第五話 恋のライバル

「くふふっ♪」


 ―――春来はるきくんが、込み上げる喜びを抑えきれずに笑っている…っ!?


「…尊いな。」


 呟きは耳に入らず、天人あまとが内緒で購入しておいた科学館土産の包みを夢中で破る。

 ちょっとしたサプライズを素直に喜ぶ姿は、とても純粋で可愛らしく映るのに、中身は開けてみなければわからぬもの。

 天人あまとは行きの車内でのことを思い出し、軽い溜め息を吐いた。


 高校二、三年の間、春来はるきは校内の連中に性欲処理の相手をさせられていたと言う。悪質なイジメかと思えば、春来はるき自身が快感に溺れ進んでお口の恋人をこなしていた上に、割と最近も後輩のを咥えていたなんて事実まで判明。

 当然、天人あまとは激しい嫉妬を覚えたものの、同時にそれが春来はるき攻略における課題と方向性を見直すきっかけともなった。


 与えられるより求められる実感を春来はるきが欲するのなら、全力で応えてやるまでのこと。これまで抑えていた強引で加虐的な本性を開放し、早速反応を楽しむ気でいた天人あまとだったが……


 本日のデートは驚くほど健全に完遂された。


 それはそれは無邪気に、到底二十歳とは思えぬはしゃぎようで動き回られては、あまりの可愛らしさに邪気が削がれてしまう。

 それらしい雰囲気に持ち込むこともできなければ、寧ろその姿を見れなくなることの方が勿体無くて邪魔もできず…


 帰りの車内、そして帰宅してからも、口数多く始終上機嫌な春来はるきが、意図せず天人あまとを魅了する。


 ―――くっ……可愛過ぎて、色々とどうでも良くなってくるっ。


 土産を全てリビングのテーブルに広げ、再び声を漏らして笑う春来はるきにスマホのカメラを向けると、たまらず横顔を連写した。


「は?…なに撮ってんだよ。消せよ。」


「フフっ♪僕ね、欲しいものは欲しいって、ちゃんと行動で示すことに決めたんだ。ずは春来はるきくんの写真から。美人だから撮りがいがあるなぁ♪」


「はっ。ほんと物好きな奴。いっぺん眼科行ってこい。」


 事実、天人あまとフィルターを抜きにしても春来はるきの美貌は本物で、そんな容姿の青年が科学館では幼い子のようにはしゃぎ回るものだから、やたらと視線を集めていた。

 しかし本人はやはり無自覚。天人あまとのセリフを世辞とも受け取れず、不機嫌に背を向ける。


「まぁ、いっそ自覚してくれない方が楽しめる部分も多いけど。自衛は覚えて欲しいものだね。」


 春来はるきには、その言葉の意味がどうにも理解できない。楽しめるだとか言っているのも、自分をからかいオモチャにしているだけと捉えれば、無視して星座の本を開いた。


「さてと。僕は車を返しに行って来るよ。ついでに夕飯の買い物もするけど、なにか食べたいものはある?」


「別に。プリンあるし。」


「またそういう…。プリンは主食じゃありません。ご飯もちゃんと食べなきゃダメだって言ってるでしょう?」


 気持ちが不安定になると、すぐに甘味で紛らわそうとする春来はるきを宥めるのも、今となっては慣れたもの。

 頭を撫でれば、心地良さげに息を吐く。


「それとも、買い物は一緒に行く?実際に食材を見れば、食べたいものも思いつくんじゃないかな。どちらにせよ車は返さないといけないから、その後スーパーで待ち合わせってことでどうだろう?」


「あ…まとが、そうしたいなら。別にいいけど。」


 呼び方を変えたばかりで慣れず、『あんた』と呼びそうになっては途中で切り替え、ぎこちない。

 ただ、買い物に誘ったのは正解だったらしく、機嫌を直したのが見てわかる。


「じゃあ三十分後にスーパーね。途中で知らない人に声を掛けられても、相手にしないで逃げるんだよ?」


「ガキじゃねぇし!やっぱバカにしてんだろっ。…ムカつく。」


「バカになんてするわけないでしょ?心配してるだけ。じゃ、また後でね。戸締りも忘れないように。」


 天人あまとはヒラヒラと手を振り、一足先に家を出た。




「オムライス、ハンバーグ、カレー…。んー、食べたいものって言われても料理わかんねぇし。ラーメン…食いたい気するけど、作れたりすんのかな。いや、あれはカップ麺じゃなきゃ無理だろ。…無理、か?うー、わかんねぇ。」


 プラネタリウムを堪能してからの興奮がくすぶり、待ち合わせのスーパーへ向かい歩きながらも独り言が止まらない。

 スーパーまでは徒歩十五分の道のり。早めに家を出てゆっくりと中程まで歩いたところで、前を行く背中にぶつかった。


「わぷっ!す、すみません!」


 夕飯を考えるのに夢中で殆ど前を見ていなかった春来はるきは、相手を確認するより先に頭を下げ謝罪する。


「あぁ、いや。こちらこそ急に立ち止まってすまない。知った声が聞こえたものだから思わず…。これから買い物かい?」


 同じく聞き覚えのある声と口調に、前髪の隙間から覗けば見知った姿。

 銀縁眼鏡でスーツベストをスマートに着こなす高身長、高級そうな革靴を履き、片手には大きめの革鞄。いかにも仕事が出来る風貌のその男は、春来はるきの家のご近所さんで天人あまとの従兄弟、大比良おおひら 和真かずまだった。

 ぶつかってハネた前髪を指先で軽く払われ、肩を竦める。


「クスッ、髪が乱れていたから直しただけだよ。」


「…すみません、その…ちょっとびっくりして。大比良おおひら先生も買い物ですか?」


「あぁ。いつも食事を用意してくれているお手伝いさんが一週間ほど休みたいと言うのでね、暇を出したんだ。彼女の居ない間は外食で済まそうかとも思ったが、せっかくだし料理でもしてみようかと。一緒に歩いても構わないかい?」


 こくりと頷く春来はるきの隣、半歩離れて和真かずまも歩き出す。


 同じ場所に向かうのに断る理由が無く頷きはしたものの、そう親しくもない相手が横に居ては独り言を続けるわけにもいかない。

 居心地悪くしている様子に和真かずまは苦笑し、ザラメを纏った飴玉を一つ差し出した。


「へ?」


「どうぞ。甘いものは緊張を解してくれるよ♪」


「あ、ありがとぅ…ございます。」


 まさに緊張で甘味を欲していた春来はるきはすぐさま包みを開けて口に含み、舌で転がしながら横目に顔を見上げる。

 一瞬目が合えば、フフッと満足げに笑う和真かずま


「どういたしまして♪」


 窺うように覗かれ、春来はるきは慌てて俯いた。


「やっぱ、なんとなく似てますね。天人あまとに。」


 顔の作りは本当によく似ていて、声も口調さえ真似てしまえば天人あまとと間違うくらいには近い響きをしている。

 人と目が合うのを避けて過ごす春来はるきにとって、声が似ているというのは何ともややこしい話で、無意識に眉を寄せた。


「そうかい?まぁ確かに、昔から兄弟のようだと言われることは多かったかな。しかし、どうも私は彼に嫌われているようでね。まったく何が気に入らないのか…」


 ―――そういや、前に天人あまともそんなこと言ってたような…


 ふと、天人あまとと待ち合わせをしていたのだと思い出し、立ち止まる。

 いくら嫌う相手と言えど互いに大人だ、公衆の面前で喧嘩などはしないはず。が、顔を合わせて不快感を露わにする天人あまとの姿は容易に想像できてしまう。

 それを何故か不安に感じ、和真かずまを引き止めた。


「あの!俺。スーパーで天人あまとと待ち合わせしてて…」


「おや。最近よく近所で見掛けると思ったら、そうか。きみの所に……。それは、あまり良くないな。」


 微かに声のトーンが下がったように感じて、口元に視線を向け表情を窺う。

 天人あまとが一方的に嫌っているだけではないのか。先程までの柔らかな雰囲気から一変、言い知れぬ威圧感を放つ相手を前に春来はるきはたじろいだ。


 和真かずまは首を傾げつつ左手を顎に当て何かを考えるような仕草。そしてまた口角を上げると、一歩距離を詰める。


「厚かましいお願いなんだが、今日きみのお宅にお邪魔させてはもらえないだろうか?…いや、天人あまととは仲良くしたいと常々思ってはいるのだけど、なかなか話しを聞いてもらえなくてね。協力して欲しいんだ。」


 正直、面倒だから関わりたくない気持ちが半分、もう半分を邪魔されたくないという思いが占め困惑した。

 和真かずまが来れば少なからず客として扱わねばならないし、二人きりの時のように脱力していられないのは当然のこと。面倒に思うのも腑に落ちる。

 けれど、一方に恋愛感情がありながらも未だ友達の関係でいて、何を邪魔されたくないと言うのか…


「えっと…。大比良おおひら先生が向葵あおいさん達と同級で仲良いのは知ってるから、うちに来るのは全然構わないんですけど。俺、あいだを取り持ったりはできないし。…向葵あおいさんなら天人あまととも友達みたいなんで、間に立ってもらえるように頼んだらいいんじゃないかなって…」


「ふむ、なるほど…。そうだね♪気を遣わせてすまない。すまないついでに、一先ず話し合いの約束を取り付けるから、少しの間だけ緩衝材の役目を担って欲しいのだけど。」


「えっと…、まぁ。それくらいなら。」


 了承はしたものの、やはり天人あまとの不機嫌な顔が頭をぎる。


 ―――なんか、やだな…


「こんなところでボーっとして、どうしたの。スーパーで待ち合わせって言ったでしょう?」


 不意に、和真かずまの方から声が聞こえ驚いた。

 穏やかに繕ったそれは、紛れも無く天人あまとの声。和真かずまの背後から現れ、その存在など無いもののように横を通ると、春来はるきの手を掴む。


「あっ。え、天人あまと。んっぅ…」


 緩衝材として働く余地など無い。

 骨が軋むほど強く握られ、春来はるきは小さく呻いた。


「顔を合わせるなりそれか…。須河すごうくんとは、たまたまそこで会って世間話をしていただけ。少し落ち着いたらどうだ?痛がっているだろう。」


「っ……。チッ」


 無視するつもりの相手に言われ舌打ちすると、春来はるきを背に隠すよう間に立ち、冷やかな視線を送る。

 あからさまな嫌悪も和真かずまは意に介さず、呆れた様子で溜め息を吐けば、何もしないという意思表示に空いた片手を上げた。


天人あまと。おまえと一度落ち着いて話しをしたい。この状況だ、私が何を言いたいのかはわかるだろう?」


「さぁ?何を話そうとも、和真かずまから見れば僕はいつだって悪者でしょ?ま、身に覚えが無いと言えば嘘になるけど。だからって無関係の奴に説教される筋合いは無いよ。だいたい、宣戦布告みたいな言い方しておいて、よくもそんな…」


「必要なら私が守るから、興味本位で近付くのはやめろと言っただけだ。おまえの娯楽に他人を巻き込むな。」


 ―――あれ…?これもう、喧嘩してる…よな。


「その娯楽にも踏み込めない臆病者のくせに。」


「私はいつだって本気だからね、遊びで無いからこそ臆病になるし、当然それを自覚もしている。だが、私が誰をどう想っているかなど今は関係無いだろう。」


「自分は関係無くて、僕の感情には口出しするわけだ。」


 ―――俺が初めから大比良おおひら先生と歩くのを断って、二人が顔合わすのも回避しておけば…こんな…


「感情か…。これまでを思い返して、少しは気が咎めたりしたのか?それで、人並みに反省したから、また同じ事を繰り返しても構わないと?」


「はぁ…。そうやって責めるふりして、ただ単に僕が春来はるきくんの傍に居て気に食わないだけでしょ?」


「感情論で言ってるんじゃ無い。自分本位で無責任なおまえの行いそのものが問題だと―――」


 外という意識だけはあるのか、表面上は冷静に言い合っているように見えて、その実互いの険悪さは増していく。


 ―――もしかして、喧嘩になってんのって俺のせいなのか?俺が家で大人しくしてれば、二人が会ってもこんな揉めなかったんじゃ…


 ついさっきまで、デートの名残で浮かれてばかりいたのに。和真かずまに対して敵意剥き出しな天人あまとの声を聞くうち、春来はるきの心は不安一色へと塗り変わっていた。


 めようにも、どう口を挟めばいいのかわからぬまま口論は続き、春来はるきの中に募る不安はやがて真っ白なかすみとなって視界を覆う。

 全身が冷える感覚とは真逆に、頬や首筋を伝う汗。しっかりと呼吸しているはずなのに、全く酸素を取り込めている気がしない。

 たまらず目の前の服を掴もうとするも思い通りにいかず、指先が背中に触れただけで崩れ落ちた。


「…まと、気持…ち、わるぃ…」


 顔面蒼白。手足が震え、力が入らない。

 座り込み浅く小刻みな呼吸で肩を上下させる春来はるきに、和真かずまが駆け寄り膝を突く。


「大丈夫、落ち着いて。息を吸うより、吐くことを意識するんだ。思いきり吐いたら、ゆっくりと吸う。吐いて……吸って……そう、ゆっくり。」


 背中をさすり呼吸の指示を繰り返しながら脈を取る様を、呆然と見下ろしていた天人あまとだが、周囲の騒めきにハッとしスマホを取り出す。


「慌てなくていい。もう少し落ち着いてから、自宅に運んで休ませよう。車を手配しておけ。それから何か飲み物を。」


「っ…。わかった。」


 己の役立たずぶりに苛立ち、握る拳が震える。けれど、幾ら悔しがったところで本職に敵うはずも無い。



 和真かずまに指示されるがまま動き、春来はるきを自宅まで連れ戻れば、暫し様子見のためリビングのソファーで横にならせた。


 幾分マシになったとは言え、続く息苦しさから逃れようと何度も溜め息を吐く春来はるき。額に腕を置き、ぼんやりと見つめる先に天人あまとの姿を捉えるなり、服を掴み引き寄せる。


天人あまと…ごめん。迷惑かけて…。大比良おおひら先生も、すみません。結局、家まで付いて来てもらって…」


「気にしなくていい。まだ辛いだろう?ゆっくり休みなさい。」


「…っふぅ…。…ホント、すみません。」


 心配顔で頬に触れる天人あまとの手が心地良い。触れられるほど、安心感に満たされる。

 春来はるき自身も知らず知らずのうち、すっかりその温もりに依存していた。


 仰向けの春来はるきに上体のみ覆い被さる形で抱き締めてやれば、やがて息遣いは穏やかに。頬にも血色が戻り、ウトウトと目を閉じる。

 ほどなく可愛らしい寝息へと変わり、天人あまとは安堵の溜め息を吐いた。


「…ねぇ、和真かずま。本当は医者のおまえが付いていた方が良いのかもしれないけど、流石にこれは剥がせないよ。代わりに買い物をお願いできないかな。…目が覚める頃にはお腹も空いてるだろうから、何か作ってあげないと。」


 天人あまとの背中に回した手は、眠っていてもしっかりと服を掴む。

 そんな春来はるきの頭を撫でこの上なく優しい顔をする天人あまとが、和真かずまの知る彼の姿からはかけ離れていて…

 先刻までのように言い返すことも無く頷いた。


「私たちが言い争うのを見て、相当なストレスだったのだろう。悪いことをした…。症状は一時的なものだから、普通に食事もとれるはずだ。食材は適当に買い揃えてこよう。」


「あ、トマトを多めに。春来はるきくんはトマト料理が好きだから。あと……、近いうちにちゃんと話そう。和真かずまも、春来はるきくんにストレスだなんて思われたくはないでしょ?」


「あぁ。だが一対一では、また互いを批判だけして終わりそうだ。向葵あおいくんに間に立ってもらって、本音を交わそうじゃないか。一先ず向葵あおいくんには私から頼んでおくよ。」


 和真かずまが部屋を静かに出て行く。

 天人あまとは頬に、唇に、触れるだけのキスをして、込み上げる愛しさに微笑んだ。


 考えてみれば、こんな風に想い人を気遣うのも、加虐心より慈しむ気持ちが勝るのも二十六年間生きてきて初めてのこと。

 であれば、本意では無いにせよ過去色恋を軽視していた分、今回こそは本気だからと言ったところで和真かずまが疑うのも当然だ。

 ましてや和真かずまだって、春来はるきに想いを寄せている。


 ―――遊びと思われたままなのも癪だし。僕の想いには到底敵わないんだと思い知らせて、潔く身を引いてもらわないと……


 誠実だが奥手な和真かずまなど敵では無いと思いつつも、春来はるきが彼に惹かれてしまえばそれまで。心ごと奪われるかもしれないという不安や焦りを拭い去ることはできない。


「あぁもう。早く僕を好きになってよ……」


 肩口に擦り付き、いつになく弱気に呟く。


「ん…ぅ。ぁまと…」


「っ!?……このタイミングでその寝言は反則でしょ。はぁぁ…」


 寝返りを打って身体を丸め、寝言で名を呼ぶ春来はるきにすっかり元気づけられ、天人あまとは赤面を両手で覆い身悶えた。

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捨て犬の居場所 桜楽 @yorozun

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