第5話

「弾いた曲は月の光だったわけか」


「ええ。私があの子に最初に教えた曲。二人並んで弾いてた曲」

 クルミは妹の墓の前に立ち、大きくため息を吐いた。霊廟は以前来た時と同様、冷たく静まり返っていた。カブラギも同伴だったとはいえ、深夜の墓地へ侵入するのに、左腕しかないクルミは苦労した。


「最低だと思わない? あの子……最後に……」

 そこまで言いかけ、言葉を切ると包みに入った義手を右の脇に挟む。

「腕を失った時の記憶も、二人でピアノを弾いてた時の記憶も本来、義手のメモリの中にはない。可能性として考えられるのは、妹さんのBMIとやり取りをする中で、彼女の潜在意識が―」

「やめて、もういい。なんにせよ、あの子の気持ちは分からない」


 それが意味するところは分からない。だが、起こったことはそれがすべてだった。恨みを持った義手が自立し、自分の片手をもぎ取ろうとしているというのはクルミの妄想に過ぎなかった。義手は突如として、月の光を弾き始めた。それも、自分の手をキーに持ち上げ、連弾を迫っているように。


 クルミは残された片手で器用に棺桶を引き出す。手伝おうとするカブラギを制し、慣れない手つきで棺桶へ義手を戻した。

 壁に棺が納まると、クルミは名前の印字されたプレートを撫でた。

「よかったのか?」

「さぁ。わからない。でも…………あの子は死んだの。そう、死んだのよ」

 言いながら、クルミは壁に反射しうっすらと映り込んだ自分の姿を見た。オーディションの落選と右手の喪失。夢を失った。はずなのに、不思議と心は軽かった。


「これからどうする?」

「…………とりあえず、火、貰える?」

 クルミはポケットから煙草を取り出すと口に咥えた。火のついたライターを近づけようとしたカブラギから、それを受け取ると一度火を消した。

 もう一度火を灯し、穂先へ着火させると長く、深くタバコを吸った。


 ライターをカブラギにもどすと、彼女は一人、霊廟の戸口に立った。

 外は雨が降っていた。


「じゃ、」

 そういうと彼女は一人、本降りになる雨の中へ足を踏み出した。



おわり



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ゴースト・アイデンティティ 諸星モヨヨ @Myoyo_Moroboshi339

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