24.もう一つの翠緑

 空から降り注ぐ陽光をおおうほどの鬱蒼うっそうとした木々。

 どこを見回しても自然豊かな草木しかなく、その様はまさに深緑の海。


 樹海――そう呼ばれる樹木の世界の入り口付近まで、僕たち三人は訪れていた。

 ローエンさんにソフィアさん、そして僕も例に漏れず疲労の色を見せたまま。


「なんで全員ぶっ倒れてんだよ。ソフィア、どういう事か説明しろ」

「……乗り物酔いだよ。見りゃ分かんだろ」


 吐き気の伴う体調不良により、座り込んで風に当たる僕たちの前で疑問を投げかけるのは、先にこの場へ来ていたシンクさん。

 ソフィアさんは息も絶え絶えに答えるけれど、彼は更に問いを重ねた。


「見てたよ。陸路が得意な機鋼種トルマリンの車に乗ってたのを。そうじゃなくて、どうして予約していた奴で来なかったんだ」

「ったりめぇだろ! あんな馬鹿高い移動費払えるか!」


 半眼で呆れるシンクさんに、ソフィアさんは吐き気なんて知った事かと言わんばかりに、息を吹き返して彼に突っかかる。


 ――僕たちの身に起きた、事の一部始終はこうだ。


 ペルセさんとの交渉の為、指定の場所へ行かなければならない僕たちは、シンクさんの指示の下に運送組織ワタリドリの手を借りる事になった。

 元いたシーパルから今いる樹海まで、馬車でなら一週間以上。

 それを一日に短縮できるとして、シンクさんが予約していたものは、僕たちの想像からかけ離れた手段と料金となっていた。


「シンク殿。空路という魅力的な手段を用意していただいたのは嬉しいのですが、庶民にあの料金は少し……」

「僕、初めて見ました。あんな値段現実にあるんですね」


 指定されていたのはワタリドリの中でも最速最良の運送方法。

 精霊エメラルドの加護を受けた職員が風の力を使い、荷物共々空の旅を提供してくれるものだった。


 大空の絶景、安全性と速度を極めた風の定型魔法スキル、経験豊富な職員による道中の語り。

 持ち込める荷物も一軒家程の量までと多く、予定外の寄り道も多少ならば融通が利く。


 そんな貴族が愛用する特級の移動手段に、僕たちは引け目を感じてしまい、別の方法を選んでしまったのだ。


 それが一般料金と然程さほど変わらず、かつ移動速度が変わらない最速最悪な運送。

 最低限の荷物と人を車に乗せ、奇天烈な速度を以って車を牽引けんいんする人馬の機鋼種トルマリン

 彼の運送方法がなぜ料金が安いのかは、今の僕たちが身を持って体験している。


「経費で落ちるから気にしなくて良いって言っただろ」

「払えるかどうかの話じゃねえ! つぅかオマエ、先に一人で行くんじゃねえよ。空路ならオマエにアタシら乗れば良いじゃねえか!」

「非常時じゃないのに、おいそれと竜の姿に成れるか。そもそもこの中で乗って大丈夫そうなのは、ローエンさんぐらいだろ」


 ちなみにシンクさんは、僕たちみたいに運び屋を介するよりも自分の足の方が早いとして、一足先に樹海へと着いていた。

 ソフィアさんの言う龍族ルビー本来の姿になった彼の背に乗れば、楽だったのではと僕も同意しかけたが、きっとローエンさんでも無理だ。


 理由はスクリュードと戦った時に使っていた、雷光の定型魔法スキル

 容易く音を超えた速度を出す能力がシンクさんの強みの一つであり、樹海まで一日足らずで来れたのも能力が関わっている筈だ。


「あぁーもう。予定と変わらず来れたんだから良いじゃねえか」

「疲労の度合いが違うだろ。商家の娘として金額を気にするのは良いことだけど……」


 負担は受け持つから、少しでも良い思いをさせようという考えと。

 どんな事情があれど、少しでも無駄な費用を抑えようとする考え。


 主張をぶつけ合う二人の関係は、相反する対立とは決して言えないだろう。


「――っと、この話はいいや。三人とも、そのまま休んでいて良いですよ。森の案内人が来るまでまだ時間がありますから」

「そうか。なら心置きなく休ませてもらう」

「まだ時間はある、か。んじゃ、今のうちにコイツを紹介しとくか」

「紹介って……。僕たち以外誰もいないですよ、ソフィアさん」


 他の誰かがいると都合が悪いのか。

 そんな言い回しをしたのにも関わらず、ソフィアさんは右腕を挙げてある物を僕たちに見せつける。


 それはいつも彼女が付けている、赤い金属製の腕輪。

 ソフィアさんが力を使うたびに腕輪が呼応するのは知っているし、相棒的な道具という事なら納得もいく。


 だけど次の言葉は、ミイロさんの性別を知った時と近い衝撃が走る事実だった。


「コイツの名前はザイカ。こんな腕輪なりだがれっきとした機鋼種トルマリンだ。……ってか自分で喋れよ、ザイカ。めんどくせえ事させんな」

「この方がサキ様が仰っていた決戦兵器。年齢だけで言えば、俺が赤ん坊になるぐらいだ」

「シンクさんが赤ん坊ですか……」


 本当は喋れるらしく、ソフィアさんがどうにか本人の口を割らせようとしているが、努力虚しく彼女以外がザイカさんの声を聞くことは無かった。

 そんなソフィアさんは、年齢の話題で思い出したかのように声を上げる。


「歳といやぁ、シンク。オマエなんでアタシ以外には敬語なんだよ。オマエからしたら全員年下だろ」

人間アゲート獣人マラカイトに年齢換算したら、俺は君と同じぐらいなんだよ。そもそもコウさんとローエンさんとは、まだ会ってから日が浅いんだぞ」

「関係ねえ。つかここまで来てそれ言うか? もういつも通りに話しやがれ」


 シンクさんの目が泳ぐ。

 それはソフィアさんに迫られた事による、女性恐怖症の症状の一つではく、明確に僕とローエンさんに向けられていた。


 助けを求めている。

 ではなくてそれでも良いのかと、了承を求めたものだった。


「僕は全然構いません」

「私も同じく。まあソフィア殿と話している時のシンク殿は、何やら楽しげだなとは、常々思っていた」

「あーじゃあ。……こんな感じになるが、よろしく頼む。コウ、ローエンさん」


 照れ笑いをしながら、砕けた物言いになるシンクさん。

 そんな彼を見て、僕の心がずきりと痛む。


 僕もあんな風に笑えて言えたのかな。

 ネフィーさんに指摘されて、昔のことに拘らず、嘘でも虚勢でもなく。


 ――ネフィー﹅﹅﹅﹅って。


「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ。うん、連絡通り全員いるわね」


 樹海の中から聞こえてきた少女の声に、全員が弾かれるように反応する。

 僕たちの人数を数える影は次第に日の当たる部分へ進み、その全容を現した。


 外衣はローエンさんの着物に似た雰囲気がある、白地に若葉色の差し色とリボンがある物で、大きな口を開いたフードは見事に顔を隠している。

 その下は僕やソフィアさんと変わらない、一般的なスカート姿の服装。


 全体的に雪化粧された針葉樹な色合いで、フードの奥から見える瞳は翠緑すいりょくに輝いている。


 彼女の見た目で一番に目を引くのは、右肩にかけられている武器。

 ソフィアさんの使う銃が未来的というなら、こちらは古式な木造りの小銃ライフル


「思ったより早く来ましたね」

「なに、悪い?」

「いえ。ただ今この通りなので、出発はもう少し待ってください」


 へばっている僕たちを指してシンクさんが苦笑すると、現れた少女は仕方ないなと言わんばかりに嘆息する。


 両腕を組んで、棘を感じる言動だけど、しっかりと行動の裏に優しさを感じる。

 そんな彼女の細かい仕草が、声が――


 僕の目には大切な人と重なって映った。


「――……ネフィーさん?」


 ぽつりと漏れた声に少女が反応する。

 ネフィーさんと同じ翠緑すいりょくの瞳が、驚愕きょうがくに染まる僕をゆっくりと捉えた。

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