第8話 By mind (後編)

 それから優男くんは優しさとは無縁の生活を送っていた。彼の感情表現の多くは冷徹さんと懐疑さんが担っていた。私が放り出されてから3日、ひどく冷たい彼がそこにはいた。もはや優男とは程遠い、灰色で冷たい人間になっていた。


 道端で泣きじゃくる女の子がいたらいつもならば優しく寄り添っていたのに、昨日は『弱虫が』と呟いて立ち止まる事すらせずに通り過ぎた。


 おばあさんに『荷物を持つの手伝って』と頼まれると、『自分で持てないなら持つな。大人でしょ?』なんて言いつけた。正論ではあるけど、それは同時に凶器でもある。そんな厳しい事は言わないでほしい……。


 コンビニの募金箱を見ると『こういう人たちをダシにして金集めて、結局自分たちでそれ使うんだろ、最低』なんて言い出す。10000円を突っ込んでいた彼の面影はもうなかった。


 彼が変わっていく。どんどん変わっていく彼の姿を見ていられなかった。

 それに、変わったのは彼だけではなかった。長時間外に出ていたせいで、私の身には変な靄みたいなのが生えていた。見るに耐えない姿だった。


「もう、限界……。私、もう……」


 彼から離れてしまおう。既に捨てられているんだし、むしろそうすべきかもしれない。もう彼にとって優しさは必要ないのだから……。


「さようなら」


 そして私がたどり着いたのはなんと、彼の心の中だった。


「えっ、ええ!?」


 ○


『どいつもこいつも性根の腐った奴らばっか。さっきの婆さんはなんだよ。人に持たせる前提でバカでかい荷物持ってきやがってさ』


 本当に馬鹿げている。こんな事をする輩も、騙される輩もみんな馬鹿だ。でも僕は騙されない。そのために優しさを捨てて冷徹である事を選んだ。そのお陰で騙されることは無くなったし、自分の為に使える時間も増えた。


『なのにどうして。なんでこんなにモヤモヤするんだよ……』


 騙そうとする奴らを上手くあしらっても、ヘタレな輩を無視しても満たされた感じもなく、かといって罪悪感を感じるわけでもなく、ただただ自分の心が支える時間が増えるのみだった。


『何がいけないんだよ……』



 翌日の下校途中。いつぞやに泣きじゃくっていた女の子が歩いていた。彼女は背中にランドセルを背負っていた。それとは別にお腹と両手にも持っていた。きっといじめられてるんだろう。近くには持ち主と思われる3人組がゲラゲラ笑いながら歩いている。


 先日のように、弱虫だと呟きながら通り過ぎようとした時。何かが僕の中に吹き込んだ。途端、僕はおかしな行動をとっていた。ここ数日はおろか、今までにとった事のない行動であった。


 僕は彼女から3つのランドセルを取り上げ、ゲラゲラ3人組へ投げつけていた。そして気づいたら声を荒らげていた。いじめられている彼女に向かって。


『キミは馬鹿か!何であいつらのいいなりなってんだよ何で泣いてんだよ!嫌なら文句の一つでもつけやがれ。あいつらのして来いよ!泣いてたって誰も助けてなんかくれないんだ!キミがキミ自身を助けなきゃいけないんだよ!』


 僕は何をしているんだ。何でこんな見ず知らずの女の子に怒ってるんだ。いや、彼女に怒っているというより、自らの鬱憤を晴らしているだけではないか?というかこの状況、傍から見れば僕が女の子を泣かせた悪い奴みたいじゃないか?買い物帰りのおばさんが怪訝そうにこちらを見ているじゃないか……。


 早くこの場を立ち去りたかったが、なぜか僕の体は動かなかった。彼女がどんな言葉を返すのか、どんな決断をするのか見届けなくてはいけないと思ってしまったから。


『私、こんなの嫌だ……でも傷つけちゃ……』


『だったら行ってこいよ!傷つける為じゃなくて守るんだよ!キミ自身を』


『私を、守る……?』


 そうだ、と頷いて彼女を送り出す。腫れた目を一度擦った後、彼女は雄叫びを上げてゲラゲラ3人組へ向かって行った。

 数分後、3人組をキレイにのした彼女が凱旋した。その表情は非常に晴れやかなものだった。


『キミ、めっちゃ強いね……。何で今までやり返さなかったの?』


『空手習ってるの。先生が人を傷つける使い方をしちゃダメって言うから。でもお兄さんがああやって言ってくれたから、今使うべきなんだって思ったの』


『そっか。優しいんだね、キミは』


『お兄さんもね?』


 ……は?


 思い当たる節がない。ランドセルを投げつけて、女の子を怒鳴りつけて、暴行を教唆してーー。

 もしかして捕まるんじゃね?そう思えるくらいにやばいと思うが。


『だって、私のために怒ってくれたでしょ?今まで誰も怒ってなんかくれなかった。その場限りで優しくされるよりもずっと嬉しかったよ』


『は、はあ……』


『ありがとうね、優しいお兄さん!』


 怒ったのが、優しい……?僕は優しいのか?捨てたはずなのに?騙されないように冷徹にいてたはずなのに、優しいのか?


 何だかよく分からなかった。前までの僕ならきっとランドセルを一緒に持ってやっただろう。それは優しい行為だと思う。彼女の言うその場限りの優しさでもある。僕はそれを“優しい“だと思っていた。でも今日の事で、それは違うような気がした。本質的な事を見るのが優しさということか?親切な態度でなくともいのか?


 あれこれとぐるぐる考えたが、僕の頭で答えを出す事はできなかった。何が優しさだとか言われても分からない。僕の中で優しさというものの価値観もかなり変わってしまっただろうし。でも一つ、分かった事がある。


『ありがとうって言われるのって、気持ち良いなあー』


 打算的に考えず、心のままに行動しよう。何かが変わっていっても僕という人間の本質はきっと変わらないんだ。


「私を捨てないでくれて、一緒に居続けてくれてありがとう!優男くん!」


『え?今誰か……』


 声が聞こえた気がして振り返るが誰もいない。でも多分、その声はここにある。


『うん、僕は優男なんだ!』


 僕はステップを踏みながら家路についた。

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私を捨てないで! @Satuki-Tachibana

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