沈みゆく茜ー⓪
そこは活気に満ちた港町だった。
朝の時間には早朝に漁師たちが採った魚たちのセリが行われる。昼間の時間には幾多もの漁船や観光船が往来を重ね、特に海辺の付近は街の内外問わず多くの雑踏で溢れかえる。そして夜の時間には飽きもせずに豪気な酒盛りが行われる……そんな活気に満ちた、悪く言えばずっと煩い街だ。
そんな街でも、多少なりとも落ち着ける時間というものは微かながら存在した。メーメーと鳴く海鳥の声。見上げた空は影ついた白色の翼が鋭く揺れていた。ザザンと満ち引きを繰り返す波の音。
(少し、疲れた)
声には出さずに、心の中で私は呟いた。肉体的にも精神的にもちょっと張り詰めていたからだろう。結構重めの倦怠を纏った身体はすぐさまお風呂に入れてやりたかったが、今はまだ、後少しだけそれは叶わない。
しばらく自然音と景色を堪能した私は、
優しく、それでも離すまいと、私が抱きしめていたのは一人の女の子だった。濃い赤色の髪が印象的な一人の女の子。彼女はつい先ほどまでひたすらに泣きじゃくっていた。ただもう疲れてしまったのか、それとも感情のピークは過ぎ去ったのだろうか? 今は嗚咽を漏らすだけだ。
(よくがんばったよ、エスカは)
再び心の中で呟いた私は、抱きしめる腕にもっと力を加えた。海水が混じった砂に塗れた彼女に触れることへの躊躇いなど一切なかった。
「ねぇ……先生」
気の強い彼女らしからぬ、蚊の鳴くような声が私のことを呼んだ。
「別にもうカリュでいいよ。敬称だって要らない」
「じゃあ……カリュ。わたし本当に出来るのか、まだ自信が持てない」
「ううん。エスカならやれるよ。私がついてるから」
「カリュが……ついてる」
私を見上げるエスカの瞳は、ガラス細工のように華奢で、脆そうで、綺麗だった。その瞳はただひたすらに私を覗き込んでいる。どういう意図があるのだろうか……そうやって考えるのは野暮かもしれない。
ゴホン、と一つ咳払いをした私は少しだけ茶化した口調で言った。
「でも解決するのはエスカ自身だからね。私は背中を押すだけ。そこはちゃんと分かってて欲しいかな」
彼女は何を言うでもなくその首を恐る恐る縦に下ろすだけだった。強張ったとまではいかないが、少し硬い彼女の表情は否応もなく昔の私と重なってならない。孤児院の鏡で見たその表情……。
「エスカ」
考えもなしに名前を呼んでしまったもので、私は少々困ってしまった。
「何?」
「えっと……あはは」
「誤魔化さないでよ。何?」
いつもの調子で少し強気な口調の彼女を見ると、私は少しだけ安心できた。しかしながら返答をしないわけにもいかない。助けを求めるようにキョロキョロと辺りを見渡し、そして私は見つけた。
「綺麗な夕陽が見えたから」
水平線の遥か彼方。空のキャンバスに茜を帯びさせているのは海の底へとゆっくり沈んでいく太陽だった。浜辺の私たちはその幻想的な光景をひたすらに眺めていた。
彩色スーツケース しんば りょう @redo
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