図書館ではお静かに!

詩人

Be quiet please!!!

 夏が嫌いだという人間は一定数いると、勝手に思っている。人の感性なんて皆同じわけがなくて、それは季節の好き嫌いにも言えることだろう。かくいう俺は夏が嫌いなのだが、俺が夏を嫌う要因になっている事項を一様に「夏」と一括りにするのは多少強引だ。

 俺が嫌いなのは、自然発生した夏だけだ。一般に「夏の風物詩」などと揶揄されているのはあくまで人間が勝手に創り上げた文化である。俺はそれに関して嫌悪感を抱くわけではない。異常な暑さや湿気に苛立ちを覚えるだけなのだ。

 ただし、夏の暑さをしのぐためにどこか涼しい場所へ行くというのは良い。川や海、身近で言えば冷房のよく効いた部屋に入り浸ることもまた、一つの行楽だ。友人の家で氷菓アイスを食べながら談笑など、美しい青春だ。夏だが。

 俺の夏の暑さのしのぎ方は、冷房の効いた図書館に行くことだ。家から自転車で十五分のところにある県立図書館は、自習スペースもあって夏休みの今は学生も多く見られる。俺もそのうちの一人で、仲のいい友人とお昼ご飯を食べた後、決まってこの図書館で自習している。

「でさぁー……って、話聞いてる?」

「……え? あぁ、日高ってチンコ生えてそうだなって話?」

「違ぇわアホ。アイツに生えてても誰も得しねぇわ。それより三谷、さっきからどこ見てんだ?」

 自分でもボーっとしていたことには気付いていた。数Ⅱの標準問題精巧は開きっぱなしでシャーペンを持つ手は動いていない。おまけに親友の宇佐見の話は完全にスルーしてしまっていた。暑さのせいでボーっとしていたわけではない。ここは冷房でキンキンに冷えた図書館だ。たとえ暑さでやられていたとしても、クラスのブス女である日高にチンコが生えていたらなんて、俺なら考えない。

 俺が集中できていなかった理由は一つ。この図書館の司書さんに見惚れていたからだ。夏休み以前から、もうかれこれ十回は彼女を見に図書館に訪れている。図書館に来ている理由は単純明快、司書さんに会うためだ。

 俺が司書さんの名前を知らなければ、司書さんの方も俺の名前を知らない。だけど、とにかく可愛いのだ。俺は確実に、彼女に恋している。身長が高くてモデルみたいなお姉さんなのに、眼鏡を掛けているせいか知的に見える。エプロンに包まれた私服であろう服装は女子大生のように余裕のあるお洒落さだ。天使系お姉さん、とでも表現しよう。

「あの司書さん、超可愛くね」

「ん? ……あぁ、確かに可愛い。って言うより美しい系じゃね。え、まさか好きとか?」

 宇佐見は昔から変な勘が絶妙に鋭い。いつも好きな人が出来たら、言ってないのに勘付かれたりする。別に馬鹿にされるわけでも、横取りされるわけでもないから、心配はいらない。

 宇佐見ははぁっ、と溜息を大きく一つ吐いた。

「こないだは蕎麦屋のお姉さん、その前はセイラちゃん。お前ってもしかして目移りの申し子か? 悪いことは言わねぇからあの人はやめとけ。絶対彼氏いるよ」

「あれは俺のお姉ちゃんだからな。お前に譲るわけにはいかない」

「な、なんでお前がそんなこと決めるんだよ。てか急にシスコンぶっ込んでくんなよ気持ち悪い」

 宇佐見とは中学からの仲だが、お姉ちゃんがいるなんて知らなかった。何度も家に遊びに行ったことはあるが、姉がいるというそんな挙動は一切なかったように感じられる。大人なのだから一人暮らし……いや、まさか彼氏と同棲……!? それはないか、今の宇佐見の発言から考えてみれば。あぁ、もう。一体どうしたらいいんだよ!

「あの、図書館ではお静かにお願いしますね。……えっ、なんでいんのアンタ」

 息が止まるかと思った。俺の中での天使が目の前にいる。俺に軽く笑って注意したあと、彼女は宇佐見の方を見て顔をしかめた。

「勉強」

「そう。それで、その子は?」

「三谷だよ。よくうち来るんだ」

 やばい、やばすぎる。どうしてお前は、天使にそんな完璧に応対できるんだよ。俺は絶賛呆然としているところなんだぞ。しかも「図書館で騒ぐ学生」という印象を与えてしまっている……ということは俺、詰んでないか? せっかくの天使との邂逅が最悪の形で行われようとしている。

「でもな、やっぱり姉ちゃんは譲らねぇよ。こんな可愛い姉貴、お前みたいな変態にはやらねぇ」

「んだとこのシスコン野郎。俺だってちゃんとした人間だぞ」

「あのっ、図書館ではお静かに……」

 するとおもむろに宇佐見はリュックの中からナイフを取り出した。辺りにいた一般の客たちも騒然としてまるで乱痴気騒ぎのように館内が荒れる。

「図書館ではー! お静かにー!」

 司書さんはこんな状況でも図書館内の静寂を保とうとしている。彼女はどれほど仕事熱心なのか、それとも単に天然なのか。その場違いさがシリアスなこの状況とミスマッチしている。

「お姉さん、早く逃げて!」

 図書館の出口に一斉に向かう一般客の波に、俺は司書さんをやや強引に押して飲ませた。「お、お、落ちちゅいてっ! ゆっくり移動してくだひゃい!」と、全く説得力がない落ち着きのなさを見せる彼女に、不覚にも笑みが零れた。こんな場面で笑ってしまうなど、おかしいことだ。神様がいるとするならば、聞いて呆れることだろう。

「おい、どこ見てんだ! 俺はこっちだぞ!」

 よそ見をしていた俺を、律義に宇佐見が咎める。小学生の頃見ていたヒーロー番組じゃあるまいし、今この瞬間にも誰かが報告してくれて、警備室から大量の警備員が向かって来ていることだろう。下手にいいところを見せようとして死ぬのはごめんだ。異世界に転生して超絶可愛くて巨乳なお姉さんたちとヤリたい放題なら話は別だが。

「いい加減に話を聞けっ!」

 司書さんの怒れた声が聞こえたかと思うと、宇佐見の体が一瞬で爆散した。

 一瞬のこと。刹那でさえ逃してしまうほどのほんのまたたきだった。

 俺と、司書さんだけが館内に取り残されている。俺の体には宇佐見の血がべったりと付着している。生温かくて、わずかに粘性を持っていて、それで鉄の錆びた匂い。

「う、うそですよね……?」

 驚く暇もない。きっと俺は殺される。何かのファンタジーアニメのワンシーンに取り込まれたみたいな錯覚を起こす。こんなあり得ない、これは嘘だ。リアルじゃない。

「驚かせてしまってごめんね。自分の役割についさっき気付いたんだ」

 さっきまで呂律の回らない声で避難を促していた人と同じだとは到底思えなかった。この人は一転も二転もしている。よく考えてみれば、俺が惚れたのはこっちの司書さんだった。

「私は天使なんだ。悪魔を倒さないといけない。その子は十年間、人間のフリをしてきた悪魔だよ。多分ずっと私を狙ってたんだろうな……。君は確か……こいつの友達、だっけ?」

 即座に頷こうとしたが、それでは「悪魔の友達」という意味として捉えられてしまうかもしれない。

「人間としてのこいつの、親友です」

「そっか。じゃあ悪いことをした。お詫びにはならないかもしれないけど、大好きな一冊をあげる」

 天使は俺に微笑みかけ、一冊の本を手渡した。

 読んだことはないし、タイトルも作者も知らなかった。

「このことはどうかご内密に。君もこの図書館も綺麗に洗浄するから、どうかなかったことにしておくれ。なんと言うんだったかな……。あぁ、あれだ」

 彼女は、人差し指を唇に当ててウインクした。わざとやったのか、そうでないのかは知らない。

 一夏の思い出として消えた天使と悪魔。

 俺から奪い去った。

 俺はそんな夏が嫌いだ。

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