29.交渉 - 2

 わたくしの築いた国。

 その一言を聞いて戦慄せんりつを隠せる人はいなく、千年生きているイザナ様すら目を見開いてた。


 イザナ様の治める樹海が一つの国と言っても、あくまで同等の扱いを受けているだけで、正式なものではない。

 けれどもペルセさんは比喩ひゆでも何でもなく、はっきりと国と言い表していた。


「失礼。気が急いてしまいました。正確にはわたくしが治めている地域を国として認め、交易を結びましょう。そう言った方が都合が良いかしら」

「……そういう事か。ムーンティアーズの独断専行だな」


 ペルセさんの訂正に、シンクさんは独りでに納得する。


「ええ。サキ様とはこの場の準備をする段階で、承認をいただきました。種族の偏見もなく、非常に話の分かる方でしたよ」

「後は紅玉こうぎょく騎士団、ワタリドリ。それに天使クリスタル巨人トパーズの承認が通れば、晴れて国名を掲げられると」

「成る程のぉ。じゃからムーンティアーズの者が、此処いないのじゃな。既に取引は終わっているのなら、当然じゃな」


 段々と、ペルセさんの本命が明るみに出始める。


 よくよく考えてみれば、おかしい事はサキ様に呼び出された時からあったのだ。

 シーパルでスクリュードが出した被害について大した言及もなく、いざ交渉へ赴くという時にムーンティアーズ所属の人が誰も来ていない。


「あの深淵種アクアマリンの成り損ないっは、本当にどうしようもないのぉ。――して。此方こなたとしては建国自体は構わぬが、ちと理解に苦しむ点がある」


 好きにしろと仰っていたイザナ様が、ここで前に出て発言をしていく。

 内容は至って分かりやすく、僕とローエンさんに一番関わってくるものだった。


「国の代表たる蘇芳スオウらを呼び出すなら、何も暴力を振るわずとも良いじゃろ。その方が互いに損失なく、事が運ぶと思うのじゃが」

「流石イザナ様。実に保守的で平和なご意見、感服致します。ですが現実的な事として、何もせずただ吸血種ガーネット悪魔アメジストが国を作ると宣伝したらどうなるか。貴方様ならお分かりになる筈」

「……考えたくもないが、天使クリスタルが黙っていないじゃろうな」

「まさか。何もしていない人たちを、天使クリスタルが殺すと言いたいのか」


 話の規模は一転して、大きく広がりを見せていく。

 シンクさんが有り得ないと否定するも、ペルセさんは冷たく切り返す。


天使クリスタルだけではありません。古い龍族ルビーの方々だって、わたくし達の命を狙うでしょう。彼らは戦争と偏見に憑りつかれた過去の亡霊。当時彼らの敵だったというだけで、そうする理由になる」


 冷たく、流れる血潮の熱を奪う様に。

 ペルセさんは研ぎ澄まされた敵意を放った。


「ですので、警告として策を打たせていただきました。――さあ、シンク。貴方はわたくしの手を、どうしますか?」


 僕の故郷が無くなったのも、ローエンさんに娘さんしか残らなかったのも、ソフィアさんが家を失ったのも。

 全部、ペルセさんの計略による結果。


 予め自分たちの力を示し、無暗に手を出したら損をすると警告を促す。

 相手に攻撃を躊躇ためらわせ、取り仕切る立場の人が動き始めた所に、和平と対等の立場を要求する。


「……何ですか、それは」


 学が無く、国や種族の歴史なんて浅瀬にも触れない部分しか、僕は知らない。

 だからペルセさんの言う古い人たちの考えが、本当にそうなのかも分からない。


 でも悔しい事に、ペルセさんの言う武力による対立構造が効果的なのは、考えを巡らせていくほど納得がいってしまう。


 出来る限り損をしたくない。

 生き物であれば当然の考えで、その考えを元に今こうして交渉の場が出来上がっている。


 頭では理解できた。

 でも、心は違うと激しい鼓動で叫び出す。


「そんな事の為に、どうしてネフィーさんは死ななければいけなかったんですか!」


 左目から蒼い火花を散らして、僕はペルセさんに殺意を向ける。


 ここでペルセさんの手を取って、積み上がった悪循環の関係性を徐々に修復。

 ペルセさんはこれまでの罪を償い、ルベウスは彼女いう事態にならないよう立ち回る。

 そうすればお互いに得しかないのは、誰だって理解できる。


 それが一番正しい事なのは、僕も分かっている。


 でも違う、そうじゃないんだ。

 それが正しいっていうのなら――


 僕の一番大切な存在が、正しさ﹅﹅﹅の為に失われた事になってしまう。

 ならそんな現実ことが正しい訳がない。


「コウ。待て、落ち着け。その話を今したら……」

「………………交渉は決裂。いえ、保留で良いかしら? そう急ぐ話でもありませんからね」

「あ、ああ」


 殺意を微風の如く流すペルセさんは、しばし黙り込んだと思ったら、残念そうに目を伏せる。


 結局、力を使いそうになった僕を止めたのはシンクさんだけで、ソフィアさんとローエンさんは沈黙したまま。

 イザナ様も止める素振りなく呆れた表情をしていて、フィライトさんはフードを被って顔を隠している。


「確か、コウと言いましたね。――何も答えなくて良いですよ、わたくしは貴方の敵ですから。ただ……貴方になら殺されても良いかもしれませんね」

「どういう、意味ですか」

「さあ? 意味なんて関係ないでしょう。コウ、貴方がわたくしを憎むのであれば」


 どれだけお互いの主張を交えても、僕と……僕たちとペルセさんは分かり合えない。


 手を取り合うことも、隣に立つことも。

 そう出来る段階は、とっくの昔に通り過ぎている。


「ではわたくしは、ここで失礼いたします。シンク、騎士団の意向はサキ様を介してお知らせ下さい。……ああ、それと」

「ペルセ殿。ローナは――」

「そう睨まれても、何も変わりません。それほど会いたいというのなら、わたくしの下に来ますか?」

「まさか。スクリュードの時と同じてつを踏むと思っているのか」

「そうですか」


 娘さんに会わせると言って、スクリュードと契約をしていた時と同様の状態になるのは、容易に想像がつく。

 その手には乗らんと一蹴するローエンさんに、ペルセさんはそれ以上は何も言わなかった。


 退席の意思を見せるペルセさんだが、席を立つ様子はなく、一瞬にして場に緊張感が駆け抜ける。


 何かをするつもりか。

 そう息を呑むも、途端にペルセさんの瞳から冷えた赤色が失われ、脱力と共に全身を座っている椅子へもたれ掛かる。


「行ったようじゃな。もうらん。体は言った通りに、持ち主に戻しておるみたいじゃ」

「……はぁ。最悪だ。報告する事が多すぎる」

「じゃのぉ。それにしても、あの吸血種ガーネットは相当に恨みを買っておるみたいじゃな。其方そなたたちの言動、全部冷や冷やじゃったぞ」


 心の底から漏れる深いため息が、二つ。

 シンクさんとイザナ様は、各々の心労を語っていく。


 対して僕とローエンさん、ソフィアさんはイザナ様の指摘に気まずさを感じていた。


 全員が全員、ペルセさんを目の敵にしてるため、冷静な判断よりも感情が優先されてしまう。

 ソフィアさんだけは知るかと目を逸らすが、ローエンさんと僕は反省しますと首を項垂うなだれた。


「フィーラも、一瞬じゃが銃を抜きそうになったじゃろ。危ないのぉ。此方こなたたちの立場を忘れてはイカンぞ?」

「……すみません」


 あからさまに苛立ちを見せ、乱暴な物言いを放つフィライトさんは、足早に僕たちの下から去っていく。


 悪意の色が濃くなっていく横顔、誰も追わせまいとする後姿。

 そのどちらもが身に覚えがあり、気がついたら僕は、彼女の背中を追いかけていた。


「コウ殿?」

「ごめんなさい。フィライトさんと話がしたくて。ちょっと行ってきます!」


 森の暗闇に消えようとするフィライトさんの背中は、伸ばした手が届きそうに無いくらい遠く感じて。

 そんな彼女を見る僕の心は、別人だと分かっていても、大切な人ネフィーさんと被さって仕方がなかった。

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