31.偽りの瑪瑙

 暗闇に閉ざされた森林に、より闇を濃縮した夜霧よぎりが漂う。

 蒼く、黒く、自らの正体を隠すように。


 他の色は一切認めない。

 絶対的な否定をする霧を見て、フィライトさんはポツリと樹海に語りかけた。


「イザナ様、視えてますよね。コレ、いったい何なんですか」

『……説明しにくいのぉ。その霧だけじゃと、此方こなたの推測通りで良いのか分からん。とにかく下手な手出しをするでないぞ、フィーラ』


 樹人ペリドットからの加護を受けた者――かんなぎとして、フィライトさんはあるじと視覚を共有できているか確認した。

 木々を伝った返答は良好を示し、事態の静観を命じられた彼女は、今まで降ろしていたフードを深く被る。


 樹人ペリドットが伸ばす木の葉、目となり耳となるかんなぎとしての務め。

 その大役を担うフィライトさんだが、今だけは何もするなという指示に歯痒さを感じる。


 誰の目から見ても、コウが霧に呑まれたのは私が原因だ。

 感情に流されて、彼に罪はないと分かり切っているのに、誰かを責めずにはいられなかった私のせいだ。


 そんな自責の念を強めるフィライトさんは、震えた声で隣にいる半透明な少女へ話しかけた。


「ネフィー。この事って、アンタは知ってたの?」

『……知らない。こんなの知らない』


 傍らで全てを見ているしか出来なかったネフィーさんは、眼前の霧を直視しがたいのか、必死に首を振って否定する。


 否定したいのは、今起きている事だけではない。

 ペルセさんが現れてからずっと、彼女にとっては知りたくなかった事実が陳列していた。


 自分が死んでいること。

 コウがそのせいで、少女の知る少年とはかけ離れてしまったこと。

 そして大好きな人に対して、もう自分は何もしてあげられない現実。


 嘘だって、夢だって。

 どれだけ否定しても、朧気おぼろげだった記憶が衝撃により鮮明になり、頭が勝手に理屈を繋げていく。


『アタシの知ってるコウは、バカみたいに騎士なんか目指して。人の気も知らずに笑ってる奴で……。こんな、こんな暗い奴なんかじゃない!』


 フィライトさん以外には視えない筈の少女の叫び。

 呼応するように蒼の霧はコウがいた地点へ濃縮していき、次の瞬間――


 少女たちの目に、青白い閃光が映った。


「――……ッ!」


 白々とした光は蒼い闇を切り、樹海をえぐり、一帯を焦土に書き換えていく。

 光の熱量はイザナ様を恵みの陽光とするなら、少女たちの見た閃光は絶滅をもたらの力。


 反射的に横へ飛んだフィライトさんは、熱風を受けて弾かれる程度で済んだが、彼女は閃光の通り道を見て唖然あぜんとする。


 そこにあった筈の緑の自然は、純白の絵の具で塗りたくられたかの如く消え去っていた。


「噓でしょ。人間アゲートがこんな力を使える訳ッ……」


 歴史を紐解けば、生態系を書き換える程の力を持った人間アゲートだっているだろう。

 けれどもコウがその例に含まれるかと言われたら、ネフィーさんもフィライトさんも、無いの一言で話が終わる。


 だから裂かれた霧の先を二人が見た時、ありえないなんて言葉が塵となった。


「なに、あれ。龍族ルビー……?」


 フィライトさんの瞳に映るのは、生真面目な少年では無かった。

 そこにいたのはあかあおが混在した、奇跡のような龍だった。


 全身を透明質なあかい結晶の甲殻で包み、中で血の如く流動するのは鮮烈な蒼い炎。

 体躯たいくは人の三倍以上にも及び、輝石を使った巨大な彫刻然としたたたずまいは、爪牙の剣呑さをも美の領域にまで引き上げている。


「じゃと良いのぉ」


 荘厳さと禍々しさが同居する存在に、フィライトさんは自己防衛の為、構えるべき小銃を地面に落とす。

 もはや抵抗の選択肢が思い浮かばず、逃走もまた同じ。


 森人ジェイドなのに、隣にいる少女と同じことしか出来ない自分がいることを、フィライトさんは受け止めるだけで精一杯だった。


 そんな彼女の頭上から、再度イザナ様の声が木霊する。

 今度は声だけではなく風に乗って姿も現した彼は、霧から生まれた龍を一瞥いちべつした。


 その瞳にあるのは温情ではなく、冷徹。

 背丈のある木の上から龍を見下ろすイザナ様に、フィライトさんとは別の声が放たれる。


「イザナ様。本当に、あの龍がコウなんですか」

「フィーラの目でも視とったからの。なんじゃ、何かあるのか?」

「……いえ。確証がないので今は大丈夫です」

「うむ。まあ細かな話は、あの男子おのこを止めてからじゃな」


 声をかけたのは、現れた龍の姿に既視感を覚えるシンクさん。

 側でいつでも動けるよう体勢を整える彼を連れ、イザナ様は力を振るっていく。


「手出しは無用じゃぞ、騎士団の。力任せのわらべなんぞ取るに足りん」


 せめてフィライトさんだけでも助けようと、定型魔法スキルを発動しかけたシンクさんを、イザナ様は声で止める。

 その間にも龍は彼を感知し、すぐさま攻撃の意思を見せつけた。


 口内に収束する蒼い炎。

 だがイザナ様は宣言通り、児戯じぎに等しいとして条理に反した力で龍を制圧していく。


 それは型に定められたものではない、自由自在の超常現象。


 大地に、大気に、木々に。

 イザナ様の分身である樹海に存在する、ありとあらゆるものに力が及んでいく。


 未知の植物が地面から生え、龍の表面につたを伸ばし、体力を糧として侵食。 

 新たに生えた木々どころか、既に成長し切った樹木も操り雁字搦がんじがらめにし、伸びる枝にて複雑に拘束を図る。

 植物の特性を改変し、酸素を急速に吸収する光合成で、環境そのものを作り替える。


 その他にもシンクさんの龍の眼ですら掴み切れない、自然の異常現象の数々は、見るもの全員が言葉を失う。


「ソフィアとローエンさんを、こっちに連れてこなくて正解だったな。これは」


 何かをさせる隙を与えず、生まれる選択肢を確実に奪い、希望の芽を摘んでいく。

 そんな悲惨な光景に、シンクさんは仲間を住人の避難に協力させた事を、心の底から正解だったと頷いた。

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