第7話 By mind (前編)
私と優男くんは一緒に生まれ、今まで17年間ずっと一緒に過ごしてきた。
優しい行いをするので彼は優男くんと呼ばれているのだけど、みんなは知らないでしょう。その行動を取れるのは私がいるからなのだという事を。
昨日は迷子の女の子を慰めてあげた。その前はおばあさんの大きな荷物を持ってあげた。その前日にはコンビニの募金箱に1万円札を突っ込んだ。そしてその行動の源泉は全て私。
人は行動を起こす時、心を見渡して適切な感情を選び取る。心の扉を通り、選ばれた感情が行動を促す。これが感情表現の簡単な仕組みね。
彼の感情表現の中で最も多いのが私、優しさなのよ。私は17年間、毎日仕事をした。優男くんが怒った日も泣いた日も笑った日も、どんな時でも私だけは毎日選ばれ続けた。彼にとって私はアイデンティティのようなものかもしれないわね。あ、今日も呼んでる。行かなきゃ。
○
『優男くん、今週わたしの代わりに委員会でといてくれない?お願いっ』
『どうしたの?安城さん、どこか具合でも悪いの?』
『わたしじゃなくてお母さんがね。暫くわたしが看病とか家事しなきゃ行けないの。だから早く帰りたくて……』
彼女は僕のクラスメイトの安城さん。文化祭実行委員会に入っている。その仕事はかなり大変だ、との噂だが……
『お母さんが、それは心配だ。早く帰ってあげて。委員会の方は任せてよ』
ありがとう、と彼女は踵を返し、足早に下校していった。
早く元気になるといいな、安城さんのお母さん。
『あ、君が安城さんの代わり?ごめんね、今週めっちゃ忙しいんだよ』
どすん、と置かれたのは書類の山。1人用の冷蔵庫くらいの高さはあった。この紙製の冷蔵庫全て、誤字がないかチェックするらしい。…………らしい。
ということでその日から下校時間ギリギリまで作業は行われ、3日で6割程終わった。このペースならギリギリ今週中に終わるかもしれない。
4日目の昼休み。人のために何かをするって気持ちが良いなぁ。なんてしみじみ思いながら昼食を摂っていると、廊下から女子生徒の声が聞こえた。聞き覚えのある声だったので、つい耳を傾けてしまった。
『昨日めっちゃ楽しかったよねー!まさかあんなにハイスコアでるとは思わなかったよ!わたしって天才?』
『ホントにね!流石アンジョーって感じ。まじ鬼がかってたよ』
『ねえ、今日も行こうよ!放課後、駅前でおk?』
『おk。今日はオールは勘弁だからね』
『だね。じゃ、またあとで〜』
さっきまでの間抜けな自分を殴ってやりたい。ああそうか、この人はこういうことをするのか。いや、人間はみんなそうなんだ。みんな私欲のために嘘をついて他人を騙す。人間はそういう生き物なんだって、ドラマで何度も見てきたじゃないか。僕は知っていたんだ。だから彼女を咎める気にはならなかった。
『みんな僕を騙そうとするんだ。それだったらもう、優しくなんてしなくていい。ーー。うん、そうだ。優しさなんて、いらないんだ』
○
『ーー勘弁だからね』『だね。じゃ、またあとで〜』
「ーー!ちょっとなんて奴なの!私はお母様とあなたの事を思って優しくしたってのに、騙したのね!人の優しさを何だと思ってるの!」
優しさの権化である私といえど、これは看過する事は出来ない。私は急いで憤怒さんを呼び出し、この出来事を説明した。
「何!?そんな事が……。分かった、俺が出れるように頼んでくる」
そう言って憤怒さんは優男くんの心の扉へと向かった。憤怒さんは心の扉に何度も何度も頭を下げて懇願していた。
「心の扉、頼む。俺を出してくれ。あんな奴を放っておいたらダメなんだ。優男くんは今、怒らなきゃいけないんだよ。彼を守るためにも、出してくれよ」
「申し訳ないのですが、勝手に扉を開けることは許されていないのです」
「でも今は!」
「彼が求めなければお出しできません。その時が来ればお呼びしますから、どうかお下がり願います」
そんなやりとりを10往復程したところで、とぼとぼと折れた様子で憤怒さんが戻ってくる。
直後、その時は訪れた。
「彼がお呼びです。こちらへどうぞ、優しささん」
「わ、私ですか……?」
予想外だった。このタイミングで、私に一体何が出来るというのか。選んでもらえる事自体は嬉しいが、今はどう使っても彼にとって良い方にはいかないと思う。
訳が分からないまま、私は扉を出た。
『優しさなんて、いらないんだ』
「え、優男くん今なんて……」
今なんて言ったの?私がいらないってどういう事?
そこまで言葉を紡ぐ事は出来なかった。
「何これどういうこと!?」
私は暴風に見舞われ、気づけば優男くんの元を離れて空中を漂っていた。
私たち感情が持ち主から離れて使用されることはあり得ない。持ち主から離れる時、それはつまり……
「私……捨て、られた……?」
「嘘でしょ……?嘘よね?」
どうして私が捨てられるの?17年間ずっと一緒だったよね?毎日私を使い倒してきたよね?
そんなに私が嫌いだったの疎ましかったの?何か間違った事した?困ってる人を助けただけじゃないの。騙されたからって、何も捨てる事ないじゃない。どうして……どうして…………。
「いや、きっと何かの間違いよ。すぐに戻れるわ」
私は必死にそう言い聞かせた。今はそうするしか出来なかった。
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