30.本音

 先の見えにくい森の中。

 迷わず進んでいくフィライトさんの背中を、僕は必死に目で追い、その手を掴もうと駆けていく。


 僕の胸中を焦燥感が占領し、歩き慣れない足場で彼女に中々追い付けない現状は、心中の色を更に濃くする。


「待ってください、フィライトさん! その、僕は……。貴女に言いたい事が……!」


 焦る気持ちを少しでも外へ吐き出そうと、声を森の奥へと響かせる。

 それでもフィライトさんが停まる気配はなく、僕たちはより森の暗闇へ溶けていく。


 フィライトさんに言いたい事。

 それは先にも後にも、彼女の従妹ネフィーさんの事だけだ。


 彼女に面と向かって、あった事を全て正直に話す。


 罵倒されようとも、殴られようとも。

 あの場にいた僕以外には、出来ない事だから。


「ネフィーさんの事でッ……。伝えたい事がッ……!」

「――ネフィーはもう、死んでるって言いたいんでしょう?」


 慣れない草道を蹴り、伸ばした右手が彼女の手に触れそうになった瞬間。

 弾かれるように振り返ったフィライトさんによって、届いたと思った手が遠く離れる。


 同時に一刺し。

 ことの刃が僕の心臓を貫き、全身に冷たい血流が巡っていく。


 分かっていた事だ。

 ペルセさんの前で感情を吐き出した時点で、フィライトさんに聞こえていない訳がない。


「別に、あそこで言われる前から知ってたよ。アンタと初めて会った時から、アタシには視えてたから」

「……すみません。こういう事は、僕から言うべきなのに」

「どうでも良い。アンタからとか、そういうの。何? ネフィーが死んだのはアンタの責任って訳?」


 森に吹いた風が、僕とフィライトさんの間を通り抜ける。

 今まであった険悪な視線はより苛烈となり、即座に返そうとした答えは喉に詰まってしまう。


 彼女は時折、僕の隣を見ては燃える感情にまきをくべ。

 いつ肩にかけた小銃を構えてもおかしくない雰囲気で、話の続きを並べていく。


「何か言いなさいよ。まさか本当にアンタのせいなの? あのペルセとかいう吸血種ガーネットなんか関係なくて、アンタが……!」


 違うと叫べない、首を横に触れない。

 それどころか心に伸しかかる重力によって、僕のせいだと崩れそうになる。


 彼女を護ると誓ったはずなのに、いつの間にか僕は彼女たち﹅﹅を守る為に剣を握っていた。

 皆の中に大切な人が含まれて、守りたいものがいっぱい出来て。

 誰も彼もが大切だって、始まりの気持ちを忘れてしまった。


 僕の中にある小さな宝石の世界たからばこ

 色んな輝石が積み重なって、見えなくなって。

 最初に入れたかけがえのない宝物は、もう……手が届かない。


「なんで、何も言わないのよ。否定しなさいよ! 僕じゃないって!」

「そう、ですね。僕の、僕だけのせいじゃないと。分かっています」

「なら何で。何でそう思ってるって言いながら、アンタは定型魔法スキルを使ってるの!」

「えっ……?」


 フィライトさんの声が、僕の鼓動を止める。

 理解できないと漏れた声は、次第に心へ溶け込み、冷え切った思考を循環させた。


 僕が定型魔法スキルを、技装ギソウを使っている?

 何故、何のために、どの定型魔法スキルを?

 心当たりは――


『だってコウくん。嘘ついてるときは、目が青くピカピカしてるもん』


 悪夢が脳裏を駆け抜ける。

 今フィライトさんから見た僕は、いったいどんな姿になっているのかを考えると、たまらず血の気が引いていく。


 技装ギソウの根本は模倣。

 相手の上辺だけを真似て、僕が使いやすいように調整する。

 過程なかみを無視した、結果そとがわだけを都合よく扱う定型魔法スキル


 僕の持っている力は、全てが偽物。

 嘘の塊。


 僕が定型魔法スキルを使う時はいつも……

 そう、いつも僕は僕自身に嘘をついていた。


「僕は……本当は……」


 蒼く暗いうそが重なり、真っ赤になった心の底が見え始める。

 白々しく外面を固めた闇に沈んだ、たった一つの希望ひかり


 もうこの世界から消えてしまった、最愛のキセキ。


「ネフィーさん。貴女さえ居てくれれば、良かったんです」


 心を埋める濃霧を越え、ぽつりと零れた言葉がはかなく最期の光に触れた。



 深い。

 白々しろじろとした霧の奥。


 ほのかに輝く光を求めて進んだ先に見えたのは、澄んだ青空だった。


「良いですか? 私はこれからやらないと行けない事が、いっぱいあるんです。ですので、ここで良い子にしていて下さい」


 耳を打つのは、聞く者全てを溶けさせるような優しい女性の声。

 悪意が混在する余地はなく、慈愛に満ちたそれにつられ、僕は顔を持ち上げる。


 目に入るのは、自然溢れる見慣れた故郷の光景と、一人の若い女性。


 人間アゲートであれば二十代ほどの彼女は、長い真紅の髪を風に揺らし、緋色の瞳は寂しさを噛みしめて笑っていた。

 服装はシンクさんと同じ軍服を着て、腰には杖にも見える細剣を携えてある。


 目を引くのが頭部から生えた角。

 外見は赤い結晶で出来ているが、よく見ると中でより濃い赤の炎が血流の如く通っている。


「そんな顔をしないで下さい。っと言っても、無理ですよね。私も……はい、この通り無理ですから」


 僕の前で片膝をつく女性は、そっと僕の頬を撫でる。

 苦笑する彼女の目元には、涙を拭いた後。


 嘘が苦手な人。

 そんな印象を抱かせる女性は、ぎゅっと僕を抱き寄せた。


「ごめんなさい。全部、私が悪いんです。恨んで下さい、憎んで下さ。い。貴方をここに置いていく事しか出来ない私なんて、それでも足りないぐらいです」


 置いていくと言っている彼女自身が、自らの発言で傷を負う。

 そんな女性に待ってと叫ぼうとしても、次から次へと溢れる感情で発生を妨げられる。


「ですから、嘘でも良いです。……バイバイって。手を振って下さい」


 抱きしめて、頭を撫でて、離したくないと叫ぶ本心が伝わってくる。


「もう会えなくても大丈夫って。言って下さい」

「――……い、や」


 彼女の暖かい気持ちが分かるからこそ、僕は嘘をつかない。

 離れたくない、ずっと側に居たい、さよならなんて認めない。


 それが伝わったのか、やっぱり女性は痛々しい笑顔を僕に向ける。


「やっぱり、そうですよね。でも、私が行かないと皆が困るんです。私も貴方も。そしてこの国全員が。――こんな方法しか思いつかない私は、やっぱり赦されちゃ駄目なんです」


 意を決した彼女は立ち上がり、最後にもう一度僕の頭を撫でて背を向ける。

 それでも名残惜しさがあるから、何度も振り返っては確認を取っていく。


「良いですか、もう一度言います。私がいなくなったら、教えた定型魔法スキルを使うこと。それで全部、綺麗に忘れて下さい」


 一歩でも、一度でも、一瞬でも。

 彼女は僕と居た時間を引き延ばす。


「大丈夫です。貴方は真愛マナ・ブレイブハートの子供なんですから。何もかも忘れても、きっと誰かが手を伸ばしてくれます」


 まだ、まだ、まだ。

 まだ僕たちは一緒に居たいから。


「それと。もし私たちの事を思い出してしまったら……。その時は手を伸ばしてくれた人たちを頼って下さい。貴方が信用できると思った人なら、きっと大丈夫です」


 立ち止まり、女性が見上げるのはどこまでも続く青の空。


 光指し、大地と対をなす風の海原。

 緋色の瞳に収めるのは、彼女と相反する色彩。


「貴方が亜龍サファイアだとしても」


 流動する真紅の結晶が翼を形成し、女性は結晶に内包した炎を持って飛び立とうとする。

 かき消される事の無かった最後の言葉に、僕の意識は再び暗い霧へと呑まれていく。


 暗闇の最奥。

 淡い翠緑すいりょくの光は蒼に染まり、渦巻く濃霧は真紅の結晶を形成した。

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