第十二話 ー漆黒なる刺客ー
遠くからでも十分に目につく立入禁止のテープ。その後ろでせわしなく作業する複数の人という場面は、深夜の街には余りにも意外なものだった。それを好奇の目で見つめる野次馬共に、俗に言う『ジャーナリスト』の青年『
「しかし、このご遺体。奇妙な損傷の仕方をしていたな……」
瀬川の隣に立つ同僚のジャーナリストがよそよそと動き回る捜査員たちに視線を移し、ボソリと呟いた。彼は遺体の第一発見者への取材を、既に終えているようだった。仕事が早いのが奴の取り柄だと、瀬川は心得ていた。
「奇妙?どんなだ?」
自然と目線が同僚の顔へと切り替わる。彼はすぐに口を開いた。
「いや、なんというか、身体ののあちらこちらの肉が欠損していたんだ。まるで、何かに食われたかのようにな」
身体の肉が食われていた。その特徴は瀬川の脳内で一際強い存在感を放ち、居座った。
「こいつも同じか」
そんな一言が反射的に紡がれた。同僚が赤を写した怪訝な目を向ける。
「同じって、何とだよ?」
瀬川はおもむろにコートの内ポケットをあさり、取り出した数センチ四方の紙を同僚に示した。彼が目を丸くする。それは新聞の切り抜きだった。
「お前、この事件知ってるか?」
その記事には『山奥の廃墟で集団自殺か。』という見出しが書かれていた。
ボロボロに打ち負かされた刃を抱えた女性が喫茶たかいわの戸を叩いたのは午前ニ時頃。刃をベッドに寝かせ、一階に降りた匠海は、テーブル席に向かい合う形で座っている高岩と女性を視界に入れた。女性の手元に置かれているお茶は高岩が出したものであろう。
「あ、匠海も座りなさい」
深刻な面持ちの高岩に催促され、匠海は彼の隣りに座った。お茶をテーブルに置いたのをきっかけに、女性は話を切り出した。
彼女の年齢は、刃と同じくらいだろうか。栗色の長髪を後頭部でまとめている。服装もまた、刃が着用しているものと同じ、黒いロングコートを着こなしていた。隊員服的なものだろうか、と一見した匠海はそんなことを思ってみたが、それは推測の域を出るものではなかった。
「ボクは『
「私は高岩豊です。よろしく」
「縄田匠海です……」
即席の自己紹介を終えた後、匠海は気になっていたことを口にしてみた。
「えっと……木曽さんは、その、神崎さんとどのようなご関係で……?」
緊張故かは知らないが、もう少し違う言葉を使えなかったものかと匠海は恥じたが、心晴は割とすぐに返答をくれた。
「んーとまぁ、同業者ってところかな。この街に来る前から刃とは仲良くさせてもらってたんだ」
同業者、という言葉と、左手の人差し指にはめられた指輪から、彼女も霊装武士だと言うことを匠海は改めて、理解した。この街の霊装武士同士の殺し合いを仲裁する為に配属された、という主旨の話も、匠海は心晴の口から聴くことができた。
一貫して、物腰柔らかに応じてくれたことに安心した匠海の横ばいから、高岩の質問が飛んできた。
「それで、神崎君はどうしてあんなことに?」
その質問に顔色を変えつつ、心晴は答えた。空に漂う空気がプレス機の如く三人を押しつぶすような感じがする。
「刃は殺されかけたんだ。………鈴鹿将暉に」
鈴鹿将暉。顔も名前もすぐに見当がつく人物の名に、二人は絶句した。直近ではバイトに来ていなかったが、彼がつくる料理は確かに客を喜ばせていた。邪険な人柄だった記憶もない。
「な……なんで……?」
匠海が引きつった顔で言葉を放った。その声の低さが、彼の驚愕を端的に表していた。
「流石に、そこまではわからないよ……」
心晴はうつむき気味に答えた。さらに空気が重くなる。
「とりあえず、理由はボクのほうで調べておくから。くれぐれも鈴鹿将暉には気をつけてね」
そんな忠告を残し、心晴は店を去った。鈴鹿将暉と名指しするだけでなく、その部分の声音が異様に硬かったあたり、心晴は将暉に相当の怒りの感情を抱いていることが推察できた。
だが、彼女のように怒りを感じる以前に、状況を把握しきれていなかった二人にとっては、ただただ俯き、テーブルを眺めることに徹することしかできなかった。
狭く暗いオーダードームの近く実験区画が赤く染まる。緊急事態を告げる赤いライトがそうさせているようだ。Emergency、Emergency、という生気のない英語音声が場の焦燥を確かなものにしていた。
ライトの赤を反射させつつ、黒い甲冑の霊装武士が迫る。その足取りからは、迷いを感じられない。ある方向へとずんずんと迫っていく。
「止まれ!」
鋭い怒声が鼓膜を刺す。開放されたままの入り口に五人ほどの男達が立っているのを、霊装武士は視認した。男達は全員、機関銃を構えていた。恐らくセキュリティサービスか何かの一環だろう。
「撃てッ!」
間髪入れず機関銃が火を吹く。着弾し、派手に火花を上げるが、全くのノーダメージ。無機質的な霊装武士の菱形の一つ目が男達に向けられる。
「……愚かな」
反撃と言わんばかりに、霊装武士が双剣を振るうと、生み出された三日月状の空圧が男達を襲う。吹き飛ばされた彼らは着地することも許されず、硬い床に背中を打ち付けることとなった。
五人中四人は気絶しているようで、指一本も動かさない。したがって、霊装武士はまだ意識がある男の喉元に剣先を向けた。
「χトルーパー溶液を差し出せ」
「し……知らない……」
怯えきった男は、ただ小刻みに首を震わせるばかりだった。呆れた様子で、霊装武士が剣をおろした刹那、
「χトルーパー溶液。それはもうここにはありませんよ」
という声が背後から迫ってきた。振り向いたそこには、こちらを見据えるスネジャロクがいた。
「貴様……!」
「貴方が欲しているものはいずれ、我々が造った『χトルーパー』によって守護される。だからこそ、予めその芽を摘む、そのような寸法ですか。随分と回りくどいことを考えていらっしゃる」
挑発に乗ったのか、霊装武士が剣を構える。スネジャロクは嘲笑する態度を変えることなく、こちらを見続けている。
「やってしまいなさい!」
その言葉に、霊装武士は一瞬の困惑を覚えた。そして、スネジャロクの額の楕円形のパーツから、紫色の光が放たれた。それは、相変わらず怯えている男の目に届いた。次の瞬間、男は立ち上がり、雄叫びを上げた。
「何……?」
雄叫びに呼応するように、彼の身体がハリネズミのネクロ『ヘッジバリー』に変化した。ヘッジバリーは飛び上がると、霊装武士の首を掴んだ。
「貴様……ネクロを洗脳できるのか?!」
束縛を解きつつ、霊装武士は言い放った。スネジャロクは尚も態度を崩さない。
「彼の視界の情報を書き換えた、というのが正解でしょうか。いずれにせよ、今の彼の目に、貴方はか弱い女性として映っています。そんな獲物を血に飢えた獣がどうするか、貴方ならわかるはずです」
ヘッジバリーが、背中から頭頂部にかけて生えている針を抜き取ると、それは細身の短剣に変化した。
「ハァァァァ………ハァァァァ……!」
唸るヘッジバリーが短剣を繰り出す。それを左手の剣で右に受け流し、逆袈裟懸けにヘッジバリーを切り裂く。痛みにより生まれる隙を逃さず、後ろをとった霊装武士が、右手の剣をヘッジバリーの背中に突き刺した。
「ガ………ガァっ……!」
溜めていた息を吐き出すかのように呻いたヘッジバリーが、剣を抜き取った瞬間に爆散した。
戦闘の後、霊装武士はあたりを見渡してみた。しかし、そこにスネジャロクの姿を、指一本たりとも見つけることはできなかった。
「………クソォッッ!」
悔恨の念を込めた斬撃が、実験区画の強化ガラスを引き裂いた。
闇から解き放たれた刃の視点は、最初に青空とまばらに散らばる雲を映した。右目の上のあたりが痛かった。恐らくは、雅に斬りつけられたところだろう。刃は、その痛みが横たわる部分に手を当てたが、そこの皮膚はすべすべとしていた。傷口自体は完全に塞がっているようだ。痛みはあるが、傷口は綺麗サッパリなくなっている。この状態は、霊導士の施術によるものだと、刃には推測できた。
そんなことを考えているうちに、刃は自分を呼ぶ声を、近くから聞き取った。声の聞こえた方向に目をやると、そこには安堵の表情を浮かべた詩織が、刃を覗き込んでいた。どうやら、自分は喫茶たかいわの借り部屋に寝かされているようだ。刃の直感がそう告げた。
「神崎さん!良かった……」
胸をなでおろした詩織を見つつ、刃は自分の身に起きたことを思い出そうと頭を回らせたものの、変なものでも挟まったか、可動部が錆びついたかの如く、頭の回転が妙に遅くなっていた。
苦心しているのを感じ取ったのか、詩織は、高岩らから聞いたという、事の次第を丁寧に説明してくれた。将暉に殺されかけたこと、心晴がここまで自分を運び込んでくれたこと、など。刃は事の深刻さには驚きを示したが、心晴という名前を久々に聞いたな、というやや場違いな感想も抱いてしまった。
「しかし、刃。彼女には感謝しなければならないな。刃が倒れたと連絡したら、直ぐに来てくれたぞ」
そのノウンの一言で再び会話の流れが動き出した。
「何……?」
「夜から朝までお前に付きっきりだった。こうも看病熱心な人間は、早々居ないだろう」
思わず疑問句を放った刃に対し、ノウンがそう告げた。反射的に詩織の方を見る。彼女はやや、顔を赤くしていた。
「ちょっと!よしてくださいよっ!」
だが、何か言いたげな彼女の空気を割るように、刃は口を開いた。
「何故、俺にそうまでする?」
「へっ……?」
詩織が聞き返す。
「何故、お前が俺を看取る必要があるのか、聞いているんだ」
硬い声音で問われたからか、詩織は動揺し、考え込んでいる。静寂が、時を止める。だが、前兆もなくその時は動き出した。
「私……ずっと神崎さんに助けられっぱなしだったから。その……神崎さんに恩返ししたかったんです……」
その発言は、詩織の前でネクロと対峙した日のことを、刃が思い出すきっかけになった。もどかしい喋り口に、刃は調子を変えずに返答した。
「気にするなと言ったろ。俺はお前に恩を売ったつもりはない」
声自体は変わっていない。ただ、刃は自身の心に不思議な温かみを感じた。あの日から、ずっと感じられなかったような。
しかし、そんな複雑な感情は、刃の冷たい声音から伝えられるはずはなかった。
「と、とりあえず何か食べますよね?持ってきます!高岩さんがつくってくれてると思うので!」
おどおどとした挙動で詩織は部屋を出ていってしまった。刃に冷淡に払われてしまった訳だから、無理もない。階段を降りる音が何処か寂しさを孕んで、刃の鼓膜を刺激した。
「見てられないなぁ。もっと素直になりなよ」
深い思考に沈み込んでいた刃は、どこからともなくそんな声を聞いた。
「誰だ……?」
痛みが軋むものの、何とか上半身のみを起き上がらせた刃は、警戒の視線を張る。
「何処にいる?!」
部屋一帯に巡らされた静けさを破らんとばかりに刃が吐き捨てる。
「ここだよ」
その刹那、部屋の片隅に配置されている机の上から、何かが浮遊した。ギョッとする刃。それは狸の置物だった。思えば、あんなものがこの部屋にあっただろうか。追い打ちをかけるかの如く、置物から煙が、勢いを持って放たれる。
「新手のネクロか?」
ノウンが問う。答えは割とすぐに返ってきた。
「ヤダなぁ。ネクロ扱いはやめてくれよ」
煙の中からスレンダーな女性のシルエットが見えたかと思うと、次の瞬間には彼女の全体像を拝むことになった。
「や、久しぶりだね、刃」
「お前……心晴か?!」
気さくに手のひらを見せてきた心晴に対し、思わず刃は身体を前のめりにして叫ぶ。心晴は満足そうに笑顔を浮かべた。
心晴は、霊装武士でありながら、霊道士が使う霊術に長けていることで有名だった。置物への変身も、その霊術の一端であろう。
「あぁら刃ちゃんもノウンちゃんも、元気にしてたぁ?」
彼女の左耳のアクセサリーから、嬉々とした声が流れてきた。女性口調であるが、声質は男の如く太いものだった。
「見れば分かるだろう……ジェーン……」
正反対のテンションで、ノウンが目を点滅させた。
『ジェーン』。ノウンと同じく、霊装武士をサポートする霊獣だ。
「あン……これは失礼したわね。久しぶりに会っちゃったもんだから興奮しちゃって……あたしの悪いクセだわ」
ノウンからの指摘を経て、ジェーンが謝罪の言葉を述べてくれた。
「あぁ……まぁ気にするな……」
刃の控えめな声音は、ジェーンの独得な雰囲気からくるものだった。彼女が放つ空気感は、そうすぐに慣れることができる代物ではないようだ。
「………お前が、俺を助けてくれたのか?」
少し魔を置き、刃が問いかける。
「うん、まぁだいたいそんな感じ。大変だったんだからね!感謝してほしいくらいだよ」
心晴が上半身を少し傾け、応じた。近い距離感で話ができるあたり、二人がそれなりの信頼関係の上で成り立っていることが覗える。ふん、と鼻を鳴らした後
「……ありがとう」
と刃は漏らした。
「その素直さを、あの娘の前でも見せてほしいケドね」
やや困り顔の心晴の返答に、刃は表情を曇らせる。『あの娘』とは、詩織のことを指しているに違いない。
「仕方が無いだろう。刃は世間が言う、引っ込み思案という奴なのだからな」
ノウンの指摘に、刃は怒声を浴びせる。その様子を、クスクスと笑いながら、
「ノウンも変わってないねぇ。安心したよ」
と心晴はノウンを人差し指で突いた。痛っ、とノウンが軽く呻いた。
場は和やかなのだが、刃は浮かない様子のままだった。心晴が彼の顔を覗き込むと、ぽつりと刃は話しだした。
「あいつを見ていると……あの娘………唯ちゃんのことを、思い出してしまう……」
いつの間にか、空気が嫌な重さをもってそこにあるのを、心晴は感じていた。『唯ちゃんのこと』の始終を知っている心晴は、それ以上言及しなかった。
少しの雑談の後、心晴はじゃあ、と軽く別れを告げ、煙に身を包み消えた。知り合いと話したことで、刃の心は、多少安定を取り戻した。だが、彼の心には、未だに気がかりなことがこびりついていた。
「雅の事、何かを感じる所が有るのか?」
刃の心は見通されたものなのか、ノウンはふと問いかけた。静寂を淡い色が染める。
「……俺は何故か、奴を憎めないんだ」
しばらく口をつぐんでいたが、刃はようやくそう呟いた。
「憎めない、か。随分と奇妙な事を言ってくれる」
自分達を半殺しにした訳だから、ノウンがそんな節の事を言うのも無理はない。そう割り切った上で刃は言葉を続けた。
「なぜか、奴は悲しそうだった。戦いの中で、そんな事が伝わってきたような気がするんだ」
本来あるであろう、ノウンの反論は、聞こえなかった。ノウンはただただ黙りこくるのみだった。
「……何とか言ってくれよ、ノウン」
そんな言葉が漏れ出すあたり、刃は少なからずノウンに否定されることを求めていたのだろう。だが、ノウンの返答は
「お前がそう感じたのなら、それでいい」
というものだった。えっ、と刃が短く放つ。
「どれだけ鎧を着込んで隠そうとしても、人間の心を隠すことは出来ない。必ず、何処かに綻びが出来る。そこから、心を見る事が出来る人間は、世間一般的に、優しい奴、と形容される人物なのだろうな」
「優しい……か。俺らしくない」
涼やかなノウンの力説を、刃はそう返した。詩織にまだ、素直になりきれていない自覚が、そうさせているのだろう。
「似合うものだけ持っていられる程、お前達人間は器用ではない。俺はそう心得ている」
複雑な表情の刃を置いて、ノウンは続けた。
「だが、そう深く気にする事ではない。行動に移せていなくても、心で優しさを伝えたいと思う。今のお前にとっては十分、合格点だ。お前は優しい奴だよ」
「思う……だけでいいのか?」
戸惑いを見せる刃は、そう尋ねた。
「今はな。思う事が出来たら、どうすれば優しさが伝わるか考えてみる。その次に行動に移す。少しずつやっていけばいい筈だ」
心を圧していた、固く黒く、少しひび割れた何かが取っ払われた。刃はその言葉に、そんな感覚を覚えていた。
「……ありがとよ」
彼を締めていた重さは、感謝の言葉と共に霧散していった。痛みが少し、和らいだ。
「しかしまぁ、面倒なことになってしまったね」
缶コーヒーを渡しつつ、左介が将暉に投げかけた一言だった。現状報告という名目で面会した二人の上には、妙に真っ青な空が浮かんでいた。
西園寺コーポレーションでの潜入捜査が、事実上失敗した、ということはさして気にしていなかった。それ以上に、左介は暁との次第を質問してきた。暁を仕留めきれなかったことを将暉が説明すると、彼は残念そうな表情を浮かべていたが、すぐに、目を尖らせ、将暉に向き直った。
「負傷した暁が今夜、本山に戻るそうだ。そこを叩こう」
「何……?」
将暉が呻く。打倒暁のチャンスがこうも早く訪れたからであろうか。左介の情報に何度も助けられてきたという経験がある故、将暉にとって彼の言う情報は、確かな信頼を誇っていた。
「本山に帰られちゃもっと面倒だからね。これがラストチャンスだと思ったほうがいい」
そう釘打たれた将暉は影を落とし、俯いてしまう。少しの静けさが横たわったが、何かを察した左介が口を開いた。
「将暉……怖いのかい?」
やはり、静寂は変わらずそこにあったが、滲み出るように、将暉が口を開いた。
「暁を始末した後、俺はどうなっちまうのかなって思ってさ。これが上の連中にばれたら間違いなく殺される。覚悟はしてるつもりだが、やっぱ怖ぇな。死ぬってのは」
不安がる将暉の肩に、左介は静かに手を置いた。その顔に微笑みを浮かべながら。
「万が一の時は、僕が君を守るよ。その為に、僕がいるんだろ?」
左介のみ手を感じつつ、将暉は再び呟いた。
「なんで俺にそんな協力してくれるんだ?お前」
返答はすぐに聞くことができた。
「真の正義を執行できる、君のような人間が必要だからさ。僕にとっても、この世界にとってもね」
「真の……正義……?」
聞き返す将暉に向き直る左介。
「君が成そうとしていることだ。君の弟の無念を晴らそうというね。それは誰にも否定されてはいけないんだよ。だから、僕は君を否定する奴らから、君を守ってあげたいんだ」
その目には、確かな信念の火が灯っていた。その炎が将暉の悲しみを、不安を燃やしていくようで、心地よかった。
「左介……ありがとな……」
将暉のその言葉は、こみ上げる感情を端的に示していた。
闇夜が支配する浜辺に、寄せて返す波の音が木霊していくのを刃は感じ取った。そして、此処が何処なのか、ということも同時に。妙に揺れる視界は、刃の癒えていない苦痛によるものだ。
その視界には確かに、黒い異形の戦士がいた。刃はその戦士を知っていた。
「来い………章……俺と戦え……章……!」
「やめろ!………その名前で俺を呼ぶな……!」
戦士の声が針となって突き刺さるようだ。たまらず耳を塞ぐ。
「無駄だ……俺と貴様は戦う宿命なのだ……受け入れろ……そして、俺に刀を、向けろ……」
いつの間にか、刃の手には霊刀が握られていた。戦士は双剣を構えている。
「戦わなければ、貴様は死ぬ。俺が殺した、貴様の師匠のように………」
その言葉に弾かれた刃は、自身の足元に横たわる暁の姿を見た。金色の瞳は、生気を感じさせてくれない。抜け殻、と形容するのが妥当だろうか。勿論、刃は暁の鎧を纏った人物についても、承知している。
「野郎………ふざけるな!」
「そうだ……その憎しみが、貴様の運命を、加速させる」
無慈悲にも戦士は迫る。思わず後退する刃。だが、その瞳は憎悪に燃えている。
「戦え……さもなくば………貴様は、死ぬ」
剣を振り下ろす戦士。その狂気じみた光が、迷うことなく刃の額に………
その日、負傷した刃に食事を運ぶのは、詩織の仕事となっていた。定休日の客用テーブルに置いた、書きかけの小説に後ろ髪を引かれる思いも多少あるが、刃と何かしら話しておいたほうがいいような気もしていた。
「神崎さんでも、独りぼっちはさみしいよね……」
そう心に霧散させた詩織は、彼がいる部屋のドアにたどり着いた。
「神崎さん!入りますね」
ドアを叩くと、当然ながら軽い感じの音が鳴る。だが、その後に聴こえるだろう、刃のぶっきらぼうな声が、しなかった。彼の代わりに答えてくれるノウンもいないようだ。
「あれ……変だな……」
何度ノックを繰り返しても、状況は変わらない。恐る恐るドアノブを下げ、詩織はドアを押した。ドアが開くにつれ、部屋の全貌が明らかとなる。
部屋に、刃の姿はなかった。全開した窓から風がさし、カーテンを揺らす。その光景が、部屋の空虚感を演出してやまない。
「か…神崎さん……?」
見事なまでに無人と化した部屋を見渡したところ、詩織は白い長方形の紙を見つけた。ベットの上だった。手頃な机に晩御飯であるお粥を置き、ベットに近づいた詩織は、白い違和感を掴み上げた。
『シャバの空気を吸いに行く。心配はするな』
置き手紙には、その二文のみが記されてあった。その手書き文字から、何故か詩織は妙な胸騒ぎを感じられた。
「神崎さん……」
漠然なる不安は、詩織の疾駆となって表れた。
左介が指定した場所は、古びた工場跡地だった。夜風が廃れた草木を揺らして、過ぎ去る。
「こんな所を通って行くなんて連中、随分な物好きねぇ」
左介の、空飛ぶ折り鶴を回収しつつ、将暉は呟いてみた。連中がここを通る予想時間が近づきつつある。興奮する自身を諌める為でもあったのだろうか。
ガサッ。地を蹴るそんな音が耳を打つ。直様、音のした方向へ、銃を向ける。廃墟の光景が広がる。全神経を集中させ、次のアクションを待つ。奇襲は目の良し悪しが命取りだ。一瞬の弛緩を突かれれば、その時点で勝敗は目に見えたものとなる。ある意味では単純。それ故に小細工が効かない。
「フフフフフ……フフフフフ………」
深く、不気味な笑い声があたりを貫く。奴らめ、意識を妨げるつもりか。
どれほどの静寂が過ぎ去った頃だろうか。行動は奴らが先手を打った。将暉の背に迫る、気配。勿論、将暉はそれを捉えていた。
「……ッ!」
将暉は背後に銃を向けた。その素早さは、風を切り裂かんばかりだった。
「何……」
そう呻いてしまったのも無理はない。彼の背後、今の彼に言わせれば正面には、気配の正体たる何者かの姿が、なかったのだ。
再び、警戒態勢を取ろうとした刹那。将暉は背後から受けた衝撃で大きく前方へと飛ばされたのだ。視界が走るように迫る。衝撃が脊髄を辿り、背中一体に共鳴する。
「誰かと思えば、この間の霊装武士。私に負けるくらいなのだから、もうとっくに喰い殺されたと思ってましたが、………骨はあるようですね」
挑発する声の主は、スネジャロクだった。将暉に衝撃を与えたのも。
「お前、いつまでも調子に乗れると思わないほうがいいと思うけど?」
痛みを背に受け、立ち上がった将暉。そして、ポーズをとると、
「霊装!」
と叫び、雅の甲冑を纏った。霊銃の銃口が、スネジャロクに向く。
「面白い。ならば、私を黙らせてみなさい」
そう呟いたスネジャロクの手の甲が肥大化し、蛇の頭部を模したナックルガードに、変化した。先端には牙が輝いている。
「言われなくても……やってやるよ!」
雅が叫び、霊銃を撃つ。真っ直ぐ敵を捉える銃弾。しかし、スネジャロクのナックルガードによって防がれてしまう。
「フッ……アァッ……!」
跳躍。銃弾の線を掻い潜りながらも距離を詰めるスネジャロク。着地ざまに、牙が雅の装甲を削り取る。連続攻撃。何度も火花を落としながらも、背をかがめることで、雅は五発目の斬撃を回避した。
「せりゃッ!」
そのまま、雅は低空サマーソルトキックを浴びせる。再び距離が空いたところに、駄目うちの銃撃を加える。さらに、雅はコッキングレバーを引いた。
「チェックメイト……!」
放たれる必殺の一撃。煙をたらし、大きく吹き飛ぶスネジャロク。しかし、まだ息の根が絶たれたという訳ではない。直様、スネジャロクが立ち上がる様子を、雅は絶句の中、認識することとなった。
「雷電閃光射が効いてない……?!」
「まだだぁ……もっと私を楽せなさい!」
煙を振り払ったスネジャロクは、勢いそのままに雅へと駆け出す。それに呼応するように、雅もまた、地を蹴った。間合いが縮まっていく。電撃を纏うアームカッターを、走りながらも構える雅。
「ガァ……!」
「うおぉッ!」
雅のアームカッターが、スネジャロクのナックルガードが、今まさに打ち付けられんとしたその時。雅は横目で、黒いエネルギーの線を見た。それは迷いを見せずに直進し、地面に突き刺さる。着弾点の向こうには、走るスネジャロクの姿が。その刹那、破壊力を持った朱色と黒の炎が咲き上がり、風と共に二人を吹き飛ばした。ここまで、ものの数秒しか経っていない。
「ヌアァァァァァッ!」
「うわぁァァァッ!」
高岩や匠海を無視し、店を飛び出した詩織。だが、刃が向かった先など見当もつかず、結果的に町内を走りながらも彷徨う事となった。
道路沿いの歩道に到達した、ちょうどその頃だった。ガードレールに手をつき、息を整えていた詩織の目の前に、バイクが一台止まったのだ。車種は、カワサキのヴェルシス250だろうか。怪訝そうな顔の詩織に対し、バイクのライダーは
「刃を探してるのかい?」
と一言問いかけた。女性の声だった。
「神崎さんのこと……知ってるんですか?」
突然にも刃の名前が出たものだから、詩織は目を丸くした。
「刃の居場所、だいたい目星付いてるよ。でも、そこは危険な場所なんだ。それも含めて、どうする?」
続けざまの質問に、詩織は俯き、黙りこくってしまった。見ず知らずの人からそんなこと聞かれれば、黙り込むのも無理はない。詩織の返答を待つライダーは、それを承知している態度だった。
風が沈黙を孕み、ガードレール越しの二人に吹き込む。が、おもむろに顔を上げた詩織は、真っ直ぐとライダーの顔を見つめた。
「私を……そこに連れて行ってください」
壁を突き破り、雅とスネジャロクは廃工場の屋内にまで吹き飛ばされた。
「何だ……今のは……?」
雅が立ち上がり、そう疑問句を打った刹那、屋内の奥から、こちらに近づく何者かの姿を、彼は写した。夜闇から溶け出るように現れた何者かは、菱形の一つ目を黄色く揺らめかせている。後ろにたなびくマントが、そこはかとなく強者感を醸し出していた。
「霊装……武士……?」
ネクロの如き禍々しさを放っているものの、全体的に鎧然とした姿は、雅にその言葉を想起させた。ゆったりと、確実に、闇が迫る。だが、その後ろでは、俯き加減のスネジャロクが、短く鼻で笑った。
「全く……つくづく貴方は面倒なことしかしない……」
吐き捨てたスネジャロクは、前に遭遇したときのように、背後に現れた闇の中に姿を消した。
いつの間にか、黒い戦士は雅の目前にまで迫っていた。両手には、短剣が握られている。
「あんた……一体……」
誰なんだ、と声にする間も与えず、雅は右手の短剣による、斬撃を受けた。たまらず後退する。
「何だと?!」
たじろぐ雅に、黒い戦士は連撃を加える。散っていく火花が、何十にも重なっていく。戦士が剣を構え直すと、その剣身に闇のエネルギーが纏わりついた。
「……ハァッ!」
闇のエネルギーが、筆で描いた線のように軌跡を浮かばせ、雅の胸アーマーを✕の字に斬り伏せた。
「がァァァァァァッ!」
絶叫を放ち、雅の身体が宙を舞う。その間に、雅の霊装が強制的に解除された。
派手に落下し、地を転がる将暉。痛みに悶える為にその肩を小刻みに震わせる彼に、黒い戦士が悠々と近づく。慈悲を示すつもりは、無いようだ。
「俺さ……あんたの恨み買った覚えないけど……?」
吐息混じりで将暉は言い放った。無機質な目の戦士は、そんな彼の首元に短剣を突きつける。将暉の首が、若干後ろへ引き下がった。
「貴様に恨みは無い。だが、奴を呼び寄せるには格好の、餌だ」
低く、抑揚のない声が戦士から漏れ出した。呼吸を整えつつ、将暉は眉をひそめた。
「奴………?」
一呼吸おいて、戦士が答えた。
「………暁だ」
その言葉の後、二人は、近づくバイクのエンジン音を確かに聞いた。
バイクから降り、ヘルメットをとった刃は、迷うことなく眼光を、戦士に向けた。戦士の視線と、刃の視線とが交錯する。
「貴様の夢に語り書けた甲斐があったようだな」
戦士の言葉に、先程見た海岸の風景を重ねた刃は、額を歪ませた。
「やはりまだ、闇に魂を売ったままか………冴沢佑介ぇ!」
刃の怒声が廃墟一帯に駆け巡る。そこには、ただならぬ憎悪が存在していた。
しかし、戦士は全く態度を変えない。さも当然であるかのように、刃の激情を受け流し、口を開いた。
「貴様と同じように、俺も嘗ての名前を捨てた……」
「何……?」
刃が尋ねる。戦士は再び話しだした。
「今の俺は……『
戦士、朧が剣を振るう。迫る風が、確かなインパルスをもち、刃を空中へとのしあげた。数メートル先に落下し、転がる刃。
「早く霊装しろ……鎧ごと貴様を引き裂いてくれる……!」
その言葉の後に、刃は身体を重く引きずるように立ち上がり、左手を前に出した。硬直した空気が流れる。
「……霊装………」
左人差し指の霊輪から光が放たれ、刃が暁に霊装した。
「………うおおおおおおおおッ!」
獣の如き咆哮。憤怒の狼煙が上がる。荒い手付きで霊刀を取り出した暁は、勢いを殺さず走り出した。目標は、朧。
「だアァァッ!」
「フンッ!」
力一杯に振り下ろされる、暁の霊刀。それを受け止める、朧の短剣。それらが衝突し、火の粉を吹く。しかし、朧の持つ、もう一つの短剣が暁の腹部を斬りつける。気づかなかった。奴をたたっ斬ることに夢中で。
「感情に任せ戦うとは…暁も地に落ちたな……」
「だぁまれぇぇぇぇ!」
腹の中を見透かされた羞恥心は、刃の叫び、そして、再びの斬撃として表れた。暴発する力に身を任せた戦い。しかし、無情にも暁ので怒りは朧には届かない。火の粉が絶えず乱れ散る。
二人が鍔迫り合いの状態に突入した。キリキリ、と両者の刀が静かなる雄叫びを上げる。
「うえァァァっ!」
距離が近いのを生かし、暁が左拳を朧の顔に打ち付けた。たが、びくともしない。まるでセメントか何かで固定されているかのように、朧の顔面は正面を向いたままだった。
「アアアアアッ!ダァッ!ダァッ!でゃァっ!」
何度も、何度も、頭を振るい、拳を打ち付ける暁。その揺れる咆哮は、まさに獣のそれだった。
「………無駄だ」
短く吐いた朧が、勢いを持って剣を上空へと持ち上げた。その影響で、鍔迫り合いの状態が解除され、刀と剣によって遮られていた暁の腹部が顕となった。それを逃さない朧。真っ直ぐそこに蹴りを加えた。大きく後ろへ流される暁。そのまま地に付すこととなった。
痛みを振り払うように立ち上がった暁の霊刀は、炎を纏っていた。
「師匠の仇だァァァァァッ!」
疾走。迷う事なく朧へと突き進む。だが、動じぬ朧。無機質な瞳が、怒り狂う暁を見据える。
「でゃァァァァァッ!」
刀が振り下ろされる、その直前。朧の二対のマントが、横に反り上がったと思うと、漆黒の翼と化した。展開した翼で舞い上がった朧は、見事に暁の烈火一閃斬を回避してみせた。
「何ッ……?!」
困惑する暁を、朧が見下すような視線で見つめる。
「鎧を受け継いだ貴様がその程度では………本物の刃さんが報われないな……」
嘆く朧が、短剣の柄頭同士を連結した。すると、剣の柄が伸び、両端に刃が付いたロッドに変化した。
「……さよならだ………章……!」
ロッドの刃が闇のエネルギーに覆われる。そして、痛みと疲労で身体がふらつく暁に、漆黒の剣が振り下ろされた。
「うわぁァァァァァァァァァッ!」
闇によって延長された凶刃が、風を、地面を、暁を斬り伏せた。一直線上に起こる大爆発。それが、剣の軌道に沿って描かれた、闇の線をより際立たせてくれた。吹き飛ばされた暁は、地面を転がり続け、とうとう動かなくなった。
「神崎……!」
場に圧倒された将暉は、ただ刃の名を口にする事しかできない。腰を抜かし、尻もちをつくことに徹する羽目になった彼とは対象的に、朧は将暉に目をつけ、歩き出した。硬い感触を想像させる足音が、鼓膜に絡みつくようだ。
「ば……化け物が……この化け物がァ!」
震える手で、専用銃を取った将暉は、躊躇わずに発砲した。放たれた銃弾は、脆くも朧の装甲を前に四散してしまう。なおも歩みを止めない朧。反対に、将暉は動くことができない。
「……貴様も地獄に送ってやる……!」
一定距離近づいた朧が、短剣を宙に上げた。それが振り下ろされれば、将暉はひとたまりもない。唾が苦い。変に冷えた汗が、額を撫でる。
朧の宣言通り、剣が振り下ろされた。生と死の審判。その判決が迫る。確かな恐怖と絶望を持って。
剣が、今、将暉を、見据えた。ギシィィン!狂気的な音が響き渡る。しかし、将暉はその残響を聞き終えることができた。まだ意識が健在だったのだ。徐に目を開く。
「お前……!」
そこにあったのは、うめき声を軋ませる、赤い甲冑。視線を上昇させる。そして理解した。痛みに悶るそれが、暁だということを。
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