潜
その日の放課後。私は美化委員の活動で、昇降口前の花壇の手入れを手伝わなければならなかった。
赤いレンガに腰を下ろし、夏の間に伸びきった雑草を刈りとっていく。くしゃ、くしゃと葉を搔き分け、根元から。刃先に気を付ける。少し錆びてはいるが、用具入れにあったねじり鎌は、慣れると使いやすい。
そうやって、他の委員の子たちと黙々と作業をしていると、何かの気配を感じた。かさ、かさと花壇脇の茂みから音が聞こえ、そしてその影が迫る。
にゃあ。すぐそばで鳴いた。
小柄な体、琥珀色の目。品種はわからない。薄茶色の毛。泥で汚れたような痕があるが、もとの体表の色なのかもしれない。
猫だあ、と隣にいた夏帆ははしゃぎながらも、「水、水! 何か飲ませたほうがいいのかな」と夏帆は少々慌てた様子で、おろおろしている。そうだね。でもどこからやって来たのかな、と私は疑問に思って、それを口にした。この花壇の周りは高い柵で囲まれており、猫が迷って入ることはないだろう。
「砂漠だよ」
──え?
振り返るとそこには、鼻高々といった様子で松木さんがふふんと笑いながら、立っていた。松木さんは同じクラスの、ミステリアスでクールな女子だ。砂漠? いったい何のことだろう。
「ああ、ごめんごめん。そういう意味じゃないよ。猫の原種はもともと、砂漠に生息していたって話ね。猫は砂漠からやって来たの。
だから乾燥に強いし、水分の心配はいらないと思うよ」
へぇーと夏帆は感心の声を漏らし、目を輝かせた。
「猫に詳しいんだね」
それから咳払いを一つ挟んで、松木さんは言った。
「あと、私ね牛乳嫌いなんだけど、猫にもあんまりあげないほうがいいよ。だから、水で正解。牛乳に入っている『乳糖』を分解できずに、おなかを壊してしまう猫ちゃんもいるらしいから」
そう言い終えると、松木さんは自分の草刈りの持ち場に戻っていった。ためになるかどうかは置いといて、クラスメイトとして、松木さんとのこの付かず離れずの距離感が私には心地よく思えた。給食で同じ班になった時以外はあまり話したことはないが、なんだか不思議で、面白い人。
現れた猫は花壇のそばに蹲るようにして、体を丸めた。目を閉じて、お昼寝をしているようだ。もしかしたら飼い主の手掛かりが何か掴めるかもしれないと思い、私はそっと、猫に触れる。
目をつむると、セピア色の幕が下りる。はらりとページが捲られるようにして、その光景は広がった。
親しげな顔をしたおばあさん。その手に優しく包まれる。砂、砂、砂。ざらざらとした細かい粒のようなものが視界を覆った後、新しいシーンに切り変わって、茶色い壁。水。小さなプレート。それから今さっきの茂み──。
輪郭のはっきりとした場面が浮かび上がった。
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