咎人が見た月 -終-

 アマを連れた一行は、足早に商業地区を離れ、貧民街へ向かった。星神ハルーラを祀った小さな祠の裏手。アルジェが事前に決めていた合図――梟の鳴き真似――を送ると、ほどなくして駱駝を連れたレッチェンが現れた。


 ラージャハの市域はぐるりと防壁で囲まれ、どこから出るにも衛兵の目を躱すことは不可能だ、とレッチェンは言う。ではどうすればよいのかと尋ねてみれば、なんのことはない、貧民街に隣接した門には、賄賂を受け取って誰でも出入りさせる、悪名高い衛兵がいるとのこと。


 泥棒の門と呼ばれるその場所で二百ガメルを支払い、一行は防壁の外に出る。


 ティップ・ティンの私兵たちは充分に痛めつけたはずだが、追手がかからないとも限らない。夜のうちに距離を稼ごうと、星空の下、駱駝に跨って砂漠を往く。


 進みはじめて間もなく、ムーンはこのひと月あまり、自分がどこでなにをしていたか、なんのきっかけで記憶を取り戻したのか、アマに語りはじめた。


 彼女は同じ駱駝の上、ムーンの背にもたれながら、その話をじっと聞いていた。


 ふたりはかつて兄妹同然であった。そのことに話が及ぶと、アマはムーンの身体に額を押しつけるようにして、静かにすすり泣いた。


「本当にそうだったらいいって、ずっと思ってた……」


「そういえば、本は届いたか?」


「なんの本?」


「〈アルフレイム千夜〉の第六巻。君に渡してくれと、確かに頼んだ」


「いいえ。もしかしたら、途中で捨てられちゃったのかも」


「そうか……。そんな気がしたんだ」


「マカジャハットなら、手に入る?」


「見つかるはずだ。到着したら、探してみよう。本だけじゃない。金を稼いだら、もっと贅沢ができる。それこそ、物語に出てくるような――」


 再会を噛みしめるふたりから少し距離を置いて、アルジェとバナフサージュは轡を並べていた。


「こんなこと、いまさら気にしてもしょうがないけど、ティップ・ティンは、どうしてアマを館に置いたままだったんだろう。あのお婆さんは、どうして律儀に約束を守ったんだろう。本当に悪人だったなら……」


「難しい話ですね」


 バナフサージュは答えた。


「これはひとつの解釈に過ぎませんが、多分、彼らは恐れたんでしょう」


「ムーンを?」


「いいえ。己の内に在る罪を。いつかやってくるであろう破局を。だから過去おこないを清算するために、ムーンとの取引を受け入れた……」


「よく分からない」


「まあ、私も真実のところは分かりません。あまり気にしすぎないのがいいでしょう。ともあれ我らが友人は命を拾い、彼の大切な人も助け出されたわけですから」


 しみじみと言うバナフサージュの尻馬で、レッチェンが声をあげる。


「うんうん。大仕事のあとなんですから、難しいことは考えなくていいんです。あとはなんとでもなりますよ。帰ったら美味しいものを食べて、ゆっくり寝ましょう。それにしても、今夜は星がよく見えますねえ」


 彼女に釣られて天を仰ぐと、濃紺の夜空に散る無数の星が、息を吞むほどに美しい。


 全員がそれに目を奪われる中で、アマがぽつりと呟いた。


「私も兄さんみたいに、新しい名前をつける。自由になった証に。どんなことがあっても、いまこのときをはっきり思い出せるように。――ステラ。どう?」


 茫漠たる夜空で、宝石のように輝くステラ。よい名前だ、と一行は口々に言った。


 三頭の駱駝は砂漠を往く。ムーンとステラは、互いに積もる話もあるはずだ。マカジャハットへの帰路はせいぜい、のんびり旅をするとしよう。

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剣なき者たちの詩 黒崎江治 @kuroetrpg

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