第45話 一人の騎士として(03/09 改稿)


 沈んだ日が山の端を薄明るく照らすだけになった頃。一人の男がバーレル男爵家に向かっていた。


 ――ハァ……面倒な。


 男が思い浮かべたのは、男爵家に潜り込ませたメイドの顔だ。

 自分が勤める家の令嬢の情報と引き換えに金を受け取る時の嫌らしい笑みを見る度に、改めて『女』と言う生き物の醜悪さを思い知る。


 男は筋金入りの女嫌いだった。感情的で愚鈍。男の言い分を理解しないくせに自分の言い分は理解しろと強要し、困ったら泣けば解決すると思い込んでいるおめでたい頭。


 何もかも全く理解が及ばない、醜悪極まる生き物。男にとって女とはそう言う存在だった。


 そして男爵家のメイドと同様に、カロリーヌのことも心底嫌悪していた。で毎日すすり泣いていたカロリーヌの存在を思い出し、顔を顰める。


 ――殺してしまえば面倒じゃないのに。


 カロリーヌの監禁中、男は何度そう考えたかわからない。

 だがカロリーヌは平民の生まれながら、一応肩書の上では貴族令嬢。殺せば必ず金持ちの父親が騒ぐし、証拠隠滅にも時間がかかる。


 何より、『計画』の実行は間近――主人の悲願のためにも、そんなことに割く時間はない。


 こうして気の進まない仕事をこなすのも、カロリーヌが監禁の事を外部に漏らして、主人の計画を頓挫させないため。そう、すべては主人のために。


 自分にそう言い聞かせる内に、男はバーレル男爵家の裏門に辿り着いた。


 男は普段通りに、鍵の開いた裏門から音もなく男爵邸の敷地に滑り込み、屋敷から死角になる庭の隅の木まで向かう。


 そこで薄暗がりの中、こちらに背を向けて待っているメイドに声をかけた。


「来たぞ。報告を」


 いつもと変わらず、端的に用件を告げる。

 ……いつもと違って、メイドは微動だにしない。


「……おい、聞こえてないのか。報告を」


 再度の呼びかけにも反応しないメイドにしびれを切らした男は、舌打ちをしてメイドの腕を掴んで振り返らせる。


「おい、いい加減に――っ!?」


 振り返らせたメイドの顔は、真っ赤に腫れあがっていた。

 異常事態。男の脳内に、警鐘が鳴り響く。この場を離れねば、と思い至った時にはすでに遅かった。


「あ、ガッ……!?」


 巻き付けられた腕と首への圧迫感を認識すると同時に、男は意識を手放した。


 ◆


「カロリーヌ様。こちらの男に見覚えは?」

「……間違いありません。私を学園で攫った男です」

「こ、この男がカロリーヌを……!」


 メリーベルに付き添われたカロリーヌが、縛り上げられ地面に倒れる男の顔を見て、そう断言する。

 憤怒の形相で男を睨むバーレル男爵を牽制するよう、セルジュは口を開いた。


「わかった。では、後はこちらで処理する。くれぐれも、この件は口外しないように」

「は、そ、その……この男の処遇については」


 さらに言い募ろうとする男爵を、セルジュは殺気を込めた視線で制する。


「最初に伝えたはずだぞ。この件は王族に関わる案件だ。貴殿の言が入り込む余地はない」

「は……失礼いたしました」


 開きかけた口をぐっと引き結んで、男爵は深く一礼した。


「移送の準備をしてまいります」

「任せた」


 メリーベルが表に止めたままの馬車に向かったのを見送ったセルジュは、改めてカロリーヌに向き合う。


「カロリーヌ嬢」

「はい」

「……気付けずに、すまなかった」


 謝罪の言葉と共に頭を下げたセルジュを見て、カロリーヌは驚きのあまり目を見張った。


「き、騎士様! どうか顔をお上げください! そ、それに、あの状況で気付くのは無理かと存じます!」

「そうかもしれなくても、だ」


 セルジュは頭を下げたまま続ける。


「未来ある令嬢がこの国の最高学府の教育を受ける機会を逸してしまったことを、貴族の末席にある者として、そして……一人の騎士として、はなはだ申し訳なく思う」


 シン、と沈黙が流れる中で、セルジュはゆっくり顔を上げた。


「今回の件について、こちらから何かを伝えることは出来ない。だが……もしまた何かあったら、王城に使いを出して近衛騎士団のセルジュ・ヴァレスを呼び出してくれ。


 今回の件に関わる話でなくとも構わない。これはあくまで、俺個人からカロリーヌ嬢への申し出だ」


「ど、どうしてそこまでしてくれるんですか?」


 目上の立場である騎士に頭を下げられ、更に元平民の男爵令嬢が王国の近衛騎士を呼びつけても構わないという破格の申し出。

 カロリーヌが自分にはあまりに分不相応な提案に戸惑っていると、セルジュは何かに耐えるような表情で言った。


「君の言う通り、学園で君が別人と入れ替わっていると気付くのは不可能だったし、当時の俺に出来ることはなかった。


 でも事実を知った上で、これからも君に何もしないで良い……というのは、こう……俺が、納得できないんだ。すまない、身勝手な申し出で」


「いいえ! そんなこと……そんなこと、ない、です……」


 カロリーヌは、恐る恐るセルジュ顔を仰ぎ見た。

 澄んだ濃緑の瞳が、真っすぐに自分だけを見据えている。

 

「……ヴァレス様。格別のご配慮、ありがとうございます。何かありましたら、遠慮なく頼らせていただきます」


 そう言ってカロリーヌが深く頭を下げた所に、メリーベルが戻ってきた。


「失礼いたします。男の移送の準備が整いました」

「わかった。すぐに向かう」


 騎士としての表情に戻ったセルジュが、バーレル親子に声を掛ける。


「では、我々はこれで失礼する。捜査協力に、心よりの感謝を。もし何か異変があれば、すぐに使いを出すように」


 こうしてセルジュとメリーベルは、バーレル男爵邸を後にする。


 近衛騎士の制服が薄暗い夜道に消えて見えなくなるまで、カロリーヌはセルジュの背中を見続けていた。


 ◆


「随分と手厚い仕事ぶりね。近衛騎士団ではそう教わるの?」


 馬車の床に転がされた男を挟んでメリーベルが問えば、セルジュは罰が悪そうな顔をしつつも、はっきり答える。


「いえ。仕事とは関係なく、俺個人がそうしたかったからッス」

「償いのつもり? 感心しないわよ」


 男爵家のメイドを尋問した納屋の中で、メリーベルはカロリーヌから聞いた情報をセルジュに伝えていた。

 彼女がセルジュの異母兄アレクサンドルに受けた仕打ちも、当然その中には含まれている。


「アレクサンドル・モントーリオに、罪悪感がある?」

「いえ、流石にそれはないッス。ただ――」

「自分のせいで、カロリーヌ嬢が酷い目に遭わされたと思ってるなら、見当違いにもほどがあるわよ」


 ギクリと身体を強張らせたセルジュに、メリーベルは呆れ混じりの溜息を吐く。


 アレクサンドル・モントーリオの発言を鑑みるに、平民出身の女性から生まれた異母弟のセルジュに足を奪われた件が、彼の平民出身者への激しい憎悪のみなもとであるのは間違いないだろう。


 だがメリーベルからすれば、セルジュへの憎悪とやらを全く無関係のカロリーヌに向けた時点で、たとえアレクサンドルがどれほど酷い境遇にあったとしても、同情の余地は一切ない。


 アレクサンドルの暴挙は、アレクサンドルのみの責任だ。


「もし、セル君が少しでも『自分の所為だ』なんて思っているのなら、今すぐ馬車を降りなさい。冷静に仕事ができない人に、命は預けられないわ」


 突き放すようなメリーベルの言い様に、セルジュはほんの一瞬だけ迷った表情を見せたが、すぐに頭を横に振った。


「正直、まだちょっと自分の気持ちに整理が付かないっつか……混乱はしてるッス」


 でも、とセルジュはメリーベルを正面から見据えて言った。


「それは、今考えるべきことじゃないッス。

 俺がやらなきゃいけないのは、アレクサンドルをとっ捕まえて、情報を集めること。それが、この件を一番早く解決する近道ッス」


 それに、と続けたセルジュの言葉に、メリーベルは思わず笑ってしまった。


「――俺を信じて任せてくれたロランさんに、恥かかせるような仕事はしたくないッスから!」





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どうやら俺は乙女ゲームの世界で汚れ仕事をしていたらしいです。 鳩藍@『誓星のデュオ』コミカライズ連載中 @hato_i

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