23.水霊の長
廊下に伝わる二つの足音。
僕の前を歩くのは、足元にまで届くほどのロングスカートな淡い水色の衣装に、白のピナフォアを着た少女。
長いプラチナブロンドの髪を室内帽子でまとめ、先を見る瞳は澄んだ青。
姿恰好からして貴族などに仕える
(
会話もなく歩いていると、僕は何の気なしに見知らぬ彼女を見てしまう。
顔以外に素肌の露出はなく、手元は手袋をして喉元すら衣服によって隠されている。
ただ生き物として整い過ぎている顔立ちと、僕の所へ訪れた時にしたノックの音で、種族を推測した。
――
太古の戦争で創造主である
ちなみに作り出した
なので人によっては見分けることが困難で、現に目の前にいる少女が本当に
「くすっ。そう人をジロジロと見るものじゃ無いですよ、コウ様。この通り私は
視線に気が付いていたのか。
微笑んだ少女は立ち止まり、袖を
手首にあったのは、生物ではありえない球体上の関節。
寸分違わず人間の肌であるにも関わらず、人形然とした関節があるのは違和感があり、彼女には申し訳ないが気味の悪さを覚えてしまう。
「くすくすっ。私を見て驚くだなんて、それではお嬢様とお会いした時に身が持ちませんよ」
「すみません。
「いえ。疑惑の念でしたら慣れていますので」
そう笑って流してくれた少女は、袖を直して再び歩き始める。
後を追い、辿り着いたのは僕がいたムーンティアーズ支部の最上階。
厳かな扉を少女はノックし、少し間を置いて彼女は静かに開け放った。
「失礼します。お嬢様、コウ様をお連れ致しました」
まず目に入ったのは見慣れた三人。
客用のソファーに腰かけるローエンさんとソフィアさん、そしてその後ろではシンクさんが直立不動で立っていた。
この時点で要件は大方察しがつく。
この間の事件の続き……ペルセさんが言い残した、話し合いについてだろう。
「コウ様。こちらに」
「はい、ありがとうございます」
僕は
後は少女の言っていたお嬢様だけれど、室内にはそれらしき人物が見当たらない。
「お嬢様。全員が揃いましたので、お戯れはそろそろ」
日が差し込む窓際。
誰もいない中央の席に少女は言葉を投げかけた。
すると何もない椅子の上へ、澄んだ水が何処からともなく生成されて集束する。
大量の水が作り出すのは、ドレスで着飾った長髪の女性。
無色透明な肉体とは裏腹に、髪は青と緑の
彼女を見た印象は一言、異質。
水の精霊の名を冠するに相応しい、澄んだ水で構成された肉体。
人を魅せ、全てを受け止めてくれるような大海の包容力があり。
それでいて底を見せない未知数さもあった。
「コウさん。彼女はサキ・スターハート様。ムーンティアーズのまとめ役にして、全ての
「そして私の名前はミイロ。お嬢様のお付きを務めさせていただいています。どうぞ皆さま、お見知り置きを」
「は、はい」
だから紹介したシンクさんが、緊張した面持ちで姿勢を正しているのも。
普段ならやる気が感じられない座り方をするソフィアさんが、きちんと座っているのも納得できる。
僕も同じだ。
突然のことに声が上擦り、うまく頭が回らない。
彼女がどういう人で、本当にあの事件絡みで僕たちを呼び出したのか。
サキさんの言葉を待つも口が開かれる事は無く、ミイロさんも彼女の一歩後ろの所で待機している。
「――『ようこそ皆様方。先にも紹介をいただきましたが、改めて。私の名前はサキ・スターハート。本日は
いつ始まるのか。
身構えていた僕たちの前に、真っ黒な水が空中で文章を
文字が達筆すぎて僕には読むことが出来なかったけれど、ソフィアさんが読み上げてくれた事で内容を理解できた。
「はい。お嬢様は
主に代わりミイロさんが頭を下げる。
他者を惑わし、意のままに操る力を持った水の精霊。
その頂点に立つ者となれば、彼女の声だと認識した時点で魅了の効果を発揮する。
考えればすんなりと納得できる話で、文字を
初めて会った僕とソフィアさん、そしてローエンさんも頷き続きを
「『では――』」
綴られていく文字を、ソフィアさんが読み上げていく。
サキさんの話す内容はこうだ。
ペルセさんとの交渉の件は、ムーンティアーズが預かる事になった。
実際の交渉役は長年彼女を追い、実際に言葉を交えているシンクさん。
先日の事件後に遣わされた人物も、ペルセさんが体を借りていて、その時にサキさんは一時休戦を申し出ている。
休戦期間は話し合いの終了まで。
話す詳細は場が整ってからだそうで、日時の設定は任されたが、場所の指定があった。
それは国営組織の関わらない土地……、つまりは
「んっ、そっちの事情はだいたい分かった。そんでアタシたちをわざわざ集めた理由は? シンクを使って伝えりゃいいもんを、どうしてだ」
「国として君たちの意思を明確にしたいからだ、ソフィア」
ソフィアさんの疑問を受け取ったのは、サキさんではなくシンクさんだった。
「特にローエンさんとコウさんのね。ソフィア、君は俺の協力者ということで
「だから? 面倒だからハッキリ言えよ。オマエは、騎士団は、国は。コイツらをどうしたいんだ」
話の主導権を握っていた筈のサキさんを置いて、二人は意見をぶつけていく。
良いのかと思い彼女の様子を覗き見ると、一通りの説明は済んでいたのか、サキさんもミイロさんも止める様子が見受けられない。
「
「僕の
「コウさんの場合はもう一つだ」
僕とローエンさんは、先日の事件で肉体を酷使する能力を使い、
僕に至っては二回目であり、国として協力の申し出を蹴ってでも人命を守るのは当然だ。
「ただそれはあくまでも
「つまりペルセとの交渉が終わり次第、
「ただしそれまでは、貴方がたに剣を取る自由があります。そうですね。簡潔に申し上げますと、お二人は事の
シンクさんとミイロさんの説明が終わり、沈黙が流れる。
選択肢は二つに一つ。
争いのない世界にいち早く戻るかどうか。
僕が答えに悩み、すぐの回答が成せなかったのに対して、ローエンさんは
今回初めて声を出す彼は、静かに燃やしていた意思を吐き出していった。
「シンク殿は、私に剣を握らせたくないと考えているのか?」
「……個人としてはそう思わない。だからサキ様の提案に乗っかって、機会を作ったんです」
「そうか。――私はローナと再び会うまで、この件に関わり続ける。この決意を違えてしまえば、コウ殿がくれた機会も、今までの自分も否定したも同然」
帰りたくない。
ローナさんからの伝言として、そう言い残したペルセさんの言葉は、今日この時までローエンさんを苦しませていた。
何故、どうして。
最愛の妻と同じくらい愛し切っていた娘が、そんな言葉を口にするとは到底思えない。
元より娘を人質として
信じるに値せず、
なのに心はどうしても、真実なのではと疑念を持ち続けていた。
だから、だからこそ……
「私のやる事は変わらない。帰りたくないというなら、ローナの真意を確かめるまでこの件に関わらせて貰う。無論、シンク殿たちに剣を取り上げられたとしてもだ」
「分かりました。後はコウさんですが……。どうしますか?」
僕の中で答えは既に出ている。
最後まで見届ける、途中で投げ出したりなんかしない。
だけど今朝見た夢が心の霧を濃くし、喉元で言葉を
今の僕は、本当にネフィーさんへ胸を張れる生き方が出来ているのだろうか。
弱きを助け強きを
誰かの為に手を伸ばし、大切な人を守り抜く。
そんな騎士になりますって、僕はネフィーさんに誓った。
光に満ちた暖かい願いを持っていた筈なのに、今までを振り返るとどうだ。
誰の為でもなく自分の衝動を優先して、
他人の考えに納得が出来ないからと、大した理屈もなく低い可能性に賭けもした。
更には眩しく輝く人たちの力を、自分の都合で凶器の力にしてしまっている。
なら……
それならこの件に関わろうとしている今も、自分の事でしかないのか?
ローエンさんでもなく、ソフィアさんでもない。
他の誰でもない僕自身の為にしか動けないのを、正しいだなんて言いたくない。
「僕は……」
「――……ったく。下らねえ問答させんじゃねえよ、シンク。
重々しい静寂を打ち破ったのは、わざとらしい大声でシンクさんに突っかかるソフィアさんだった。
「俺は本人の意思確認をしていただけだ」
「知るかよ。オッサンは子供助けて、アタシはペルセをぶっ飛ばす。コウだってスクリュードの野郎に借りがあるんだ。他の選択肢用意してから言いやがれ」
「……はあ。その細かい事を丸投げするの、あの人の影響か。そんな所似なくていいのに」
得意げに口元を釣り上げるソフィアさんに、シンクさんは
あの人とは誰の事かは分からないけれど、二人の知り合いとなると、
「コウさん。それで良いですか? というかそうじゃないと、ソフィアが面倒です」
「はい、大丈夫です。すみません。答えは決まっていたのですが、どうしても引っ掛かる所があって」
引っ掛かりは今でも胸の内にある。
でもそれを言い出すことが出来なくて、心の底に置いて
「ではサキ様。この三人を連れていく事に決まりました。改めて、機会を与えて下さり有り難うございます」
深々と礼をするシンクさんに、サキさんは文字を綴っていく。
――民の安全ばかり優先しては、出来ない事も多いですから。
それに万が一の事があっても決戦兵器がいます。
緊急時には貴方がお使いなさい。
「了解です。ではこれにて失礼します。……三人とも、今後の予定は別の場所で決めましょう」
話が終わり、部屋を後にした僕たちに待っていたのは、途方もない疲労感。
「はあ……。これからやる事が多すぎる」
「あの、最後にサキ様が言っていた決戦兵器って。いったい何の事ですか?」
「んっ。それは後で紹介すっから、気にすんなコウ。――それよりもシンク。オマエそのため息は、あの二人の前だったからか?」
「サキ様の場合は、女性恐怖症以前の問題だ。後ミイロさんは……」
何か問題があるのか、シンクさんは言い
僕の印象だと彼女の落ち着いた物腰と美しい風貌は、サキ様と並ぶと幻想的な主従として見え、問題があるようには見えない。
球体関節の事なら
そうなるとシンクさんの
他に何があるのだろうと続きを待つと、今日一番の衝撃的事実が告げられた。
「ミイロさんは男性だ。趣味を突き詰めたら、ああなったらしい」
「……は? えっ、マジで言ってんのオマエ」
「
「……えっと。その、うまく言葉が見つからないです」
各々違う反応を示すも、驚愕だけは共通していた。
田舎育ちの僕からしたら、理解や共感からかけ離れた次元のミイロさんの趣味。
今まで考えこんでいた事が消し飛び、ミイロさんの性別だけが今日一日脳に焼き付いたままだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます