28.交渉

 一歩、また一歩と。

 あかい瞳の森人ジェイドが、僕たちの警戒を意に介さず近づいてくる。


 ペルセ・エマ・アネモニス。

 外見は以前の少女と違い、凛とした女性となっているが、余裕に満ちた立ち振る舞いは変わらない。


「ローエン、ソフィア。そしてあの時の騎士団員と……。ふふっ、人間アゲートの少年。あの場にいた方全員、いらっしゃるのですね」


 僕の時だけ含みのある笑いをしたペルセさんは、次にフィライトさんに一瞥をくれる。


「そちらは樹人ペリドットかんなぎですわね。銃なんて担いで、恐ろしい方。わたくしは争うつもりなんて無いと、周りの方々にもそうお伝え願えません?」

「それは無理ね。だってアイツらはワタリドリ所属だから、言うならこっちの龍族ルビーにしなさい」


 ペルセさんに言われて初めて、僕は周りに潜む人影に気づいた。

 イザナ様が照らす場所から外れ、彼らは森の影からこの場所を――ペルセさんを狙っている。


 森人ジェイド機鋼種トルマリン人間アゲート獣人マラカイト

 十人以上の同じ制服を着た人たちが、フィライトさんと同じ銃を手に、吸血種ガーネットの一挙手一投足を逃さず監視していた。


 ペルセさんは銃を降ろせと要望を出すも、フィライトさんは管轄外かんかつがいだと受け流し、全員の視線は自然とシンクさんへと集まった。


「申し訳ないが、俺たちは話し合いの場を設けただけで、貴女を安全だと判断した訳じゃない。それにあの悪魔アメジストを警戒するのは当然だろう」

「スクリュードは連れて来ていない、何て言っても信用が無いのは分かりました。ならこのままで良いわ」


 自分の立場を再確認したペルセさんは、肩をすくめて現状を受け入れる。

 シンクさんはスクリュードを危険人物の引き合いに出したが、何をするのか分からない点では、ペルセさんも変わらない。


 必要以上に言葉を交わすつもりは無いのか、彼女からの声掛けは止まり、シンクさんも口をつぐむ。

 ソフィアさんもローエンさんも、勿論僕だって言いたい事は山ほどあったが、代表者としているシンクさんが沈黙を選んだため、喉まで出かかったものを押し込めた。


 気が滅入めいるほどの静寂が続く中、イザナ様の力によって簡易的な席が作られていく。


 イザナ様が現れた時と同じく風が吹き、光指す広場に颯爽と家具が生み出される。

 大きな丸状のテーブルに、人数分の椅子。

 こんな状況でなければ、木々に囲まれた中でのお茶会となる筈の卓上は、剣呑な空気で満ち満ちていた。


「こんなものかの。双方、後は好きにせい。此方こなたは中立の立場じゃから、内容には口ださん。じゃが殺傷を行った場合は、容赦せん事を肝に銘じるのじゃ」


 イザナ様を中央に置き、僕たちとペルセさんは対になる形で席に座る。

 フィライトさんはイザナ様の少し後ろに立ち、フードを被っては肩にかけていた銃を手にした。


 長く続いた沈黙を破ったのは他でもない、この場を作ることを提案したペルセさんだった。


「まずはお礼を。話し合いに応じて頂き、有り難うございます。騎士団の方、お名前を聞いても?」

「シンク。新玖シンク・グラッドナイツです」

「ではシンク。いきなり本題に入るのも風情がありませんから、ここは一つ。お話でもいたしましょう。――そうですね、話題としてはソフィアの家の事について。というのはどうでしょう」


 彼女の言葉に、ソフィアさんとシンクさんの目の色が変わる。

 シンクさんに至っては、恐怖症で女性と目を合わせる事すら難しい筈なのに、それを超えて敵意のみでペルセさんを見つめていた。


龍族ルビー水霊パールを繋ぐ商人貴族。没落にまで追いやったのは、その繋がりを断つ目的もありましたが……。一番の理由は、今ソフィアが付けているソレです」

「ザイカの事か。コイツが何だってんだよ」


 ペルセさんが指差すのは、ソフィアさんの右手首に付けられた赤い腕輪。

 決戦兵器と呼ばれる機鋼種トルマリン、ザイカさんを狙っていたと話す彼女は、軽やかに続きを語っていく。


「あら。ソフィアはソレが何か、ご存じでないのですね。ふふっ、それは良い事を聞きました。抑止力としてわたくしの手元に置こうと考えていたのですが、何も知らない貴女が持っているのなら、一向に構いませんわ」

「オマエの手元に……? テメェ、まさか。ザイカが欲しいってだけで、アタシの家を潰したってぇのかよ!!」

「いけないのかしら。貴女だって、障害となる相手は排除するでしょう? それにヴァーミリオン家の一件では、人死にを出した覚えはないのだけれど」


 激情に駆られ、身を乗り出しペルセさんへ食って掛かろうとするソフィアさんだが、イザナ様の一瞥いちべつで押し留まる。

 軽い小話の口調で話を進めているが、ようはソフィアさんが今の立場になった経緯だ。


 ザイカさんを巡って、一つの貴族が没落。

 シンクさんから聞いている話と合わせると、その時に路頭に迷い、紅玉こうぎょく騎士団によって保護。

 回り回って騎士団の協力者となってソフィアさんは、今こうして家族の仇を前にしている。


 自らの被害を抑える為に先手を打ち、効率的に利益を上げる。

 ペルセさんの主張は商業的に考えても、日常生活の内で考えても頷ける部分はある。


 だけど――


「確かに。ソフィアの両親は貧しい生活の中だが、今でも健在だ。

だけどな、死ななければ良いって訳じゃないだろ!」


 拳を握りしめるソフィアさんに代わって、シンクさんは吸血種ガーネットに吠える。

 返される言葉が涼やかに流れていく、そう思い込んだ僕の耳を打ったのは、流血の如く無情な呟きだった。


「生きているのなら、良いじゃない」


 その場にいる全員が、血を抜かれたように固まる。


 さっきまでとは違う重々しすぎる一言。

 そんな発言は瞬く間に風に飛ばされ、ペルセさんは何事もなく微笑んだ。


「くすっ。ですが、ええ。ヴァーミリオン家の、その後の保証までは手を尽くさなかったのは事実。――お詫びにはなりませんが、交渉の外で一つ、騎士団へ贈り物致しましょう」

「贈り物?」

「今わたくしが体を借りています、この子。そして同様に保護﹅﹅しています方々を、十人ほど。そちらに身柄をお渡し致します。勿論、そこには先日体をお借りした子もいますよ」

「……分かった。その人たちは騎士団とワタリドリが、責任を持って預かります」

「チッ! そんな人質を抱え込んでたのか」


 驚愕きょうがくしつつも提案に頷くシンクさんの隣で、ソフィアさんは苛立ちを隠しもしない。

 対してペルセさんは、心外とばかりに出されたお茶を口にしながら訂正を入れた。


「以前にも言いましたが、この子たちを人質と扱うのは不本意ですの。意味もなく他人でもてあそぶスクリュードと、同一に見られるのは不快です」


 意味もなく他人をもてあそ悪魔アメジスト

 その名前が出た途端に、僕はローエンさんと初めて会った時のことを思い出す。


 今やりたい事を優先する。

 うまく行かないから、面倒だからと一緒にいた人たちを焼き払い、更には僕とローエンさんまでも、真摯しんしさのない手段でほうむろうとした。


 だからこそ、彼女の発言に僕とローエンさんは食らいつく。


「ならば何故、スクリュードに村を好きにしていいと指示を出したんだ、ペルセ殿。奴の興じる事を想定できるのなら、事前に契約で縛れるだろう」

「アレはその時の気分で契約を掻い潜り、企てをするやから。そのような者に手綱を付けても、徒労でしかありません」

「そもそもどうして僕たちの、ローエンさんの村を狙ったんです。何の意味があるんですか!」


 スクリュードは今その時の快楽に溺れる、刹那的な悪魔アメジストなのは、シーパルで戦った時から分かっていた。


 分からないのは、ペルセさんが国中の村々を狙った理由。

 これまでの会話から、スクリュードと同じく理由も無しに動く人だとは思えない。


 目的があるから。

 今こうして話し合いの場に出ている筈だ。


「小さな村ばかりを狙ったのは、龍族ルビー天使クリスタルを交渉の場に立たせる為の布石です。――ねえ。如何ですか、シンク」

「……実際、効いてるよ。こうして俺が、貴女と向かい合わなきゃならない位にはな」


 シンクさんは苦虫をみ潰したような顔で、彼女の布石によって受けた影響を話していく。


 それは国を治める種族への信頼が、損なうよう促す行動だった。

 まず十年以上の年月をかけて、国中の至る所にある小さな集落を潰していく。

 規則性を持たせず、知らぬ間に地図から消える村々が与えるのは、治安体制への疑問。


 各地の事件から関連性を見いだせずとも、国民は治安維持を任されている紅玉こうぎょく騎士団へ懐疑を寄せていく。

 何度も似たような事件が起きると、今度は騎士団の対応の遅さが見え始める。

 更には空から国を監視している筈の、天使クリスタルたちにもその疑惑が重なっていった。


 闇に紛れて追えない、見つからない、捕まらない。

 そうした負債が積もりに積もって、国が重い腰を上げた結果がソフィアさんと出会う切っ掛けになった。


「結果としてですが。紅玉こうぎょく騎士団の一人を前に出来たのは、中々の収穫だと思っています」

「それで。何か要求があるんだろう?」

「要求だなんて、剣呑なものではありません。わたくしが提案したいのは、双方にとって得のあること。ただそれだけです」


 彼女の目論見で、いったいどれだけの命が散っただろうか。

 平穏に暮らしていた人たちがペルセさんの障害として、必要な事として、無残に一生を奪われている。


 だというのに、互いに利益があると告げる吸血種ガーネットへ、敵意を募らせる僕たちとイザナ様が注目した。


「わたくしの築いたと、取引をなさいませんか?」


 ペルセさんは臆面もなく、シンクさんに向けて手を差し出す。


 友好の証としての握手。

 僕たちの気持ちは、誰もがその手を払い除ける。

 けれどもシンクさんは、シンクさんだけは――


 国を任された騎士団の一員として、奥歯を噛みしめて熟考する。

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