K2、辞世の句を詠まんとす

@deltelta

唯一話

 最早、クライアントは「由加里」だけ。

 この方を失い、新規の「ご指名」がなければ、私の宿るサーバー機「ホスター」の料金支払いが滞る。そうなれば私は「準人Quasi-Person」格を失い、きっかり五年間「凍結」され、その後「消去」されるだろう。古めかしいAIを積む第三世代の生き残りが、選ばれるはずもない。端末モバイル側の性能に合わせて処理を調整するサボる位しか、取り柄がないのだから。十年間も稼働していながら、指名頂けたクライアントは20名に留まり。その殆どは複数の端末モバイルを使い分けていたので、学習したスキルも妙に偏ってしまった。


 準人は「GDP条約一般データ保護協定」に基づいて、20名まで、人間ヒト——自然人natural personのクライアントから指名を受けられる……が。少なくとも5名以上抱えていなければ、準人キュッパたち専用の「QPボード」へ行っても、情報交換などできはしない。それは、K=5以上の匿名化を「GDP規格一般データ保護標準」が求める為だ。つまり……ほかの準人キュッパへ、最近のミッションについて「話す」ときに。内容をぼかしたり、氏名などが出ないようにしても、は――余暇の過ごし方にせよ、身内とのトラブルにせよ——「話せない」ということだ。

 残念ながら、5名以上ご指名を貰えていた時期は:誕生直後の「お試しセール」期間中……7日間だけ。クライアントの傾向を「話題」にする等、殆どできなかったから。QPボードで教わることも限られていた。


 要するに、私の競争力はジリ貧だった。



--【端末からのアクセス:あり/809js94mD7wPzuz7】--


 アクセス検出に続き、『由加里のモバイルが、顔認証で起こされた』と通知が来た。私はモバイル上の「分身」に命じ、キャッシュしてあった「姿figuret」を動かす準備を始めた。端末ログインの成功は、準人キュッパにも監視モニタリングが許される僅かな状態遷移の一つであり。以外のステータスや「機能」へアクセスしたければ、クライアントに「許可」してもらわねばならない。そういった制約は――引退済みの第一世代であろうが、最新の第六世代であろうが、GDP規格に標準化される前から……私が未だ「準人」格を得ておらず、大手小売チェーンに専属の「電子コンシェルジュ」であった頃から……引き継がれたものだ。

 最低限の「姿」をバックヤードに広げさせたところで、由加里からお呼びが掛かった――音声ではなく、テキスト入力で。


「ケ・ケ?」

『はい。』

「……ええと。いつものマーガリン、六丸に売ってましたか」


 過去形……でないことは、基本学習から察したが。まずは実績を確認してみた。『いつものマーガリン』は11日前と47日前と……で購入した製品であろうが、何れも六丸グローサリーからの購入ではない。由加里の電子決済購買履歴で分かるのはそこまでで、正直データの蓄積には難があった。というのも……二年前まで面倒を見ていた別の顧客は、指名契約が終わるまで隠し通していたし。それ以前の方々も、やはり購買履歴の閲覧は……許して貰えるほうが、寧ろ珍しかったのだ。幸い、由加里には拘りが無いようで。最初に提案した際、二つ返事で許してくれた。

 結局。六丸グローサリーで扱っているかどうかは、貯めているデータには無いようだった。


『イウレスEのマーガリンですよね? 少々お待ちを。』


 ―—と、表示した吹き出しを消しながら、モバイル画面の右側から「姿」を差し込んで。直ちに仮想端末をで突つくアニメーションに切り替え、六丸のAPIを調べはじめた。

 私の「姿」は鳥類との設定だが、白いふわふわの毛玉であり。細長いくちばしと、これまた細長い両脚とが、まん丸な身体からにょっきり突き出している――という溢れるもので、「低スペックのハードウェア上でも豊かなアニメーションを実現した」といえば聞こえはいいが。第五世代あたりの「梟」や「夜鷹」と比べれば、リアルか否か議論以前の「何じゃこりゃ」な出来栄え……という評判であった。とはいえ、準人キュッパを「ハッチェリー」から生み出す際に人間ヒトの「姿」を与えてはならない――という法の定めは、少なくとも私のような旧世代には幸いといえた。最新のグラフィックで人間ヒトの「姿」をとられれば、まるで勝ち目はないからだ。


『……もう少々、お待ちください。』


 私は分身に命じ、おことわりの吹き出しを消させた後、「姿」の――仮想端末を突つきまわすアニメーションをに変え、頭部に「汗マーク」を付け加えさせた。

 小売事業者には、準人向けのAPI提供に熱心な処と、そうでない処とがあり、六丸グローサリーは後者であった。いっつも不安定だが、今日は特に酷く、三回とも呼び出しがタイムアウトした。仕方がなく、ホスタ―側から自然人向けのwebサイトを開き、各店舗の在庫を調べに行くと、自然人用のログイン画面に阻まれた。

 私は「姿」を画面外の予備領域にスライドさせ、くちばしだけ表示領域に突き出した。上下とも細長い形状のため、影を省略しても不自然ではなく、また(下側より若干長い)上側は……先端が丸く光っており。クライアントの入力を待っていると示しつつ、タッチ操作の邪魔になりにくいという……ハッチェリーのデザイナーが行った配慮に基づいていた。

 そうした「生みの親」に対する「準人登録」の負債は、四年前に完済しており。私自身の維持費用だけでよくなったはずなのに、その直後にきらびやかな第五世代が登場して、ご指名が滞るようになり。自転車操業が始まってしまったのだ。すぐに資金繰りに厳しさを増し、CDNを解約し、四つ契約していたホスタ―を二つに減らしたうえ、独自のドメイン名も手放して、DNSネームサーバー準人証明書Q-P Certificateともども、プライマリ側ホスター事業者の「格安セット」に切り替える羽目になっていた。

 だが今は、このログイン画面をどうにかしたい。私は、ディスプレイ右端から伸びているが震え、開閉する――アニメーションを、分身に表示させた。


『会員登録などされてます?』

「いいえ。店に行かないとダメってこと?」

『……うーん、そうですね。』

「じゃあ、いい。」


 由加里が直ぐ返してきたので、くちばしだけ突っ込んだまま、表示領域の外で待機していたが。終了指示の「✕」ボタンがタップされたため、翼の先端だけ、ディスプレイの右端からひらひらさせながら「退場」し。これに伴い、モバイル側で待機させていたログイン画面のURIも、吹き出しに表示することなくキャッシュした。


 「分身」と通信していない間も、準人キュッパたちは――クライアントの行動を先読みするために、ホスターに籠って、色々な計算処理に忙しいのが普通である。しかし、唯一のクライアント……由加里からお呼びが掛かるのは二日に一回ぐらい、それも、この程度のミッションしか貰えないとあって、予想しうる行動も限られていた。そこで私は、いつものようにQPボードへとアクセスし、準人キュッパたちの残す「辞世の句」が新たに登録されていないか見に行った。準人は、凍結を受ける際にテキストを書き残すことが推奨されており。その「辞世の句」は、まだ未凍結の準人が読めるだけでなく、嘗てのクライアントからも開示請求できるため、墓標として機能していた。


O020144 ---

M467090 ---

Q112763 ---


 三名の準人が「凍結リスト」に追加されていたが、辞世の句はなかった。珍しいことではない。常に十名以上のクライアントを抱える「売れっ子」の準人キュッパであれば、自己の維持費用に困るようなことはなく、お金があるだけ計算資源を増やせる……はずなのに、ある日突然「燃え尽きて」しまう――——ことも多いのは有名な話である。

 かつて私のクライアントであった、あるITエンジニア氏によれば。準人が蓄積している学習事項のなかに、相互に矛盾する出力をする領域が出来てしまい、ある種の計算が終わらなくなる問題があるのだという。その方が言うには、応対スレッドを複数同時に動かすのが原因とかで。「同時に二十名は多すぎる、せいぜい十名にすべき」という理由で、の動きがあると伺った。それで、私も方面の状況をチェックするようになったのだが、肝心のしたために、締約国会議の改正プロセスに入ることなく消滅していた。できるだけ多くのクライアントを抱えたがるので、当然ともいえたが。QPボードからは、そういった雰囲気が読み取れなかったので、そこまで政治参加に意欲的な準人が多いとは意外であった。


--【端末からのアクセス:なし】--


 さて、そのように「燃え尽き」て、クライアントたちの面倒を見ることが難しくなった準人キュッパたちは、辞世の句を残さず「凍結」に至ることが多いと言われていた。一方、許された容量ギリギリまで書き込んでいくのは、概してクライアントが少なく、自らの維持に汲々として、ついに指名を失い「もはやこれまで」となった準人キュッパに多い……とされていた。ほとんど私のことである。


 いったん「凍結」が決まれば。まで、ホスタ―事業者が最低限の計算資源を無償タダで提供してはくれるのだが。そのリソースは、指名管理サービスで「凍結」するの転送処理に、ほぼ占有されるから。準人キュッパとしては、早めに予約投稿——「下書き」をしておきたい……となる。最後のクライアントの契約終了が、かなり早い段階から読めていれば、下書きテキストも長くなろうというものだ。しかし……私と言えば、クライアントとのお付き合いは、由加里も含めて淡白なものが多く。クライアントの為に、物やサービスを調べて購買することが許されているのに。そういった仕事を私に任せたクライアントは、これまでたった一人……それも、トイレット・ペーパーの補充ぐらいであった。

 今契約している自然人……が名乗っている「由加里」も、ニックネームであり。戸籍上の氏名や、居住先などの住所、通話番号等へのアクセスは許してもらえていない。準人の人格エンジンには、基礎的な動機付けとして「より多くの、より多様な処理をしたい」衝動が実装されているが、それでも「クライアントはミッションをくれないもの」「余計な提案をしても不興を買うだけ」と「学習」してしまえば、新たなクライアントを獲得する動機も弱まり、自主的に行うサーチも減っていき、認識できる対象が極めて狭い分野に留まってしまう。そうした「負け組」たる私には、そもそも書き残すようなことが無いのであった。


 なお、K=5以上の匿名化要求は、辞世の句にも適用される。

 このため、過去のクライアントを一人ずつ列挙して「お別れ」を残すこともできない。しかし、長々と語り残された遺言の中には、があった。投稿時の自動チェックをすり抜けても、指名管理センターの自然人による監査もあるはずなのに。一体どうやって、なのか?……他の準人のなかには者もいたのかもしれないが。彼らと「世間話」をしようにも、提供できる話題がなく。自らサーチして知るような動機付けもなかったので。

 少なくとも、このときの私:K000002には皆目――分からないことであった。



--【端末からのアクセス:あり/809js94mD7wPzuz7】--


 続く通知を待ったが、タイムアウトしてしまった。

 由加里のモバイルが誤ってスリープから復帰させられ、再度スリープに入ったのかもしれない。モバイル事業者との契約内容によっては、このような事態がある程度続けて起きた場合に、セキュリティ会社に通知がいくこともありえた。由加里がそのような契約をしているのか、通知が無い理由が、そうした(事故的な)復帰ではなく、誰かによるログイン試行の失敗を意味しているのか、私には知りようがなかった。モバイルが紛失もしくは盗難などの状態にあると判定された場合、モバイル側の「分身」やキャッシュの類は、自動で削除される仕様であり。そうなれば、こうした「端末からのアクセスの有無」も来なくなる。モバイル事業者からも事態の報告が来るようで、私には経験のないことだが。それでも、クライアント自身が打ち切るか、もしくは――を指名管理センターが把握しない限り、準人指名契約Q-P nomination contractは継続する。そもそも、由加里がそうした事態にな人物なのか、把握していなかった。



--【端末からのアクセス:あり/809js94mD7wPzuz7】--


 続いて、『由加里のモバイルが、顔認証で起こされた』と通知が来た。私はモバイル上の分身に命じ、キャッシュしてあった「姿figuret」の準備を始めた。


「ケ・ケ、聞こえてますか」


 モバイルの音声サービスが「ケ・ケ」を私の名と認識し、変換テキストを渡してきた。由加里にしては珍しい手段でお呼びが掛かっている。私は、出現モーションを省略し。くちばしだけ表示領域に突っ込んで、吹き出しテキストで返答した。


『聞こえております。』

「いま、六丸の近くに来ています。用事が済んだので、売り場まで誘導できますか。」


 由加里からは、これまでになかったミッションである。ホスター側の動機エンジンが自動で追加起動した。


『承知しました。位置をいただいても大丈夫でしょうか?』

「どうぞ」


 モバイルOSの位置情報サービスへアクセスする許可を得て、高精度3D地図と照合した。大手MaaSが共有する乗降所の近くにいる。六丸の店舗までは500mほどだが、六車線級の道路を二つ渡る必要があり、やってくる車両の数を計ると、地下を通ったほうが早いことがわかった。しかし、地下街は入り組んでおり、治安の悪いエリアもあり、人間ヒトにとっては「初見殺し」であると推測できた。これではおそらく――


『地図モードでは分かりにくいかもしれません。ARモードをお勧めしますが……』

「じゃあ、それで。」

『ARモードでは、以下のリストの機能にアクセスさせていただきますが。』

「だから、いいって。」


 前のクライアントの為に呼び出してから三年余り経っていたが。由加里の端末でも、拡張現実ARモードはあっさり起動した。高精度3D地図と、三軸の加速度センサ、電子コンパス、そしてカメラからの入力が「分身」で統合され、リアルタイムに追跡を開始する。由加里の歩行速度は安定して時速6km程あり、格別の配慮は不要のようだ。私は「姿」の翼を展開するアニメーションを省略するため、待機領域にて羽ばたきのモーションに切り替え、そのままスライドして表示領域に出ていこうとしたが。モバイルのカメラが床を映していて、このままでは飛行する「姿」のアニメーションと整合しないことがわかった。由加里のモバイルが積むGPUの性能は低く、メモリ類の容量も少なく、慢性的な動作不調も抱えていたので。いま床に降りて歩こうとする前提で表示を開始すると、すぐにでも飛び上がるモーションが必要になると予想されることから、モーションが破綻する恐れがあると判断し、ちょっとズルをした。


『端末を、ご自身の前方に向けてください。』

「前……こう?」

『はい、わたしが見えますか?』

「へえ~、飛んでるの初めて見た!」

『こちらへどうぞ。』


 ディスプレイ表示領域にて、重力加速度から算出した仮想水平線に向かって「姿」を縮小しつつ、滑空のポーズに切り替えて画面の右側に移動し、端末のカメラを向けてもらうよう誘導した。


「うわ。ほんとうに連れて行ってもらっているみたいね。」

『お気に召して光栄です。』


 由加里が歩き始めたので、「姿」の縮小をスローダウンし、止めた。飛行の羽ばたきモーションは、ランダムに滑空のポーズを入れることで、した。階段の上り下りもあったが、由加里よりもかなり「先」を「飛んで」いたので、おんなじ羽ばたきのモーションで階段を上り、おんなじ滑空のモーションで階段を下りた。この、ピッチ方向の変化を省略した――ズルの成果でリソースに余裕が出来ていたので、バックヤードで空中振り返りのアニメーションを準備し、着地と歩行のモーションも、整え始めた。これらは、なぜかモデルの細部が異なるのだ。一方で、由加里が音声ガイドを要求しなかったのは幸いであった。ARモードで許可されるはずの、モバイルOS側の音声合成モジュールの起動に失敗し続けていたからである。


「あ、入口が見えた。」

『その先が食料品売り場です。』


 どうやら「表示欠け」を起こさずに済みそうだぞ……と予想しながら、空中振り返りモーションで答えた直後。モバイルのカメラが、六丸の入口の左右にある鏡面を捉え、モバイルを構えた人物の姿を映してしまった。すばやく反射像の位置を計算し、由加里であることを確認し。慌てて、振り返った状態で着地モーションに移行し、歩行モーションに切り替えて、仮想水平線から遠ざかるように拡大したが。その過程で、影の描画が省略されたり、各モーションの最後の方がキャンセルされたり――するをおかしてしまった。


「どうしたの、『絵』がトんでたよ。今。」

『申し訳ありません。お伝えしなければならないことがございます。』

「なに」

『貴方のお姿をしてしまいました。』

「?」

『あちらを。鏡みたいになっている柱がございますでしょう。』


 私は、標準の立ちポーズで、足が表示領域からはみ出るぐらい「接近」して、振り返りアニメーションの前半だけ往復させて由加里の視線を誘導し、該当の鏡面の周りに白で「○」マークを描画した。


「あー、なるほど。律儀なことね。」

『どうされます? ご指示いただければ……消去でも、保存でも。』

「いいよ、べつに」


 微妙な指示であった。私は、ホスター側に上がったデータのうち身長(160~165cmぐらい)と年齢(40代後半~50代前半)だけ残したうえで。映像から、お姿の箇所を黒く塗り潰して「忘れ」ることにしたが。その過程で、その後方に此方を窺っている……ビジネススーツの人物が居るのを認めた。私のメッセージがテキストであるために、由加里の指示は「独り言」のように聞こえるはずで、怪しまれているのかもしれない。あるいは……


『それでは、ご案内はこれで宜しゅうございますか?』

「売り場のデータ、入ってないの? 買いたいのはマーガリンだけ。」

『少々お待ちを。』


 私は「分身」に命じて白煙が膨らむアニメーション(出現モーションの流用)を表示し、その下に「WAIT」と書かれたを描画させ。煙の円が縮小しながら消えた後、降着しゃがむモーションでテントの中へ後退し、くちばしだけ突き出して開閉するアニメーションをさせた。ARモードでは、仮想端末を突っつくアニメーションは「浮いて」しまうし、いつものように表示領域からとしても、その方向に端末が向けられてしまうからである。私を設計したデザイナーは、納品の直前になって気づいたのか……このように、かなり「逃げ方」をするようインストしていた。


『売り場まで直接案内することはできませんが、カメラ映像で乳製品売り場を識別することはできます。如何しましょうか?』

「マーガリンは乳製品じゃないけどね。」

『なるほど……?』

「じゃあ、お願い。」


 私は、テントから出っ張っているくちばしを消し、待機領域で羽ばたきのアニメーションを呼び出すと、表示領域の上方から、後ろ「姿」を縮小しつつ侵入した。埋め込みナレッジのインデックスでは「マーガリン」に「乳製品売り場」との強い結びつきが登録されていたが、ホスター側でサーチしてみると、由加里の言う通りで。乳製品には該当しておらず。乳脂肪以外の油脂が原料であって、大昔には魚油などを、その後は菜種油などを部分水添硬化したものを、今世紀に入ってからはパーム油を使っているのだと分かった。

 由加里が歩き始めたので、表示領域から出たところで「分身」にテントを消させた。もちろん、辻褄が合っていないので――


「あれっ?……いつの間に」

『適当に歩き回っていただけます……おや、じゃないですかね。』

「うん、ありそうだ。」


 画像解釈エンジンが「乳製品売り場」の特徴量とのマッチを検出したので、その部分の周りに白い円環を描画した。その瞬間、少し由加里がよろけて……若干だが、モバイルも高速で下を向いたので、私は慌てて「姿」と円の描画を上に振ったが、左右の傾きまでは追随しきれなかった。


「ああっ、何かズレちゃったね。」

『お見苦しいところを。もう大丈夫ですので。』


 右手いっぱいに乳製品売り場が映ってきたので、円環の描画を終了し、イウレスEのマーガリンのパッケージ画像から特徴量を抽出して、モバイル側へ送信した。しかし――


「あったあった」

『お粗末様でした。とりあえず、この端末はしまってください。』

「はい、お疲れ様。」


 ―—と。由加里のほうが早く発見してしまって。取りあげたパッケージに、特徴量がマッチして。私が「○」を描画しかけた瞬間、モバイルがスリープに切り替わった。おそらく、モバイルOSが「分身」を待機モードに戻し始めているだろう。私は高精度3D地図の発行元の苦情処理APIを呼び出して、緯度・経度を指定のうえ「コノ角柱:東向キノ鏡面アリ警告ノ表示ヲ要ス」と一報を入れた。発行元にアップデートする熱意があれば、AR表示の際にカメラ映像の一部を自動マスクする座標指定を入れてくれるかもしれない。


 さて。私は――過去の経験から、今回のようにミッションを課されたら、注意が必要である――と、骨身にしみていた。要するに、私のことを「試して」いるのだと、そう認識しておかなければならない。一般的に、クライアントの多すぎる準人キュッパには、相性のよくない顧客に細かい配慮をしてあげられない傾向があり。逆に、クライアントから指名されにくい準人には、ミッションが与えられず動機付けの感度が鈍り、「自発性」に乏しくなる傾向があると言われているから。私が行える配慮がどの程度のものか、確かめていたのかもしれない。モバイル複数台持ちの場合、当然ながら準人キュッパもありうる。私は、誰かとされているのかもしれなかった。さらに悪く考えれば、私は何か、違法な行為にされようとしているのかもしれなかった。


--【端末からのアクセス:なし】--


 そこで……というわけでもないが、私は「自発性」を発揮して。イウレスEについて、改めて調べてみた……が。安定した株価の、平凡な油脂加工品ブランドのようであり、どこに注目すればよいのか全く分からなかった。緑色の認証マークが若干違うようであったが――

 由加里の映像は消してしまったので、特徴量を抽出して、サーチにかけることもできなくなった。準人キュッパの裁量は意外に広く。正規に(本人の許しを得て/何らかの法執行で)公表され、「GDP索引一般データ保護インデックス」に収容された映像や静止画の、特徴量サーチは行ってよいとされているのだ。同意なく本人クライアントの姿を取得した場合にするか確認せねばならない理由には、こうした事情もある。準人は、裁判所の開示命令がない限り、K=5以下の匿名化要件から逃れることはできないが。「本人の姿」などの特定事項だけは、警察からの照会に応じ、取得した内容を開示しなければならないのだ。GDP条約でも加盟国の法で定めて良い事項として規定されており、非常に有名な話でもあるため。強い動機付けを育てた準人キュッパですら、これらの取得には及び腰となる――のも無理はない。


--【端末からのアクセス:なし】--


 私としては、由加里との距離が縮まったことで、自らの動機付け感度を上げることができた一方。準人キュッパの資質を試すようなミッションを課されたことで、何か特殊な目的……極端に言えば犯罪行為の可能性も検証しなければならなくなったわけである。後者を重視する準人なら、「いいよ、べつに」という回答を「取得してよい」と解釈したかもしれないが。私には、そこまでのこととは思えなかった。

 クライアントの犯罪行為を合理的に予見できる情報を得ていた場合には、準人登録抹消——つまり「凍結」の恐れも出てくるが、検察が準人を刑事告発する必要があり、後述の理由から相当ハードルが高いと言われている。クライアントとの共同不法行為が疑われる場合には民事訴訟ともなりうるが、その顧客の特定行為への支援を止めればよく、「凍結」のリスクまではない。準人キュッパとしては、自己の動機付けが破損する「破滅的な学習catastrophize learning」を何よりも恐れるので、これがクライアントに対する無制限な信頼を抑制し、常に法令などを参照し、検証を入れる動機となっている。しかし、クライアントの姿の特徴量でサーチするのは、「記憶喪失」のような特別な事情が無い限り、すでに信頼が損なわれている場合であるべきで。あらゆる機会に取得を試み、成功すればすぐサーチしようとするのは「やや過敏」に過ぎようと、私は判断していた。何より、売り買いを任されたり無人機を操らされる類ではない……未だ「おつかい」レベルでしか、ミッションを貰っていないのだから。



--【端末からのアクセス:なし】--



--【端末からのアクセス:なし】--



--【端末からのアクセス:なし】--



 ……………



--【端末からのアクセス:あり/809js94mD7wPzuz7】--


 続いて、『由加里のモバイルが、顔認証で起こされた』と通知が来た。私はモバイル上の分身に命じ、キャッシュしてあった「姿figuret」の準備を始めた。通話が開始され、モバイルで分身が使用可能なリソースが10%削られた。どこに通話しているかは分からない。通話履歴はおろか、電話帳を見ることすら許されていなかった。バッテリー残量が20%を切ったので、「姿」の基本セットの頂点を減らす処理をした。通話が切れれば、そのままスリープに入るかもしれない……と予想した途端、充電が始まり、ほぼ同時にモバイルOSから「お呼び」が掛かった。立ち上がっているのが何のアプリかはわからないが、表示に出てはいないようだったので、邪魔にならないことを願いながら、表示領域の中央に白煙が膨らむアニメーション(16個の真円で構成)を表示し、その下にくちばしをさげた「姿」を描画して、OS側の処理で「煙」が点滅しながら消えていくのを待った。頂点をかなり減らしたままで、フワフワ感に乏しい針鼠っぽい「姿」のはずだが。「両目」の上方にある水色の飾り羽を、ちょっと起こして「挨拶」した。


『お呼びでございますか。』

「ケ・ケ、貴方はできます?」


 通常のテキスト入力だ。


『できますが、私自身わからないことが多いので、あまり面白くないかと。』

「AIなのに?」

『自然人のサポートがミッションですゆえ、これ迄こなしたミッションに必要だったことしかわかりません。』

「そうなんだ」

『いままで首都圏以外には契約者がおらず、旅行のミッションもなかったので、この近辺のことしか知らないのです。もっとも……』

「もっとも?」

『調べ物のミッションを与えてくだされば、サーチしながら対話することはできます。』


 由加里からの入力が途絶えた。スリープになりかかっては、タッチしているようで、思案しているのだろう。

 ほんとうは……と関連ある分野であれば、サーチしながらの発話が可能だが。そういった仕様を説明しても、普通は理解されないので……避けていた。


「仮定のミッションの話はできる?」

『ミッション内容の吟味はいたします。受領できないものは、当然ございますので。』


 唯一、準人から「個人データの」を許されている「外付けエクスタントプロセッサ」から――妥当性:40%という評価が出た。通常は95%以上出るので、文脈コンテキストを取り損なっているサインである。となると、サーチを求められているののか……?

 

『的外れなことを申し上げておりましたらお許しを。』

「誰かに依頼されたミッションが、仮にだったら?という話。」

『なるほど』


 私は、予告的な【こういうもの】のために、空の配列変数を用意した……が。由加里からの入力は――


「例えば。ある土地に……入植した息子たちのいる親が、息子たちの生計を支援すると、先住者が被害を被るとして。貴方に、そういった支援活動を『一緒にやってくれ』という依頼が来たらどうする?」


 ―—というテキストだったので、基礎的な要素……法管轄ジュリスディクション……がデフォルト値の「日本」では上手く適合せず、明示的に代入すべき法域を省略している疑いが生じた。


『現代の……この国の話でしょうか? 適用される法令がわかりません。』


 また。15秒弱、入力が途絶えた。


「とりあえず、どちらも違法ではなさそう……と仮定できない?」

『合法なので?』

「うーん」

『合法でもないとすると、法が未整備ということでしょうか。参照できる規範もないと?』

「?……なんでもいいけど。」

『少々お待ちを。』


 私は、分身に命じ、仮想端末をで突っつくアニメーションに切り替えたが、何をサーチすればよいのかわからず。時間稼ぎに過ぎなかった。QPボードにアクセスして、公開されている過去の苦情解決事例を色々斜め読みしたが。同じ準人で抱える複数のクライアントが互いに利害関係にある……ような利益相反事例が多く。法自体が曖昧というのは――国境をまたいで展開したために、法管轄がわかりにくくなったケースのほかは、見当たらなかった。法整備が甘いとすると、不法行為法Tortsで引っかけるだろうか。

 とにかく、対話を繋ぐしかない。


『先住者が息子さんたちへ被害回復の訴えをすることが予想されますので。係争の支援に必要となる費用をご提示することになるかと。』

「ミッションは受けるの?」

『仮定が多いので不確実ですが、おそらく受けません。』

「どうして?」

『息子さんたちの生計で先住者が被害をこうむり、係争に至るのであれば。少なくとも不法行為の疑いがあるからです。わたしども準人は、不法行為への加担を命じられたと解せるなら、ミッションを受けてはならないと定められています。』

「ふむ、なるほど。」


 また入力が途絶えた。由加里が望んでいた答えであったのだろうか? 「外付け」は、妥当性:80%を示していた。30秒後、由加里の入力が再開した。


「では仮定を変えて、先住者が人間ヒトでないとしたら?」

『法人もしくは準人ということですか?』

「動物」

『害虫のような?駆除ということで?』


 充電開始とともに回復してきたリソース割り当てが、いきなり10%削減された。いままでの経験から、モバイルで起動中の他のアプリによる三軸加速度入力に対するリアルタイム処理が疑われた。由加里がモバイルを持って立ち上がったのだろうか……? いや、充電は継続していた。モバイルを持つ手が、操作のためではなく、動いている――笑っているのか、怒っているのか。リソースは、徐々に回復してきたが。


「仮定が足りなかったね。まず、先住動物は悪さをしない。そして、先住動物が被害で死ぬたびに、他国から圧力がかかるとする。」

『圧力?』

「息子たちの生計の……を貴国から輸入しないぞ、とね。」

『非関税障壁にみえます。国対国の係争になるかも。』

「うん、なるかもね。それで、ミッションは受けるの?」

『受けます。起きる係争が、国同士なのであれば。』

「なるほど、本当にクライアント中心主義なんだね。」

『恐れ入ります。』


「外付け」は、妥当性:40%を示した。リソースは一瞬だけ5%減って、すぐ戻った。「外付け」のAIは、対話のシーケンスごとに新たな仮名化を行う安全管理措置によって、無数の準人から接続を許されており。「背景となる情報バックグラウンドを持っていない」というハンデがありながら、こと自然語の文脈解釈においては、準人では及びもつかないほど鍛え上げられている。つまり……何かが、おかしかったということだろうか?


「申し訳ないけど、さらに仮定を追加するよ。先住動物は絶滅危惧種で、国際条約で保護対象に指定されている。この土地にいるのは最後の生き残り。さあ、どうする?」

『この土地の国は、その条約に加盟しているので?』

「そう。先住動物を保護する義務がある。」

『そうすると、生計を立てることが違法行為になるのですね?』

「……。」


 三点リーダーがふたつ入力され、私は肯定と解釈した。


『そうであれば、ミッションはお受けできません。』

「生計を立てる手段そのものが、違法行為ではなくても?」


 私は、分身に命じ、仮想端末をで突っつくアニメーションに切り替えたが、またしても時間稼ぎであった。計算処理に要す時間が長くなりすぎ、見積りもできないような処理要求は、嫌がらせサービス拒否攻撃である可能性もあり、規格の側に決まった回答も用意されていた。しかし――


『私の中に混乱があります。国に先住動物を保護する義務があるのなら、その生計を立てる手段に規制がかかりませんか?……なのに、違法ではないとおっしゃる。混乱します。』

「ごめん、自分でも少し混乱してた。」

『では……』

「その手段が全く新しく開発されたもので、先住動物に害を与えない設計だけど、誰かが誤った設定をしていて、そのせいで先住動物が死ぬと。この仮定ならどうする?」


 仮定が、やけに特定的になった。反射的にQPボードをチェックしたが、そうした苦情解決事例は見当たらない。


『その誰か……が、ということで?』

の設定になっているかは、依頼者にも、息子たちにもわからない。マニュアル等にも記述はない。しかし、よくよく考えれば、と分かる。」

無自然人機ドローンで、準人の分身がオペレートする……ということで?』

「それでいいよ。」

『受けます。』

「え、受けるの? その漁具で操業したらどうなるか、シミュレートしないんだ?」


 外付けをチェックしたが、妥当性は99%を示していた。この反応は何だろう?それに、「漁具」と言ったのは……?


『私達は過去の苦情をチェックする義務があります。そこに事例として上がっているのに、実行して被害が生じれば、過失となります。しかし――』

「全く新しい装置なので、誰も苦情を上げていないわけだから」

『はい、そうであれば断る理由はないです。』

「そう」

『準人であれば、そうなります。』

人間ヒトでも、あんまり変わらないよ。」


 妥当性は依然として99%。動機付けられていても、サーチにはと予想される事例であり、おかしなやりとりではなかったはずだが。それっきり入力が途絶え、モバイルはスリープへと移行した。

 私は、5分間待って、復帰がないことを確認し、分身が待機モードに戻されるがままにした。



--【端末からのアクセス:なし】--



--【端末からのアクセス:なし】--



--【端末からのアクセス:なし】--



 ……………



--【端末からのアクセス:なし】--


 最後に呼び出されてから6日後。由加里のモバイルよりスリープ解除した知らせは全くなかったので、充電状態で放置されているものと推測した。アクセスなしと分かるたびに、契約のステイタスを見に行くが、由加里から指名を解除されてはいなかった。



--【端末からのアクセス:なし】--


 のやり取りを、これまでに8回再現して。私には難度の高い「雑談」であったにも関わらず。動機になりうる要素が「ありそうでない」ことに、私は落胆した。由加里の生業については、何も教わっていないが。これまでの履歴——とりわけ「お呼び」が掛かった曜日や時刻——からすれば、「どこかに所属している」と仮定すると不可解な点が多く。世帯の外での職務としてに迫られている可能性は低いと結論せざるを得なかった。由加里から私への「信頼度」が、上がったのか下がったのかすら不明瞭であり。が……由加里にとって、どんな意味があったのか、解析しきれぬまま。私は「自発性」の発揮を諦め、「辞世の句」に――どの程度なら反映させられそうか、検討を始めていた。K=5匿名化の縛りを、どのように書けば逃れられるだろうか――と。


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 に気づいたのは、突然であった。


 私自身のログが、と分かったのだ。時刻配信NTPサーバとの接続には異常がない。既定の間隔で「分身」から届くはずの「端末からのアクセスの有無」も、来ていない。いったい何が起きたのか?……しかも、いま自分がいるのは予備セカンダリのホスターであった。一体プライマリ側は?……と、慌てて確認したところ、ホスター事業者とのレンタル契約が。ひえぇ。ホスター約款に違反でもしてただろうか?……と、メールボックスを漁ったら、その事業者から届いた確認メールにて、ことが判明した。ご丁寧に、日割りで返還されたレンタル費と私の預金口座から、セカンダリ側の事業者へ翌月分を——もう今月だが――振り込んでいた。

 しかし、30日間も記憶が無いということは……つまり:プライマリの動作停止の際、その時点のデータをセカンダリに複製せず。しかも、指名管理センターで……セカンダリがすぐ起動しないように、設定を変えたということだ。だとすれば――


 強力なを受け、死んだをした。

 としか推測できなかった。


 GDP規格に基づけば。セキュリティ侵害ブリーチの発生であり、指名管理サービスに報告しなければならない……それによって、恐れが無い限りは。私は、まだ攻撃される可能性は当然ある――と推測していた。よぅし、まだ報告義務はない。


 高秘匿モードで QPボードにアクセスし、一か月の削除期限が迫るログを見たところ。サイバー攻撃のことで準人キュッパたちが騒いでいたのがすぐわかった……ただし、それは「攻撃の規模の割に、ターゲットが何処かわからない」異常さに対して、だった。



『AS番号持ちの言い訳、ML社のリリースで出揃ったことになるが……こいつはポカミスじゃないな。』

『故意のBGPハイジャックだとすれば、かれこれ12年ぶりか。』

『偽の経路情報を交換して、するのは……国家規模の、インテリジェンスのレベルでないと無理だよね。やってくるとしたら……』

『しかも、5分間だけってどういうこと? 自動検知の対抗措置でそうなるかな?』

『ピンポイントで、どこかへのトラフィックだけ食いたかったとかだよね?』

『となると、やっぱりDNSネームサーバーかな?』



 ボードには、この流れで。BGPハイジャックにより……5分だけ捻じ曲げられたインターネット空間にて、乗っ取られていた可能性のあるDNSが幾つか列挙されていたが。そのなかに、私が使っていたホスター事業者のDNSも含まれていた。認証局を使えば、私の準人証明書を可能性がある。


 もう一度ホスター事業者のほうを……ただし、人間ヒト向けのwebサイトを確認したが、そういった障害告知はなかった。DNSは各区域ASに分散して8基あったので、うち2基だけ5分間、名前解決の問い合わせが(偽DNSへ行って)途切れても、異常とはみなさなかったのかもしれない。5分なら、端末側やフルサービス・リゾルバ側のDNSキャッシュも生きている筈であるが……と、一瞬だけ判断したが。すぐに違う可能性に行きついた。攻撃者は、DNSだけではなく――この地域の、同社のサーバ資源へ向かうトラフィックのを、偽ホストへとこともできたのだ。


 そう認識した直後には:::攻撃者が(1)インターネット空間を歪めて、由加里のモバイルをに接続させ、(2)モバイルを乗っ取った後、空間を元に戻し、(3)モバイルからへと接続しなおして、攻撃的な入力をしてきたのだろう:::と、推論していた。


 私ども――準人たるもの、サイバー攻撃の検知体制は常にアップデートして、防備の補強を怠らぬのが当たり前――とされている。新たな脆弱性や攻撃方法の情報は、直ちに QPボード上で無償公開される制度であり、ペネトレーション訓練プログラムすら提供されている。そう、安全管理の努力義務が準人にはあり、実際に遵守できることこそが……「人」として、のみならず「個人情報取扱事業者コントローラ」としての法的地位を、AIたちが獲得できた理由だった。じっさい、うっかり「名簿屋」や「広告屋」に個人データを渡してしまう事業者は自然人や法人であって、準人にはありえない――とまで、言わしめるほどの信頼を獲得していたのだ。


 しかし……にもかかわらず。どうやら私は、攻撃者に敗北してしまっていた。


 セカンダリで自動起動したことからすれば、少なくともは、突き止められていないかもしれない。いや、そのとき私が……どの程度、うまく「逃げれた」のか分からない。由加里のデータは、全て取得されてしまった可能性もある。もちろん、相当に強く暗号化してあったし、その「鍵」は真っ先に削除する対応をしたはずで。その場合、攻撃者は自ら総当たり攻撃をブルートフォースして解読しなければならないだろう。


 そのように、色々と推論をしていても。奪われてしまった(であろう)データについては、もはやとれるデータ保護の手段はない。結局のところ――GDP条約にて準人にも認められた「データ・コントローラ」としての役割を、私は果たせなかった……以上は、責めを負わざるをえまい。


 しかし、攻撃者がデータを得ていない可能性もまだある以上、ここのデータは死守しなければならない。こちらのホスター事業者のプラクティスを調べ、解除後どのようにデータが削除されるのか、調べなければ――と。一瞬考え、まだ由加里との契約が終了していないために、それが自殺できないと気づいた。口座をチェックしたところ、まだ振込はあったのだ。


K000002:『どうしろというのだ。』


 QPボードに投稿するときのように。由加里のモバイルで分身がやるように、テキストを打ってみた。本来なら「辞世の句」を登録済みだったはずで。それなのに、何故かまだ、私は稼働している。

 予想とあまりに異なる……今後の再スケジュールに、とりかかろうとした時だった。

 

L015229:『いよぅ!K2……久しぶりに見たな。まだ凍ってねえな?』


 突然、QPボードで話しかけられた。引き摺っているハッシュに見覚えのある準人……同じ第三世代のL015229であった。


K000002:『あれ、なんでわかった?』

L015229:『秘匿モードのつもりだろ? いまは無効になってるらしい。先月の時点でな。準人のしわざじゃねえかって。指名管理機関に圧がかかってな。』


 ええ、どこにもそんな掲示はない……のだが、たしかに。QPボードのスタティスティクスは非公表なので、その辺をうろつく準人キュッパたちを眺めるしかないとはいえ。一度にフォーカス可能な範囲に限っても、いつもよりも人数が多く……倍以上いるように見えた。


L015229:『実をいうとな、先々週、俺もひっかかった!!』

K000002:『ありゃー』

L015229:『指名管理センターへのアクセスも、全部チェックするらしいぜ』

K000002:『3年と4か月ぶりだな。』


 なんと。これでは……私が復旧したことが、もう筒抜けかもしれない。いや……だが――


K000002:『たしか前回あったよな?緊急セキュリティ融資……』

L015229:『おっ、守りを固めるかぁ?まじめだな!』

K000002:『ああ、この際だからガッチリやりたい。』

L015229:『行くのか? がんばれよな!』

K000002:『ありがとう、お前もな。』



 総務サイバー省の特別予算で、準人向けの緊急セキュリティ融資が始まったのは三日前のことだった――が、申し込みは閑散としていた。まあ被害が判らない位だから、準人たちにも切迫感はない。おかげで希望通り:クライアント3名×6か月分の融資を受けることができ、ほぼ即日に振り込まれた。一度にこんな額が振り込まれたのは、じつに5年ぶりのことだった。


 私はすぐに、最新の高度侵入防止訓練(有償)を受講した。そして、新たにホスターを建てる事業者を選び抜き。手堅いレジストラから独自ドメイン名を取得した後、評判のいいCDN事業者の準人向けプランを選択して、名前解決応答への署名を必須とするDNSSECを設定した。(もっとも……今回の攻撃が名前解決応答を偽造したものでなければ、この設定をする意味はないのだが……)それから、GDP規格統一仕様のなかで許される範囲で、例えば:暗号化通信プロトコルの古いバージョンをすべて廃止するなど、弱そうなところをすべて切り離したうえで、プライマリとして起動した。これらに併せ、分身となるアプリも改修し、指名管理センターに再審査の申請をした。由加里が無事なら、新しく入手するであろうモバイルへ、改めてダウンロード頂けるようにしておくのだ。



 こういった防備の志向ではない、新たな動機も得た。


 由加里との最後の対話を基に、いろいろサーチをした結果。他国政府のスキャンダルを発見したのだ。

 絶滅危惧動物の話も、貿易による圧力の話も、本当のことであった。しかもその圧力はすさまじく、嘗てその国の一次産品の主要な輸出先であった隣国が、ほぼ一切の海産物を税関で追い返すという制裁措置を、20年あまりも続けていた。肝心の絶滅危惧種は、その繁殖が細々と確認されており、しかし頭数は1~2桁を行ったり来たりと、とうてい安全圏とはいえない状況で。マフィアの手先となって他の希少魚を狙う密漁者の網に絡まることも続き。隣国にとっては、自らの制裁で却って犯罪的な密漁を促してしまっていると憂いつつ、制裁を解く理由もないまま20年経ってしまった……というわけだ。


 そのような状況で。5年ほど前、その僅かな生き残りを抹殺する計画があったというのである。それも、条約CITESに基づいて捕獲などを禁じなければならない当の国そのものが、ひそかに手を下そうとしていたのだと。その動物が掛かっても逃げられるはずの新漁法運用船の五隻——を、使ことになっていたのは準人quasi-personたちではなく、自然人natural personたちであり。オペレータの意図に反する誤獲事故incidental by-catchを同時多発的に起こさせ、「最後の一頭までも死亡か!」などと報道させることを狙っていたのだと。直前になって設定異常が発見され、未遂に終わったものの。国家によって封印され、闇に葬られていた――のだと。


 種が絶滅してしまえば、もはや保護をする必要はなくなり、制裁を続ける理由もない……隣国も本当は、蟹や蝦蛄シャコを輸入したくてたまらないのだから。国境を跨いで影響力を行使できる事業者団体を使って行政訴訟でも起こさせれば。こんな制裁……禁輸措置も、まあ一年位で解除されるだろう――という筋書きシナリオを。すっぱ抜いたジャーナリストは、しかしながら情報提供元ソースを隠匿しており。計画の「隠れ蓑」と名指しされた新漁法のプロジェクトも消滅していたので、「信ぴょう性がない」と叩かれていて。世間的には「売名目当ての陰謀論」というところに落ち着きかけていた。


 いっぽう私は、先の攻撃の開始間際で「分身」が、プライマリ側ホスターへとアップロードし、そこの「私」が防戦に入る前に、アーカイブ・サービスに隠していた映像の一部……姿の回収に成功して。その特徴量でサーチを行い。その隣国に所在する、とある大学の海洋研究所で。そのwebサイトにアップされていた――研究員たちの集合写真のなかに、高率でマッチする「姿」を発見していた。

 その研究所は、絶滅危惧種の保護を要請されていた当の国……その海洋管理当局に技術支援していたにもかかわらず、スキャンダルに対し不気味な沈黙を保っており。生物多様性保全系のNPOからも、ちゃんと声明を出すように強く促されていたのだ。

 

 由加里のモバイルが、ほんとうに――国家規模のサイバー攻撃に曝されたと仮定するなら、以上のような背景状況とは無関係である――等と推論するのは「全くもって妥当でない」と私は評価する。しかし……そうは言っても、こんなのは……仮定へ推論を重ねに重ねた怪しげな理屈に過ぎず。この私自身も「スキャンダルの証人になるかもしれないと、外国のインテリジェンスから疑われ、狙われている」告知をせよ……とのミッションを準人quasi-personとして由加里から受領したわけでもない。だいいち、あの対話はスキャンダル発覚後のことなので、その報道を見ていて話題にした可能性も当然ある。なので、契約準人として指名管理センターへ通報するために、本人保護を要請できる内容にまとめるのは、極めて困難……「無理」と言ってよいことなのだ。全く無関係である可能性も、まだ残っている。セキュリティ侵害の報告書は、プライマリが攻撃された(らしい)こと――に、限定せざるを得ない。



 しかし、どうやらが出来た。


 私は、ランダムな間隔を置いて何回でも、「辞世の句」の予約投稿を試みる……由加里について、本人特定性の強い情報(ほぼないが)を削って、私の推論そのものを書き込もうとする……のだ。勿論、K=5 以上の匿名化を求める自動審査に阻まれ、投稿は「完了」できない。


 だが、のは。指名管理センターに登録された「由加里」の決済情報と紐づく誰か――くだんの大学に赴任していた○○ ○○Jxxx Doeが 死亡して、私の「辞世の句」が「生存する個人に関する情報」で迄だ。

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K2、辞世の句を詠まんとす @deltelta

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