0,255,255の君
藍間真珠
0,255,255の君
巨大隕石の衝突から、人類は――。
聞き飽きた先生の声が、耳を素通りしていく。私はあくびをかみ殺して、こっそりボリュームを下げた。ミュートにするとばれるから、一番小さい音にしておく。教科書読むだけじゃなく、せめてもう少し楽しい話をしてくれればいいのに。
先生が指し示す電子黒板を見ているのも退屈で、私はクラスメイトの様子を画面に出す。個人カメラをオフにしている人ばかりだけど、中にはオンにしている生真面目な生徒がいる。特に目立つのは、0,255,255の君だ。
そう呼んでるのは私だけじゃあない。この間のチャットで何気なくその話をしてみたら、皆そうだった。A-5番のこの生徒には、皆目が行くらしい。
『あれ、嫌じゃないのかな?』
『好きだから着てるんでしょ』
カメラオフが許されてるのにそうしないのも理解できない。目立ちたがり屋なんだろうか。でもそうならしゃべり場チャットにも顔を出しそうなものだ。
「あ、こら、浅葱、またサボってる」
と、背後から姉さんの声がする。私は慌てて画面を黒板へと切り替えた。でももう遅い。近づいてきた姉さんが、大げさにため息を吐く。これだから姉妹同室は嫌なんだ。今日は運動機能測定の日じゃなかったっけ?
「サボってないよ。目立つ恰好の子がいるから、つい」
この姉も生真面目が服を着ているような人間だ。運動不足で不健康にならないようにって、毎日ジョギングしている。そんなことしたって、どうせこんな世界じゃいつかは病気になるのに。
「あんたいつもそうでしょ」
「でも試験は通ってるよ」
「カンニングしてね」
何でそこまで見抜かれてるんだか。でもカンニングを見張るのは難しいんだから、皆そうするに決まってる。閲覧記録と時刻を比べればばれるんだけど、そこまでして取り締まろうとする先生なんていない。先生も私たちに期待してないんだ。どうせ誰も会わない。通話だって、渋る人が大半だ。
巨大隕石が地球に衝突。塵が世界を覆い、人間は地下に引き籠もった。誰でも知ってる教科書の中の話だ。各地にシェルターが点在している上に、その行き来はほぼ不可能なので、電子上でのやりとりで全てがうまくいくように工夫されてきた。それは皆の努力の成果なのだと。
そしていつかは地上に帰れる。何故なら植物はタフだから。偉い人たちはそう言っている。たぶん夢を見せてるんだと思う。
この引き籠もり生活は、人間を怠惰にした。引き籠もれるような人たちしか生き残れなかったせいだとも言う。これは姉さんの受け売りだ。
動きたくない。寝ていたい。勉強もしたくない。検索すればすぐに何でも調べられる。それなのに覚える理由がわからない。友達とも画面の中で会うだけ。学校以外はアバターだ。私がどんな顔で何をしていても、誰も興味がない。
全部無駄だから。頑張る意味がない。たぶん皆そう思ってる。せめて今だけ、画面の中だけ、楽しくしていたらいい。
「どの子?」
私が黙ってると、姉さんは勝手に端末をいじろうとする。こういうところが嫌いだ。私は渋々と、A-5番を指さした。数字をタップすると、画面が切り替わる。
「ね、目立つでしょ?」
私は姉さんの横顔を見た。姉さんはなんとも言い難い顔をした。もしかして見覚えでもあるのかな? この服、昔流行ったとか?
「毎日こんな感じの服なの。目立つよねって皆言ってる。なのにいつも生真面目でカメラオンなの」
「あーうん、そりゃそうでしょう。はぁ、ああ、なるほどねぇ」
少しおどけた調子でそう言ってみれば、姉さんはなんとも言えない声を出した。
「あんた、やっぱりもうちょっと勉強した方がいいよ」
「何が」
「この服の色の意味、わからないなら」
姉さんは呆れたようにそう言った。その人を馬鹿にした態度、どうにかなんないのかな。むっとした私は思わず端末を叩いた。途端、画面が黒くなる。
あ、消えちゃった。衝撃を受けると勝手に電源オフになるのは、子ども用端末の特徴だ。これが本当に嫌になる。
「うわ、これ後で怒られるじゃん」
「あんたはたまには怒られなさい。父さんたちに言っておくからね」
それなのに姉さんは自分は悪くないとばかりに背中を向けた。なんて横暴な姉だ。私はその白い背中を、ぎっと睨み付けた。
でも気になったので、授業が終わってからこっそり端末で調べてみた。
色 意味
ずらりと検索結果が出てくる。でもよくわからないことが書いてあるだけ。全然関係ない話も出てくる。検索単語が悪いのかな。
色 意味 種類
再挑戦。姉さんに馬鹿にされたままなのは癪だ。すると色の歴史のページに辿り着いた。
隕石衝突までは、たくさんの色が存在していました。しかし世界を塵が覆い、人々が地下に引き籠もるようになって、そうした色の名前は必要なくなりました。色の違いを直接確かめる術がなくなったからです。
そこまで読んだところで私は眉をひそめる。そういえば、私の名前も本当は色の名前だって父さんが言ってたっけ。失われたものには浪漫があるからだと。父さんにはそういうところがある。あの時の父さんの顔を思い出しながら、私は画面をスライドさせる。
世界の色は、白と黒、赤と青に統一されました。顔が赤い、顔が青い。画面が黒くなる、白くなる、必要なのはそんなところでしょう。その他の色はRGBで表すことに決められました。
突然知らない言葉が出てきて私の思考は止まった。RGBなんて聞いたことがない。
Rはレッド。Gはグリーン、Bはブルーですと続く。RとBはわかる。
離れたところにいても同じ色を示すのに、RGBは便利ですと書かれている。よくわかんない。これ、省略しすぎじゃないのかな。
そこからは突然人間の目のことだとか、細胞だとか、さらに難しい話が続いた。読むのに疲れてきたところで、気になる文字が飛び込んできた。
255,255,255
私が知ってる色だ!
RGBでは白は255,255,255です。黒は0,0,0です。と書かれている。じゃあ私は知らない間にRGBを使ってたんだ。すると得意げな姉さんの顔が思い浮かぶ。むかつくから、私はそれを頭の中で黒く塗り潰してやった。
そしてそのまま検索を続けてみる。
0,255,255 RGB
出てきた名前はシアン。私は思いきって画像を検索してみる。
シアン 服
端末に表示されたのは、私が見ているあの色ではなかった。急に血の気が引いた。
0,255,255 服
慌ててもう一度検索する。すると一つ、気になる文章が目に飛び込んできた。
実在しない服。
私は首を捻った。実在しないってどういうこと? タップしてさらに読み進めてみる。現実と画面の色の違い? そんなことってあるの? さらにスライドさせる。
細かいことはよくわからないけれど、あの目立つ色は、どうやら画面だから目立つものらしい。つまり画像や動画を加工しないと不可能だと。
私は息を呑んだ。それってつまり、あのA-5番の生徒は、生真面目どころか違法者だって話になってしまう。しかもそのことに、誰も気づいていないと。
なんだかくらくらしてきた。でもさらに読み進めると、また気になる文章が出てくる。
現実とは違う色を画面に表示させるのは、何らかのメッセージを伝える方法である。
じゃああのA-5番の生徒は、ずっと何かメッセージを送っていたってこと?
気になる。気になって仕方がない。私の心臓が急に強く打ち始める。どうしよう。これ、気づいたのが私だけだったら。
私は検索画面を閉じて、学生用のアプリを起動する。白く輝いた画面にタッチすると、顔を近づけて学生用の部屋にログイン。
――いた。
A-5番の生徒は、何故かこんな時間にもログインしていた。あの目立つ服を着たまま。友達が前もそうだったって言っていたのを思い出す。もしかして、メッセージに気づいた人を待っている?
私はそっと、A-5番をタッチしてメッセージボックスを開く。
「ねえ、こんな時間までいて、暇なの? その服ってどうやってるの?」
私の声にあわせて、メッセージが入力される。でも送信ボタンを押す勇気が出てこなかった。事件に巻き込まれてるとか、虐待だったらどうしよう。もしくは犯罪者だったら。
大丈夫だ。私たちのいるシェルターには親戚しか住んでない。直接外から人がやってくることはない。端末を通じてできることなんて限られてる。だから、聞いても大丈夫。危ないことに巻き込まれてるなら、姉さんに相談しよう。
私は震える手で、ボタンをタッチした。
ピロリンと軽快な音がする。私は大きく息を吐いた。こんなに緊張するのは、いつ以来だろう。メッセージボックスから目が離せない。
ピロリン。音が鳴って、メッセージボックスが点滅した。
「近親婚対策中。服のこと、知りたい? じゃあ明日、通話しよ。ここじゃ声出せないから」
思っていたよりも普通の返信だった。でも引っ掛かる。「ここじゃ声出せない」ってどういうこと?
それに通話なんてほとんどしたことがない。大丈夫だろうか。声に何か出るんじゃない? 浅葱は声で何でもわかるって、姉さんが言ってた。
なんて答えようか。ドキドキして、唇が震えた。通話なんて今時誰もしないって。そうやって断るべきだってわかってる。親に禁止されてるからって。
通話で事件に巻き込まれた人の話も聞いてる。スケベなおっさんの嫌がらせにあったとか。画面の先に、本当に誰がいるかはわからない。身内が庇っちゃったら、警察だって取り締まるのは大変なんだ。そういう理由で、皆通話は止めてるのに。
「いいよ、明日の何時?」
なのに、私はそう答えていた。――それが知的好奇心なの! 得意げな姉さんの顔が、何故だかこんな時に頭の中に浮かび上がった。
0,255,255の君 藍間真珠 @aimapearl
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