鏡のない村

スズイ・アマネ

第一節・鏡のない家

一日目 神凪徹(1)

 霧が深い日だった。

 降り注ぐ雨の中、俺は歩いている。


 そこは朝なのか、昼なのか、夜なのか判断できないほどの霧に包まれた街路。


 霧が深い日だった。

 降り注ぐ雨の中、俺は歩いている。


 灰色に滲んだ街模様。前後不覚のはっきりしない道を俺は歩いている。


 霧が深い日だった。

 降り注ぐ雨の中、俺は歩いている。


 灰色の重みが、俺の全身にのしかかる。しとしとと擬音が地面に落ちては散っていく。


 公園で、女の子が泣いていた。


 霧が深い日だった。

 降り注ぐ雨の中、俺は彼女に歩み寄った。




 /1




 七月も終わりを迎え、夏という季節も盛りを迎えた。忙しなく鳴り響くセミの声、照りつける太陽、緑を深めた路傍。

 バス停留所で涼みながら、蒸し暑さに嫌気を覚えた。


 日中から恋人と手を繋いで歩くカップル。部活動に熱心に取り組む野球部の男子生徒たち。何故か制服を着たまま遊びへと出掛ける女子中学生。


 人々の往来を眺めながら、今後について想いを馳せる。

 年に一回。離れ離れになった友人たちと出会える日。中学時代からいつも一緒だった七人が再開する日だ。

 高校がバラバラだった為に彼らが帰省する長期休みにしか遊べない。


 今日から一週間、田舎の旅館へと旅行に行くのだ。集合場所はいつものバス停留所。

 ほかの友人たちがいないことから俺が一番乗りだったらしい。


 去年は海に行った。今年は山。来年は何処に行こうか、なんて考えている。

 それにしても誰も来ない。集合時刻三十分前だが、既に一人か二人程度なら来てもおかしくないはずなのだが。


 バスの発着は十一時。スマホが示すのは十時二十分。

 早く来すぎてしまったようだ。あまりにも楽しみだった為、家で待ちきれなかった。


 待つのはいいが、小学生みたいに思われるのは嫌だ。

 ここはひとつ、間違って早く着いてしまった感じでも出しておこうか。


「⋯⋯あー、寝坊して早く着きすぎたなー」


 ⋯⋯どうだ。

 こんな感じならいけるはず。このタイミングで誰か来てくれれば色々と誤魔化しが効くのだが。


 ⋯⋯。

 ⋯⋯⋯⋯。

 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯。


 誰も来ない。

 いや、全員が集合時間ギリギリに来てくれれば、家が近かったから早く着いた、という言い訳ができる。


 よし、このまま誰も来ないことを願って―――、


「あ、もう来てたんだ」


 肩が跳ね上がった。

 心臓が止まる。思考が空回り、頭の中が真っ白になった。


「お、おう」


 なんとか返事が出来た。

 背後から声を掛けてきた人物へと振り返りながら言う。


「お前も早かったな、雪代」

「神凪くんほどじゃないよ。これでもゆっくり出た方なんだけどね」


 彼女は苦笑しつつ、俺の隣へと腰掛けた。三人がけのベンチ。荷物を挟んで俺と雪代は横並びに座る。

 心臓の動悸が早まり、変な汗が背中を伝った。


 雪代あやな。お淑やかで気品のある女子高生。俺の同級生にして友人の一人だ。いわゆるお嬢様のような女の子。中学時代はクラスのマドンナ、なんて呼ばれていた。

 俺たち八人は文芸部に所属していた。その繋がりで高校生になっても年に一度、こうして旅行に出掛けている。

 旅行自体は部活を創った頃からあったのだが。


「去年ぶりだな。高校でも変わりないか?」

「うん。元気でやってるよ。神凪くんも元気そうだね」

「あー、いやそうでもねーよ。アイツがいるし、今日も寝坊して早く着きすぎた」

「寝坊って、また笹原くんに何かされたの?」

「就寝してから定期的にモーニングコールをされた」


 俺の返答に雪代は「あはは」なんて返事に困ったような笑いを零す。

 まぁなんてリアクションしていいか分からないだろうし仕方ない。俺と壱馬のノリについていける奴はそういないだろう。

 去年なんて旅行前日に寝れないように互いにスタ連をしていた。


「田端先生は優ちゃんたちを迎えに行くから少し遅れるみたい」

「まぁあの姉弟は家が集合場所から遠いし、仕方ねーな。田端せんせの車停める場所も探さないといけないだろうし」

「そうだね。暫くは誰か来るまで二人で待ってないと」

「あ、ああ」


 会話が途切れる。

 気まずい。とてつもなく気まずいぞ。何か会話の糸口を探さないと。

 友人といえど雪代は異性だ。ましてや二人きりなんて滅多になかったし、何より一年ぶりに会ったせいで距離感が分からない。

 せめて、壱馬がいたらなんて思う。


「もしかして神凪くん、結構待ってた?」

「あー、いやさっき来たとこ」

「ほんとかなぁ」

「⋯⋯なぜ食い下がる」

「神凪くんって、何か誤魔化す時に『あー、いや』って言うよね」


 ⋯⋯そうなの?


「例えば神凪くん、犬苦手だよね?」

「うぐっ」

「田端先生が飼ってたトイプードル見て、『あー、いや俺結構犬好きっスよ』って言いながら及び腰で撫でてたし」


 そもそもなんで学校に教師が犬連れて来てんだ。あの行為にどういう意図があったのかあの顧問に問い詰めたい。


「それに、第一回チキチキスイーツ大食い選手権で『あー、いや俺、巷ではスイーツ好きで有名ッスよ』なんて死相浮かべながら食べてたし」


 あれは一体誰が企画したんだ。最下位に罰ゲームなんて言うから甘いの食えないのに無理やり食ったんだぞ。

 なんとか最下位は免れたが、その日の夜は胸焼けで地獄を見た。てか文芸部なのにどんな企画してんだ。


「あと、神凪くんは」

「分かった。口止め料だな。何が望みだ?」

「えっ? いや別にそんなつもりじゃ」

「金か、いや靴でも舐めたら許してもらえる?」

「そ、そんな何言ってるの!?」


 頬を赤らめて声を荒らげる雪代。

 勘違いするからそんなリアクションはやめてほしい。


「ご、ごめんね? 別に弱みを握りたいとか、そんなんじゃなくて。人にはそれぞれ知られたくないこととかあるもんね」


 いやそんな大袈裟に謝られたら余計に羞恥心が大きくなるのだが。

 ちょっとした恥が、まるで大恥のような気になってくる。


「べ、別に知られたらバツが悪いってだけで、そこまで謝るような事じゃねーよ。傷ついたりする訳でもないし、謝るのは筋が違うって言うか⋯⋯!」

「そ、そうかな? ならこうしよう。なかったことにしようか」

「それがいい」


 なんとか和解成功。こういった話題は即座にかき消すのが吉だ。口封じにもなるし、今後話題に出しにくくなる。こうすることで俺の癖もばれにくくなるはず。

 ⋯⋯なるよね?


「⋯⋯」

「⋯⋯」


 ミンミンミンミン。

 セミの鳴き声。俺たちの沈黙を誤魔化すように響き渡った。


「皆、来ないね」

「そうだな」

「⋯⋯」

「⋯⋯」


 目の前を車が一台走り抜けていった。

 長い沈黙。セミの声が俺の心臓の鼓動と重なり、けたたましく聞こえる。

 頼むから誰か早く来てくれ。切実に思う。


 俺は元々異性と話すタイプじゃない。というのが俺の目つきが生まれつき悪いのもあって、小学生の頃から怖がられてきたのだ。

 ただ歩いているだけで上級生や不良に絡まれる日常。あまりにも絡まれるせいで校内では俺も不良扱いを受けていた。真面目に過ごしていたのに⋯⋯。


 雪代あやなは品行方正、容姿端麗、才色兼備、文武両道等々、優等生が似合う女の子だ。立ち振る舞い、所作から気品を醸し出し、儚げな表情が庇護欲を唆る。

 まぁ漫画などでは親衛隊なんて作られてそうなヒロインキャラだ。何故彼女がキワモノ揃いの文芸部に所属していたのか、未だに分からない。

 ていうかほんとに親衛隊なんていないよな?


「ちなみにさっきの秘密でどこまで交渉可能なの?」

「やっぱおめーもキワモノだったわ」

「えっ!? し、心外だよ、興味本位で聞いてみたかっただけなのに!」

「興味本位と見せかけて慎重に言い出しを調整してただろ」

「そそそそんなことないよ!」

「他人の弱みを握る支配者気質の女子高生。恐ろしい奴だ」

「濡れ衣だってば⋯⋯」


 俺はレコード『これ以上雪代あやなに弱みを握られない』を達成した。

 今後この話題がでなければ僥倖だ。


「⋯⋯」

「⋯⋯」


 またしても沈黙。異性との交流が極端に少ない俺としてはなんと切り出せばいいのか分からない。変に話題を振ってセクハラなんて言われれば、ガラス細工の俺の心は簡単に砕け散るだろう。


「神凪くん、あのさ」

「うん?」


 こうして雪代に話題を振ってもらって助けてもらったのは何度目か。

 いつも彼女に助けてもらってるな。男としてどうなのか。


「この旅行が終わったら―――」

「集合時間ジャストだな」

「きゃぁあああああ!?」


 気配もなく突然現れたのは、俺たち元文芸部の一員にして、俺と長年の腐れ悪友でもある立石壱馬だ。


「いきなり過ぎるだろおめー」

「いや大変興味深い青春の一ページだったが、遅刻してお前に嫌味を言われるのは避けたかったのでね」

「た、立石くん、一体いつから潜伏してたの!?」

「すまないな雪代。邪魔したようだ。トオルが『あー、寝坊して早く着きすぎたなー』なんて目を泳がせながら呟いていた頃から居たよ。草葉の陰で笑わせてもらった」


 初めから居たのかよ。ストーカーかおめーは。てか居たのならさっきからの沈黙を何とかして欲しかったんだが。

 こっちはめちゃくちゃ気まずかったんだぞコラ。


「しかし、まさか雪代がトオルの恥ずかしい癖を見抜いていたとはな。面白いからだれにも言わなかったんだが。さすがにいつも見てる人は違うな」

「や、やめてよ、なんかそういう核心的っぽいことを本人の前でちらつかせるのは」

「つか待て、お前も知ってたのかよ俺の弱み!」

「当然だろ。小学六年のプールの授業で『あー、いや別に力なんか入れてねーよ』って腹筋を力みながら言っていた時から知ってる」


 うぐぐ。


「神凪くんもそういう時期、あったんだね」

「こいつの場合、女子に見栄を張ってるんじゃなくて、男連中になめられないようにだけどな」

「どうして?」

「まぁ端的に言うと番長張ってたからな。喧嘩とか悪さとか、革命家神凪徹はなめられたらおしまいだったんだよ」


 やめろぉ!

 俺の黒歴史を淡々と暴露してんじゃねぇよ。あの時は俺が実行犯、壱馬が参謀として色々やっていた。教師への叛逆、他者をいじめる生徒への粛清。まぁ嫌われ者を買ってでたのが俺だって話だ。


「やめろやめろ。これ以上人の恥を晒すんじゃねぇよ、この悪魔参謀が」

「ふ、悪魔とは心外だな。トオル、お前の悪魔的エピソードを話してやってもいいが? 僕よりよっぽど悪魔の称号がお似合いだぞ」


 くそ、口じゃ勝てねぇ。ここはひとつ、日頃の恨みも兼ねた鉄拳制裁をお見舞いしてやろうか。


「おっと、暴力に訴えるのはなしだ。非力な僕じゃ、お前には勝てない。雪代、助けてくれ」

「割と自業自得だと思うよ」

「心なしかいつもより冷たいな。まさか話を遮ったこと根に持ってるんじゃないか?」

「ち、違うよ、もう。神凪くんも暴力はダメだよ」


 雪代は買収された。


「それにしても皆遅いなー。あー、いや俺は別にいいんだけど、ちょっと時間もあるし自販機で飲み物買ってくるわ」

「逃げたな」

「逃げたね」


 うるせー。


「次いでに僕の分もよろしく。いつも通りコーヒーでいい」

「おとといきやがれ」


 弱みを握られた雪代と悪魔の末裔壱馬の二人が相手だと俺じゃバツが悪い。

 素直に口じゃ勝てない二人だ。さっさと退避するのが吉。せめてもの復讐として悪魔合体したコーヒーをプレゼントしてやるぜ。

 せいぜい苦しむんだな壱馬ァ!




 憎まれ口を叩きながらも、口角があがっていた。腐れ縁、悪友である立石壱馬との会話は楽しいものだ。

 小学一年生の頃、当時から喧嘩三昧で体力を持て余していた俺に歩み寄ってきたのが壱馬だった。俺を実行犯、壱馬が参謀として様々な事をやってきた。その度に俺だけが説教を食らってたわけだが。


 立石壱馬は雪代と同じく優等生だ。中学時代では文芸部の他に生徒会長を務め、生徒並びに教師陣からの信頼も厚かった。聡明で、会話していて齟齬が無い。不思議と意見や主張が俺と似ていたから妙に気が合った。

 それに壱馬のおかげで俺は嫌われ者の乱暴な奴、ではなく生徒の主張のため教師へと歯向かう馬鹿と認識されていた。まぁ要するにあいつに救われた場面も多かったわけだ。


 それはそれとして雪代と共謀して俺を虐げる悪魔参謀は許せん。

 今こそ叛逆の時だ。革命家・神凪徹の所以たる叛逆を刮目するがいい。

 フハハハハハハ!


「あれー、とーくんじゃん」


 心の中で高笑いしていた俺の背後から声が掛かる。振り向くとそこには我らが文芸部が誇るキワモノの一人、宮坂京子がいた。


「京子か」

「パないわー、今日も顔面殺人じゃんよ」

「やかましいわ。俺の顔に人を殺す力はない」

「ふへへ。卍ー」


 理解不能。

 京子はギャルグループのリーダーだった問題児の一人だ。とある叛逆を機に知り合い、俺が文芸部に引き込んだ。

 不真面目同士、つるむ機会も多く、時には共に体制への反抗も行った仲である。こいつらギャル共にも助けられてきた。

 まぁ持ちつ持たれつの関係だったわけだ。


「もーみんな来てる感じー?」

「いや俺と雪代、壱馬だけだな」

「ふーん。あ、あーこが連絡取りたいって言ってたよ?」

「あー、いや俺は秘密主義だから」

「どういう意味っすかそれー。まじイミフなんすけど」


 異性は苦手だ。京子やコトハ先輩、優くらいの女子としか面と向かって話せない。まぁこの三人は俺の認識では女子力を捨てたキワモノにしてツワモノ共だ。女子に定義していいのか判断に困る。

 兎も角、異性と連絡を交わすなんてやり取りは危険すぎる。勘違いしてフラれたりなんてしてみろ、しまいには世界に反逆し出すかもしれない。

 これが革命家・神凪徹か。いつも思うけどだせーなこれ。


「てか、とーくんは何してんすか?」

「自販機で飲み物買おうとしてたところだ。暑すぎて死にそーだしな」

「サイコー気温更新らしいっすよ。まじテンアゲーッス」

「⋯⋯」

「ほら、テンアゲー」


 やんねーよ。


「ちぇ、んじゃお先ー」

「ああ、次いでに壱馬に伝言頼む。楽しみにしとけってな」

「おけ丸ー」


 宮坂京子退場。

 騒がしい奴がいなくなり、辺りにはセミの鳴き声だけが響く。

 夏も盛り。暑さで溶けてしまいそうだ。


 自販機でスポーツ飲料を購入。水分補給は大切だ。夏場に校長による長話で生徒が倒れた時確信した。勿論、校長は粛清した。校長室に侵入して、抗議文と脅迫用に脱毛クリームを置いたのはいい思い出だ。禿げかかった中年には恐ろしく効果覿面だった。

 俺は怒られた。


 次いでに壱馬のコーヒーを購入。もちろん缶コーヒーだ。これで小細工をしても中が見れない。プルタブを開けても俺が一口飲んだ、という言い訳ができる。それに奢ってもらった身で文句は言えないだろう。

 俺は更にオレンジジュースを購入。スポーツ飲料とオレンジジュースを缶コーヒーの中へと混ぜる。よし、完全犯罪だ。

 苦悶の声をあげるがいい、壱馬ァ!


 ⋯⋯一口飲んでみるか?


「みょー」

「⋯⋯」

「にゃにゃにゃにゃーん」


 ⋯⋯。


「先輩がせっかく奇声を発して挨拶をしているのになぜ返さない?」

「⋯⋯」

「まったく。教育がなってないようだ、私が直々にみっちりしっとり手取り足取り指導してあげよう」


 飲んでしまった。


「ぁぁぁぁぁああああ!!!」

「おうっ!? どうした? 反抗期か?」

「飲んじまったじゃねぇーか!」

「うむ。それも運命なのかもしれぬな。受け入れよ」


 クソこいつ。

 珍妙な奇声と共に背後から忍び寄ってきたのは我らが文芸部が誇る一番のキワモノ、西園寺コトハだ。俺の一つ上の先輩にあたる人で、生粋の変人。しかし、いくつもの小説で賞を取っている天才でもある。

 この前も期待の新星とか騒がれていた。


「お世話係のスバルはどうした?」

「小姑のように口うるさいからな。振り切ってやった」

「何してんだよ⋯⋯」


 眠そうな雰囲気を放つコトハ先輩だが、無駄に運動神経もいいのが腹立つ。

 こいつの中身を知らない奴らは儚い妖精のようだ、なんて形容してたりするし、擬態は得意なのかもしれない。俺は擬態してるところを見た事がないが。


「トオル、疲れた。おぶおぶしろ」

「馬鹿か、誘拐犯と間違われるわ俺が」

「その凶悪な顔つきならむしろ通報されないかもしれない」

「うるせーよ」


 さっき殺人コーヒーを飲んでしまったせいで少し気分が悪い。一口含んで吐き出すつもりだったのに、結構な量を飲んでしまった。

 今にもゲロりそうな状態だ。


 しかし、これで効果は確認できた。後は壱馬に飲ませるだけだ。


「他の奴らはバス停で待ってるから先に行っといてくれ。俺はスバルを探してくる」

「そうか。がんばる」

「おう。それとこれ、壱馬に渡しといてくれ」

「うん。遅刻しないよーにな」


 とてとてふらふら、なんて擬音がつきそうな歩みでバス停留所の方へと退場していったコトハ先輩を見送り、俺はスバルを探すことにした。


 周辺を歩くこと五分、妙に人集りが出来ている場所を見つけた。

 少し背伸びして見ると一人の男を女子数人が囲んでいるのがわかる。うん、間違いないスバルだ。


 きゃーきゃーと喚きながら決してスバルを逃がさない女子数人。スバルも俺に気付いたのか助けてほしそうに視線を寄越してきた。

 イケメンなんぞ普段なら助けたくないのだが、まぁ友人の一人でもあり、あのコトハ先輩のブレーキ役としては必須の存在だ。


 仕方ない。

 ここはひとつ一肌脱いでやるか。


「おいスバル、顔貸せや」


 ドスの効いた超低音ボイスで言い放つ。少し不機嫌そうに言うのがコツだ。

 そして眉をひそめ、睨みつけるような眼光もプラスする。これはボーナス特典だから後で報酬を用意しろよ。


「あ、うん。ごめんね、行かなくちゃ」


 スバルも理解したのか、まるで不良にパシられる優等生を演じた。女子は引き止めるように弱々しく言葉を紡ぐが、俺が睨みを利かせると大人しくなった。

 これ、俺に一切得ないよね。むしろ噂が広められてまた不良扱い受けると思うんだけど。


 てか誰だよ、神凪徹は女子でも関係なく殴る真の男女平等主義者である、なんて噂流したの。

 女子なんて殴った事ないどころか、まともに話す機会だってねーんだぞこら。


「ごめんトオル。助かったよ、いつもありがとう」

「お礼を言うくらいならコトハ先輩をどうにかしてくれ」

「あはは、あの人は僕だけじゃ止めれないよ。それに、トオルの言葉の方が素直に聞くんじゃない?」

「冗談はやめろ」

「そうだね。冗談さ」


 女子共を撒いて、二人でバス停留所の方へと歩く。南雲スバル。『男女ともに認める校内のアイドルで、成績優秀、文武両道、容姿端麗、品行方正のまるで、雪代あやなの男体化イケメン男子』とは我ら文芸部が誇る妄言製造機・北上優の言葉である。

 どうでもいいけどイケメン男子って言葉の意味が重複してるよな。


「僕ら以外はみんな集まったのかな?」

「ああ、後は北上姉弟と田端せんせだけだよ」

「バスが来るまであと十分程度、間に合うかな」

「まぁ最悪、田端せんせ車だし大丈夫だろ」


 このイケメン、甘いマスクで女子共をブイブイ言わせているが、意外と冷たい男でもある。俺たち元文芸部の友人たちには優しさ全開だが、自分に集る女子をハイエナ、羽虫と称したりするなど腹黒さも兼ね備えているのだ。

 まぁ基本的に俺の前でしか愚痴を零さないが。それもある種の信頼関係の賜物なのか、俺が言ったところで誰も信じないからか判断できないが。


 つまるところ結構打算的な奴である。


 二人で並び歩いてバス停留所へと戻ってきた。


「お、とーくん戻ってきた。それにスバルおひさー」

「うん。京子ちゃんひさしぶり、それにみんなも」


 スバルがみんなに歓待されていた。おかしい、俺こんなに暖かく迎えられたことないんだけど。


「それは日頃の行いだな」

「ナチュラルに人の心を読むのやめろよ」

「ふむ。しかし、顔面殺人兵器ことトオルとイケメンフェイスのスバルが並んで歩いているのは見ものだったな」

「やかましいぶん殴るぞ」

「おーこわいこわい」


 集団から外れた位置にいた俺の隣に壱馬が並ぶ。言動は腹立たしいが一人でいた俺に気遣って隣に来るあたり結構思いやりのある奴でもある。

 ちなみに殺人コーヒーにはまだ口をつけていないようだ。

 早く飲んで苦痛を味わえ。


「トオルは悪い子だからなぁ」

「おいスバルはどうした」

「スバルは良い子だからダメだぁ。悪い子のトオルがいい」

「僕がおぶりましょうか?」

「うむ、では壱馬の創作した詩をここで一句」

「なんだと!?」


 壱馬が慌てふためく姿は珍しい。天才・西園寺コトハは記憶力が優れている。そして、覚えたものを美しく描写するのが得意なのだ。正しく文芸の神と呼ばれる存在。

 てかそれ俺も気になる。


 ワイワイ。

 ガヤガヤ。


 いつも通りの風景。文芸部にいた頃はこれが日常だった。

 みんなでそれぞれ詩や小説を作って、交流して、何もない日はただだべって。それなりに楽しかった。家に帰りたくない者たちにとって、楽園のような場所だったんだ。


 なんて過去に浸っていると、待ちに待った三人が現れた。


「あら、みんな揃ってるみたいですね。よかった、今回は誰も遅刻しなくて」

「あはは、去年は神凪先輩がお寝坊さんだったんでみんな大慌てだったですねー」

「神凪先輩は猛省するべきです」


 心無い言葉に胸が痛いです。

 ⋯⋯言い訳させてほしい。俺も遅刻するつもりはなかった。あれは壱馬のバカが徹夜ダービーなんて始めたのがいけないんだ。あれのせいでろくに眠れず、壱馬はしれっと集合時刻に間に合っていた。なんで俺だけこんな目にあうんだ。


 旅行の引率者であり、文芸部の顧問だった田端恵。全体的にぽわぽわしたオーラを放っており、どこか頼りない新卒の先生だった。文芸部の顧問を任せたれたのも、俺ら問題児を押し付けられた形だ。おっとりしてるし天然なのもあって、学生気分の抜けてない人に見える。実際そうだし。


 んで、俺に心無い言葉を投げかけてきたのは北上姉弟。

 姉の北上優は俺ら先輩を慕ってくれているが、何も考えずに発言するため配慮にかけることが多々ある。今回もそれ。何かとトラブルの種になりやすい小動物のようなバカだ。

 弟、北上陸は完全に先輩を舐めてる。元々成績も良く、責任感の強い奴だったからリーダーシップを発揮しようとしてた。しかし、キワモノ集団を正常な思考の人間が引っ張れる訳もなく、おもちゃにされることはや三年。可哀想な奴ではあるが、生意気なので自業自得とも取れる。


「時間ギリギリっすよ」

「ごめんなさい、優さんが心配性を発揮しちゃって一度家に戻っちゃったの」

「すみません、ガスの元栓とか電気の消し忘れ、鍵の閉め忘れが気になっちゃって。一旦気になると確認しないと不安なんですー」

「僕が何度言っても聞いてくれませんからね。もう少しゆとりを持ってくれないと」


 優の心配性は今に始まったことじゃないし、なんなら想定してた。

 しかしバスの発着時刻二分前か、ギリギリだったな。いや前回遅刻した俺が言えたことじゃないけど。


「ふむ、陸はせっかちなんだな」

「いや僕じゃなくて姉さんが、って話で」

「悔い改めよ」

「いやだから」

「コトハ先輩に歯向かうなよ、5倍で返ってくるぞ」

「⋯⋯妙に説得力がありますね。忠告、心に留めておきます」


 うん。俺はそれで酷い目にあった。


「まぁ何はともあれ遅刻しなくてよかったよ。忘れ物はないかい?」

「はい! チェックシートまで作ってましたから完璧です!」

「そうか、よかった。これからよろしくね」

「おお、スバル先輩から輝くオーラが! 私も見習わなければ!」

「あぁ、うん」

「こんな感じですかね? スバル先輩もお元気そうでなによりです、その美しさはより洗練されてますけどね、キラキラ」

「擬音が口から⋯⋯!」


 もう何から突っ込めばいいのか分からない会話だ。あのスバルが後輩相手にここまで押されているのも珍しい光景だし、文芸部の日常だ。

 対スバル要員として機能するのはコトハ先輩と優くらいだな。


「みっちゃん、今回スーツじゃないん?」

「ふふ、前回は暑くて溶けちゃいそうでした」

「海に行くのにスーツは着ませんよ田端先生」

「雪代、その歳でスクール水着を持ってきた者の発言は許されてない」

「立石くんっ!? やめてよ、人の恥ずかしい過去を晒さないで!」


 そんなこともあったな。

 ともあれ、文芸部のメンバーも揃った。これからの山旅行に思いを馳せながら、他愛ない会話を続ける。


 程なくしてバスが来た。

 俺たちは適当に乗り込むと駅に向かう。目的の場所は電車でしか行けない。


 ふと、バスに乗り込む前に思い出したことがある。


「俺の奢りだ。全部飲めよ?」

「⋯⋯? ああ、いただくよ」


 くっくっく、地獄を見ろ。

 壱馬、てめぇーは死ぬ。











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