第43話 (2/21改稿)一人じゃない



「あの……突然、こんなことを聞いて申し訳ないんですが……メリーベルさんって、独身なんですよね?」

「え?」


 ――え? なんでそれを今?


 メリーベルは思わず小首を傾げた。手帳を持ったメリーベルの左指の薬指を見てそう判断したというのは分かるが、なぜこのタイミングで聞かれたのかがわからない。

 そんなメリーベルを見たカロリーヌが、慌てて付け加えた。


「いっいえ馬鹿にするとかそういう意味ではないんです! ただ、その……父は、私に貴族と結婚して裕福な暮らしをして欲しいようなのですが……私、あの男との結婚なんて絶対に嫌なんです」


「すると……屋敷にお邪魔する前、お父様が仰っていた『伯爵家との婚約』とは」

「はい。お察しの通り……あの、義足の男とです」


 がっくりと肩を落とし、カロリーヌは続ける。


「父に本当のことなんて言えなくて、かと言って貴族どころか、ほかの家に嫁ぐのも無理で……だからと言って一生家から出ない訳にも行きません」


 貴族の家に嫁ぐ令嬢は、純潔が大前提とされている。無関係な血筋の人間に家を継がせてしまう間違いが、万に一つもあってはならないからだ。


「……素人の質問で恐縮ですが、独立した商会などの立ち上げはお考えにならないのですか?」


「その知識を学ぶべき学園に通えていませんし、それにあの女が『私』として通っていた以上、私が『カロリーヌ・バーレル』として復学するとしたら、事情を公にしないといけません。

 だからと言って、修道院で一生を過ごすなんて冗談じゃありません。


 それで、独り身のまま働き続けるにはどうしたらいいか、何か参考になればと思いまして、伺わせていただきました」


 ――なんてこと、責任重大だわ……


 メリーベルは人の心の機微に聡い方ではないし、寧ろ苦手だ。

 ここでカロリーヌに下手なことを言ってしまえば、話す中で築いた信用を失い、情報を引き出せなくなってしまう。


 何よりメリーベルとて、人の心に疎くとも、人並みに情はあるのだ。


 力なく笑うカロリーヌに、メリーベルは慎重に言葉を選びながら返した。


「そうですね……私はまず、貴族の生まれではありません」

「そうなのですか?」

「はい。属国クローディアと国境くにざかいを接する農村の出になります」


 カロリーヌが目を丸くするのを他所に、メリーベルは淡々と話していく。


「それで、八歳のころ人攫いに遭いまして」

「えっ?」


「王都にある違法な人身売買の組織に売られたのですけれど、九歳の時にその組織が摘発されたのです」

「えっ???」


「その時に摘発に携わった方に保護されて、魔法の素養があったために養子先を紹介していただき、学園を卒業後に今に至ります」


 メリーベルのかなり略された略歴を聞いたカロリーヌは、唖然として呟いた。


「何と言うか、波乱万丈……ですね」

「はい。何もかも失ってしまいましたが、幸運にも、良い人と機会に恵まれました」


 そこでメリーベルは、カロリーヌの目を見て笑いかける。


「カロリーヌ様には、優しいお父様も、お父様が持つ財産や人脈もございます。


 応接間でのご様子から察するに、カロリーヌ様に無理を言ってまで結婚をお進めになるとは思えません。


 そもそも結婚の話も、カロリーヌ様に不自由な暮らしをさせないためとお見受け致します」


 メリーベルは椅子から腰を上げ、跪いてベッドに座るカロリーヌと目線を合わせ、彼女の両手を優しく握った。


「大丈夫ですよ、カロリーヌ様。あなたは、一人ではありませんから」


 カロリーヌは一瞬、呆気にとられた表情を見せたが、次の瞬間、くしゃりと顔を歪ませて、再び大粒の涙をポロポロと零し出す。


「ズッ、ヒッ、う……あ、ありがとう、ござい、ます……」


 ――よかった。ロランほどではないにせよ、私にしては上手く励ませたかしら。


 すすり泣きながら謝礼の言葉を述べるカロリーヌに、メリーベルは内心で安堵のため息を吐いた。



 そして同時に、『雄鶏』としての冷徹な一面が顔を覗かせる。



 カロリーヌが落ち着いて来たのを見計らい、部屋の外に聞こえぬよう、メリーベルは顔を寄せて言った。


「少し、外させていただきますね。どうやらが必要なので」


 キョトンとしたカロリーヌから足早に離れたメリーベルは、塵一つない室内を音もなく駆け、部屋の扉を開く。


「ヒッ!?」


 突然開いた扉に驚いたのは、カロリーヌではない。

 扉の前のすぐ前に立っていた、一人のメイドだった。


 耳を部屋に向けてつんのめった彼女の胴体へ、メリーベルは駆けた勢いそのままに、スカートを翻して鋭い蹴りを叩き込んだ。


「あ゛アッ!」


 メイドの体は濁った悲鳴と共に『く』の字に折れ、そのまま廊下に横向きに叩きつけられた。

 口から溢れた吐しゃ物が、綺麗に磨かれた床に飛び散る。


 痛みに悶えながらも立ち上がって逃げようとしたメイドだったが、即座にメリーベルに頭を踏まれ、自分の口から吐いたものに顔面を埋めさせられた。


「ご令嬢の部屋に聞き耳を立てるなんて、使用人としてなってないわね。雑巾の方がまだ役に立つわ」


 メリーベルが冷たい眼差しでそう言い捨てたのと同時に、一階の応接間でバーレル男爵から聞き取りを進めていたセルジュが、階段を駆け上がって姿を現す。


「これは?」

「聴取を盗み聞きして居ました」


 ジロ、と威圧を込めて見下ろしたセルジュに、メイドは涙を浮かべて早口でまくし立てる。


「ち、違います! 私はただお嬢様にお茶をお持ちしようかと」

「カロリーヌ嬢は部屋に行ってから誰も呼んでないわ。そもそも手ぶらで何を言っているの?」


 メリーベルの足に力が入り、踏みつけられたメイドから甲高い悲鳴が上がる。

 そこへ、バーレル男爵が息を切らせながら階段を昇って来た。


「き、騎士様! い、一体、ゼエ、何事ですか!?」

「男爵。このメイドはいつ雇った? 聴取の内容に聞き耳を立てていたようだが」


 床に這いつくばらされたメイドから目を離さないままセルジュが聞けば、男爵は慌てて謝罪を始める。


「も、申し訳ございません!! 何分、最近雇ったばかりの者でして」

「最近?」

「は、はい! 娘が嫁ぐときに古株の使用人をつけるので、その補填にと思いまして!」


「ふうん……か」


 セルジュとメリーベルは互いに目を合わせて頷く。


 ――カロリーヌ嬢の監視役。


 盗み聞きの事実と、雇われた時期を照らし合わせて判断するに、おそらく間違いないはずだ。

 カロリーヌを拉致した一味が、彼女が逃げないか、自分たちの情報を他者に漏らさないかを見張らせていたのだろう。


 ――即ち、婚約破棄騒動の切っ掛けになった、例の偽造文書に繋がる生きた手掛かりである。


 メリーベルが足を上げてすぐ、セルジュはメイドの腕を掴んで強引に立たせ、バーレル男爵に向き直る。


「男爵、何か縛るものはあるか。それと、物置かどこか、人気のない場所があれば借りたいのだが」

「ご、ございますが……な、何をなさるので?」


「すまないが、捜査情報の漏洩にはをせねばならない」


 真顔で言い切ったセルジュに、男爵は顔を引きつらせながら、ガクガクと頷いた。




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