第44話 なすべきことはただ一つ


「許してください……私はただ、カロリーヌ様のご様子を報告しろと言われただけで……もう、本当に何にも知らないんです……」


 バーレル男爵家の庭の隅にある納屋で、縛り上げられたメイドが両頬を真っ赤に腫らして鼻血を垂らしながら、涙声でそう言った。


 カロリーヌの部屋で盗み聞きをしていたメイド曰く。以前勤めていた家で奥方の不興を買い、紹介状もなしに首になり、酒場で働きながらどうにか食いつないでいた所に、バーレル男爵家で働けるメイドを探しているという男がやって来たそうだ。


 その日暮らしを抜け出すために話に食いついた彼女に対し、男が男爵家に彼女を紹介する条件として出したのが、カロリーヌの監視。


 父親や他の使用人と何を話したか、家族以外に誰かと会ったり話したりしたか。それらを毎日自分に報告すること。


 メイドは男の条件をいぶかしんだものの、この機を逃せば再就職は難しいと思い、条件を呑んだ。


 そうして彼女はバーレル男爵家に雇われ、以後監視役としてカロリーヌの言動や行動を逐一報告していたとのことだった。


「これは、本当に何も知らなそうね……」


 手に付いた血をハンカチで拭いつつ、メリーベルはそう確信する。

 メイドを捕まえる際に蹴りを入れた感触からして鍛えているとは思えなかったし、ほんの少しの『聞き取り』で音を上げたのを見るに、荒事慣れは一切していないのだろう。

 稼ぎに目がくらんだだけの素人だと判断するには十分だった。


 ――さて、どうしようかしらね……色々と。


 メリーベルは横目でちらりと、セルジュの様子を伺う。


 情報を共有してからメイドの聞き取りを進めている間、セルジュはずっと両腕を組んで納屋の壁に背を預けたままでいた。

 顔だけはメイドの方を向いていたが、その表情は心ここに在らずといった体がありありと見て取れる。


 無理もない、とメリーベルも一定の理解を示した。


 何せ今回の婚約破棄騒動の切っ掛けとなった偽造文書を作り、学園潜入のために入れ替わったカロリーヌに口封じの婚約を持ち掛けたのが、自分のかつての生家・モントーリオ伯爵家。

 その心中は決して穏やかではないだろう。


 だが、私情それ私情それ仕事これ仕事これである。


「お願いします……もう縄を解いてくださ……」

「ちょっと寝てて頂戴ね」


 メリーベルはメイドを絞め落として気絶させると、セルジュの正面に立ち、彼の頭を両手で掴んで無理矢理下に向け、自分と目を合わさせた。


「おわっ!? め、メリーベルさ――」

「セル君。仕事中よ。いつまでボンヤリしてるつもり?」

「……ウッス、すみません……」


 晴れない顔のままのセルジュに、メリーベルは声を落として諭す。


「いい? 私はね、ロランにこう言われたの。『セルジュを手伝ってくれ』って」


 ロランの名を出した瞬間、セルジュの目がハッと見開かれた。


「ロランは今、動けないの。だから動ける人に任せるしかない。セル君はそんな中で、自分の判断で調査を始めたの。わかる? ロランは『セル君なら出来る』って、信頼してるのよ。だから私はあくまで『お手伝い』なの」


「ロランさんが、俺を……」

「そうよ。ロランが信じて任せた仕事に、そんな調子で挑んでいいの?」

「駄目っスね!」


 ガバリと勢いよく顔を上げたセルジュは、バチバチと音がするほど両手で頬を叩き、自分に喝を入れ始めた。


 ――分かりやすい子ねえ……


 ロランの名前を出しただけですっかり元の調子に戻ったセルジュに、メリーベルは苦笑を浮かべつつも続ける。


「じゃあセル君。これからどうする?」

「ウッス。まずは情報の整理ッスね」


 まずはカロリーヌからの聞き取りによって発覚した、公爵令嬢アンリエットのいじめの証拠として捏造された文書に関わっているだろう二人について。


 偽造文書を作成し、近衛騎士団長の息子を通じて第一王子ナルシスに渡した、カロリーヌに成りすまして潜入していた少女――便宜的に『偽物』と呼ぶことにする。

 そして『偽物』を手引きしていた、学園の事務員と思しき男性。


 二人の所在は現在不明。どちらか、あるいは両方を生け捕りにしたい所だが、昨日の時点で王国の外に逃げている可能性も十分にあるので、あまり期待しすぎない方が良い。


 そしてカロリーヌが拉致された屋敷にいた、義足の男について。


 カロリーヌとバーレル男爵の話を合わせて鑑みるに、彼はモントーリオ伯爵家の令息ということになる。


「つまり……セル君の腹違いのお兄さん、でいいかしら?」

「ウッス。アレクサンドル・モントーリオ。伯爵家の嫡男で次期伯爵……の筈ッス」

「『の筈』? どういうことかしら?」


 セルジュは眉間にしわを寄せ、苦々しい顔でこう言った。


「アイツの足、俺が潰したッスから」

「ああ、なるほど」


 セルジュが生家であるモントーリオ伯爵家から出されたのは、自身の魔力暴走によって屋敷を破壊し、異母兄アレクサンドルと、伯爵の正妻である彼の母に大怪我を負わせたからだ。


 その後始末に『雄鶏』が駆り出されたことで、メリーベルを始め、雄鶏に所属する人間の大半は、セルジュの過去をおおよそ把握している。


 その為、メリーベルはセルジュが発した『次期伯爵』という言葉に得心がいった。


「セル君の魔力暴走事件の原因になった罰として、後継から外されたかもしれないのね?」

「多分ッスけど……で、伯爵がアレクサンドルに家督を渡すのはないと思うッス。俺のことを『出来がいい』って理由で可愛がってた人なんで」


 当時十歳のセルジュが魔力を暴走させた原因は、異母兄と正妻からの嫌がらせだ。

 庶子であるセルジュの方が嫡子のアレクサンドルより能力的に優れており、父である伯爵からも目を掛けられていたのが、気に入らなかったらしい。


 その結果、アレクサンドル魔力暴走に巻き込まれて脚を失った。のだ。


 加えて、セルジュを養子として引き取ったヴァレス侯爵が、セルジュがこの件で加害者として追及されないための情報工作として、敢えて事実をそのまま噂として社交界に流していた。


『モントーリオ伯爵家の嫡子が、庶子を妬んで嫌がらせをしたが、母親もろとも返り討ちに遭った』


 この醜聞で社交界は大いに盛り上がった。ヴァレス侯爵の狙い通り、セルジュの責任を追及する声は上がらず、モントーリオ伯爵家を社交界で相手にする貴族は居なくなったそうだ。


 モントーリオ伯爵がどんな人物であれ、この状況で噂の火種になっているアレクサンドルに家督を継がせはしないだろう。

 たとえ、ほとぼりが冷めたとしても、義足を見られる度に伯爵家の醜聞が何度でも話題に上るのだ。


 伯爵家の存続のためには、アレクサンドルを『病死』にし、家督は養子を取って継がせる他にない。


「それにカロリーヌ嬢が軟禁されてた部屋って、俺と母さんが暮らしてた別邸の部屋だと思うんス」

「そうなの?」

「ウッス。モントーリオ伯爵が母さんに家具を貢いでたの、なんとなく覚えてるッス。話に出てきた照明魔道具がある二階の中庭に面した部屋ってのは……だいぶ様変わりしてるみたいッスが、元・俺の部屋かと」


 なので、とセルジュは続けた。


「手掛かりが得られるとしたら、モントーリオ伯爵家の別邸で間違いないと思うッス。

 内通者を捕まえた以上、何もしなければこっちが探ってるのがバレて逃げられちまうッス」

「そうね……セル君は、どうしたらいいと思う?」


 試すように尋ねたメリーベルに、セルジュは胸を張ってこう言った。


「当然、今日中に殴り込みッスよ!」


 その答えに、メリーベルは大いに満足して頷いた。



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