エピローグ 黒い小鳥の飛ぶ空に

「結局今年の星祭は中止ですかー……」

 木漏れ日の心地良い昼下がり。正門に面した大庭園の隅のベンチで、隣に座ったウジャクが深々と溜息を吐いた。

 ちょうど授業の空き時間がかぶったので、ここで二人、時間を潰すことにしたのだ。普段ならこういう空いた時間ができた時は旧図書館のサンルームに引っ込んでいるのだが、今日はよく晴れていて風も気持ち良いものだから、誘われるようにして外に出てきてしまった。

 庭園の噴水が小さな虹をつくっているのをぼんやりと眺めていたときに、ここのところ元気の無いウジャクの口からこぼれたのがそんな言葉だった。

「仕方ないでしょう。<聖地>が落雷で壊れちゃったんだから」

 開いていた本に栞を挟みながら、独り言めいたウジャクの言葉に応えてやる。

 生徒会は先日の雷が<聖地>を直撃し大規模な補修が必要な状況であることを学園の生徒達に発表した。それに伴い今年度の星祭も中止。<聖地>は星祭以外の時でも責任者に申請すれば参拝可能だったのが、この被害により完全封鎖となった。 私とウジャクは意図せずして<聖地>に足を踏み入れた最後の一般生徒となったわけである。現在は国の遺産や退魔における知識人達の指示を仰ぎながら、修復に取り掛かろうとしているところらしい。

「でも楽しみにしてたんですよ。歴史のある儀式に自分も参加できるんだって。それに民間伝承研究部で作った供物も、使われずじまいってことでしょう?せっかく二人で頑張ったのに……」

「そうね。それに関しては残念だったわ。でも奏様がそれは来年に使うっておっしゃってたわ。星祭も今年開かれなかった分、来年はもっと盛大にして開催するよう申し送りするって」

 留学生であるウジャクが星祭に参加できることを楽しみにしていて、準備期間中も一生懸命に走り回っていたことは私もわかっているので、我慢強く彼の愚痴を聞いてやる。だが星祭の中止に落胆しているのは当然ウジャクだけじゃない。

 奏様を初めとする三年生は今年で卒業だから、最後の年だからと張り切っていた生徒も多いだろう。王子が在籍する最後の年でもあるから、いろいろなことが企画されていただろうことも窺える。そのため来年は特例として卒業した生徒も参加できるよう調整しているらしい。

「あれ、いつの間に琴里さんは会長と話すようになったんです?」

 ウジャクが心底不思議そうにそうにこちらを見てくる。まあ、これまで奏様と全く接触を持とうとしていなかった私がいきなり彼から情報を仕入れてきていたら、不審にも思うだろう。内心の動揺を隠しつつ、

「あなたが吸血鬼に襲われたって奏様に報告したから、そのことを心配してわざわざ話しかけてくださったのよ。それから、まあ、時々。とにかく、あなたはまだ来年も天河学園にいるんでしょう?ならまだ星祭に参加するチャンスはあるんだから。たった一人の部員なんだから、私も来年は付き合ってあげるわよ」

と、やや強引にごまかした。

 そう、あれから学園の吸血鬼は姿を消した。

 私は奏様に灼君のことだけは伏せて蛟が吸血鬼であったことを伝え、彼が人気の無い<聖地>で吸血しようと私を連れてきた時に、たまたま雷が直撃し死んでしまったのだと説明した。

 恐らく嘘をついていることも黙っている部分があることも奏様には見抜かれていた。だが奏様はそれ以上追及すること無く、私を労わってくださった。灼君を失ったばかりの私にとって、その優しさは何よりもありがたかった。それ以来、奏様とは少しずつ話すようになった。巳司はあまり良い顔をしなかったが。

 蛟のことについては、鵠王国としてもまさか王子の一人が吸血鬼だったなんて公にするわけにいかない。尤も彼の亡骸は灰となって風に飛ばされたため、証明のしようも無いが。とりあえず今のところ、蛟は夜間に外出したまま行方不明になったと説明されている。そのうち「天河の下流で遺体が発見されたことから、誤って河に落ちて溺れて薨去が確認された」などと発表されて、収束するのだろうと思う。

 また学園内の吸血鬼の噂は正式に解決したという発表が無くとも、星祭の中止や蛟王子の失踪といった話題の前に、既に消えつつある。良くも悪くもこの年頃の関心は移ろいやすい。皆、夏季休暇が明けた頃にはそんな噂があったことすら忘れているかもしれない。

 そんなことをつらつら考えていると、隣のウジャクがいよいよ理解しがたいようにこちらをじっと見つめていることに気が付いた。

「驚いた。まさか琴里さんに慰められるなんて」

「喧嘩売ってるの?」

 落ち込んでいるだろうとたまには気を遣ってやれば、これである。睨みつけてやると、ウジャクは普段通りのへらっとした笑みを見せた。

「いや、本当に前より明るくなったなって。ほんの、ちょっとですけど」

「やっぱり喧嘩売ってるわね」

 失礼なことこの上ない。私の方が年上だってこと、忘れているんじゃないだろうか。一言言ってやっても良いかもしれない、と口を開こうとしたところ、背後の校舎入口から「琴里、ウジャク君」と声が掛かった。

「君達、生徒会棟で一緒にお茶しないかい?楽嶺の家から良い茶葉が届いたんだ」

 こちらに手を振って呼びかけてくるのは奏様だった。隣には楽嶺さんもいる。

 それでウジャクに苦言を呈そうという気もそがれてしまった。まあ良いか。そんなこと、これから先いくらでもできるわけだし。

「ほら、行きましょ」

 立ち上がってウジャクに手を差し出すと、彼はやっぱりおかしなものを見るような目で私の手のひらをしばし見つめた。今日は随分とそういう反応が多い。だがすぐに笑って、私の手を取った。そうして二人して奏様の方に向かう。

 私は結局、故郷には帰れなかった。でも望みが叶わなくとも、この先の未来が決して悪いことばかりではないと今は思える。そしてそう思わせてくれたのは灼君なのだ。

 楽嶺さんとウジャクが冗談を言い合って笑っている。向こうから光矢とイルカさんもやって来て、彼らもお茶会に加わるらしい。奏様が私の肩をぽんぽんと叩く。

 きっと私はこれから、空を飛ぶ小鳥だとか、静かな月の光、誰かの笑顔、いろいろなものに灼君の姿を見るだろう。その度に心の中で語りかけるだろう。


――私は幸せだよ。あなたがいるから。


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