第十三話 ー奴らの正体ー

 等間隔で、軽い足音が響く。その日の真夜中の精神病院の廊下は、その看護婦にとって一際異様な緊張感を放っていた。部屋の位置の把握ができるあたり、彼女は廊下には慣れていたし、苦しさすら覚える胸騒ぎなど感じるはずもない。

 だが、今日は何故か、怖い、引き返したい。そんな得体の知れない感情が、彼女の足を震わせて仕方がないのだ。虫の知らせというやつだろうか。

 ナースコールで呼ばれている訳だから、引き返しても仕方がない。患者さんを待たせるわけにはいかない。半ば鼓舞するように自分に言い聞かせた彼女は、やっとこさで例の一室にたどり着いた。

 「合田さん。入りますね」

やはり妙に芯の震える声で、彼女は呼びかけた。合田隆子。彼女を呼んだ張本人だ。合田の返答を待たず、部屋に入る。

 そこで見た光景は、一生彼女の脳裏にこびりつくだろう。合田は、息絶えていた。真っ白なベッドを真っ赤に染めて。合田の黒いロングヘアーは、漂白剤でも揉み込まれたのかと思わせるほど、白くなっていた。仰向けになった合田の目は抉り取られており、黒い深淵で代替されてあった。ガバッと開いた口の中の歯を確認できない。抜け落ちているのだ。白くヌメヌメとした白い小粒が、ベッドの下に無造作に散らばっているのが証拠だ。首には、深々とナイフが刺さっていた。

 この世が見せる光景とは思えなかった。その惨状の思考よりも、彼女の恐怖に満ちた絶叫の方が先行したのは、当然の結果と言えた。






 将暉の前に広がる光景は、目まぐるしく展開し、尚且不可解だった。謎の霊装武士『朧』。そして、朧の斬撃から、身を挺して将暉を守った暁。霊装が解かれ、目を地に伏す格好となった刃に、説明を求めることも出来やしない。

「……やはりな…」

 朧は、何かを悟った様子だった。だが、詳しい説明をしてくれるはずもなく、再び将暉を見据えた。

「あんた……一体……」

錯綜する疑問同士がぶつかり合い、そんな言葉が出来上がった。何が目的なんだ。なんとか紡げた言葉を放とうとした刹那。

「ハァッ!」

 朧の横ばいから飛び出してきた何かが、朧を蹴散らし、倒れた刃をお姫様抱っこの体制で抱き上げた。意識を失っているようで、刃は抵抗する素振りを見せない。

「……ッ!」

「スネジャロク!」

刃を抱えた何者か、つまりスネジャロクに対峙した将暉が口走る。動揺する将暉とは対象的に、スネジャロクは余裕の姿勢を全うしている。

 「大変恐縮ですが、神崎刃の身柄は私が引き取らせていただきます」

悠々と話したスネジャロクは、刃の左腕に手を伸ばす。そこに巻き付いているのはノウン。躊躇いを知らないようで、スネジャロクはノウンを引き剥がし、見せびらかすように、それを地に落とした。

「クソッ……不覚……!」

抵抗する手段を持たないノウンは、己の無念を呪った。

 ゆっくりと引き下がるスネジャロクの後ろに闇でてきたカーテンのようなものが、浮かび上がる。

「彼を殺すような真似は致しませんので、ご安心ください。では、ごきげんよう」

言い切ったスネジャロクが、カーテンをくぐる。

「逃さんッ!」

短く叫び、走り出したのは、朧だった。しかし、時すでに遅し。スネジャロクと刃はカーテンごと、その場から消滅していた。朧が切ったのは、虚空だった。

「…スネジャロクゥ……!」

呪詛を吐いた朧だったが、バイクのエンジン音からなる、新たな気配を感じたゆえに、背面の翼を展開し飛翔していった。

 振り向く将暉。そこには、二人乗りのバイクが停車していた。煌めくライトの奥で、運転手と後ろに座っている人物が、ヘルメットを外した。前の女は、この間将暉が敵対した霊装武士。その後ろには、詩織が控えていた。

「……ノウンさん!」

怯えを浮かべながらも、辺りを見回していた詩織が、置き去りのノウンの元へと駆け寄る。

「神崎さんは?」

「申し訳無い……ネクロに連れ去られた………」

詩織の問いかけに、深い悔恨の念をノウンは見せた。

 深刻そうに視線を落とした詩織を横目に、その女は、将暉を睨みつけた。

「お前……まさかネクロと手を組んだとか、言わないよね?」

正直、今の将暉には言い返す気力がなかった。俯き、黙りこくる将暉の態度は、無論、彼女の怒りに油を注ぐ形になった。

「何とか言ったらどうかな?ボク、怒ってるんだけど?」

凄まじい覇気に追いやられ、とうとう将暉が口を開いた。

「……冴沢佑介」

「え?」

ボソリと呟いた声を聞き取れなかったようで、彼女が聞き返す。

「冴沢佑介。神崎にトドメを刺した霊装武士だ。奴にやられたところをネクロが持っていった」

あいも変わらず芯のない声だった。すかさずノウンが補足する。

「闇に魂を売った我々の裏切り者であり、因縁の相手だ」

「なるほどね……」

彼女は深刻な表情を浮かべた後、後ろを向き、無言で詩織に撤収を促した。ノウンを手に乗せた詩織が、慌てて立ち上がる。

 「……俺を始末しないのか?あんた、そのためにここに来たんだろ?」

俯き気味の二人の背中に、将暉は問いかけた。その言葉がブレーキとなり、二人の歩みを止めた。ゆっくりと振り返った彼女は、座り込んだままの将暉を冷たい目で見下ろした。

「始末したくても、ボクにそこまでの権限は与えられてない。まぁ、上には伝えておくけどね。冴沢とかいうやつのことと一緒にね」

手短に吐いた彼女は、おどおどしている詩織をバイクに乗せ、廃墟を後にした。

 改めて訪れた静寂なる闇に、身を打ちひしがれる将暉。その指先には自然と力が入り、歯は唇をかみしめていた。暁が居なくなった。仇討すら許されなかった。その悔恨、絶望、空虚感が、彼の心に燃えていたどす黒い炎を消していくようで、ままならなかった。







 瀬川が目的地のアパートにたどり着いたのは、午前十時頃だった。快晴の元、質素な階段を登る瀬川は、お目当ての人物が住む305号室のドアを視界に留めた。

 「305号室、加藤康介。ここで間違いないな」

前もって持っていた手帳に書かれた、住所を読み上げた瀬川は、ドアの隣にある据え付けのインターホンを押した。メモには手書きの文字で、加藤康介以外にも複数の人名が書かれていた。数人の名前の横には、✕の文字が入っていた。

「……なんですか?」

呼び鈴の後、元気のない声がスピーカーから流れ出した。顔色の悪く、やつれた成人男性の姿が、容易に想像できる。アポ取りの際に電話越しで聞いた声と同じだった。直様、瀬川が口を開ける。

「加藤康介様でいらっしゃいますでしょうか?」

そうですが、と加藤が答えたのを皮切りに、再び瀬川が話しだした。

「瀬川です。この間お話したように、聖黒師団についてのお話をお伺いしたいのですが……」

 『聖黒師団』というワードを出したのがきっかけだった。インターホンから流れる加藤の声音が変わった。焦りと恐れが無造作にブレンドされている。僅かな息遣いから、瀬川はそれを感じ取った。

「やめろ……その話をするな……」

「何故です?」

相手の語りたくないことは、決して取材はしない。そう固く誓っていた一ジャーナリストは、その時何故か、そう聞き返してしまった。アポ取りの時は加藤が、取材に協力的な姿勢を見せていたのもある。そんな過去が有りつつも、ここに来て取材を断ろうなどという事は、余りにも不自然だった。加藤の声が震える。

「……奴が………奴が俺を狙っているんだ……それの話をすると、俺は殺される……奴に……俺は……見られているんだ……」

「奴……?」

感情は理解できたものの、加藤の変わりように圧倒された瀬川は、引きつった顔で問いかけた。

「止めろ!もうこの話をするな!帰れ!」

凄まじい剣幕の怒声が、瀬川に襲いかかる。それを最後に、インターホンから声は流れなくなっていた。

 「こいつも駄目か……」

嘆息を漏らした瀬川は、手帳に書かれてある加藤康介の名前の横に✕の文字を入れた。再び溜息をついた瀬川。そのまま手帳を閉じると、記名欄に記されている『戸部優貴』の名前を見つめた。

「こいつのためにも何とかしたいが、結果がこれじゃあなぁ………」

 聖黒師団、俗に言うカルト団体が起こした集団自殺。それこそが、瀬川の追い求めている事件だった。得体の知れない狂気から逃れた何人かの関係者に取材を試みたが、加藤のように皆、口を割らなかった。手帳のばつ印がそれを端的に示していた。

 そんな遍歴が、彼自身の無力感を際立たせていた。戸部優貴の死の謎は、未だに闇の中に伏せられたままだった。






 呼吸を整えた加藤は、震えでおぼついた足取りで後ろを振り返った。

「……ッ!」

絶望は、確かな形を持ってそこにあった。電気のつかない部屋で、瀬川に対応する加藤。その背中を監視していた何者かを目視したのだ。

 鮫を人型にしたような異形の怪人は、一言も発さず加藤を見つめる。その覇気にやられた加藤はその場にへたり込んでしまった。

 瀬川とかいうジャーナリストを追い返したのは、奴が居た為だった。言葉こそ介さないものの、『例の事』を話してはならない。奴の気配と視線は、加藤にそう命令しているように感じられるのだ。奴さえ居なければ、加藤は全てを瀬川に受け渡していただろう。例の、聖黒師団に関する全ての事を。

 「君、何してるの……?」

初めの一言がそれだった。無邪気というか、強面の見た目に反して幼さを印象させる声だった。しかし、それは加藤を恐怖させるには十分な代物なのだろう。血走った目とふるふると揺れる口を開いた加藤は、小刻みに頷いた。声帯を無理に震わせたような、か細い音が口から漏れ出ている。

「ゆ……許してくれ!頼む!俺を殺さないでくれぇ!」

やっと出た絶叫が、暗がりの部屋に染み渡る。怪人は絶えず加藤を見つめ続ける。

「なんでぼくたちを怖がるの?ぼくたち、友達なんだよね?」

 怪人が問いかける。全身を振動させ、許しを請う加藤は、はっと顔を上げた。

「それは過去の話だ!聖黒師団のネクロ思想なんて!最初から間違っていたんだ!」

必死の形相を、加藤が浮かべる。その目からは大粒の涙が滴り落ちている。

 「……そっかぁ。わかった」

怪人が切なげに目をそらし呟いた。加藤が少しばかり脱力する。自分は、助かるのか?そんな安心は長くは続かなかった。

「ぼくと友達になってくれないなら、きみなんていらない」

 その刹那、怪人は腕から生えたひれの如き鋭いカッターで、加藤の首を引き裂いた。血しぶきが暗がりの床に投写され、加藤の首が重たい心地をさせる音とともに、零れ落ちた。特に感じるものもなく、怪人はその光景を視界に移していた。

 「随分と残虐な仕打ちをしてくれますね。ザジャーク」

怪人に声がかかる。その目線の先には、黒フードの男、もといスネジャロクの人間態が立っていた。その出で立ちは、闇から浮き出た地獄の使者のようだった。スネジャロクを確認した怪人、ザジャークはその姿を、高校生ぐらいの少年に変えた。人間態となったザジャークは口を開いた。

「でも、この人ぼくたちのこと嫌いみたいだから。そういう人はいらないんだよね?」

スネジャロクは、言い聞かせるような調子で返答した。

「確かにいずれ人間は不必要な存在になるでしょう。しかし、今の貴方の仕事は、聖黒師団の関係者の口封じであり、人間の駆逐ではないのです」

説教を聞き終えたザジャークは、つまらなそうに目を背けた。その姿に微笑みかけたスネジャロクは、

「これは、西園寺社長からの直々の命令です。くれぐれも抜かり無いように」

と一言残し、消えていった。

 独り部屋に残されたザジャークは、嘗て加藤だった肉片を見下した。

「つまんないの」

虚空に不平を漏らしたザジャークは、未だに目が見開いた加藤の生首にかじりついた。







 

 ホリスシティには、俗に『関所』と俗称される施設が市と市との間に存在している。街の平穏を守るために危険な分子を入れないという題目の元、入国審査ばりの厳しいチェックがそこでなされていた。危険な武器や麻薬等を持ち込んでいるか否かが、大きなチェック項目であった。

 そんな施設の前に佇むは、二人の男。両者とも、刃が羽織っているような黒いロングコートを纏っていた。左手の人差し指に、霊装輪をはめているため、霊装武士であることが伺える。

 同じ霊装武士を傷つけた鈴鹿将暉を引っ捕らえる。それが彼らの目的だった。彼らにとっては、闇に堕ちた霊装武士もこの街にいるということのほうが気がかりであったが、仕事故に、鈴鹿将暉の確保に徹するほかならなかった。

 行くぞ、と男が片方の男に催促した。関所を無視して街に入れば、問答無用の銃殺刑が待っているとの事なので、多少時間がかかっても関所の審査を受けるほうが妥当と言える。催促した男は脳内でそう持論を展開し、歩み始めた。

 催促された方の男が、中々歩き出す気配を見せない。そう背中で感じた刹那だった。男の後ろに位置する形となった彼が、男の後頭部を殴りつけたのだ。殴打された部分を抑え、地に付す男。

「何をする?!」

男が怒鳴り散らした。しかし、殴った男は不敵な笑みを湛え、彼を見下ろしている。

「突然の無礼をご容赦ください」

丁寧な口調で謝罪した男の姿が、蛇のネクロ、スネジャロクに変化した。倒れたまま、男が目を見開く。

「ネクロだと?!」

「食べた人間の姿に変装する。私の能力があれば、人間一人を騙すなど造作もない事です」

男の驚愕を、涼しく受け流すスネジャロク。隙を与えず、スネジャロクが口を動かす。

「しかし、貴方のお相手は私ではございません。後は頼みましたよ。私は忙しいのでね」

 スネジャロクの姿が、その場から消える。立ち上がった男があたりを見渡し、目を凝らす。そして、大道路を横並びで走る三台のオフロードバイク。その上に乗るゴキブリのような見た目の怪人を見つけるのに、そう時間はかからなかった。後を頼まれたのは、あの連中のようだ。真ん中の怪人は、右手から先がカッターナイフの刃のようになっており、刃の側面に据え付けられている管は、機関砲のようで、兵器然とした無骨さを備えていた。大道路は、施設に向って伸びているため、接触するのも時間の問題だ。

 「クソッ……霊装!」

男は叫び、左手の霊装輪を前に掲げた。その瞬間を怪人は見逃さなかった。中央のゴキブリ怪人が右手の機関砲を放ったのだ。その距離おおよそ五十メートル。着弾地点は、彼の霊装輪だった。これほどの距離があれば、霊装輪は豆粒か、それよりも小さい的となる。怪人は正確にそれを撃ち抜き、火花を散らさせたのだ。

「馬鹿なッ!」

男が叫び、再び霊装輪を前に掲げる。しかし、本来出現するべき鎧が、まるで出てこない。先程の銃撃に原因があることは、誰の目にもわかる。

 男が戸惑ううちに、ゴキブリ怪人を乗せたバイクが彼を囲った。施設から、複数の野次馬たちがこちらを覗いている。男はそれを横目にはさむことができた。怪人達がバイクから降り、囲むフォーメーションをそのままに、彼の前に立ち塞がる。

「お前達……一体何なんだ?!」

男が激情を顕にする。その剣幕に圧される素振りもさしては見せず、残り二人の怪人が、右手から先をカッターと機関砲の複合兵装に変えた。野次馬達も、各々緊張を宿した瞳で事の次第を見つめている。

 「これより、『西園寺セキュリティガードサービス』の命により、危険分子の掃討を開始する!」

怪人の一体が、随分と流暢な日本語で宣言した。それは、野次馬達に呼びかけるような調子だった。その一言に男は身構える。西園寺セキュリティガードサービスとは一体?その名が示す通り、西園寺コーポレーション系列の連中であることは明白だ。治安維持部隊でも気取るつもりか?

 三体の怪人の複合兵装、その銃口がこちらを向いた。その銃口の丸いことを視覚した次の瞬間。

ズドドドドドッ!

 オレンジ色の小ぶりな閃光が、男の胸を、肩を、腹を、貫いた。その軌跡を赤い血が這う。民衆の悲鳴が弾け飛ぶ。それらがきれいなくらい連鎖的に起こるわけだから、場はすぐに、混沌の中に放り込まれることとなった。間もなく、その男は糸が切れた操り人形が如く、その場に倒れ込んだ。






 


 資料、という名目で心晴が喫茶店に持ち込んできたのは、ぶ厚めの一冊の本だった。本といっても、何枚もの紙の端を、だいぶ細めの縄で纏めたという見てくれの、和装本と分類されるであろう書物だった。紙が黄ばんでいたり、よれていたりしているのが、より古臭い印象を抱かせてくれた。

 その本を、一ページ一ページ目を通しながら捲る彼女の背中を、匠海はじっと見つめていた。心晴曰く、冴沢佑介なる人物の事を調べているのだとかいう。

 「……あ、あった」

しばらくした後、その一言と共に心晴は動きを止めた。匠海が近づき、本を後ろから覗き込んだ。そこには、漢文と思わしき崩れた文字が羅列されていた。何が書いてあるのか、匠海には全く検討がつかない。かろうじて解るのは、介の文字くらいか。

「冴沢佑介。東の本山に所属していた霊装武士。嘗ての本山の幹部『ローガ』が起こした反乱では、ローガが復活させた『ジャキョウ』の討伐に協力した。だが、その後失踪。その間に、『深淵の孤島』に封印されてあった『ジャキョウの右腕』を自身に取り込むことで、闇の霊装武士『朧』となり、嘗て共に戦った霊装武士『暁』を殺害した……か」

 文面を指でなぞりつつ心晴は読み上げた。仕える主を失い、専用の台座に巻き付いたノウンが

「全く忌々しい………」

と憤るのを横目にはさみつつ、ひととおり聴いた匠海の脳内には、いくつかの疑問点が浮かび上がっていた。

「すみません……、『ジャキョウ』って一体……?」

匠海に向き直った心晴が答えた。

「えーっと、簡単に言えば、ネクロの王様って感じかな」

王様……と匠海が反芻する。

「ネクロの頂点に立ち、ネクロを統率する。それだけじゃないわ。奴の力を受けたネクロは今まで以上に強くなる。そうなれば、貴方達人間はおしまいだわ」

割ってジェーンが補足する。

「貴方達の言う鎌倉時代、だったかしら。その時代に起きた戦いで当時の暁によって討伐されたんだけど、その亡き骸が日本の四方八方、色んなところに飛び散っちゃってね。複数個用意するか、強い霊力をかけるかすれば、亡き骸からも奴は復活することが出来る。そうなればいよいよ厄介よねぇ」

詳しい事は了解し得ないが、とりあえず復活したらやべぇ、という事は匠海にも理解できた。ジェーン曰く、亡き骸自体に強い霊力が備わっているらしい。特に腕の霊力が強いとされており、両腕が揃ってしまえば、ジャキョウは簡単にも復活できてしまうとのことだ。加えて、両手の甲には二つ揃うとその者の願いが叶うとの謂れがある、『魔我之目まがのめ』がある。何かしらの願いを叶えるために、冴沢佑介はジャキョウの右腕を取り込み、左腕を探しているのではないか。心晴はそう考察している模様だ。

 与えられた情報を一通り咀嚼していた匠海の鼓膜を、ちょっといいかい、と聞き慣れた声が揺らした。ぱっと見上げた匠海の視界に高岩が映る。晩飯の片付けを終えた直後のようで、淡いクリーム色のエプロンを下げたままだった。

 その様子を見て匠海は、心晴が誘拐された刃と入れ替わる形で、喫茶たかいわに居候することになった事を改めて理解した。拐われた刃のことや、朧の事が引っ掛っているというのが、心晴の言い分だった。実際、彼女は刃の捜索に出向いていたと高岩から聞いていた。成果こそつかなかったものの。

 心晴の舌を唸らせた時の愉快な表情は面影を見せず、シリアスな面持ちが高岩の顔にはあった。場の空気がそうさせているのだろう。

 「何?」

心晴が高岩に聞き返す。

「いやさっきさ、そのぉ、おぼろ、だっけ?そいつが暁を殺したみたいなこと言ってたけど、一体どういうことなのさ?」

重い表情の心晴が目線を机に落としつつ、答えた。

「その時殺された暁は、刃の師匠なんだ。私が刃と会う前の話だからよくわかんないど、奴が刃の仇なのは確かかな……」

仇。フィクションではアツい展開だが、実際はかなり生々しい話なのだろう。ふと、匠海はそんなことを思考に取り留めた。心晴の悔しそうな、悲しそうな文句回し。これがただならぬ事態であること言うことを告げていた。

 「朧は怖いけど、今は刃を探す事を優先したほうが絶対にいい。もう上には報告してあるけど、連中がすぐに動いてくれる保証はないから、ボクらから動かなくちゃいけないね」

心晴は机の上の本を閉じ、呟いた。声音こそ明るかったが、無理にそうしているようにも見えた。

「こっちもできる限り協力するよ。な?」

そんな彼女の姿を見て、高岩は元気づける調子で言い放った。優しさ故の行動であることは十分に理解できる。最後の疑問句は匠海の方角に向いていたため、匠海も慌てて頷いた。匠海の性分もあり、さほど接点を持てていないものの、刃がいなくなったままなのは正直心配だった。知り合いが失踪したなんて事は、気分がいいものではない。

 ただ、高岩らの鼓舞に心晴が笑顔で頷いてくれたのが、唯一の救いのように思えた。






 「とりあえず、一段落ついた、って感じかな」

朱色の夕焼けがより良く映えるのは、ビルの屋上の強みだった。落下防止の柵に身体をもたれる左介は、ふと、缶コーヒーを喉に流し込む。淡く滑らかな苦味が、身体の下へと染み渡っていくのを感じられる。正直、この飲み物を気に入っている自分がいた。それを認めるか否かは別として。

「神崎刃。奴を倒すことが鈴鹿将暉の目的……か。同族を殺すことで、悦びを感じる。つくづく面白いが………」

左介の呟きが、夕日に照らされる街に溶け込んでいく。今の彼にとってはその方が都合が良かった。

「将暉。これが真のラストチャンスだ。最大の幸福が、君に訪れることを祈るよ」

 左介の掌中には、黄色い折り鶴があった。念を押すように、その言葉を吐くと、左介は折り鶴を空へ投げた。鶴は空中で自動的に体制を立て直すと、そのまま彼方へと飛び去った。

 その鶴の後ろ姿を、左介は笑みを浮かべて見送った。穏やかな笑みだった。が、その瞳の深淵は、異様なまでに暗かった。自分の秘すべき何かを置くには、あまりにも充分。そう、まるで、祈りを捧げるべき人物を、祈祷の裏で嘲笑う悪魔のような、禍々しい邪悪。

 「将暉。これが終わったら、僕が慰めてあげる。君は、君の魂は、護るべき存在だからね」

その言葉には、慈悲に満ちた、温かく優しい響きがあった。そして、それまでの得体の知れない危険な感覚が全て嘘、杞憂であったかのように思わせてくれた。







 闇に閉された、そう形容するのが相応しい空間に、刃は独り立ち尽くしていた。左腕に巻き付いているノウンの感覚が、まるでない。それが心細くて仕方がない。ここは何処か、俺に何が起きたのか、それを教えてくれる存在がいない。その不安が心に巻き付いていくようだ。孤独には慣れきっていた筈なのに。

 そんな心理状況でも、未知なる敵意を素早く感じ取れるのが、刃の凄みだった。闇に紛れ、こちらを裂かんとする殺意を刃は確かに避けてみせた。

 殺意の来た方向に目を向ける刃。そこには、漆黒の鎧を身に纏う霊装武士がこちらを見据えていた。忘れもしない。漆黒武士『朧』である。

「お前が俺を、ここに連れてきたのか?!」

刃が叫ぶ。しかし、問いかけに反応する素振りを見せないのが、この朧だった。その代わりと言わんばかりに、朧は刃に向かって走り出し、携えた剣を空に掲げた。直様構える刃。その手には、いつの間にか霊刀が持たされていた。

「ダァッ!」

戸惑いを見せつつ、刃は霊刀を横に振るった。刀は、あっさりと朧の腹を切り裂き、奴の身を地面に投げ出させた。意外にも、呆気なかった。依然として朧は仰向けに倒れたままだ。

 「どうしたァ……?トドメをささないのか?」

自身を煽りつけるような調子の声が、刃の脳内に響いた。その声は、間違いなく自分のものであった。

「早く息の根を止めろよ。手加減でもしてるつもりかァ?」

しかしおかしい。刃はその声が自身のものであるように思えないのだ。声質は確かに似ているというか一致している。しかし、その文句の裏に潜れた嗜虐心、凶暴性、殺気。それらの所有権が自身にあるようには、とても思えないのだ。まるで、もう一人の自分。

 「その男を殺せば、お前は楽になれるぜ。人殺しを躊躇う、あまちゃんなストッパーがなくなるからなァ」

彼の囁きは、深く、深く、刃の絶望をえぐり取っていく。

「奴は……ネクロだ………俺は人殺しじゃないッ!」

間隙、そこを突く痛みを掻き消さんが如く、刃が絶叫する。しかし、まったくもって無意味なようだ。

「そう思いたいのは奴が、冴沢佑介が『人間』として、お前の心の中に居るからだろう?だから、ネクロだとか吐かして自分を正当化しようとする。まァ、冴沢がネクロなのはあながち間違いではないがな。ただ、お前が人間を失いたくないのは事実なんだよなァ。そうだろ?」

見透かされている。全く不快な気分にさせてくれる。残虐なる痛みが、刃を打ち付ける。

「可哀想になァ。お前は人間を求め続けてやがる。何故かって?お前が信じていた人間は、皆何処かにいっちまったからなァ。師匠だって、冴沢だって、そして、結だって」

「それ以上言うなぁッ!」

絶叫が、暗闇の虚空に霧散する。黒ずんだ血と肉を引っ付けたナイフは、刃に確かな苦痛を植え付けていった。

「人間を求めるだけならわかるぜ。ただよぉ、お前は人間を信じようとしていない。詩織……だったっけか?あいつもつくづく可愛そうだよなァ。悪気もなくお前に接してるのによ。そんなやつに、素直になれてないのが何よりの証拠よ。まさかお前、失ったときに余計悲しくなるから、だから近づきたいのに近づけないとか、女々しいこと言うんじゃあないだろうなァ。えェ?」

尚も奴の言葉は迫る。刃は震えていた。自身の内に秘めた羞恥を吐き出される。何たる不快。自らをここまで侵される恐怖。背筋から駆け上がるおぞましい寒気に、刃は身を悶る。

「人間を信じたくないのに、人間を求める。なァ、都合が良すぎるんじゃあないか?そんな事思っちまうお前に、人間が寄り付くはずぁねぇんだよ。解るだろ?」

語り口は止まらない。刃の絶望に比例するように、加速していく。

「人間なんてよ、どうせ最後はお前の前から居なくなっちまうんだよ。だからよォ、最初から居なくてマシなんだよな。だって失う必要がなくなるんだもの。悲しまなくて、済むんだぜ。あのよォ、もういいだろ。殺せ。殺しちまえ。手前は独りで生きてくんだよ」

 半ば呆れた口調で奴に諭された刹那、刃の手を、足を、身体を、地面から浮き出てきた黒い闇が覆っていく。痛みはなかった。だが、闇は止まらない。それが、ただただ苦しい。

「止めろ……止めてくれ……!」

「もう無駄だぜ。お前は、お前自身の心に巣食う闇に、勝つことが出来なかった。それだけの事だ」

淡白にも、奴は述べた。

 今まで自身の身体に突き刺さり、心を血で染めてくれたナイフ。その一つ一つの形状から切れ味、ありとあらゆる情報を、刃は知っていた。それが、あってはならない禁忌であり、凶器であることも。何せ、そのナイフを作ったのは紛れもなく、刃その人だったのだ。だからこそ、余計に傷つく。認めたくなくなる。そのナイフは、心の深淵に、闇に、封印していた。心に近ければ近いほど、痛く、苦しい、代物だった。だが、人に向けられれば、それは十分な殺戮兵器と成り得る。人間の心の闇とは、そういうものなのだ。気持ち一つで、人は人を生かし、人を殺す。勿論、最初は人を殺そうなどと、過激な妄執がそこに在るわけではなかった。しかし、闇が自身を這い上がるごとに、次第に上述した狂気が刃の中に目覚めていった。種や胞子のない地に、植物が栄える試しはない。人を信じられない。それこそが、このどす黒い茎を生み出した種だったのだ。今となってはもう遅い。抗えない。既に侵食は、始まっていた。

「光と闇の二面性があるのが、人間の特権だよ。だからそう気を落とすなよォ。闇に呑まれる事は、そう不自然なものじゃあない。お前は失われる訳じゃあねぇからな」

 彼の全身を覆った闇はやがて固形化し、全身を漆黒に染めた『暁 暗黒之陣』へと変貌した。もうそこに、嘗ての刃はいない。

「………これが、刃。お前の本性だよ」

短くも宣言した曉は躊躇いもなく、右手の霊刀を、倒れ込んだ朧に突き刺した。






 オーダードームの社長室からは、街一帯を臨むことが出来る。ドーム状の建物の中央部から上へと伸びるタワー状の施設。その最上階に位置するためである。

 日本経済に多大な恩恵を与えるため、数多の人々が尽力するビジネスビル、自然の溢れる広く穏やかな公園、日夜、観光客の興味を惹き、感動を巻き起こしてやまない興行施設。世界的に見ても、ここまで発展し住民を充実させる地はそう多くないとされていた。そんな街を一代で築き上げた西園寺にとって、上述した風景を眺めることは、達成感を与えてくれる至福の時間だった。

 事実上、この街の支配者となり、自身が再び創り上げたこのコーポレーションは世界に名を轟かす企業となった。そんなバックボーンが今の西園寺を支えているものの、彼は満足しているわけではなかった。

 盛者必衰。その言葉を彼は最も恐れていた。たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。歳や社内抗争や病。王座の上に吊り下げられた剣の糸を裂かんとするものは未だに多くあった。それらを乗り越え、民衆を従わせ、永遠をも超越した、絶対なる支配権。その渇望こそが、今の彼を突き動かしていた。

「そのために、私は王の力を完全なものへと昇華させなければならない……」

 西園寺は一人、その左腕に目を降ろした。その腕は、人間が持つべき腕の形をしてはいなかった。








 

 その夜の雨は、突然なものだった。天気予報でも、今日は雨が降るなどという文句を聞いてはいない。ふと横目に挟んだ公園の芝を、そして、詩織の肩を冷たい雨が容赦なく濡らしていく。

 その公園には見覚えが、いや、それ以上の確かな形を持って詩織の心の中に居座っていた。それを詩織自身が理解していたからこそ、彼女は閉された公園の入り口の前で立ち止まってしまった。傘なんて持っていないのに。

『ここが一番落ち着く場所だからな』

『ガキはこういうのやると喜ぶんだろ?』

『頑張れよ』

 あの日公園に居た刃の声が、ふと再生される。朧げである事は否めないが、確かにその声は詩織の中に響く。

 あの日の刃は、確かに笑っていた。満面の笑みという事はなかったが、その口角は上がっているように詩織には見えた。初めて見た、刃の笑顔だった。知り合ってそう長くない間柄故に、刃がどんな人間で、どんなことを考えるのかが解る試しはない。だが、あのとき自分と接したことで、彼は癒やされていたのではないか。そんな考えが詩織には浮かんでいた。自信だとか確信だとか、安心材料があるはずはない。あの笑顔をもう一度見てみたい。そう思って刃に接してみたものの、大した成果が得られなかった過去が存在するからだ。それでも、あの日だけでも、刃を癒せていたとしたら。自分にとって、この上ない喜びとなる。そんな気がしていた。

 物心付く頃には、詩織の母はいなかった。重い病で死んだと聞いている。中学に入る頃には、優しく自分を育ててくれた父も失踪し、彼女はとうとう独りになった。孤独という、何処までも空虚で冷たい監獄。多感な時期にそんな奈落に突き落とされた詩織の精神は、当然ながら傷つけられ、黒ずんだ血の跡すらも拭えない荒んだものになっていた。非行をやってのけ、警察の世話になることがなかったのが唯一の幸いだったが、いずれにせよ、世界が良く見えてはいなかった。

 そんな彼女に光を当て、癒やしてくれたのは、作家であり、彼女を引き取ってくれた祖父の小説だった。彼の活字には、時に温かく、時に熱い、血肉が、鼓動があった。その躍動は、生の悦びを高らかに謳い上げていた。文字は人をこうも癒やすことができるのか。その可能性に、詩織は静かな感動を覚えた。

「技巧だとかセンスだとか、そんな入り込んだものは関係ない。ただ、伝えたいことがある。その欲求に震える魂を文字に乗せるのが、作家のやることだ」

 祖父の信条に沿い、自分も誰かを癒やしたい。自分の思いが、誰かを動かすのならば、その誰かの力になりたい。夢が芽吹いた。そして、詩織を輝かせた。自身の道程が、詩織を突き動かした瞬間だった。

 そんな遍歴があるからこそ、刃を癒せる事が嬉しく感じられる。そして、そんな刃が居なくなってしまったからこそ、小さく短い思い出が窮屈なものになってしまう。

 「神崎さん………」

彼の名前が、彼の身を案じる純粋な結露として口から漏れ出した。その刹那。

「まだ野郎の事、心配してるのか?」

問いかけたその者は、鈴鹿将暉だった。刃を殺そうとした、宿敵。そのレッテルが反射的によぎった詩織は、その身を硬直させた。だが、傘をさした将暉は、黄色い折り鶴を回収しつつも、構うことなく詩織へと歩みを進める。しかし、その面持ちは固く暗い。バイトで接していたときのような、飄々とした感じはそこになかった。違和感を感じつつ、同時に衝動も感じた詩織は、ただ、唇を震わせることしかできない。

「言いたいことがあるなら、言いなよ。スッキリするんじゃないの?」

詩織の心の中のカオスを瞬時に見抜いた将暉が催促する。恐怖を克服しきれてはいないものの、詩織は何とか肉声を出すことができた。

「どうして……神崎さんにひどいことするんですか?」

やっぱりね、呆れた一言が将暉から返ってきた。

「奴は、俺の弟を殺した。弟だけじゃないぜ。弟のいた村の人を全員殺した。だから、俺が仇をとってやろうっつう話だよ。何か悪い?」

弟を殺した?仇討ち?どうにも理解できないワードが、さも平然と将暉の口から語られる。詩織の困惑を、勿論、将暉は見抜いていた。

「自分に良くしてくれたからって、簡単に人間を信じるもんじゃないぜ。正直、俺、びっくりしちゃったよ。あの外道が人助けなんてやってのけてるからなぁ。可哀想だけど、君、奴に乗せられちゃってるかもね。だから、男を見る目ってのは必要なのよ。悪い男にホイホイ付いていっちゃ、ろくなことないからね」

信じたくなかった。疑いたくもなかった。しかし、小さいながらも確かな懐疑心が、詩織の心には根付いていた。将暉の言葉を信じる義理もないのに。それなのに、将暉の忌々しさをむき出したその目からは、真実が語られているようでままならない。

「なんで……なんで神崎さんがそんな事する必要があるんです?!」

懐疑心。そして、それの温床となった心の弱さを隠すべく、詩織は叫んだ。

 返答はなかった。その代わりに、将暉は背中側に振り返りつつ、瞬時に取り出した銃を二、三発放った。そこに広がるのは、闇。しかし、その闇の中で火花が散った。着弾を明示しているようだ。

「遠くで見てるだけじゃ、この俺はお前に惚れちゃくれないぜ?」

さっさと出てこいといった主旨の発言だった。プレイボーイかぶれな言い回しではあったが、決して余裕がある響きではなかった。将暉はいつものようではない。何か、心に引っかかるものがあるやも知れない。詩織には瞬発的な思考ではあるが、そう思えた。

 やがて、闇の中から、ロングコートの男が現れた。見覚えがあった。そして、その見覚えは希望戸して、詩織の中で連鎖した。この状況を打開してくれる、そんな希望。

「神崎さん!」

男、刃の名前を叫び、詩織が走り出す。やはり、彼は自分を助けてくれる。彼は外道などというものではない。そんな安堵が溢れ出した。だが、無防備に近寄る詩織を、刃は無言で殴りつけた。その衝撃で、安堵が、希望が、確かに崩れた。先行する戸惑いは、その事実すら感じさせてくれない。

「手前……神崎じゃないな……?」

尻もちをつき、目を見開く詩織を見た将暉は、刃に疑問をぶつける。刃はニヤリと口を歪めた。

「俺は、神崎刃でもあって神崎刃ではない。奴の心の闇が具現化した、本当の神崎刃だ……!」

刃よりも低くなったその声は、将暉の困惑を嘲笑しているかのような調子だった。

「黙れこのメンヘラが!戦いたいなら戦ってやるよ。霊装!」

気味の悪さを打ち消す為か、将暉は、雅に霊装した。一方、刃はますます口の歪みを深くする。その様が、滑稽に見えるようだ。

「そうこなくてはな。俺が生まれた甲斐がないものなァ……」

そう吐くと、徐に左腕をあげる刃。その人差し指には、黒い霊装輪が嵌められている。

「俺はもはや幻などではない…………霊装!」

 霊装の掛け声と共に、刃が『暁 暗黒之陣』の姿に変化する。プロポーションはそこまで差異はない。が、その体色は、闇や悪魔といった、邪悪な存在を想起させるような、黒と銀に変わっており、光沢のある赤や金の色はすっかり失せていた。楕円形の瞳も、その目尻がより鋭く尖っており、ヴィラン特有の禍々しさを印象付けるには十分な仕様となっていた。

 「へぇ……手前、イメチェンに興味があったなんてな」

雅は、その姿を物珍しそうに眺めていたが、それに飽きたと言わんばかりに、霊銃を暁に向けた。

「だが、褒められた趣味じゃあないんじゃないかぁ?!」

トリガーが引かれる。銃口がひとしきりに輝き、電撃弾が発射される。矛先は勿論、暁だ。

「……フンッ!」

それに対抗するように、暁が黒い炎を掌中から放つ。当然ながら、弾と炎が衝突する。尚も直進する炎。それは、咄嗟の回避行動をとった雅の右肩の一部をかすめた。だが、雅が目をひん剥いたのはその直後だった。

「何ッ?!」

炎に呑み込まれた弾は、総じて黒い灰となって消滅したのだ。弾だけではない。被弾した右肩の一部もまた、黒い灰に変わり、ほろほろと崩れ落ちていく。

「どんなデタラメだ?!」

若干動転する心を抑え、雅が再び銃を撃つ。が、今度は暁の姿が消えた。闇に溶け入るようだった。

「何処に行きやがった……?」

銃を構えつつ、雅が辺りを見渡す。暁の姿はまるで見えない。

「ここだよ……」

雅の背後、丁度雅の影が横たわる地点から、奴は現れた。何の音沙汰もなかった。ぎょっと振り向く雅。その左頬を暁が殴打する。凄まじい速さ。衝撃でぶれた視点を再び暁に戻す。

「何だと……?!」

雅がそう呻いたのも無理はない。先程自分を殴り付けた暁が、視界のどこにも居ないのだ。またしても奴は消えたのか。緊張感が抜けない身体と心のまま、今一度警戒態勢を取る。様々な方角に注視する雅。しかし、そのどこにも暁は居ない。認めたくはなかったが、確かな焦燥が植え付けられていた。

「少しは学習したらどうだァッ!」

衝撃は、突然のものだった。猟奇的な言い回しと共に、雅の背後に放たれたそれは、雅の身体を大きく前方へと吹き飛ばした。ある一種の物理衝撃と化した雅の身体は、人の立ち入りを禁止せんと立ち塞がる、公園の門を悠に突き破った。

 「鈴鹿さんっ!」

立ち上がることも忘れ、戦いの行く末を見守っていた詩織が叫ぶ。そんな彼女に目も向けず、暁は無秩序に崩れた門へと歩みを進めた。

 痛みで動くことが出来ない。寝そべるのがやっとの状態の雅の視線に、暁が映る。その右手には霊刀が握られており、その凶刃は怪しく白い光を反射させていた。

「こ……殺される……将人のときと同じように……」

傷一つ見れない五体満足の暁の姿は、雅にとって十分に恐怖できるものだった。仇を討ちたかっただけなのに。あと少しで倒せたはずなのに。雅の脳裏には、自身の弟を殺した、残忍で忌々しい霊装武士の姿が再生される。筈だった。

「?!……なんだ………この記憶は……?!」

そこに映ったのは、将人の首を折り、それを冷笑する暁ではなく、スネジャロクであった。暁の代わりと言わんばかりの立ち姿だ。

 何故だ?弟を殺したのは、暁のはずだ。俺は確かにこの目で見た。自身の目の前で、唯一の肉親の命を刈り取る、見た目通り、鬼畜の如き所業をやってのけた暁の姿を。そんな暁だから、赦せない。必ず殺してやる。そのために俺はこの街に来たのだ。左介と手を組み、………左介?左介とは………

「君を………守って……あげた……いんだ」

「負傷……した……暁………が今……夜本山に戻……るそ……う……だ……」

左介が放った言葉が、ノイズ混じりで再生される。左介という男は存在する。しかし、それは確かなものとは言えなかった。まるで、空想の中に生きていて、現実においては血肉を持たない存在。何故そう思えるのか、まるで解らない。今まで彼の言葉、彼の存在を疑うことはなかった。彼は、俺の赦されない孤独な戦いに寄り添ってくれた存在………なのか?何故、こうも俺は疑ってしまう?こんな時に……?信じていたい気持ちは勿論ある。しかし、俺の心の奥で、奇妙な違和感を感じる。俺は………騙されている?

 「よそ見なんかしてんじゃあねぇよボケがァァッ!」

雅が攻撃姿勢を見せないためか、憤りを顕にした暁が、走り出し、その刀を振りかざした。刃は、明らかにこちらを向いている。雅は反射的に死を覚悟した。どうあがいても、この状況を打開することは出来ない。刀が致命傷にならないことを祈ることしか出来やしない。

 ブウウゥンッ!

 刀が、風を斬った。しかし、その凶刃は断じて雅を切り裂いた訳ではなかった。それは、雅の額スレスレの位置で、停止していた。

 そして、雅は暁の隣で、刀を持った腕を止める男の姿を視線に置いていた。男は半透明かつ微かな光を放っており、黒い暁とは対照的な印象を持つことができる。

「神崎……!」

必死の形相で、男、神崎刃は黒い暁を睨みつけていた。

「馬鹿な!貴様は己の闇に呑まれた筈!だのにィ!」

「鈴鹿ぁ!俺から離れろ!早く!」

腕を自分の腹部に強引に寄せつつ、刃が催促する。 そうはさせんと暁も自身の腕を引き戻す。いつの間にか駆けつけていた詩織も、その様に唖然としていた。

 自分対自分の小競り合いで足が止まってしまったのが要因であろうか。暁の胸部に、突如として飛んできた紫色のエネルギー弾が直撃。後ろへ大きく追い戻される。

「調子を狂わせるんじゃあねぇコナクソォ!」

暁が怒りの咆哮を上げる。だが、状況の不利を悟ってか、自身の身体を闇の中へと溶け込ませ、その場から消滅した。実際、暁の動きは、常に外的な抵抗を受けているかのようにぎこちないものだった。その始終に見終えた雅は、暁が口から発した狂った矢の矛先へ目を向ける。

 高台と言うべきか、遠目で見たら平地とは頭一つ抜き出た高さを持つその場所に、フードの男、スネジャロクが立っていた。落下防止の手すりに置くわけでなく、前方に伸ばした右手を徐に下げた。

「スネジャロク……!これも手前の仕業か?」

雅が詰問する。現状、こんな手の混んだ殺しをやろうと思いつけるのは、奴しかいない。その確信が雅の声色を強いものとした。

「神崎刃は私の力によって、闇に堕ちた。いや、私の闇、そして、朧の斬撃を受けた際に彼が受け取った闇の力で、彼の心の中の闇を増幅させた、と答えるのが正解でしょうか。貴方が知った所で、有意義な情報になるとは思えませんがね」

スネジャロクは丁寧にも説明をよこした。その悠々とした態度。それは雅を沸々と熱くする。悪い意味ではあるものの。

「しかし、未だに彼の心の光の部分が残っていた事は、たいそう驚きましたよ。私の思惑通りに動いてくれるとは思っていましたが、少々高望みをしすぎたようですね。これは反省しなければなりません。そして、計画を練り直さなければいけないようですね」

「計画だと……?」

雅がいぶかしがる。その様を愉快と思わんばかりに、スネジャロクは鼻で笑った。雅を見下すその不愉快な態度を変えるつもりはないように見える。

 「全ては完全なる平和の為です。この混沌とした世界を桃源郷とすべく、私はこれまで尽力してきたつもりなのです」

「ネクロがもたらす平和か……洒落にしては少しナンセンスだな」

スネジャロクの悠々とした言い分を、雅は確かな意志を持って否定した。その拒絶的な視線を受けたスネジャロクはたいそう残念そうに溜息をついた。それはまるで、自身の意図を理解できない雅を憐れんでいるようにも見て取れた。

「つくづく視野が狭いものですね。あなたには期待していましたが……つくづく残念です」

溜息の後、スネジャロクはそんな一言を吐いた。

「何が言いたい……?」

雅が問いかけたのを皮切りに、スネジャロクは再び口を開いた。

「あなたはもう、必要ない」

 声が変わった。それも、何処かで聞いた声だった。それを雅が思い出そうとする合間に、スネジャロクはそのフードを外した。漆黒の影が、潮の引くが如く徐々に晴れていき、今まで目視できなかったその顔が顕になった。

「?!貴様は……!」

雅が身体を硬直させ、その顔を凝視する。

 全てを思い出した。先程から異常なまでにおぼろげになっていた記憶。全てが鮮明に塗りつぶされていく。将人を殺した者の正体。自分の復讐に協力していた仲間。コペルニクス的転回とでも言うべきか否か。それほどまでに、意外なものだった。しかし、それは真実だった。そう悟った。それを強いる、奴の、瞳。

 「左介……?!お前なのか?!」

雅が驚愕で彩られた声音で呻く。如何にも、と言うが如くスネジャロクもとい、左介が不気味な笑みを浮かべる。それは慈愛や安心といった感情を与えてはくれなかった。

「鈴鹿将暉……こう言うのは心苦しいけれどね……」

憐れみは形だけ。その声が雅の皮膚を撫で、粟立たせる。何故、奴が……?そう自問する雅の前で、左介はスネジャロクの姿に変身した。その目に浮かぶのは、嘲笑。

「君を処刑する」

嗜虐に満ちた宣告がなされた。

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炎鬼武士 暁 ポチ太郎 @acvgrkx

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