26.ネフィーとフィライト
油によって生かされた揺らめく炎。
暗闇の森の中で唯一、この空間だけが光に満ちていて。
空に昇り陽光を
フィライトさんの案内で集落を進んでいくと、一番に意識が向くのは圧倒されるほどに丈のある樹木と、沿う形で建てられた木造建築たち。
僕たちのいたシーパルとは印象が真逆で、縦に伸びた家々は自然との一体感を大いに感じさせる。
また行き交う人々も、盛んな都市とはまるで違う。
その
次に目が行くのは、他では見ない一風変わった服装。
丁度僕やソフィアさんが来ている服と、ローエンさんの着物の間を取ったような代物だ。
「フィライト殿。ここは
「いくつかの集落と交易はしてる。まあ、ここの服装に
久々に馴染み深い物を見たと、ローエンさんは懐かしそうに集落へ目を配る。
前に聞いたのだが、ローエンさんたち獣人の住む集落では羽毛や毛皮などがある者が多い為、ゆとりのある物が好まれたとして着物が定着したとの事。
流石にここの集落では着物は見かけないが、落ち着いた色合いと
「さて、道案内はこれでお仕舞い。アタシはやる事があるから、後はここの
「分かった。ここまでありがとう」
フードを被り直し、僕たちが来た道を戻るフィライトさんに、シンクさんと共に僕たちも頭を下げる。
一瞬、また彼女の視線が僕の方へ向いた気がするけれど、変わらず体からは外れた場所を見ていた。
「んじゃ、さっさと行くか。――つぅか、ここにもちゃんとワタリドリ居んじゃねえか。何でここまで送ってくれねえんだ」
「ワタリドリは
シンクさん曰く、彼女はソフィアさんとローエンさん同様、力ある十二の種族と結びつきを持っている。
僕がすぐさま思いつく例は二つ。
類似したものがフィライトさんにもあるのなら、相手はやはりシンクさんの口から度々出てくる
どういった代物なのか、既に見えなくなった彼女の姿を思い浮かべつつ考えていると、ワタリドリに向けられていたローエンさんの足が止まった。
「ローエンさん、どうかしましたか?」
「ん、いや。覚えのある香りがした気がしてな」
ローエンさんが鼻を鳴らす様は、正真正銘の黒の狼と言う他無く。
自然豊かな匂いから特定の物を嗅ぎ分ける力は、流石
けれども覚えのある香りとは、いったい何なのか。
スクリュードなら険しい雰囲気に一変する筈だが、ローエンさんの態度は平穏そのものだ。
「……猫?」
僕もローエンさんに合わせて辺りを見回すと、目に入ったのは黒い猫。
機嫌よく建物がある場所から離れ、森の奥へと進む姿に不思議と引かれ、視線はその先へと向けられる。
そこにいたのは、木陰に身を隠した灰色の人影。
「――ッ!」
慌てて目を向けるローエンさんだけれど、その瞳が影を捉える事は無かった。
見えた人影は、僕よりも少し年上の少女の姿をしていて。
狼の耳と尻尾のある、
少女を逃したローエンさんは拳を強く握りしめると、彼女がいた場所を見つめたまま声を零す。
「ローナっ……! いやまさか、そんな」
「おい、オッサン。コウも何やってんだ。さっさと来い!」
ローエンさんの娘さんの名前が出て、僕も改めて人影が消えた木陰を注視する。
当然、人影は見る影もなく、黒猫も森の闇へと溶けていた。
僕の見た少女が、ローエンさんの娘さん――ローナさんだと断定は出来ない。
ローエンさんも、感じた香りが本当に彼女の物だと確証に至れず、立ち尽くしてしまう。
どうするかと僕たちが二の足を踏んでいたら、この森にいるワタリドリに会えたのか、ソフィアさんからお呼びの声がかかってしまった。
追いかけるにしても、何処へ消えたのかすら分からない現状。
この場は見間違いだとして頭を切り替え、僕とローエンさんは急かす声へと小走りで向かうのだった。
*
暗い森の海の中。
白い外衣のフードを被る、
水の都市から来た四人組を案内し終え、一息ついた彼女は真っ直ぐに森の地平へと瞳を向ける。
その目に映るのは薄明りに照らされた木々ではなく、全くの別物。
宙に浮かぶ、温かな炎が灯された縞模様のある
他の誰にも、どんな生物ですら視認できない。
フィライトさんにしか視えないそれは、ゆったりと彼女の隣へと移動した。
「
フィライトさんは辺りに誰もいない事を確認すると、自分自身に向けて言霊を放った。
言葉が体に溶けると、目深に被ったフードの中は影となり、
一変した彼女が隣を見ると、浮かんでいた輝石もまた、姿がより明確な物へと変わっていた。
光と闇の狭間で、境界線が
「初めまして、
『……それはこっちのセリフ。
交わされる瓜二つの声。
片や顔を隠し、存在するのは木々の瞳だけ。
片や輝石の姿を変え、透けた体を世界へ降ろして、
生者のフィライトさんと、死者のネフィーさん。
交わる筈のなかった二者が、今この場にだけ存在した。
「
『どうでも良いわよ。ていうか、アタシ今どうなってんの?』
「アタシの
『んー……よく分かんないけど、コウとは会えないって事? さっきいたよね』
「そうね。でも会わせないわ」
状況をよく分かっていないが、さっきまで幼馴染がいた気がするので、ネフィーは頭を回して探し始める。
記憶が
それでも家族である幼馴染に会いたい衝動に駆られ、
早く会わないといけない。
会って、バカな幼馴染に言いたい事がある。
その衝動だけが先行するも、ネフィーさんは焦りの端に見えた、フィライトさんの芳しくない表情に気がつく。
『何よ。別にいいでしょ、家族を探すぐらい』
「家族、ね」
あからさまに不機嫌さを
アタシの必死さは、家族に早く会いたいから。
断じて、大切な人だと思っている幼馴染に会いたいからじゃないと、そっぽを向く。
二人の仲を勘ぐったものとネフィーさんは考えたが、続くフィライトさんの言葉によって、それは微塵に散っていった。
「それなら何で……。アイツの隣に貴女がいないの、ネフィー」
フィライトさんの行き場のない憤りが、森へ静かに飲まれていく。
彼女の瞳は今いる森と同じように、暗く不気味な色に染められる。
少年と初めて会った時の、彼の酷い顔。
彼を探すネフィーさんの、慌ただしい動向。
何があったのか、嫌でも想像がついてしまう。
『何でって……』
ネフィーさんは、
幼馴染の隣にはアタシがいるのが自然だと。
自分でもそう思うからこそ、言葉が濁ってしまう。
必死にどうしてかを言語化しようと頭を悩ませるネフィーさんに、フィライトさんは明確に感情を示した。
一言。
それまで悩んでいたネフィーさんが、声すらも失うほどの清々しさで。
「ネフィーがここにいる。だからアタシは嫌いだ。
少年に対するネフィーさんの感情とは、まるっきり違う。
好感の欠片もない、冷め切った完全な否定。
頭に血が上ったネフィーさんは、即座に突っかかろうとするも、透けた体でフィライトさんに触れる事は叶わなかった。
歯ぎしりをし、どうしてと叫びかけた時には、フィライトさんがフードを降ろした事で、ネフィーさんの姿の元の輝く石へと戻されてしまう。
だが声を出せずとも、懸命に体を張った抗議を続ける輝石に、フィライトさんは苦い顔をするのだった。
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