あやかあざやか
ハギワラシンジ
過過
メロンサイダーを飲んでいるはずなんだ。ミルクじゃない。ならなんだって言うんだ。だから、メロンサイダーなんだよ。そのはずなんだ。チェリーが赤くて、炭酸が弾けて、翠が鮮やかな。
連絡帳が白い。さっきまで何かを書いていたのに。学校の宿題とか、約束事とか、あとはなんだっけ。わからない。
「しゅっしゅっ、しゅぎた、もうダメじゃんね? あはは」
勉強机に突っ伏したぼくの背中に生暖かくて吐息がかかる。無邪気な笑い声と肉が腐った香り。でも甘やかさもあって、嫌な感じはしない。腐敗に自覚的なんだね。
「しゅぎた、福音が効いちゃう前に、やるんでしょ? もう周りが白くてつらいでしょ? よしよし、かわいしょうだね。過過に、あやかに、おまかせだよ。しゅーっ」
でもでも、と決心がつかないぼくをあやかが顎肢で持ち上げる。その拍子にメロンサイダーがこぼれて机を白く濡らす。ぼくを捕食しようってわけじゃない。その赤黒い牙でさえ、ぼくの髪をすくために使ってくれる。そして首に腐敗した腕が回されて、ぼくを抱きしめた。あやかが怖がるぼくのために生成したヒトガタだ。昔好きだった子に似ている。あやかは巨大なムカデだからすごくこわい。初めてぼくがあやかを認識した時、あんまりにもこわがったものだから、それからはヒトガタを通してコミュニケーションしてくれるようになった。ムカデの頭部が裂けて、そこから生えているヒトガタの感覚器官。彼女は全身に痣があった。カラフルで色鮮やかな、もう見なくなって久しい色彩が。
「あやか、でもね、ぼくはこわいんだ。もうランドセルの色も思い出せない。学校のあさがおも真っ白なんだ」
「ふしし。しかたないね。福音打っちゃったからね。自業自得だよ。そのまま死ねばよかったのに。過過はあやかは、見てたよ、しゅぎた、打ってたよ。福音、腕に。だから自分のせいだよ、まちがいないよ、しゅーっ」
あやかはぜんぜん慰めてくれない。ぼくのせいだって言ってくる。そうかもしれない。仕方ないんだ。液体福音を打たないと、ぼくはしかられる。親と先生に。つらくてうなだれると、勉強机が真っ白に染まっていた。メロンサイダーが犯したんだ。メロンサイダーも犯す側に回ったってことか。いよいよ、いよいよだね。
「だいじょうぶだよ、しゅっ、しゅっ、しゅぎた。そうだ、ちゅーしようねー、ちゅー」
あやかはグズるぼくをあやすように抱え、顔を近づけてきた。極彩色、暗褐色、腐肉色がちかちか点滅しながら蠢いて、ぼくにちゅーしてくれた。あやかの顔は目も鼻も口もない。それらしい肉の凹凸があるだけ。でも胎動する鮮やかな色たちが、顔の役割をしていた。あやかの目をあらわす色が、ぼくの白く盲いた目を見据えた。過過の口をつかさどる色が、ぼくの白くこわばった口に触れる。
「んしゅー」
あやかの顔に亀裂が入った。ゆっくりとジッパーをおろすように、下まで裂けていく。ぬらりと滴る唾液、肉を求めてざわめく無数の牙。彼女の身体はすっかり裏返った。それらがぼくを包み込んでいく。こういうことは初めてなので緊張していると、あやかは優しく背中を撫でてくれた。そのまま虹がかかったような長い舌をぼくの口にいれてくる。ぼくは一生懸命あやかの舌に自分の舌を絡ませた。あやかのはこんなに綺麗で鮮やかで長いのに、僕の舌ときたら頼りない。あやかの舌とぼくの舌がアーチを作って、唾液がじゅるじゅる滴って、机の連絡帳にぽたぽた落ちた。
ぽたぽた。
ぽたぽた。
「ふしゅる、しゅぎた、どう? 過過はあやかはけっこう、けっこうやるでしょ、ほめてよ、ほめなさいよ。ねぇ、ふしぃー」
あやかの唾液が滴った連絡帳に、色が戻っていた。翠だ。メロンサイダーのみどり。さっきこぼしたから、その結果が翠。結果がわかった。みどりだ、ひさしぶりに見た、みどり、連絡帳に書かれた字も少し読める。にじんでいるけど。
『あやまちをすぎろ』
僕はあやかの中で考えた。あやまちをすぎろ。よくわからない。国語の点数がよくなかったからかもしれない。あやまちがすぎれ、あやまちはすぎされ、あやまちはすぎた、あやまちにすぎし。あやかの牙と舌がぼくの身体をなめまわす。あたたかくてお風呂に入っているみたいだった。身体がふにゃふにゃになっていく。そしたら少し、何かを思い出した。お風呂の中ではおしっこがでやすいという事実と一緒に。
「ふしゅ、やるの? やるの、かぁー。しゅしゅり、やっと、やっとだよ」
しょわわ、とふとももを濡らすおしっこを舌が全部舐めとってくれた。気持ちよくて体が震えた。あやかもうれしそうだ。外出るのは久しぶりだからね。メロンサイダーの入った瓶だけは持って行く。のど乾くかもしれないから。
ぼくはあやかの中にしまわれたまま、顔だけカンガルーみたいに出した。そのまま部屋の重いドアを開ける。指紋認証、顔認証、遺伝子情報を入力。まだ学校で習っていないけど、だいじょうぶ。階段を下っていく。誰かの悲鳴が廊下に響いた。パパとママだ。真っ白で、よくわからないけどそのはずだ。さっきお風呂に入って思い出したから。ぼくを見てすごく驚いている。パパが書類を投げてきた。ママは布団叩きを投げてきた。つらい。やっぱり親はこわい。親に逆らいたくない。言うことをきかなくちゃいけない。パパ、ママ、ごめんなさい。お部屋を出ます。メロンサイダーありがとう。
「ふしゅるーふしゅるーっ」
百本の節足が連動する。あやかが二人を押しのけると、ぼくたちの体液が飛び散った。パパとママにも当たる。当たったところが青くなった。じわじわ大きくなって、二人をカラフルに染め上げていく。うれしくて、大声をあげて飛びつきたかった。もう白くないんだ。色がある。パパとママだって分かる。でも身体が動かない。今はあやかといっしょだから。本当はあやまちをあやまりたかった。パパとママ、昔、内緒でムカデを飼ってごめんなさい。わがまま言ってごめんなさい。手足がたくさんあるから、すきだったの。ぼくといつでもじゃんけんしてくれると思ったから。
ぼくとあやかは玄関のロックを壊して外に出た。まぶしい。まぶしすぎて何も見えない。日差しがあるのはわかる。でも何も見えない。これじゃ暗いのと同じだ。暗い方がいいのかもしれない。暗かったら灯りを点ければいいんだから。
ぼくたちは近所の人たちに挨拶して回った。こんにちは、久しぶりです、お元気ですか。その度に驚かれて、ものを投げられたり、福音を打たれそうになった。もしかしたら、あやかがこわいのかもしれない。あやかはこわくない。優しいよ。将来、結婚したいと思っている、ほんとだよ。生殖器官を交わして、卵生のこどもをたくさんつくって、それでね、ちゃんと勉強して就職する。カラフルな会社がいい。庭付きの家も欲しい。屋根は翠で、壁は青くて、床は赤い。そこまで言っても近所の人たちはわかってくれなかった。そういう時はあやかとちゅーをした。するとみんなもいろんな色を思い出してくれて、納得してくれた。うれしい。みんながぼくの言うことをわかってくれる。
友達にも会いたかったから、学校にやって来た。あやかとぼくの通った道は、白から黒、白から金、白から銀、白から朱、に変わっていた。教室に入ってみんなに挨拶する。みんなはぼくのことを待ってくれていたみたいで、しかもたくさん知らない友達がいてうれしかった。
「液体福音は?」
友達の一人が僕に言った。僕は首を振る。
「液体福音を打たないといけないって、先生に言われたじゃん。杉田君、だめだよ。よくないよ」
「福音を打って白くなったらみんなランドセルのことで喧嘩しなくていいんだよ」
「肌もみんな白くてきれいだよ。顔立ちもすっきりしてさ」
みんな口々に言って、僕に向かって液体福音を投げつけた。つらい。友達なのに。ぼくはあやかとちゅーをしてみんなに納得してもらおうとした。
「しゅっ、しゅっ、しゅぎた、もう、だめじゃんね。過過はあやかは、ちゅーできないよ」
あやかは笑った。どろどろと肉が溶け落ちていく。知らない間にあやかに無理をさせていたみたいだ。
「ごめんなさい」
「あやまちをあやまらないで? そういうとこが本当にきらいなんだ、ふしゅしゅ」
あやかはそう言って消えた。ぼくを心底軽蔑した目だった。あの時と同じ、色の無い瞳だった。いろんな色が弾けて消えた。あやかが消えて、ぼくは一人残される。身体が動かない。お風呂から出たくない時みたいに。身体から何かが滴り落ちていく。そしたら友達が一斉にぼくに飛び掛かって、押さえ付けて、液体福音を注射してきた。からだが白くなって、思考も、景色も、白くなっていく。ぼくはつらくなって、みんなにどうしてもわかってほしくて、メロンサイダーの入った瓶を地面に叩きつけた。粉々に砕けた瓶を中心に、色が溢れた。教室を、友達を、先生を、いろんな色に染めていく。お風呂が気持ちよい。みんなにメロンサイダーを。あやかごめん、あの時は本当に……。
以下、杉田博士による無意味な言葉の羅列が続く。世界政府としては以降も彼の研究の調査と抗液体福音、「過色過翠液」の対策を引き続き行っていく所存である。
あやかあざやか ハギワラシンジ @Haggyhash1048
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