25.翡翠の森

 少女の口が開かれるまでの刹那。

 僕の体感は引き延ばされ、脳内は事の真偽にのみに集中する。


 目の前にいるのはネフィーさんではない。

 僕の大切な人は、もういない。


 他人の空似だ。

 そう納得しようとしても、少女の取る所作の一つ一つに既視感を覚え、考えを否定する心がいる。


「ネフィー……? なんでアンタみたいなのが、アタシの従妹いとこの名前を知ってるの」

従妹いとこ……」


 被っていたフードが降ろされ、少女の素顔があらわになる。


 声も身長も、肩ほどの長さなブロンドの髪と、翠緑すいりょくの瞳も同じ。

 違うのはハーフアップになっている髪と、森人ジェイドの最大の特徴である長く尖った耳ぐらいだ。


 彼女の言う通り、ネフィーさんと従姉妹いとこだというのなら一応の納得はいく。


 ネフィーさんは父親が人間アゲートで、母親が森人ジェイドの混血児だ。

 母親の血縁で子供がいること自体、何もおかしくない。


 だとしても彼女は、双子と言われたら疑えないくらい瓜二つだ。


「アタシはフィライト。その子と違って純血の森人ジェイドよ。アンタは?」

「コウです。ネフィーさんとは……その……。姉弟きょうだいも同然に育てられました」

「ふぅん、じゃあ良い機会ね。アタシ、ネフィーとは会った事ないの。だから――」


 想定できた質問が、フィライトさんの口から告げられようとした。


 ネフィーさんの事を聞かせて欲しい。

 従姉妹という立場なら、実際に会ったことは無くとも様子を聞くのはごく自然。


 僕は刻一刻と迫る質問に動悸が激しくなり、住んでいた村が壊滅している事を知っている三人の空気も、合わせて重く静まり返る。

 けれどもフィライトさんの言葉は途中で途切れ、一向に続きが発せられない。


 どうしたのかと様子をうかがうと、その視線は僕ではなく明後日の方向へと向けられていた。


 何もない、誰もいない。

 虚空を見つめるフィライトさんの口元は、開くどころか強く結ばれた。


「なんて話している場合じゃないわね。早く行くわよ」

「あ、ああ。よろしく頼む」


 身をひるがえし、ついてこいとフィライトさんは背を向ける。


 短く頷いたシンクさんは、ソフィアさんと目を合わせるも首を傾げ。

 僕もローエンさんに目を向けるも、二人同様に分からないと首を振った。


 それからというもの。

 フィライトさんは一切ネフィーさんに関して触れず、樹海の中を進んでいく。


「――ところでフィライト殿。申し訳ないのだが、この森についてご教授願いたい」


 歩きながらの簡単な自己紹介に、森の歩き方。

 そんな話をしている中で出てくるのは、当然この土地について。


 僕の何十倍もの背丈がある樹木が立ち並び、生い茂った枝葉によって日差しは森に入ってすぐに遮断しゃだんされた。

 だというのに樹海の中は、遠くさえ見通そうと思わなければ、人間アゲートの僕でも困らない程度の明るさが保たれている。


「ご教授って……。えっと……獣人マラカイトの貴方なら、上位種族の守護を受けた場所って言えば分かる?」

森人ジェイドを守護する上位種族。ふむ。大方の想像はついた。だが……」

「僕たちには何がなんだかさっぱりです」

「おい、シンク。オマエも黙ってねぇで、補足だか何だかしろよ」


 以前、ローエンさんが村長をしていた集落に、守護を担う方がいた事は聞いている。

 それと同じ立場の人がこの森にもいる事は分かるのだが、人間の僕たちには無い文化の為、いまいち実感が湧かない。


 助けを求めてソフィアさんがシンクさんに声をかけるも、彼は肩を落として謝罪した。


「悪いんだが、この森の内情までは俺も知らない。ここの代表である樹人ペリドットも話しを聞いたことがあるだけだ」

「んだよ。オマエもアタシらと同じかよ」

「ああ。だから俺から言えるのは一つだけ。――この森を一つの国だと思え。ここの頂点は龍族おれたちじゃない」


 シンクさんの発言に、僕とソフィアさんが息をむ。


 実際に会ったことが無くとも、辺境の地にすらとどろ龍族ルビーの絶対性。

 その権威が揺らぐとなれば、相手の領域に今踏み込んでいると考えただけでも、身が引き締まる思いだ。


 そんな僕たちに対して、フィライトさんはまさかの苦笑を漏らした。


「バッカね、アンタら。代表同士が対等な立場ってだけでしょ。だから今回、公平な判断を下せる場として、ここが選ばれたんじゃない」

「成る程。ペルセ殿との今回の会談。あくまで話し合いである以上、余計な肩入れが無いここは、確かに最適と言えるな」

「そーかぁ? コッチはとっくの昔から繋がってんだろ。別にペルセの奴の肩を持つ気はねえが、何処だろうとコッチよりなのは変わんねえよ」

「だから会談場所の指定を俺たちに預けたのかもな。どこだろうと私たちには関係無いってな」


 国の治安を守る紅玉こうぎょく騎士団と対等の立場。

 一見天秤が均衡きんこうを保っているように思えるが、今回は国のあちこちで騒ぎを起こしていたスクリュードと手を組む、ペルセさんが相手だ。


 放っておけば、この森も巻き込まれるかもしれない。

 そう考えると龍族ルビーと手を組み、彼女の排除に走るのは想像に難くない。

 こうなってしまうと公平性は欠片もなく、話し合いという前提が崩れてしまう。


「話し合い、なんですよね」


 ポツリと呟く僕の胸中に秘めた感情は、理性で出した考えとは真逆の物。


 相手は正式に話し合いがしたいと申し出ている。

 だがそもそも、話し合いをするどころか一方的に蹂躙じゅうりんを図ったのは向こうからだ。


 いまさら話し合いだなんて、と心は叫ぶがこれも違うと首を振る。

 うるさい黙れとペルセさんの言葉を蹴ってしまえば、それは彼女らと何も変わらない。


 今はただ、憎悪を飲み込んで話し合いに応じる。

 それが正しい事なんだって、自分に言い聞かせた。


「チッ。ああ、そうだよ。……ったく。何で好き勝手やった奴の話を聞かなきゃいけないんだ」

「裁判と同じだ。事実とは別に相手の主張も聞かなきゃいけない。たとえそれが重罪人であってもな」


 ソフィアさんは、僕と同じ気持ちなんだろう。

 シンクさんがうまく彼女を抑えているけれど、それはペルセさん本人がこの場にいないからだ。


 表立って苛立いらだちを募らせるソフィアさんとは違い、ローエンさんは会話には参加しているものの、その視線は別の所へ向けられていた。


「ローエンさん。何か見えるんですか?」

「ん? ああ、いや。この森の明るさはいったい何かと気になってな。私見だが、低い位置に生えている草花によるものかなと。如何かなフィライト殿」

「正解。ここのあるじの影響で、背の低い植物の葉は発光する性質を持ってるの。一つ一つの光は大したこと無いけど、集まればこんな感じ。――でも迷いやすいの変わりないから、こうやってアタシみたいな案内役がいるの」


 ローエンさんの指摘に、フィライトさんは頷く。

 言われて初めて植物の葉に注視すると、仄かに薄緑の光が灯されている。


 その心許ない光の中、半刻にも満たない時間を歩き続けた僕たちは、ついに木の葉とは違う明かりを目にした。

 閉塞感へいそくかんの強い風景から一変して見えてきたのは、自然との融和を果たした森人ジェイドたちの集落だった。

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