龍馬と私の長崎さんぽ(後編)

 風頭公園で龍馬に銅像と同じポーズをとってもらって夢のコラボ写真を撮影したあとは、中華街に立ち寄り、お昼ごはんに長崎ちゃんぽんをいただいた。具だくさんで、野菜も海鮮もたっぷり。とろとろのあんかけが麺にも具にも絶妙にマッチしている。ちょっと苦手な野菜も混じっているけど、食べられてしまうから不思議なものだ。こういうご当地ごはんを食べるのも、旅の醍醐味。


 龍馬は、向かい側の席に座ってこにこと私を見ている。ちょっと恥ずかしい。


「お涼、どうじゃ。うまかろう」

「う、うん。おいしい」

「とは言うても、わしゃあ食べたことがないんじゃき。ちゃんぽんは、明治になってから生まれた料理じゃけのう」

「ええっ、そうなんだ」


 龍馬は、いろんなことを教えてくれた。私は独り言の多い客だと思われたくなくて、龍馬の話を黙って聞きつつ、スマホに質問文をたくさん打って、龍馬に見せた。


「なになに。龍馬を暗殺したのはだれ。勝海舟を暗殺しに行って逆に弟子になったというのは本当か。維新三傑とよばれる桂、西郷、大久保は龍馬から見てどんな人物だったか。徳川慶喜をどう思うか。新選組の沖田総司の顔を見たことがあるか? そんなことまで気になるがかえ」

 

 ずらりと並んだ質問事項に、龍馬はひとつひとつ答えてくれた。日本史上最大の謎とされる龍馬の暗殺犯については、龍馬の知らない人物だったらしく、幽体で後を追おうにも見失ってしまったのだという。残念。  


 いつしか、話題は龍馬がこの百五十年で見聞きしたことへと移っていった。要するに、この百五十年の歴史をダイジェストで聞いているようなものだった。


「けんど、やっぱり一番儂が見ていてつらかったのは、あの戦争じゃ。知らせを聞いて、長崎にも様子を見に来た。ひどい、ほんまにひどくて、むごい有様じゃった」


 何も言えなかった。新しい日本を作りたいといって、薩長同盟や大政奉還のために奔走した龍馬。外国と戦争することも視野にいれてたとは思うけど、あんなに一方的に爆弾を落とされて、罪もない人たちが命を落としていく光景は、龍馬だって望まなかったはずだ。

 もちろん私はその時代を生きてはいないけれど、幕末からみれば昭和生まれだろうが平成生まれだろうが「未来人」というわけで、なんだかわけもなく申し訳ない気持ちになった。


 龍馬は、言葉を選ぶように、言いにくそうに、ぽつりぽつりと話した。


「儂が、買い付けた武器を薩摩や長州に融通しとったのは知っちゅうがかえ?」


 私は、こくんと一度頷いた。


「儂も鉄砲で人を撃ったし、儂が買い付けた鉄砲も、たくさんの人を撃った。撃った相手にも、家族や、大切な人がおるっていうんを、もちろんどっかではわかっとったけんど、あんまり深く考えとらんかった。新しい時代のためには、ある程度は仕方ない思うとった。けんど、あの戦争でひしひしとわかったぜよ。何があっても、戦なんてもうしたらいかんとなあ」


 私はもう一度頷いた。いつの間にか、ちゃんぽんを食べる手は止まっていた。


「けんどのう、お涼」


 龍馬は声のトーンを無理に明るくしているような調子で、ずいっと身を乗り出してきた。


「日本人は、がんばった! まあ、ここ二、三十年ちっくと軟弱になったような気はするけどのう。平和な証拠じゃ。娯楽もこじゃんとあるし、飛行機や新幹線なんてもんも儂ぁおったまげたぜよ」


 暗い話も明るい話も、いろんなことがある。それはこの百五十年の縮図でもある。そんなことをしみじみと感じてしまった。




 中華街を出た私たちは、幕末の風情が残る丸山遊郭に向かった。


「おなごが遊郭の跡地見物なんて、変わっとるのう」

「私の旅のテーマは、『坂本龍馬の足跡をたどる! in 長崎』だからね。龍馬の裏の顔だって見ちゃうもんね」


 私はふっふっふっと不敵な笑みを浮かべた。


「ああ、まあ確かに丸山も行ったけんど、なんじゃち、複雑な気持ちじゃのう。お涼がお龍じゃなかことはわかっとるけんど」


 お龍さんに申し訳ないってか。死んでからそんなこと思ってどうすんのさ。生きてる間さんざん行ってたくせに。お龍さんという人がありながら、キレーな遊女の人たちとあんなことやこんなこと……。


 なんだろう。胸がぎゅぎゅっと締め付けられるような。もやもやする。


 隣を歩く龍馬の横顔を見た。さっきまでと変わらず、この辺には昔茶店が並んどって……なんてウンチク話をしてくれている。


 そして、今も残る丸山遊郭の料亭前に到着した時、私のもやもやはイライラに変わり、最高潮に達していた。自分でもなんでこんな気持ちになるのかわからないけど、気分が晴れないことだけは確かなのだ。


「龍馬、ここはもういいや。次行こう、次!」

「ええ、もう行くがかえ?」

「うん、雰囲気は感じられたし」


 私は龍馬を引っ張るように歩を速めた。



 それから、出島、大浦天主堂をざっと見て、最後にやってきたのはグラバー園。


 幕末、明治の洋風建築が移築され集まっており、まるでタイムスリップしたような気にさえなる。

 建物の中には当時の雰囲気を再現した家具や調度品が並んでいて、「この先に入らないでください」というプレートのかかったロープが張ってあったが、龍馬はそれをあっさり跨いで越えた。


 う、羨ましい……。


 ふかふかした椅子に龍馬はどっかり腰をおろすと、感慨深げに目を細めた。


「ここでの、グラバーさんといろんな話をしたもんじゃき。そりゃあ、儂のやりゆうことは武器商人だったがぜ。けんど、どんな新しい日本を作ろうか、作れるんか、海援隊の他の仲間も集まって、いろいろ話して……」


 龍馬は思い出に浸ってるみたいだ。幽霊になってから百五十年、いろんなものを見てきたとしても、やっぱり生きている時に仲間と過ごした時間はかけがえのないものなのだろう。


 私はそっとしておこうと思って、しばらくはひとりで中を見て回った。




 だいたい一周見終わったあと、さっきの椅子に龍馬はもういなかった。

 どこ行ったんだろ。他の部屋とか見てるのかな。

 私はもう一度邸内を回った。そして、嫌な予感がした。


 そういえば、龍馬っていつまで一緒にいてくれるものなの?


 お龍さんに写真を見せたいって言ってたし、目的を達成したら成仏して消えちゃうんじゃ……。

 で、でも、写真は撮ったけど、データは私のスマホの中。さすがに持ってはいけないはず。この旅行が終わったらプリントして渡してあげよう。うん。それまでは、一緒にいてくれるよね。


 建物を出ると、少し上がったところにある小さな展望台に、龍馬はいた。私はほっと胸をなで下ろすと、展望台の階段を上がった。


「龍馬」

「おお、お涼。見てみい。これが、長崎の海じゃ」

「うん、きれい……」


 湾になっているので、向こう岸もよく見える。チラチラと明かりがつき始めて、夕暮れと溶け合うみたいだ。あと三十分もすれば、まばゆい夜景に姿を変えるだろう。


「この湾を出れば、大陸もすぐそこぜよ。ここは、世界と繋がりゆう」

「うん」

「これを、おりょうに見せたかったがぜ」


 それは「お龍」のことなのか「お涼」のことなのか。ちょっとでも、「お涼」だったらいいのにな、なんて思ってしまった。


「お涼。今日は一日、儂のわがままによう付き合うてくれたの。恩に着るぜよ」

「わ、私はむしろ……お礼を言う方で、今日は一日すごく楽しかった」


 いやだ。なんだか別れの挨拶みたい。


「そ、そうだ。一緒に写真撮ろう、ねっ!」


 私は近くにいた人にスマホを渡して撮ってもらった。景色が写るように私を左端にして撮ってくださいってお願いした。でも、それはもちろん龍馬が見切れないためのお願いだった。


 撮れた写真を見てみると、海岸線に沈む夕日をバックに、私と龍馬が確かに写っていた。

 ほら、こんなにはっきり写る人がそうそういなくなるもんですか。私はすっかり元気になって、龍馬に笑いかけた。


「明日はさ、船であっちの島に行ってみようと思ってるの。龍馬も一緒に行こうよ。私、もっともっと龍馬の話、聞きたいから」

「お涼。儂も名残惜しいち思うけんど、もう行かぇいといかん」

「……どうしてよ。百五十年もこっちにいたんだから、あと一日くらいいいじゃない。それにほら、今日いろいろ撮った写真、お龍さんに見せたいんでしょう? 紙にしたら持っていけるかもしれないから、やってあげる。それからでも遅くないじゃない」

「もう、十分じゃき」


 ふわりと、龍馬は私を抱きしめた。でもやっぱりヘンな感じだ。温もりは、ない。


「おりょうに会えて、儂は満足じゃ」


 ――龍馬さん、ずっと、会いたかった。


「えっ」


 何、今の?

 

「それに、おりょうに、この景色を見せられた」

「で、でも……」

「いろーんな未練があったぜよ。儂を斬ったやつの顔が見てみたいとか、日本の行く末を見てみたいとか。けんど、これだけが、最後に残った未練だったがじゃ」


 ――ありがとう、龍馬さん。


 まただ。何だろう。私の意志と少し違う気持ちが、溢れてくる。


「今度は、でまた会うぜよ。なあに、百五十年こっちをさまよったがぜ、お涼が来るのなんてあっちゅう間じゃ」

「そ、そんな……」


 私は龍馬の手を取ろうとした。でも、昼間握手した時は確かに触れられたのに、すっと空を掴んでしまった。見ると、龍馬の姿から、海辺の景色が透けて見えていた。


「いやだ。龍馬……龍馬さん、行かんといて……!」


 龍馬は、最後に満面の笑みを残して、姿を消した。


 って、あれ……? 今の、関西弁? なんで?   


 それに、あの変な感覚……もしかして。


 パキッ、と何かが割れるような音がした。バッグの中を見てみると、いつも持ち歩いていたお守りにヒビが入っていた。


***


 一年後。『小説の友』という雑誌の表紙に、「新人賞短編部門受賞作『龍馬と私の長崎さんぽ』全文掲載」という見出しが躍った。

 今回の体験をもとに書いた私の小説だ。


 あの日を境に、幽霊はぱったり見えなくなってしまった。

 もしかして、長い夢を見ていたんじゃないかと思ったけど、たぶん、お龍さんがいたんだ。私の中に、ずっと。そして待ち焦がれた龍馬と、一緒に行ってしまったんだろう。

 あの時長崎で撮った写真には、坂本龍馬がしっかり写っていた。他の人には、私が一人で映っている写真に見えるらしい。だからこれは私だけの、宝物だ。


 それでも、龍馬と巡った長崎での出来事を、あの日のことを、なかったことにしたくなくて。こうして筆を執った次第だ。まあ、まさか賞をとれるなんて思っていなかったけど、たくさんの人たちに「本物の」坂本龍馬の姿を見てもらえるのは嬉しい。


 私は、飾ってある写真立ての前に、お供えするような気持ちで雑誌を置いた。


「ありがとう」


 龍馬も、読んでくれるかな。きっと気に入ってくれるはず。私はひとり、写真に笑いかけた。

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龍馬と私の長崎さんぽ 初音 @hatsune

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