第10話 ついの文

 業平一行は、逢坂山おうさかやまの峠にかかっていた。

 ここを越えれば、山城の国。

 その先、鴨川の三条大橋を渡れば、京の都だ。


 後ろから、駆けてくる馬あり。その馬上から声がかかった。

「やあ、失礼。お待ちを」

 業平たちは、馬を止めた。

 

 怪しい風体ではないが、加流は、寄ってきた馬と業平の間に、割って入った。

「我等に、何用か」

「お尋ねします。武蔵の国からお戻りの、検非違使のご一行で」

「いかにも」

「手紙をあずかっております。「着物が届いた」、そう申して渡してくれと。確かにお渡しします」

 駆けてきた男はそれだけ言うと、馬の首を戻し、もう道を返そうとする。

 加流は、主人の指示を待たずに、それを制して留まらせた。

 そして、受けた手紙を業平に渡した。


 手紙の包みには、入間の郷 三芳野みよしのより と書かれてあり、差し出し人の名はないが、式女からの届け文に違いない。


 文には、歌が一首、


 みよしのの 田の小さなかりも あなたを頼りに

 ひたすら あなたのほうに行きたいと 鳴いていますよ


と詠まれていた。


 業平は、止めた馬上で後ろ手にし、少し目を閉じていたが、筆を用意すると、こう返した。


 私の方に寄りたい そう鳴いているという 

 みよしのの小さな雁

 これからいつも 忘れることはありませぬ


 そう詠んで、返書をしたためた。

 業平の手紙を受け取った使者は、もと来た道を戻っていく。

 京へと帰る従者たちは、馬上の主人を見つめたが、特に変わった様子もなかった。


 業平は、何事もなかったように、都へと馬を向ける。

 もちろん、式女からの文は、問答ではない。心を知る者同士のあいさつ。

 そう自分に言い聞かせる。


 案内ももどかしく、業平は馬を先頭に進める。

 知らず、手綱を握りしめた。

 その胸に、遥かな武蔵野の丘が、広がる。

 自然の大地に生きる、式女と瑠璃。

 業平の瞳に、鮮やかに、一面の紫草が揺れた。



                  おわり

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むかし、むさし野で 森野雅戸 @dr-yosizumi

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