第119話 浸潤

「げ、猊下!!」


 イヴァルク4世の元に朝早くから駆け込んできた者がいた。イヴァルク4世は朝食を始めたばかりであり、そこにけたたましい音で駆け込まれては機嫌も悪くないというものである。

 ただでさえ、降誕祭イエファルで自分の戸外の枢機卿であるレイヴァ=ファルガットが白昼堂々と暗殺され、大司教のルウェリン=シーヴ、司教のロディヌ=マーキィも殺された。

 ルウェリン=シーヴは自室で、ロディヌ=マーキィは路上で死んでいるのが確認された。聖職者達を戦慄させたのは両者とも争った形跡が全くなかったことだ。特にルウェリン=シーヴに至っては自室で殺されており、誰も殺された事に一切気がついていないのである。犯人の技量が群を抜いたものであるのが容易に想像できるというものだ。


「何事だ…」


 イヴァルク4世は不快気な声色で駆け込んできた者へ問いかける。


 駆け込んできた者は枢機卿の一人である『スペンサー=レイフリス』である。アルゼイス王の処刑リストに名を連ねている人物であるが、もちろん本人はそのような事は一切知らない。


「ガ、ガルヴェイトで、セインハル枢機卿がイルザム王太子に拘束されました!!」

「な、なんだと!?」


 レイフリスの報告を受けてイヴァルク4世は驚きのあまり立ち上がった。


「な、なぜ、セインハルを王太子が拘束する。理由は何だ!?」


 イヴァルク4世があまりに予想外の出来事に明らかに混乱していた。声の調子が明らかに上ずっていることからそれは十分に察することが出来た。


「え、エアルドの密売容疑です」

「なんだと…麻薬の密売だと」

「は、はい。すでにビムレオル大聖堂からも大量のエアルドが見つかり押収されたとのこと。加えてガルヴェイト王都中の教会からエアルドが押収されたとのことでございます」

「な…なんということだ」


 イヴァルク4世は呆然として力なく座り込んだ。


(セインハルを切り捨てるしかない)


 イヴァルク4世は教会への損害をいかに軽減するかを考えるとセインハルを切り捨てる事を選択する。

 既に大量のエアルドが各教会施設から見つかっているという事は教会ぐるみの犯罪であると思われる可能性が高い以上、セインハルを生け贄にして教会守ることにしたのである。これは組織の長として決して誤った判断ではない。


「それだけではございません!!」


 レイフリスのさらに慌てた声にイヴァルクは怪訝な表情を浮かべた。


「セインハルはルゼイス王とイルザム王太子を暗殺・・するつもりであったと!!」

「な…」

「そ、そして教皇猊下がそれをセインハルへと命じたと」

「ば、莫迦なことを言うな!!何故私がアルゼイス王とイルザム王太子を!!何のためにそのようなことをするのだ!!」


 イヴァルク4世はあまりに予想外の出来事に激高して叫ぶ。レイフリスも顔を青くするが、謝罪する様子はないようだ。


「し、しかし、ガルヴェイトではその噂が一人歩きしております!!すでにガルヴェイトでの我が教会の立場はもはや人倫の敵、犯罪者という位置づけです」

「く…」

「王都では『教皇を吊せ』という過激な主張が出始めております」

「な、なんだと…」


 イヴァルク4世は事の深刻さに身震いした。いくらなんでも教皇を吊せなどと言う主張が普通の状況で出るはずはないのだ。


「なぜ、アルゼイス王や王太子を私が暗殺する?出所は何だ?」


 イヴァルク4世の問いにレイフリスは気まづそうな表情を浮かべた。


「教皇猊下がセインハルに出した命令文書が見つかったとのこと…」

「な、なんだそれは……私はそんなものをセインハルに出してなどいないぞ」


 イヴァルク4世は何が自分の身に起こっているのか完全に理解不能であった。


(誰が書いた文書だ?も、もしや偽造された?だとすれば枢機卿の誰か・・・・・・と言うことか?)


 イヴァルク4世はそう自然に考えた。これはイヴァルク4世がまさか神の代理人である自分達が俗世の者達に攻撃されるわけはないという考えからである。これはイヴァルク4世が考え方が甘いと言うよりも聖職者達に共通している思考の傾向であるといってよかった。


「げ、猊下…?」


 レイフリスはイヴァルク4世の自分を見る目が疑いの感情を含んでいるのを感じ、ゾクリとする。


「ま、まさか貴様ではないだろうな?」

「え?」

「私の筆跡を偽装してセインハルにガルヴェイト王都王太子を暗殺させ、その罪により私を追い落とし教皇の座に座ろうというのではないだろうな?」

「な…め、滅相もござません!!そのようなこと考えたこともございません!!」


 レイフリスの返答にイヴァルク4世は疑いの視線を改めることはなかった。


「では他の枢機卿か?私の座がそこまでして欲しいのか!!お前枢機卿以外に私を追い落として利益のある者などおらぬわ!!」


 イヴァルク4世は激高して叫ぶ。そしてそれは最も言ってはいけない言葉でもあったのだ。すなわち教皇自らの口から枢機卿達への明確な疑惑が発せられたのだ。これは単なる失言というレベルではなく明確な敵意の表れであった。


 レイフリスは顔を赤く・・してプルプルと震えていた。


「なんだ?図星をさされて悔しいか?ん?」


 イヴァルク4世の嫌味の籠もった言葉にレイフリスは怒りの形相を浮かべた。


「猊下こそ心当たりがあるのではないですかな?」

「何?」

「セインハルに次期教皇の座をエサにエアルドを密売させその利益を自分の懐に入れたのではないですかな?」

「貴様、何を言っているのかわかっているのか!!」

「はっ、怒ったふり・・はやめてもらいたいものですな。怒ったふりをすることで真実から目を逸らさせるというのは誰もがやる手段ではないですか!!」

「ふざけるな!!おい!!レイフリスが私への暴言を吐いた!!」


 イヴァルク4世の言葉に周囲の聖職者達は戸惑いつつ互いに視線を交わした。


「レイフリスを捕まえろ!!この程度の事が一々言われねば解らぬか!!」


 イヴァルク4世の激高に聖職者達がレイフリスを押さえ込んだ。


「な、何をする!!離せ!!」


 レイフリスの激高に聖職者達は気まずそうな表情を浮かべるが拘束を緩めるという選択をとることはなかった。


「連れて行け!!反省房へ叩き込んでおけ!!」

「くそ!!離せぇぇぇ!!」


 レイフリスは叫びながら連行されていった。


 このやりとりはあっという間に教会内部へと広がり、互いに互いを疑惑の目で見るようになっていった。


 ガルヴェイトの放った毒が教会内部へと染み込み始めたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年12月27日 00:00
2024年12月28日 00:00
2024年12月29日 00:00

最凶侯爵の逆鱗に触れた者達の末路 やとぎ @yatogi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画