライトさんにどれも同意の意思を見せない。


『ねぇ。アタシさっき、コウと話せてたよね』

「そうね」

『じゃあアタシともう一度代わって!』


 死者の魂と呼ぶべき存在を知覚し、自身の体を貸すことが出来る。

 それがフィライトさんの定型魔法スキルだと、彼らは理解できている。


 だからこそ、一歩引いて僕の幼馴染かぞくに譲ろうとしているのだが。

 襲いかからんとばかりに迫る従妹いとこに、フィライトさんは冷たく言い放った。


「良いわよ。コイツに好きって言うならだけど」

『なっ……なんでそんな……。っぅん……!』

「別に」


 動揺を隠せず顔を赤くし口ごもるネフィーさんだが、フィライトさんも鏡写しの如く視線を逸らす。

 視線と視線の反対側に、眠る少年を置きながら。

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宝界のドラグリッド 薪原カナユキ @makihara

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