龍馬と私の長崎さんぽ
初音
龍馬と私の長崎さんぽ(前編)
青い空、山に囲まれて段々に家が建つ街並み。
「あー、気持ちいー」
私は船の操舵輪を模した銅像にもたれかかって、そよそよ吹く風を頬に感じていた。
自分の足が縦に二つは並ぶのではないかと思えるほど大きな銅のブーツの中で、可能な限り足を前に進める。少しでも遠くの景色を見ようと前のめりに身を乗り出す。
景色を見回すついでに、ぐるんと振り返ってみたけど、後ろに並んでいる人はいない。今日はなんでもない平日だ。観光客の姿もまばら。もう少しだけ、この「龍馬のぶーつ像」を楽しませてもらおう。夏休みが九月まであるなんて、大学生って最高。
長崎。遠かった。でも、これで私の「坂本龍馬の三大聖地を巡る旅」は一応コンプリートだ。京都、高知に続く三か所目。がぜん、テンションはあがっている。
高校生の時に、推しの俳優が出ているからという理由で見た大河ドラマがきっかけだった。坂本龍馬の魅力に取りつかれた。幕末という、藩とか尊王だとか佐幕だとか、派閥でがんじがらめにならざるをえないであろう時代。そんな中でも縦横無尽、己の信念のままに生きる。そういう生き様が、響いたのだと思う。
写真を何枚か撮って、スマホをポケットにしまった。龍馬もこんな景色を見たのかな。もちろん、昔はコンクリートでできた高い建物なんかなくて、もっともっと見晴らしがよかったんだろうなあ。
この後は、すぐ近くにある亀山社中記念館に行くのだ。亀山社中は龍馬が作った日本初の株式会社「海援隊」の前身となった団体だ。建物は手が加えられているけれど、場所は当時のまま。つまり、同じ土を龍馬が踏んだかもしれないのだ。そんなことでワクワクしてしまうのだから、歴史好きなんてちょろいものである。
私は巨大な「龍馬のぶーつ」を脱いで、台から降りようとした。すると、目の前に龍馬の格好をしたお兄さんがいた。
「わ、龍馬だ!すごい、クオリティ高いですね!」
よく観光地のお城に戦国武将の格好をした人がいるが、そのたぐいなのだろう。男の人はくすんだ茶色の着物に袴姿。着物には、有名な「組あい角に桔梗紋」の家紋もついている。髪型も、くせっ毛を総髪に結っている。芸が細かい!
「儂のことがわかるがか」
「コスプレもすごいけど、キャラ作りも徹底してますねえ。あの、写真一緒に撮ってもらっていいですか?」
見ず知らずのお兄さんであることは重々わかっているのだが、記念になるし、
私はお兄さんの隣に立つと、スマホで自撮りした。
だが、何か様子が変だ。普通、こういう観光地で龍馬の格好をしているお兄さんだったら、笑顔で写るか、それっぽいポーズや表情を作るだろう。それなのに、このお兄さんは驚きの表情でスマホと私を交互に見つめるばかりだった。まさしく、穴の開くほど。
「おまさん、ほんまに儂が見えるがかえ?」
「えっ……? あ、そういう設定ですか? こんな平日のど真ん中に本格的なサービスやってるんですね」
「見えるんじゃな! おお、百五十年、待った甲斐があったぜよ!」
お兄さんは、がしっと私の肩を掴んだ。けれど、なんていうか、手の重みがまるでない。
まさか……
「本物……?」
久しぶりの幽霊に、私はどぎまぎして目をぱちくりさせるしかなかった。
しかも、こんなにはっきり見えるし、超有名人だし、というか推しだし。
「おう。坂本龍馬じゃ。京で斬られてから、ずっとこの世におったがじゃ」
その時、私は体中に電流が走るような、ぞくぞくとした興奮に包まれた。
――やっと、会えた。
実は私、幼い頃から結構「
物心がついた頃から不思議だった。どうして町にはいつもこんなにたくさんの人がいるのか。皆、どこに行くのか。その疑問を母親にぶつけたら
「たくさん……? こんな田舎で何を言っているの」
と怪訝な顔をされた。
何しろ、死んだ人間というのは増える一方。今生きている人間なんかよりはるかに多いのだから、私は常に満員電車の中を歩いているような気分だったのだ。幽霊が見えすぎることで、体調を崩すことも少なくなかった。
死んだ人がこの世をさまようのか成仏するのかの基準みたいなのはよくわからないが、幽霊の寿命は四百年なんて説もあるそうで、ちょんまげの幽霊とか着物の幽霊もザラにいる。十二単の幽霊とかは見たことがない。そういう話などもしているうちに、次第に両親は私の言ってることが本当だと信じてくれるようになった。
とにかくこのままだと心身によくないということで、両親は本気で私を霊媒師やら坊さんやらいろんなところに連れまわした。最終的に、その筋に強いという噂のある神社に行きついた。
祈祷をお願いした神主さんからお守りをもらった。きれいな、水晶のお守りだ。神主さんは、こう言った。
「これを持っていれば、たいがいの霊は視えなくなるでしょう。もし視えるとしたら、それは本当にこの世への想いが強い霊です。そっと見守ってあげてください」
本当に効くのか、と思ったけど、その日から幽霊は見えなくなった。全く見えなくなったわけじゃないけれど、ぼんやりした人型の
普通の人なら信じないかもしれないし、そもそも見えないかもしれないけど、私はこんな体質だから、目の前の坂本龍馬の存在を驚きつつも受け入れた。初めて、この目に感謝した。
「あ、あの、見えます。本当に、坂本龍馬……さんなんですよね? 百五十年前の、近江屋で殺された?」
「おお、儂が有名人なのは本当なようじゃのう」
「す、すごい、あの、サインもらえますか。……って、ああ、紙もペンも持ってない! えっと、本当に百五十年、ずっと成仏せずにこっちにいたんですか」
「そうじゃき」
やはり、志半ばで暗殺されてしまったからだろうか。さぞや未練もたっぷりあることだろう。それにしても、この気持ちはなんだろう。そりゃあ確かに坂本龍馬にハマった時から数年、あわよくばと思ったこともあった。でも、もっと、ずっと前から龍馬のことを、探していたような気がする。
戸惑うあまり、私はよくわからない質問をしてしまった。
「百五十年も、暇じゃなかったですか?」
「暇なもんかえ。こんなにいろんなもんが変わりゆう、息つく暇もない百五十年じゃ。そりゃあ理想通りっちゅうわけじゃなかけんど、日本人はようがんばっとる」
龍馬・幕末オタクとしては聞きたいことがまだ山ほどあった。龍馬を暗殺したのは誰なのかとか、もし維新まで生き残ったら何がしたかったかとか、幕末のあの有名人の実像は、とか。でもその前に。
「あの、どうして長崎に? 殺されたのは京都のはずですよね」
「そりゃあ、死んでからずっと京にいたわけじゃないぜよ。この百五十年、日本中世界中を旅したがじゃ。けんど、ここ何年かはずっと長崎におる。お前さん、さっきの写真見せとくれ」
「あ、はい、いいですけど」
私はスマホから先ほど撮った写真を選んで見せた。龍馬はこの百五十年を見てきているせいか、タイムスリップものでよくある「こんな小さい板でポトガラが!」なんてリアクションはせず、スマホの存在を受け入れているようだった。
「ほんに、便利な世の中になったのう。今のカメラはこがいに撮った写真をすーぐ見れゆう……おおっ写っとる!」
写っていることに相当感動したのか、龍馬はもう一度撮るようにねだってきた。私も、どうせ撮るなら先ほどの不意打ちみたいな顔をした龍馬より、ちゃんとポーズをとってくれる方がありがたい。再びスマホを自分たちに向け、パシャリと一枚撮った。
「おまさんみたいな人間が、ほんまにおるんじゃのう」
どういうことかと聞いてみれば、なんでも、私のように霊体が見える人間のカメラで撮れば、幽霊でも写真に写るらしいのだ。龍馬はずっと、この長崎の地で私のような人間を探していたという。
「お龍にのお、長崎の写真を持って帰ってやりたいんじゃ」
「お龍さんに? どうしてまた、長崎。確か新婚旅行、鹿児島……薩摩の、霧島に行ったんですよね。同じ九州だし、その時通ったりしなかったんですか」
「よう知っとるのお。確かに、立ち寄りはしたけんど、ゆっくり見ることはできんかったがぜよ。儂は長崎のええところをお龍に案内してみせたかった」
聞けば、龍馬とお龍さんは霧島旅行からの帰り道、長崎に立ち寄ったらしいが、龍馬はいろいろと忙しくて、お龍さんと一緒に過ごすことがなかったそうなのだ。
「おまさんにお願いがあるんじゃ。儂と一緒に長崎を見て回ってくれんかのう。もちろん、案内するきに!」
「え、ええ!? いいんですか?」
願ってもないことだ。まさか本物の坂本龍馬の案内で、長崎観光できるなんて。私は二つ返事で了承した。
「 ほうじゃ、おまさん、名前は?」
「涼子。
「おおっ! ほいたら……」
龍馬は照れくさそうな顔をして、言いにくそうに言った。
「お涼と呼んでもええかのう」
「えっ、いやあの、大丈夫ですけど……」
「おおきにのう。お涼も気軽に龍馬と呼んだらええがじゃ」
龍馬はすっと右手を差し出してきた。「しぇいくはんどぜよ」ってやつだ。私はその手を取った。感触はあるけど、温かくも冷たくもない。不思議な感覚だった。そしてそれは、目の前の龍馬が今を生きるコスプレお兄さんではないことを証明していた。
「ほいたら、まずはそこの亀山社中を案内するがぜよ」
そう言って、龍馬はずんずんと進んでいく。
「あ、ちょっと待ってよ!」
私は一人分の入館料を払って中に入った。
中は資料館のようになっていて、龍馬の手紙の複製や、使っていた鉄砲、身に着けていた着物などのレプリカが展示してあった。私はひとつひとつの展示物をじっくり見ながら、説明文を読む。という振りをしているが、正直全然集中はしていない。龍馬が亀山社中での思い出話をぺらぺらと喋っているので、耳はそちらに傾けている。
「ここでのう、どうやったら鉄砲がどっさり買えるいうか、皆で話しとったがぜ。そうそう、長次郎と
龍馬は何の変哲もない畳を見つめた。私もそこをじっと見つめた。もちろん、畳は張り替えられているから当時のままではない。
ぱらぱらと他のお客さんもいたが、もちろん皆畳になんて目もくれない。
「お涼っ! お涼! どういて返事をせんがじゃ」
私はスマホを取り出し、メモ帳に文字を打ち込んだ。
『龍馬は他の人には見えてないんだから、返事なんかしたら、私独り言を言ってる怪しい人になっちゃうよ。話は聞いてるから、もっと聞かせて』
画面を見た龍馬はちょっとシュンとした様子だったが、納得してくれたみたいだ。それからも龍馬は思い出話や、展示物の解説なんかもしてくれた。
何分見ても見足りない思いだったが、ずっといるわけにもいかない。後ろ髪を引かれる思いで、亀山社中を後にした。
建物を出ると、私は改めてすごいことになったと幸せな気持ちを噛みしめた。数歩先にはここ何年か推し続けた坂本龍馬。の、幽霊。今私はゆかりの地を坂本龍馬ご本人の案内で観光している。どういう状況? ヤバいんですけど!
気をつけないとニヤけてしまう。真顔を保つのが難しい。ダメダメ。今、私は一人旅をしているんだから。
外では、私は電話しているような感じを装って、龍馬と会話することができた。
「はあ、すごい、本当に坂本龍馬に案内してもらえるなんて。ねえ、次は
「あそこには儂の銅像しかないろ。ここに本物がおるのにわざわざ銅像を見に行く必要があるんかのう?」
「あるに決まってるじゃない。銅像と本物のツーショット! これは映えるよ~」
「映えるって、その写真をえすえぬえすとやらに載せたところで、普通の人にはただの銅像の写真にしか見えんぜよ」
「SNSとか知ってるんだ……」
「儂を舐めてもらっちゃ困るのう」
改めて、龍馬はタイムスリップなんかで突然幕末からここに来たんじゃなくて、ずっとずっと、幽霊として生きてきたんだなと思い知らされる。
確かに、激動の百五十年だったとは思うけど、ただただずっと日本の行く末を見ているって、どんな気持ちだったんだろう。
「おーい、風頭公園ならこっちぜよ」
いけないいけない、すっかり考え込んでしまった。気が付けば、龍馬は坂の上の方まで歩を進めている。私は小走りで追いついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます