なんなのな?

 薬草を見つけることもなく滝まで来た一行は、轟音を立てて高いところから落ちる大量の水に見入っていた。


「ほおー、すごいのな」

「ここまで細かい水の粒が飛んできているのね。少ししっとりするわ」

「しかし、見たところ、滝の近くにも薬草はないようだな」

「そうみたいだね」

 滝を遠目から眺める一行は、少しずつ滝に近づいていくが、滝の音がうるさい。


「にゃああああ……」

 スズは耳を両手で押さえ、頭を小刻みに振っている。

「む、無理なのな」

 スズは後ずさる。

「そっか。スズは聴覚が良すぎるのね。無理はしないでいいのよ。アズキと一緒に滝の下にあった岩場で待っていて」

「そう、するのなー」

 ふらふらとアズキを待たせていた岩場へと、戻っていくスズ。

「じゃあ、僕らは手早く滝の周囲を確認しようか」


 アズキのところに戻ってきたスズは、まだ耳が痛むのか猫耳を撫でつけている。岩場の周りには林があって、アズキは木漏れ日が当たる場所で丸くなっていた。

「むう……この聴覚は何とかしないといけないのな。耳が痛いと吼える魔物とかと戦えないのな。耳栓使わないといけないかなあ。風の魔術でうまいことできるといいんだけど」

 スズはだらーっとアズキにもたれかかり、空を仰ぐ。

ただ待つのも暇なのな。

風の魔術を覚えるために魔術書でも持ってくれば良かったかな。後でジーナに教えてもらおう。


「……どうしてアズキはいるのかにゃ」

 スズの言葉に「どうしてそんな寂しいこと言うの?」とアズキが首を向ける。

「にゃはは。アズキを呼べたのが不思議に思っただけなのな。お前はどこから来たのかにゃ?」

 スズはアンズの首元に抱き着く。

「答えないのかあ。わかんないよねえ」

 

 アズキの暖かい体温のせいか、お腹いっぱい食べたごはんのせいか、歩き疲れていたのか、スズはそのまま眠ってしまった。





 冷たい地面の感触と、アズキの唸り声でスズは目を覚ます。

 スズの覚醒しきっていない、ぼやけた思考は、アズキの姿を見て一瞬で吹き飛んだ。


アズキの睨みつけるような鋭い目と口から覗く牙は、敵対する相手に対して消えない闘志をぶつけてはいたが、その体は自身の血で黒赤く染め上げられていた。


「アズキ!」

 スズは立ち上がり叫ぶ。

 その瞬間、スズを目掛けて一筋の『水』が飛んできた。

反射的にスズは身を屈め、間一髪で何とかそれをかわす。

 スズの背後で轟音が聞こえ、振り返ると先程の水鉄砲が当たった樹の何本かがなぎ倒されていた。

「ひっ」

 これを受けていたら……と、考えるとスズの顔は恐怖に染まった。

『ウオン!』

 アズキの声に脅威がすぐそばにいるという事実を思いだし、スズは敵の姿を視界に捉えた。


 蛇のように見えるが、その体躯は比べ物にならない。

身体の太さは黒虎であるアズキのそれと同じくらいで、頭には蛇にはついていないヒレが付いている。

 スズはその巨大な敵の姿に声も出せずに、立ち尽くしてしまう。耳がこれ程ないまでに低くなり、尻尾が足に巻き付く。


(逃げなきゃ)

 スズはそう思えど、体と足が言うことを聞かない。

睨みつけている水蛇から、目を離せず固まってしまっている。

アズキが何かを吠えて教えてくれているようだが、スズの耳には正しく響かない。


『シャアアア!!』


 水蛇の雄叫びに、スズの体がビクッと反応する。恐怖を恐怖で塗り替えられ、スッと頭の中が冷えていくスズ。

傷だらけのアズキが視界に入る。

きっと、眠っているあたしを守るために水鉄砲の盾になってくれていたのだろう。アズキはその場から動かずにいる。水鉄砲を受けた傷のせいで動けないのか、それとも、傷だらけになっていもまだ、あたしのために壁になってくれているのか。


 雄叫びをあげた水蛇は大きく身体をうねらせ、天高く背を伸ばしたかと思うと、頭から水面に入っていき、身体を不気味にくねらせながら、水面に消えていった。

(身体も馬鹿みたいに長いのにゃ)

 スズは縦に細くなった瞳で、静かに水蛇を観察していた。


 水蛇の姿が見えなくなると、スズはアズキのもとへ走る。

おそらく水蛇はもう一度浮き上がってくるに違いない。水を飲み込んで、次の一撃を放つつもりだろう。

「アズキ!」


 やはり、アズキは全身に深い傷を受けていた。

その凄惨な姿に、痛みに共感したスズの顔が歪む。

「ごめんなのな、こんなにしてしまって。ごめんなのな」

 体が血で汚れることを気にせず、アズキに抱き着く。

「アズキ。動ける?」

 無理だとは知っていてもきかずにはいられない。


『……ガフ』

 少しなら、と答えて見せるが、弱々しい返事にそれが嘘なのは分かった。

「そうだ! 猫にはなれないのかにゃ?」

 猫のサイズならスズでも抱いて逃げることができる。

『……オフ』

 それは無理、とはっきりと答えた。

この傷で猫になれば、体力が直ぐに尽きてしまうのだろうか。それとも体力か魔力を消耗しすぎて変身には危険が伴うのか。自分の召喚獣のことなのに知識がなくて、歯痒い。


 自分だけなら逃げられるだろう。でも、アズキはここから動けない。アズキを置いていく選択肢なんて最初から無い。

 アズキはスズが追い詰められた時、いつでも助けてくれた。スズが恐怖に震えた時、スズの身をいつでも守ってくれた。

魔力パスが正しく繋がっていなかったこともあって、幼いアズキはスズの気持ちを正しく汲めず、時には困らせはしたが、それでもスズのために姿を現せてくれた。

 それは今でもそうだ。自分の身を犠牲にしてまで、守ってくれた。

 そんなかわいい黒虎を置いて逃げることは出来ない。

『オウフ!』

 逃げてとアズキは言うが、スズは首を振る。

「駄目、きっとこのままじゃアズキが……」

 スズは言葉にするのが怖くて、言葉を飲み込んだ。



 ザッパァァァアアア!!


 無情にも時間切れを告げるように、水蛇が水面から顔を出した。

「早いのな。空気読め!」

 

 誰でもいいから、助けに来てくれるかもとスズは期待した。

この緊急事態に監督役のリックは、何をしているのだろう? 

班員の3人は、まだ戻ってこないのか。

それとも、もしかしてこの魔物は大きく見えるだけで、初心者冒険者でも退治できる類のものなのか。


『シャアアア!!』

 スズの悪態に答えるように、水蛇の雄叫びが響く。

「アズキは死なせないのな!!」 

 スズは、いつかエルミアにそうしたように、アズキの前に両手を拡げて立つ。

 スズも、自分がアズキの前に立ったところで、事態が解決しないことは分かっていた。でも、ここで自分一人だけが逃げても後悔するたけだろう。アズキを失ってまで、生き延びたいとは思わなかった。

『クオン!』

 どいて、とアズキが叫ぶ。それは出来ない注文なのな。

「ここからはどかない!」


『シャアアア!!!』

 耳をつんざくような雄叫びをあげて、水蛇は首を後ろに引いた。

 水鉄砲攻撃の予備動作なのだろう。


 スズは痛みを覚悟し、目をぎゅっと閉じる。



 ズジャアアアアアアアアア!!


 水蛇の水鉄砲のことが聞こえる。


 スズは体を一層強張らせて、迫りくる死という恐怖に息がつまらせた。


 ズジャアアアアアアアアア!!

激しい水圧を示すような、水鉄砲の音が耳に痛い。


 ……耳に、痛い?

 水鉄砲が水蛇から放たれ、十分な時間がたっているはずなのに、身体に痛みを受けていない。


 疑問に思いつつ、スズはゆっくりと目を開ける。

 

 眼前にはこちらに背を向けている、銀色に揺れる髪の毛と、水鉄砲を霧散させて生じた虹が見えていた。

 


「……ステラ?」


 無意識に一番来てくれると思っていた人物が来たのか。

ステラなら、水蛇に勝てるかもしれない。





「えー、違うんだけど。セーラムさんだよ。忘れちゃったのかな。一緒に町を散歩したのに」

 プクーッと頬を膨らませ、セーラムは振り返る。


「セーラム?」


「ねえ、スズちゃん、今ステラって言ったかな。いいんだよ。人は間違える生き物だから……」

 セーラムは、背の低いスズに合わせるように身をかがめた。

「でもね、『セーラム?』はないと思うな。そこは『セーラム!!!』じゃないのかな。ね?」


「え? あ……」

 何を言っているのだ。このエルフは。

 この人がステラとミリーの師匠ということは聞いている。

 どうしてこの人は、樹々すらなぎ倒す相手に背後を見せ、良くわからない説教をしてくるのだろう。


「もう一回やるからね? 今度は一発目で『セーラム!!』って叫んでね? 声が小さかったら、もう一回。もーーーっと大きな声で呼ばないと、正義の味方はこないかな」


 ちょっともうやめてください。

マジで理解できません。

スズは呆然としている。


『オン!』

 やめてあげて、と叫ぶアズキ。

「はっ! ごめんなさい。私としたことが。痛かったね」

 セーラムがアズキに回復魔法をかけると見る見るうちに、アズキの傷が塞がっていく。

『オーーン!』

 元気になったことをアピールするように、雄叫びをあげるアズキ。

「お、元気になったねぇ。それに魔力のつながりも少しいじらせてもらったよ。今度は完全に正しく繋がったかな。アズキ、戻れそう?」

 セーラムはアズキの頬をモフモフする。


『シャアアア!!!』


「ああー。ごめんね、ちょっと黙って欲しいかな」

 セーラムは水蛇に手をかざすと、停止したように水蛇は固まる。

「スズちゃん?」

「はい! ごめんにゃさい!」

「あ、いや、もう怒ってないから大丈夫かな。ちょっと確認したいんだけど、困ってる?」

「こ、困ってるのにゃ!」

 今まさに困っているのは、セーラムにもわかっていると思うのだが。あの魔物を何とかして欲しい。


「うん、じゃあ、助かってあげよう!」

「え?」

「違う。助ける助けをしよう。これでもないかな。えーとお助けをします!」

 お助け? 助けてくれるのとは違うのか。

「な、何でもいいのにゃ、お願いするのな!」

「じゃあ、アズキはスズちゃんの中に帰って。スズちゃんはこれ持って」

 セーラムは、スズに2つのナイフを渡す。

「スズちゃんのための特性品だから大事にしてほしいかな。じゃあ動かすね」

「え? そのまま倒してくれるんじゃないのかにゃ?」

「お助けだもん。倒すのはスズちゃんかな」


「はい?」


「じゃあ、アズキはスズちゃんの中に戻ってね」

『……オン』

 不満ながらもアズキは煙のようになって、スズの中に戻っていく。

「そうそう。スズちゃんには、これをしてあげないとね。危険だし」

 セーラムはスズの左上腕に触れる。


「それでは、魔女試練。ストリーム・サーペント狩り、開始!!!」


 セーラムが叫ぶと、水蛇が動き出した。


「いったい、なんなのな?」

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魔女の娘たち 【森の中でチート級のエルフ属の魔女に育てられ、自分の出生を知るために旅に出る】 蒼虎 @ao-tora

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