27.樹海の王

 樹海の集落で一晩を過ごし、日の昇らない朝を迎えた。

 どこを見渡しても昨日と変わらない光景で、悪天候以外は必ず金剛かみ様が陽を与えてくださると先入観がある僕には、不思議な体験というしかない。


 昨日も今日も、そしてこれからずっと。

 油によって灯される火で生きていく、この樹海せかい


 そのあるじたる樹人ペリドットが、今僕たちの目の前にしている。


「これが樹人ペリドット……何ですか? 僕には木にしか見えませんが」

「私も同じだ。シンク殿とソフィア殿はどうだ? 龍の眼なら違うなどあるだろうか」

「ああっ? いや、どっからどう見てもただの木だろ」


 僕たちの目の前にそびえ立つのは、この樹海の中心にして最も空へと背を伸ばした樹木。

 幹回りも成人男性を何十人も連れてこないと囲めないほど太く、見上げた先に見える枝は、遠近感が狂ってしまうぐらいだ。


 何よりも驚いた事が一つ。

 樹木の大きさに比例して木の葉も巨大化し、一切の陽光を遮ってしまっていると、誰もが想像していた。

 けれども現実は予想を遥かに超え、木陰と言うべき場所が全て集落よりも明るいのだ。


 この樹海せかいだけの金剛かみ様。

 そんな言葉が当てまる場所で、僕とローエンさん、そしてソフィアさんの三人で首を捻る。


「俺も視覚だけならそう見えるけど、間違いない。彼は本物の樹人ペリドットだ」

「なに当たり前のこと言ってんの。偽物になんか会わせる訳無いでしょ」


 あらかじめ話を聞いていたシンクさんは、目の前の人の存在を重く受け止め、徐々に緊張の色を濃くしていく。


 そんな彼にため息をつくのは、ここまで案内をしてくれたフィライトさん。

 シンクさんへの配慮はいりょもあり、僕たちの後ろについて案内をしてくれたのだが、彼女の視線はずっと僕の背中に刺さり続けていた。


 十中八九、ネフィーさんの事だろう。

 結局、僕は話を切り出せずにいて、またフィライトさんもネフィーさんの名前を出してこない。


「……何?」

「いえ。フィライトさんって、たまに何もないところを見ていますよね。アレっていったい何を――」


 居心地の悪さから、必死にネフィーさんへ繋げられそうな話題を探していると、雰囲気を感じ取ったフィライトさんが鋭い眼差しで僕を穿つ。

 瓜二つの容姿なのに、暖かさのあったネフィーさんとは違う、冷たい刃のような視線。


 何故そんな目で見られるのか。

 僕に思い当たる理由は、一つだけ。


 僕自身が今もネフィーさんの事を隠していて、彼女への後ろめたさでそう感じるんだ。

 だから一刻も早く切っ掛けが欲しいと、この森へ来た時からの疑問を開け放つ。


 どんな話題だろうと、ネフィーさんの事を告白する。

 そんな気概で口を動かすと、この場の誰でもない声が天から降り注いだ。


「お主ら、よく参ったのぉ。フィーラもご苦労じゃった」


 聞こえてきたのは、性差のない明るく幼い声。

 フィライトさん以外が思わず空を見上げるも、一帯を抜ける風が枝葉を揺らし、根本――僕たちの前に風が集うとソレは姿を現した。


 その予想外の見た目に、誰もが息をのむ。


 体躯たいくは十歳に達しているかも怪しい幼子で、外見からは性別の判断がつかない。

 木の幹と同じ焦げ茶の髪は、身長の倍以上長さがあり、結うなどせず枝葉と同様に広げたまま。

 好奇に満ちた緑の瞳は左右で濃さが違い、右に夏の若葉を、左には秋の熟した葉を宿していた。


 衣装もまた独特で、フィライトさんの外衣をそのまま一つの装束にした感じだ。

 色合いも上着が白で、下衣かいが緋色とシンプルに纏められている。


「ほれ、フィーラ。駄賃だちん甘味かんみをやるから、ちこう寄るのじゃ。其方そなた、これ好きじゃったろ」

「いらないです。後フィーラは止めてください、イザナ様」


 奇妙な様相の幼子。

 そんな見た目からは想像もできない神秘さに圧倒され、どんな言葉が僕たちを待っているのか身構えた途端に、引き締まった空気が砕け散る。


 孫のようにフィライトさんを愛称で呼び、開かれた手には甘く味付けされた木の実。

 とぼけた顔に威厳の二文字は無く、フィライトさんはキッパリと樹人ペリドットの要求を断るも、緩んだ笑顔に押し負けて甘味を受け取っていた。


「コホン。――私は紅玉こうぎょく騎士団第一部隊所属、新玖シンク・グラッドナイツです。本日は御身と謁見えっけんする機会を与えて頂き、光栄の至りです」

「おぉー、蘇芳スオウの部下じゃな。よいよい。龍族ルビー樹人ペリドットは旧知の間柄。楽にして仲間内での話し方をせい。どうにもあの若造の部下は、どれもこれも硬すぎていかん」

「は、はぁ……」


 シーパルで水霊パールの代表、サキ様を前にした時と同じように緊張の真っ只中へ立ったシンクさんだが、樹人ペリドットによってすぐさま緊張の糸が切られてしまう。


「うむ、では此方こなたも名乗ろう。名はイザナ。ルベウスの者どもから与えられた名は……。んっと、ええっとじゃな。すぅー……なんじゃったっけのう、フィーラ」

「ピースクラウン」

「おお、そうじゃったな。そうじゃったっけ? まあそうなんじゃろう。という訳で、イザナ・ピースクラウンじゃ。よろしく頼むぞ、其方そなたたち」


 この樹海の主――イザナ様は、頭を抱えるフィライトさんを余所にカラカラと笑っていた。


 サキ様と打って変わって、緊張や危機感とは縁遠い印象のイザナ様。

 ソフィアさんは疑いの眼差しを向けているし、ローエンさんも掛ける言葉に困っている。

 僕も柔らかな雰囲気にてられて、今まで煮詰まらせていた事を一瞬でも忘れてしまうくらいだった。


「……あの、シンクさん。イザナ様が言うスオウさんって、いったい誰の事ですか」

龍族ルビーの代表のことだ。千年生きているスオウ様を若造﹅﹅なんて呼べるの、この方だけだよ」

「えっ、龍族ルビーの代表……! すみません。国の治める方の名前を覚えていなくて」

「気にしなくて良い。あまり前に出ない方だからな」


 流れるようにイザナ様が名を出したため、シンクさんの上司だとは分かっても、国の統治者だとは分からず、僕は急ぎ頭を下げる。

 対して話題を振りまいた本人は、変わらない物腰で次々とこちらに言葉を投げかけてきた。


「ふむ、しかし懐かしい気配がすると思っとったら。そこな獣人マラカイト。ハミングの縁者じゃな? あの色狂いの聖獣ラピスは元気しとるかのぉ」

「はっ! まさか我らのあるじとお知り合いとは、お会いできて光栄です。その、あるじは……。あるじは体調を崩されてはいますが、ご健在の筈です」

「はず、のぉ。まあよい。あの女子おなごばかり追うていた鳥じゃからな。ついに刺されたのじゃろう」


 言葉を濁すローエンさんの様子を見て、イザナ様は独りでに納得の色を示してた。


 実際のところはスクリュードによって、ローエンさんの集落は壊滅している。

 話によると、生き残ったのはローエンさんと娘さんのローナさんだけ。

 集落を守護する聖獣ラピス――イザナ様が言うハミングさんは、安否が不明らしい。


「そこな人間アゲートも面白いのぉ。誰ぞ知らんが右目に龍の加護を持っとる。……うむ? いやこれは、勇ましき者の名を継いだ子のやつかの?」

「あ、ああ。アタシのこれは、マナ・ブレイブハートから貰った奴だ。アンタ、知ってんのか」


 次に話しかけられたのは、ソフィアさん。

 注目していたのは彼女の右目で、初め首を傾げていた筈のイザナ様は、思い至る節があったみたいだ。


 勇ましき者。

 そう言われても僕とローエンさんには見当もつかなかったが、ソフィアさんとシンクさんは真逆の反応を示す。


 思い当たるどころか、名前を出すと同時に、奥歯を噛みしめて苦い顔をする。


「おお、そんな名じゃったな。ここ十数年さいきん見かけないのじゃが、またなのじゃな。あの若造の後継は、いつも短命でいかん」

「イザナ様。マナ先輩の話は、また別の機会に」

「そうじゃな。今は喪に服する時ではないの」


 シンクさんの断わりで話を切り上げるイザナ様は、最後僕へ振り向くと、まじまじと顔を見つめてきた。

 何を考えているのか読めずじっと待っていると、やっと開かれた口からは、とんでもない言葉が投げ出された。


其方そなたとフィーラ、なんぞ昨日から互いを気にかけておったが。好いたというなら応援するぞ、此方こなたは」

「――……ぶっ! げほっ、ごほっ!」

「……は? 何言ってんの」


 確かに僕はフィライトさんを意識していたから、否定できない。


 けれどもそれが、一目惚れなんてものとはかけ離れた理由だとは言えず。

 むしろ色恋沙汰だと勘違いされた事に驚いて、むせ込んでしまう。

 そんな僕に対して、フィライトさんの反応は実に冷ややかなものだった。


 切れ味のある視線でイザナ様を睨むフィライトさん。

 だが瞬く間に視線は明後日の方向へ変わり、何かへ訴えかけるかの如く必死さを見せると、冷笑を浮かべて自分の主へと向き直る。


 その行動に僕は見覚えがあった。

 僕との関係性をジョージ先輩に揶揄からかわれた時のネフィーさんと、全く一緒の反応だ。


「ちょっとした冗句じょうくじゃよ。わらべに睨まれて喜ぶ趣味なぞ無いわ」

「冗句? そう言って以前、ワタリドリに本気のお見合い相談していたのは、誰でしたっけ」

「じゃって、この森につがいになれそうな男子おのこはおらんのじゃろ? 其方そなたの母のようにとは言わんが、早々につがいの候補をじゃな――」


 身を丸めて抵抗するイザナ様の両頬を、フィライトさんは伸ばしながら責め立てる。


 口は災いの元とは、この事だろう。

 孫の婚姻を心配する祖父母といった感じでやり取りが進み、ようやく解放されたイザナ様は、改めて僕へ向き直った。


「んんっ、まあなんじゃ。其方そなたがちゃんとした人間アゲートじゃなくとも、此方こなたとしては問題ないから安心するのじゃ」

「やっぱり懲りて……。はぁ?」

「えっ……。イザナ様。ちゃんとも何も、僕はれっきとした人間アゲートです」


 懲りずにまた同じ話をし始めたと思いきや、発言したイザナ以外の全員が硬直する。

 今まで日向のように暖かかった空気が、この瞬間だけ、元の木陰にいるかの如く涼しさを取り戻してた。


「あー……なんじゃ。申し訳ない、戦時中むかしの癖じゃ。当時、敵方の流行りで他人に成り代わるなんて手法があっての。其方そなたから似た空気を感じたのでな、わざとじゃないのじゃ」

「その話、もう少し詳しく聞かせてもらっても良いでしょうか。実は先日、似たような事をある人から言われたんです」


 イザナ様の話から、僕はフィライトさんとは別の問題を思い出す。

 僕の中に積み上がっていく問題の中で、あまりにも突拍子がなさすぎて後回しにしてしまった、ペルセさんの言葉。


 シーパルで起きた事件の時、彼女は僕の種族を人間アゲートとは別の名前で呼んでいた。


 正確になんと言っていたのかは、聞こえなかったし覚えていない。

 でもそれを思い出そうとすると心がざわつき、何かの間違いだって一蹴すら出来ない。


 だからイザナ様の話を聞いて心の整理を図ろうとするも、聞き覚えの無い女性の声が全員の耳を奪い去った。


「――あら。それはわたくしの事かしら」


 初めて聞く、木々を通り抜ける澄んだ声。

 振り返るとそこにいたのは、やはり見知らぬ森人ジェイド


 だけど僕たちには、目の前にいるのが誰なのか。

 くれないに染まった妖しい双眸そうぼうで分かってしまった。

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