第22話 それぞれの未来へ(後編)

【西暦2065年6月 日台帛連合皇国 東京都大田区 『エヴォリューション』本社内】


「雨か」

 誰に言うでもなくぽつりと美輪光輝は呟いた。

 部屋の壁に設置されている時計に目を向けると針は7時を指している。

 今日も個人・商業を含め5名の依頼人と話をして商談をまとめた。

 特に優れた実績を残している技術者や芸能人の脳スキャンを行っておきたいと言う依頼が多い。

 (芸能プロダクションが金の卵を永遠に手元に置いておきたいと思うのはある意味当然の事だ。

 最も輝いている時期のアイドルの脳スキャン・身体スキャンを行えば無限に利益を得る事が出来る。

 人間国宝の脳スキャンに関しては断絶してしまいそうな伝統を残すと言う意味でも重要だろう。

 現段階では、1億円以上の価値があると踏んだ者達がこちらに来て取引をしている)


 窓の外は暗闇が広がり、かなりの量の水滴で遠くの建物が見えなくなってしまっている。

 光輝は椅子に座ったまま腕を組み、背もたれに身体を預けると目を瞑って思考を巡らせた。

 (父親に何度も釘を刺された事柄……『絶対に安売りはするな』と言う言葉。

 当事者となった今なら解る気がする。

 これから技術はますます進歩して、ニューマンを1体製造する為のコストは安くなっていくだろう。

 それだけで考えれば、数十年後には1体1000万まで安くなってもおかしくはない。

 でも、そうじゃないんだ。大量に売る事よりも、大切な事がある)

 

 1億円と言う値段こそが、安易には買わせないと言う確固たる意志なのだと言う事。

 そして社会にニューマンが蔓延する事により発生するリスクを真剣に考えなければならないと言う事。

 光輝はまだ皇国の国民の心が成熟しておらず、世に大量のニューマンを放つのは危険だと考えていた。

 そしてその一方で、何時になるかは解らないがいずれはニューマンが必要になる時代が来るとも思っていた。

 (皇国の少子高齢化は、他の領地からやってくる元外国人を一定数受け入れたとしても止まらない。

 お見合い制度が消滅し、恋愛すらまともに出来ない若者の増加が目立つ今、現状のシステムでは皇国の衰退は必定だろう。

 だからこそ、ニューマンによる疑似恋愛及び出産と言う道を選ばなければならない)


 既に、金を目当てにした『卵子提供者』や『精子提供者』は数多くいる。

 さらには『脳スキャンデータ』と『身体スキャンデータ』を堂々と発売し、1件依頼がある毎にリターンを得ると言うシステムも生まれつつあった。

 (21世紀は『自分自身』が売り物になる時代となった。

 卵子や精子を培養し、ニューマンに装填する事によって容易く疑似恋愛の終着点まで辿り着く事が出来る。

 ニューマンの妊娠により、流産のリスクも軽減され子供を増やす環境は整った。

 あとはニューマンが世の中にある事が当たり前になる程増えるだけなのだが……)


 光輝はそういった矛盾、板挟みに苦しめられていた。

 安売りすればニューマンを己の欲望の為に用いる客が増加し、社会が大きく乱れてしまう。

 所有者の無茶な要求に耐え切れずに逃げ出すも機能停止してしまったニューマンが町中に転がる。

 自暴自棄になったニューマンが犯罪を起こす可能性。

 容易く人を殴り殺せる力を持った機械が堂々と反旗を翻せばどうなるか。

 当然、そういった事態に対する備えは出来ているのだが、不安は尽きなかった。

 (人間がこれから成熟していくのは、もしかしたら無理なのかもしれない。

 ニューマンの使用用途が欲望と深く関わっている以上、理性で解決するには難しい問題だ。

 私1人の独断で決められる事では無く、政府とも話し合って決める問題ではあるが……

 先行きが見えないまま進むしかないのが辛い所だな)


 皇国の主要産業の1つともなったニューマンの販売。

 その現実がある以上毎日の様にニューマンが購入され、持ち主のもとへと運ばれていく。

 金持ちが金をさらに得る為の道具として扱われているニューマンであったが、今後どの様な展開を迎えるのかは光輝にも全く解らなかった。

「なるようになれとも言えないな。売る側の俺にも責任は付きまとうんだから」

 様々な団体が目を光らせ、ニューマン絡みの『スキャンダル』を期待している。

 記憶に残る『ニューマンバッシング』も消えたワケでは無く、常に再燃する機会を伺っている様だった。

 (ニューマンの発売禁止を願う者達は皆、既得権益の消失を恐れている。

 特に若いが容姿に自信の無い女性からのバッシングは相当なものだ。

 美しいニューマンが男性とくっつけば、自分達は恋愛の機会を奪われる。

 その危機感が彼女達を動かしている様だが……正直、国の消滅と彼女らの我儘のどちらを優先すべきかと言う話だな)


 ニューマンによって雇用を奪われるのではないかと怯える大した能力を持たない労働者。

 何時までも若いニューマンによって居場所が失われるのではないかと考える高齢者。

 そして多くの女性。こういった層とエヴォリューションは常に戦い続けなければならない。

 実際、巨額の利益を生むとしてニューマンを大いに評価する勢力も多く存在する為、ただ一方的に非難されているとは言い難い。

 自分を売るとは何事だと言う批判も、金が大きく動く市場の勢いに飲み込まれていく。

 そういった綱引きの中で、ニューマンを売り続けると言うのは精神を疲弊させる行為だった。

 (父から引き継いだこの所長と言う肩書が如何に重いものだったか嫌と言う程思い知らされた。

 いたずら電話は鳴り止まず、脅迫の手紙がポストに届いたのも1度や2度の事じゃない。

 こんなに強大な悪意と戦って平気な顔をしていた父親のメンタルに驚かされたよ)


 矢面に自分のニューマンを立たせようかと何度も考えた。

 実際、既に脳スキャンも身体スキャンも済ませており、作ろうと思えば何時でも作れる。

 それでもまだ作っていないのは、自分の科学者としてのプライドと、凛Ⅱ達の為だった。

 (彼女達の為を思えば、どんな苦難にも立ち向かっていける)

 凛Ⅱと沙奈Ⅱを自分の所有物として扱っている以上、自分が死んだ後の処遇は不透明だ。

 出来るだけ長生きして権力を保ち、彼女達の安寧の地を作らなければならない。

 光輝が折れずに立っているのには、そういった事情も含まれていた。


 扉が開き、光輝がよく知っている声が聞こえてくる。

「コウ君、加藤さんが来てるんだけど……」

 帰ってもらった方がいい?と言う目で凛Ⅱは光輝の顔を見つめた。

「大丈夫だよ。お通しして」

「解ったわ」

 ニューマンの販売禁止を求める団体に対抗する形で生まれた組織。

 加藤は元刑事と言う肩書も手伝いその組織の中心人物となっている。

 ニューマンの『人権』に配慮しつつも販売は許容すると言うスタンスは非常にバランスの取れたものだった。


「久しぶりだね、光輝君」

「ええ。お会いするのは数か月ぶりでしたっけ?

 私も色々忙しくて、なかなかお話する時間が取れず申し訳ありません」

 警察に身を置いていた頃とは異なり、加藤はかなり温和な風貌になっている様に見える。

 あの猛禽類の様な鋭い目もすっかり丸くなっていた。

「君も大分疲れている様だね。

 何時も気を張っていなければならない立場だから当然か。

 初めて会った時とはお互いの立場も考え方も相当変わった様だ」

「そうですね、本当に」


 高校生だった光輝と、刑事だった加藤。

 互いにニューマンをそれ程好意的に見ていなかった2人が、今はニューマンを守ろうと懸命に戦っている。

 それは2人にとってニューマンがなくてはならない存在になっている事を意味していた。

「ニューマンは今までならば迷宮入りしていた様な事件を解決する為にどうしても必要だ。

 被害者に直接話を聞く。不可能を可能にする科学力で事件の解決率も大きく上がった。

 この国の治安を守る為には、悪事を働いても捕まると言う認識を皆に持ってもらわなければならない」

「ニューマンの内容が国民に知れ渡ると、今度はシステムの不備を突く犯罪が増加します。

 脳を潰されてしまっては、流石に脳スキャンを行う事は出来ない。

 常にいたちごっこですね。ニューマンの登場が凄惨な犯罪を助長してしまった」


 人を殺した後、頭を潰す。

 捕まりたくないと言う犯人の行動が、社会にさらなる怯えを招くと言う状況を作っていた。

 光輝もニューマンの登場が全て良い結果を生んだとは思っていない。

 全ての物事には光と闇がある。

 ニューマンがいる事で救われる人間がいれば、その一方で地獄に叩き落される人間もいるのだ。

 光と闇をどちらかに偏った目で見てはならない。

 全て正しいと思い込むのは危険だと光輝は考えていた。


「……私はね。どういった形であれニューマンが存在するのは『救い』だと考えているんだよ。

 この世の中が人間で構成されている以上、必ず虐げられる者達が生まれてしまう。

 古来から人間は『下を見る』事で己の精神の安定を図ってきた。

 自分より劣った者がいる、自分より権利を持たず苦しむ者がいる現状を見て自分を納得させてきた。

 まだ自分はマシな方なのだと。自分は恵まれているのだと」

「つまり、そういった社会構造になれば必ず一定の被害者が出る事になりますね」


 光輝の指摘に対して、加藤は深く頷く。

「江戸時代にも『えた・ひにん』とされた者達がいた。

 苦しい生活を強いられていた農民のガス抜きとして利用された者達だよ。

 最底辺より自分達はまだ恵まれているのだと言う思い込みによって農民は耐える事が出来た。

 このシステムを構築する為にはそういう犠牲者が必要になる。

 だが、この犠牲者が『物』になれば数々の問題は一気に解決すると思わんかね」

 ニューマンがバッシングされている事を逆に利用するかの様な発言。

 光輝としては簡単に許容する事は出来ない発言であったが彼は加藤の言い分に耳を傾けた。


「ニューマンを政府がどう利用しようとしているのか。

 その本質は『少子高齢化の解決』に他ならない。

 それは君も承知しているね?」

「仰る通りです」

 光輝も皇国がその為にニューマンを活用しようとしている事は素直に認める。

「この国の出生率がどんどんと低下し、結婚する男女が極端に減っていると言う現状はそう簡単には変えられない。

 ニューマンによる強制マッチングによってカップルを作り、ニューマンに子供を産んでもらう。

 こういった形になれば、必然的にニューマンは『物らしい扱い』を受ける事になるだろう」


 人間として扱われず、相手の欲望を満たすだけの存在となる。

 自分にとって最も都合の良い存在。それがニューマンに求められているものでもあった。

「そうやって人間が自分の思い通りに動いてくれる相手を得れば、当然安堵する。

 心の何処かで見下す事もあるだろう。

 それは即ち、本来見下されるはずだった人間を庇ってくれると言う事にならないかね?」

 加藤はこう言いたいのだ。ニューマンを盾にするのだと。

 今まで迫害されてきた人々の代わりにニューマンが差別される事で、その人々は守られる。

 物を差別する事で人が救われるのならそれで構わないと考えているのだ。


「肌の色や目の色等で、いわれのない迫害を受ける者達がいるのは歴史が証明している。

 そしてそれはニューマンがいない限り絶対に終わる事が無い。

 ニューマンは差別されている者達にとっての救世主なんだよ。

 人間そっくりのロボットがいる事で、差別したいと願う悪しき人間の攻撃性はそのロボットに向けられる。

 我々は知性を持つ動物だ。

 動物がマウントを取りたい生き物である以上、この問題はそれ以外の方法で解決しないんだよ」

 

 光輝には、加藤の意見を肯定する事も否定する事も出来なかった。

 恐らく、善悪に関わらずそういった事態は絶対に起こりうる。

 ニューマンが人間社会へと普及していく過程で、迫害されるのはある種の必然だった。

 人と違うものを人は恐れ、神聖視するか排除しようとする。

 ニューマンは後者であり、その事実とどう向き合っていくかが重要な課題であった。


「だからこそ、加藤さんが組織内での大きな立場を占めている団体の活動が大切になってくると」

「私達が成し遂げようとしている事もガス抜きに過ぎないがね。

 ニューマンに対する過度な暴言・虐待を止めようと言う活動。

 聞こえは良いが結局の所それさえ無ければ『物』として扱うと言う大前提は全く変わっていない。

 それは所詮『ニューマン全面禁止』を叫ぶ者達へのアンチテーゼでしか無いんだよ」

 加藤にはそういった綱渡りの様なコントロール力が求められていた。

 ヒステリックに叫ぶ者達を宥めつつ、ニューマンを脅威に感じる者達への配慮も欠かさない。

 加藤達がしようとしているのは妥協点の模索であり、光輝も前からそれは把握していた。


「しかし、加藤さん達がいなければニューマンの存在意義そのものが脅かされるのも事実です。

 ニューマンが奴隷の様に扱われるのは私としても心外ですが、ニューマンが消えてしまえば元も子も無い。

 私の様に、ニューマンと恋に落ちて結ばれる自然な形を作れれば良いんですがね……」

「君の様な人間が『普通』だった社会はかつて存在していたが、それは過去の話だ。

 恵まれた肩書と風貌と知性を持った男性が、美しいニューマンと恋に落ちる。

 君は恋愛においては強者であり、今や弱者の方が圧倒的多数。

 女性と手を握る事すら出来ない男性ばかりだろう。

 私も妻に若くして先立たれてからは、同じ様なものだった」


 加藤は『モテない』と言う男としての尊厳が失われる事自体を憂いていたのだろうか。

 光輝には解らなかったし、心から彼に寄り添う事は出来なかっただろう。

 正しい恋愛が出来る人間には、そこから弾き出された人間の気持ちは理解出来ない。

 それでも光輝はそんな恋愛弱者が救われる事を祈っていた。

 (ニューマンがそういった者達の助けになるのなら、ニューマンを作っている側として喜ばしい限りだ。

 上下関係など持たず、対等な恋愛関係を築いていってほしい。

 かつて私が通った道だ。きっと出来るはずだ。決して、ニューマンを下に見ないでもらいたい)


 光輝の願いが届くかは誰にも解らなかった。

 それはもう、1人1人の所有者がどういった気持ちでニューマンと向き合うのかが全てである。

 奴隷の様に扱うのか、それとも人間の様に扱うのか。

 そしてどちらの道を選んでも自由である現在、人の『善意』に頼るしか方法が無かった。

「美輪光輝君。これだけはしっかりと伝えておきたい。

 皆が皆君の様な物解りの良い聖人では無いと言う事だよ。

 ニューマンをロボットとして扱わず、人間として扱う。

 それが出来る人間がどれだけいるか。それだけは忘れないでほしい」


 最後は余裕があるかどうか。そこに集約される。

 生活や未来に対する展望に余裕があれば、人は相手に優しくするだろう。

 そこに余裕が無ければどうなるか。だからこそ1億円と言う価格が大事だった。

 (金銭的余裕のある人間がニューマンを所持した方が、リスクが少ないとは思う。

 勿論、リスクが皆無では無い。

 金持ちの道楽としてニューマンが見世物の様に扱われる可能性もあるのだから……)

 堂々巡りになるが、何かを起こせば必ず何らかの問題も発生するのだ。

 そういった問題、トラブルを完全に防ぐのは不可能であり現実的では無い。

 あとはどれだけその問題を少なくしていくか。それが彼等に与えられた課題だった。


「私はニューマンを作り続けますよ。そして1億円と言う値段で販売する。

 それが私のすべき事であり、政府に求められている事でもあります。

 そして商業に徹するのなら、『脳スキャンと身体スキャンのデータ一般販売』の様な要望にも対応していくべきでしょうね」

「既にアイドルや自身の容姿に自信のある女性が何名か登録していると言う話は聞いているよ。

 若い男性も。己を金で売ると言うのはとんでもない時代になったものだ。

 それはやはり、『自分は痛まない』と言う前提があるからこそ出来るものなんだろうが」

「私もそのデータから生み出されるニューマンがどういった待遇を受ける事になるのかあまり想像したくありません。

 しかし既にそれは巨大なビジネスとして様々な業界から次々とオファーが舞い込んでいる。

 その熱を無視出来なくなったと言う事ですよ。政府もとにかく金を回せとせっついてきていますから……」


 臓器の売買ビジネスよりももっと楽に、自分を傷付ける事無く『商品』にする事が出来る時代。

 それは加藤の言う通り異常な世界を構築する危険性を秘めていた。

 精子バンク・卵子バンクの増加に加え、『デザイナーベビー』の分野も日々進化を続けている。

 流石にニューマン程の身体能力は得られないものの、湯水の如く出る金さえあれば『超人』が簡単に作れるのだ。

 人為的に美しい男性・女性を受精卵の段階からいじくれる科学技術。

 22世紀はまさにそういった『作られたエリート』が社会のトップに君臨すると思われていた。


「正直、研究が進んでいると言うデザイナーベビーの方がもっと心配だ。

 彼等はれっきとした人間であり同時に通常の人間よりも遥かに優れている。

 そういった流れが避けられないのであれば、ニューマンが社会に浸透していく方がまだ健全だと私は思うがね」

「同感です。どちらも『生命への冒涜』だとされていますが、ニューマンはあくまでもロボットに過ぎない。

 明らかにカテゴリーとして分けられるものと、人間の中で頭脳や身体能力が秀でているものとを区別するべきでしょう。

 少なくとも、同一視するべきでは無いと私は考えます」


 シンギュラリティが避けられない所まで来ている時、どちらを選択するべきなのか。

 人間を進化させるべきなのか、それとも人間離れした『ロボット』に頼るべきなのか。

 光輝は人間よりもロボットの方がまだマシなのではないかと思っていた。

 勿論これは感情を抜いた、客観的な損得の話である。

 もし優れた人間が多く生み出される様な事になれば、彼等は自分達が優れているのだと感じる様になる。

 それは選民思想へと繋がり、最後はそういった者達が大多数の『一般人』を支配していく世界が来るのではないか。


 そういった危機感は誰でも抱く。ではニューマンはどうなのか。

 良くも悪くも彼等は『一般人』の記憶を基にして生み出されたロボットである。

 選民思想には染まっておらず、寧ろ力があっても節度ある行動を取る可能性が高い。

 さらに万が一暴れる様な事があっても緊急停止させる事が出来れば最悪のシナリオは防げるのだ。

 デザイナーベビーの製作が既に夢物語では無くなっているこの世界で、悪い方向に向かわせない様にするのは光輝達の使命だった。


「デザイナーベビーを牽制する存在になる。それもニューマンの利点の1つだと私は考えています。

 差別される者の盾となり、少子化問題を解決し、世界の均衡を守る存在となる。

 ニューマンに我々はあまりにも多くの事を期待していますが、こういう世の中である以上それらを果たしてもらわなければなりません」

「勿論、国防もね。

 大インド帝国は当初皇国が自衛隊員用のニューマンを作る事に反対していたが、クーデター事件が起こった事で考えを変えた。

 ニューマンは敵を一方的に殺す道具では無く、人を守る盾となって戦うものなのだと。

 敵を鎮圧する事は、非力な民間人を保護する事に繋がる。それを理解してもらえたのは有難かった。

 今後、かの国やこの国を転覆させようと企む勢力が出てこない事を心から祈っているよ」


 問題を提起していけばきりが無くなる程、皇国は世界の中で揺れていた。

 プエルトリコを皇国の一部として受け入れれば、さらに異種民族が混じる事になる。

 皇国は『日本人』を守り切れるのか。

 それともハーフが激増して今以上に外国人と日本人の境界線が曖昧になり、固有の文化が廃れてしまうのか。

 ニューマンはそういった『種の保存』に対しても期待をかけられており、まるで万能薬の様な扱いを受けていた。


「ニューマンは魔法じゃない。科学の集大成に過ぎないのです。

 だから、あらゆる問題を一気に解決する事など出来はしない。

 かと言って、諦めたりはしないでしょう。少しずつ、良い方向へ向かう様になっていくハズです。

 少しでも素晴らしい未来になる様に、私もその手伝いが出来ればと思っています」

「君は希望を作り出す側さ。君がその船の舵取り役になるだろう。

 乗組員は皆君を信じてついていく。くれぐれも、道を間違えない様にね」

 刑事として様々な人間の目を見てきた加藤には、光輝が失敗するとは思えなかった。

 良い意味でも悪い意味でも真っすぐで、科学や技術を重んじる性格。

 周りのスタッフも非常に優秀で、妙な事を吹き込む者もいなさそうだった。


「もうこんな時間か。君と話せて良かった。そろそろお暇させてもらうよ」

「こちらこそ、有意義な話が出来たと思っています」

 立ち上がり、扉の前へと向かう加藤。

 だがノブに手をかけようとした瞬間、振り向いてもう一度光輝の方に視線を向ける。

「そうだ、最後に1つだけ。

 凛Ⅱを君はどうしたいのか、それだけ聞いておきたかった」


 光輝はどう答えればいいのか解らず、口をつぐんで視線を逸らした。

「ニューマンはメンテナンスを怠らなければ、200年は稼働すると言う。

 そして蓄積された記憶を別の電子頭脳にコピーすれば、人類の時代が続く限り生き続けるだろう。

 だが永遠の命がそこまで幸福では無い事は、君も知っているね?」

「随分と、難しい事を聞くじゃないですか」


 技術とテクノロジーを何よりも大事にする光輝であったが、その点では迷っていた。

 理論としては永遠の命が手に入る。科学者として本当にそれが可能なのか試してみたい。

 興味が無いと言えば嘘になる。だがそれが彼女の幸せになるかと問われれば違うと思った。

「頭で理解していても、感情は別と言う事実を突き付けられますよ。

 私は清川凛と同じ様にどこかの時点で『シャットダウン』するのが正しいと思っている。

 永遠に生きても周りの知っている人々が全ていなくなってしまったら寂しいだけです。

 でも……解ってはいても、彼女に生き続けてほしいと思ってしまうんですよ」


 あまりにも突然の訃報に絶望し、その直後に自分の所有物となった彼女そっくりのニューマン。

 最初はとても受け入れられなかった。ココにいるのはただの機械であり、清川凛では無い。

 本人はとっくに死んでいる。そう思っていた。

 だが時が経ち、平穏な日々を共に過ごしていると彼女に対する愛情が生まれてくる。

 清川凛そのものでは無いかもしれない。

 だが自分の苦しみや悲しみで空いた穴を埋めてくれる存在は彼女しかいないと思う様になった。

 代替品と考えるのは凛Ⅱにしてみれば不本意なのかもしれないが、そうとしか言えないのだ。

 それでいて、既に自分にとって凛Ⅱは自分の隣に何時までもいてほしい存在になりつつある。


「我儘でしか無いんですが、彼女には……凛Ⅱにはずっと私の隣にいてほしい。

 自分の隣にいて、屈託の無い話をして笑い合って、時には泣いて。

 その日常が奪われて、偽物かもしれないけどその日常が戻ってきた。

 もう二度と同じ気持ちになりたくなんかない。それだけなんです」

 自分本位の意見、感情の発露である事は解っている。

 光輝は彼女にただ、そこにいてほしかった。ニューマンに生きる希望を見出していたのだ。

 他人はそれを見て笑うかもしれない。物に生き甲斐を感じるなんてと一蹴するかもしれない。

 だが誰が何と言おうと、今の光輝には凛Ⅱの存在が必要不可欠だった。


「君が生きている間だけ、なら良い。

 だが君の技術力や知見は他人がそう簡単には真似出来ないものだ。

 君のニューマンが君の気持ちとは無関係に作られてしまう事も充分考えられる。

 その時、君のニューマンも凛Ⅱが隣にいてほしいと願うんじゃないのかね?」

 加藤の問いに対して、何か言葉で返すのも無粋だと光輝は思った。

 率直な気持ちを、誠実な態度で示すべきだと思い、ただ一度しっかりと頷く。

 凛Ⅱの意志や思いは尊重したい。だが今自分が抱いている感情とも向き合いたい。

 自分は凛Ⅱを心から愛しているし、失いたくないのだと。


「……君が間違っているだなんて、誰も言えないし言った所で意味が無い。

 大事なのは君がどう思っているかだ。彼女もきっと、君の隣にいる事を望むだろう。

 私からは彼女の気持ちを尊重して不幸にさせない様にと言う『忠告』だけはしておくよ」

 加藤が部屋から去った後も、光輝は椅子に座ったまま暫くの間動けなかった。

 彼は自分のエゴとまともに向き合わずに見て見ぬ振りをしていたのだ。

 特に何も考えず、漠然と凛Ⅱが自分の側にいてくれる事を疑わなかった。

 彼女が死ぬ前もそんな事を考えていて後悔したのに、また同じ轍を踏んでいる。

 凛Ⅱが『シャットダウン』を願った時、自分はその願いに応えられるのだろうか。

 どんなに考えても、答えは容易には出てこなかった。


 情けない話だが、自分が死んだ後の『自分のニューマン』がどうなるかなど想像も出来ない。

 伊藤洋太が良い例だ。自殺して死んだ本人はあくまで『被害者』のままで死ねただろう。

 だがニューマンの方は人を4人も殺してしまったが為に性格や考え方まで変わり、別人の様になってしまった。

 今では中東の某国の傭兵となり、ただ敵を殺害する事だけに生き甲斐を見出す殺人マシンになったと聞く。

 自分が死んだ後のニューマンが『心変わりしない、変貌しない』と言い切る事は出来ないのだ。

 (いや、変わらない方が良くないのか……今の俺と全く同じニューマンならば、凛Ⅱのシャットダウンを望まない。

 俺のニューマンが作られた場合、凛Ⅱを延命させる事に心血を注ぐだろう。

 諦められるのだろうか。長い時間が流れて、互いの『死』を望む時が来るのだろうか?)


 凛Ⅱが生きていたいと願うのならば、止める理由は何処にも無い。

 だがシャットダウンを頼まれた時、光輝はその願いに応えられるのだろうか。

 (本物の俺が死ぬ時に、共にいなくなるのがベストな選択なのか?

 俺のニューマンが作られたら、俺のニューマンは凛Ⅱに代わるニューマンを作り出すのだろうか。

 もう、そこまでは解らない。神のみぞ知る、だ。

 無責任かもしれないが、俺が死んだ後の事は俺にはどうする事も出来ないんだ)


 考えるだけ無駄と思っても、『自分のニューマン』が誕生して社会に悪影響をおよぼす可能性がゼロとは言い切れない。

 ネガティブな感情が頭を掠め、その度に光輝は憂鬱な気分になるのだった。

「もう1人の俺は、何を成し遂げて、何を残すんだろうな……

 俺は所詮父親から所長職を引き継いで、大インド帝国が生み出したロボットを作っているだけだ。

 もっと時代が進んで何十年も先の未来に到達した時、俺は無から何かを生み出せるんだろうか?」

 2020年頃から急速に進んできた科学技術は、疑似生命体まで作り出す事に成功した。

 道徳や常識を無視すれば、クローンやデザイナーベビーの技術も進んでいくだろう。

 その流れの中心にいるのが美輪光輝でもある。

 自分が流れがおかしな方向に進みそうになった時に止めたり、向きを変えたりする役目を果たさなければ。

 皇国の科学技術者の代表として、職務を全うすると言う決意を彼は新たにした。


「コウ君、どうしたの?加藤さんは?」

「話は終わって、帰ったよ。沙奈Ⅱはどうしてる」

「コウ君が疲れてるだろうからって、栄養ドリンクを買いに行ってるわ」

 エヴォリューションの研究室の隣に用意されている仮眠室。

 所長の特権として唯一個室が与えられているが、逆を言えば家に帰れない程忙しい日々が続いていると言う事でもある。

 これもまた、父親が所長職を光輝に譲る際に同じく渡したものだった。

「ココが踏ん張り所だ。通常の依頼とは別に、海外の王族からの依頼が届いている。

 大インド帝国の許可を得て、護衛用のニューマンを早急に10体作ってくれと言う内容のな。

 時間をかける事を何時もは許容してもらっているが、今回は特急料金まで余計に貰っているのだから文句は言えない」

 

 特急料金を含めると合計12億円の大口依頼。

 某国との外交と言う意味でも、この依頼を失敗するワケにはいかない。

 大インド帝国の顔を潰せば大変な事になる。この数日間、特に昼間は働いてばかりだった。

「君や沙奈Ⅱに手伝ってもらって、大分楽になっている。本当に有難う。

 疲労無しにぶっ続けで働いてもらえるニューマンが2体もいるだけで全然違うから」

「コウ君が頑張っているのに、私達が何もしないでいるワケにはいかないわ。

 特に沙奈Ⅱは『まだ御恩を返せてない』って一生懸命働いていたし……」


 光輝が彼女をニューマンに変えていなかったら、今の自分は無い。

 彼女が凛Ⅱと同じかそれ以上に彼に対して特別な思いを抱くのも無理は無かった。

「そうか。俺の隣に優秀な人材がいてくれるのは助かるよ。

 最近は所員全員に働いてもらっていても尚手が足りなくなる時があるからな」

 凛Ⅱに優しい言葉をかけながら、頭を撫でる光輝。

 ある意味彼女は苦労を共にしてきた間柄でもあった。

 所長就任から現在に至るまで、思い返してみれば嵐の様な日々が続いていた。

 彼女がいなかったら、自分はこの場所に立ち続けられていたかどうか自信が無い。

 何時の間にか光輝の目には涙が滲み、そのまま自然と凛Ⅱを抱き締めていた。


「コウ君……」

「なぁ、俺……凛Ⅱの心の負担になっていないのか不安だったんだ。

 俺がずっと君に生きていてほしいと願う事が、却って君を苦しめているんじゃないかって」

 彼女を『物』の様に扱う事を嫌がっていた自分が、何時の間にか束縛しているのではないか。

 本当は彼女も清川凛の様に自由を望んでいるのではないか。

 そんな思いが光輝の心の中で長い間燻り続けていたのだ。


「コウ君も、私と同じだね。親しい人といないと、怖いんでしょ?

 でもそれで良いの。人間は、孤独を最も恐れる生き物だから」

 支え合って生きていく事を否定してはいけない。

 凛Ⅱにとって光輝と共に生きていく事は束縛などでは無く大きな希望だった。

 清川凛は自分の夢と理想の為にこの生き方を放棄したが、本当は後悔してもいるハズだ。

 1年に一度帰ってくる彼女との会話から、凛Ⅱはそれを感じていた。


「もう1人の私だって、コウ君との人生を選びたい気持ちがあったと思う。

 ただ、もっと大きな志の為にそれを犠牲にしただけ。

 私もまた、彼女がいるからコウ君と一緒にいる事に満足してる。

 お互いがお互いの足りない所を補い合って、幸せに生きるべきだと思うわ」

 凛Ⅱにとっても、遥か先の未来は想像すら出来ない。

 今の気持ちがそうだと言うだけで、多少変化可能性はある。

 だが美輪光輝を心から愛していると言う気持ちは変わらないだろうと思っていた。


「コウ君、私……コウ君の事が大好きなの」

「俺もだよ。俺も君の事を心から愛してる」

 嘘偽りの無い本音だった。人間か機械かなんて、今の光輝にとっては些細な問題だった。

 目の前にいる彼女を抱き締め、愛する事が罪になるのだろうか?

 否だ。無生物を愛するなんてと馬鹿にする者がいたとしても笑わせておく。

 自分が何を信じて、何を求めるかは自分で決める事だ。

 光輝は凛Ⅱを愛し、守っていく決意を新たにした。

 

 こうして、美輪彰浩の仕掛けた『実験』の結果が出た。

 人間は機械を愛する事が出来る。たとえそれが本人では無い、偽物だったとしても。

 父親はこの結果に満足しているのだろうか。

 恐らく自分達を影からこっそり見張り、詳細なレポートを書き上げている頃だろう。

 父親はそういう男であり、科学者はそういった探求欲に抗えないと言う事も光輝はよく理解していた。

 (そして俺も同じだ。俺も父親と同じ様に自分自身と凛Ⅱを研究対象としてレポートを書き続けるだろう。

 この恋の終着点が何処になるのか。そもそも終着点が存在せず永遠に続くのか。

 それは永遠と呼べるのか、人生を終えるまで考え続け彼女に愛を注いでいく)


 全てはきっと、人間の好奇心から始まったのだと光輝は思う。

 人間と全く同じ知能・記憶・感情を持ち、ある程度自由に振る舞えるロボットが現れたら社会はどう変わるのか。

 良い事もあれば、悪い事もあるだろう。

 稼げる人間もいれば、ロボットに自分の居場所を奪われ途方に暮れる人間もいるハズだ。

 1つだけ確かな事があるとすれば、人類はニューマンの発明によって間違いなく前進した。

 無から疑似生命体を生み出すと言う神にも等しい偉業を成し遂げたのだ。

 勿論、それはあくまで人間が生み出せるものであり、ロボットが主体となる世界は訪れない。

 機械が他の機械を生み出しメンテナンスし続けると言うサイクルが生み出されない限りは不可能だろう。


 (そんな世界にはさせない。

 そう判断したからこそ大インド帝国はニューマンの製造方法をオープンにしていないのだと信じたい。

 また俺もそんな世界が来る事を望んではいない。

 ロボットと人間の主従関係が逆転し、人類が滅びた未来を誰が望むものか。

 ニューマンに『人間の記憶』がある以上、ニューマンが人類を心から憎悪出来るとは思えないしな……)

 視野を広げれば、問題は際限なく増えていく。

 人間1人の人生で解決出来る事柄はそう多くは無い。

 目の前のニューマンを抱き締め、人間とロボットが共存共栄していける未来がある事を証明する。

 光輝はそれが自分の使命であると思い、同時に凛Ⅱをするべき事だと感じていた。


 月が出ていた。満月では無かったが、金色に光っている様に見えた。

 星が殆ど見えなくなった空でも、月だけは変わらぬ輝きを放っている。

 加藤と会話した日から数日後のある夜、降り続いていた雨が久しぶりに止んだ為彼等は屋上に足を運んでいた。

「少し欠けているけれど、互いの努力さえあれば幾らでも埋められる。

 足りないものを補って、一緒に幸せになっていくのが人間のあるべき姿だと思うよ」

「コウ君、私もそう思うわ。

 誰かが悲しんでいる時に側にいて慰めてあげる人がいた方が良いに決まっているし、逆もそう。

 幸せになっている人の側にいて一緒に喜んでる人がいた方がもっと素敵な毎日になるもの」


 美輪光輝の傍らに、2人の女性。

 それが人間で無いと言った時、数十年前の人間ならば驚いて目を白黒させた事だろう。

 だが非現実的なものが日常になった時、科学はもっと人類を豊かにしてくれる。

 自分がその証人だ。今、とても幸せで満ち足りているじゃないか。

 その幸せを、ニューマンを作って渡す事で分ける事が出来ればもっと素晴らしい。

 未来をより良いものにする為の光輝の『仕事』はまだ始まったばかりだった。

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