詮
この子をどうしようかと、作業をしながら夏帆と話していると、今度は、あっ、と大きな声を上げて一人の男子生徒が近づいてきた。身長からして1個上ぐらいだろうか。
「ぼくの猫!!」
そう言って、一直線に猫に駆け寄る。優しく抱き上げて、そーっと猫の体を撫でながら彼は小さくお辞儀をした。
──どういうことだろう。さっきの猫の記憶の断片からは、得られなかった情報だ。
「ごめんなさい、あぁえーと。二年の菊池颯真です。この子は、僕のおばあちゃんのところで引き取ってる保護猫で。おばあちゃんの家が学校の近くにあるんだけど。逃げてしまってたんだ」
なるほど、さっき映ったのは彼のおばあちゃんか。スモールワールド現象。これまた世間は狭いこと。
けれど、私が視た映像と彼の発言とのズレ。そこに微かな違和感を覚えた私は、菊池君に尋ねる。探るような問いかけをする私ってなんだか意地悪だな、と思いながら。
「でも、なんで逃げたのかしら?」
「それは」
わずかに表情が崩れ、はぐらかすように視線を逸らした。それから口を開く。
「まだ、なついてない……から、かな?」
恥じ入るように、弱々しく笑って誤魔化そうとしているのを私は見逃さなかった。きっと、菊池くんは何かやましいことを隠している。そう思った。
「ホントかなぁ」
私がそう言うと、さすがに疑り深いと思われたのだろう。むすっとした顔になって菊池くんは黙ってしまった。
「えーと。他に何か、原因とか……」
隣にいた夏帆が助け舟を出すように訊く。
「原因って言っても。そうだ最近、隣の家で蛇が出たって言ってたから。それで逃げたのかな」
あまりはっきりとしない口調でうろ覚えのセリフを読み上げるようにして、菊池くんが答える。
「食物連鎖だ!」
夏帆は嬉々として声を上げる。うんそうだねと私はそれに頷き、さっきの実験を思い返した。上位捕食者の出現によって、猫がおびえて、彼のおばあちゃん宅から逃げ出した可能性。考えられなくはないが──。でも、たぶん違う。この猫は迷子になっていない。あくまで、私の直感だけど。
さっき見えたのは優しそうなおばあちゃんの顔とそれから……。
──うん、やっぱり違う。
幾度と無く使い古されたこのセリフの正当性はこの際、無視しよう。だけど私が思うに、事件はおばあちゃん宅で起きているんじゃない。現場で起きているんだ。
だって、私には視えたから。
ひとつずつ、点を結んでいく。
「まず、一つ目。菊池くんはこの猫をおばあちゃんの家で引き取っているって言ったよね。それに、まだ名前も付いていない。つまり、飼っているわけではないということ」
彼は何か問いたげな目で視線を向けてきたが、私は続ける。
「それから二つ目。この付近で、猫が侵入できるような場所はないということ。あるとすれば──」
私が息継ぎをするタイミング。菊池くんは先回りして、開きなおったように言った。真剣味を帯びた目。凹凸の薄い唇をゆっくりと動かす。
「うん。校舎裏のソーラーパネル近く。そこの茂みに、この子を入れた段ボールを隠してたんだ。もちろん、自由に外に出られるようにしておいて。また戻ってくるように、中に水も置いてた。万が一、用務員さんに見つかっても、傍のよれよれフェンスは隙間が大きいから、そこから入ってきた野良猫と勘違いしてくれそうだと思って……」
それからどことなく淋しそうな顔で笑った。
「分かった!」
固唾を呑んで、会話に聞き入っていた夏帆が唐突に口を開いた。
「菊池くん。実は、このねこちゃんを代わりに育ててもらおうと、今日、校内で誰かに受け渡す約束をしていたんだ! だけど、学校に猫を持ち込むのはいけないから、隠そうとしていたって訳ね。その間に、猫はここにたどり着いた」
夏帆は、首筋をすっと伸ばして余裕をにじませた口調で──答えの直前まで私が誘導しているのだから分かって当然のことを──さも自分の手柄のように話してみせた。
「もう、夏帆。言うの早いってば。いい? 理由は三つ必要なの。バランス的に。三大美女も三大珍味も三大欲求も、何でも三つでしょう?」
私は静かにため息を吐いて、ちらと菊池君の方を覗き見た。目をぱちくりさせて、それから釈然としない顔つきで応じた。
「三つ目はなに?」
にっと笑ってみせる。私はあの時、視えたものをもう一度頭の中で思い起こした。
「猫の体が少し汚れているように見えるんだけど。多分、校舎裏の砂場を横切ってここまで来たと予想したの」
「どうして?」
今度は夏帆が不思議そうに、首を傾げた。
「夏帆。来週、部活でなにするんだったっけ?」
「えーっと。あ、ローズマリー!」
「そう。香りが強いから、猫よけに使われたりしてるやつだよね。だから、中庭の花壇には寄らず、この正門付近まで移動したんじゃないかと思って。それに、昨日雨が降ったから、砂場を通ったときの泥が体についているようにも見えるし」
当然これは憶測に過ぎないわけだが、猫の記憶を辿った結果、これが一番妥当な推理だった。
「なるほど! さとり、すごーい」
夏帆はいつものように気さくな調子で笑いかけながら、間延びした声を上げた。ぱちぱちと乾いた拍手を私におくる。
それから、つかの間沈黙が下りた後、菊池君は心の底から感嘆を込めたように、小さな呟きを漏らした。
「すごい。さとり、さん」
そして、恥ずかしげに顔をほころばせた。
「なんか、こんなことに巻き込んじゃってごめんね。それと……。このことは、よければ内緒にしてくれる?」
いたずらっぽく、けれど邪気ない声でおそるおそるそう尋ね、「もちろん」と私と夏帆は顔を見合わせて笑い、おおきく頷いた。
✤ ✤ ✤
どうやら今回も、私の力で解決できたようだ。ハンカチ事変に続き、猫事変と今日一日で私の事変ファイルの2ページが埋まった。
私は、これからも力を使って様々な面影を追いたいと思っている。
勉強は──将来のために真面目にやらないといけないけどね。
妄想と
✤ ✤ ✤
このときの猫が、ドロシーと名付けられることになったのはまた別のお話。
砂漠渡りと長月 押田桧凪 @proof
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