異能忠敬の異世界観測記

かねどー

異能忠敬の異世界観測記

 時は文政元年。伊能三郎右衛門忠敬いのう さぶろうえもん ただたかは江戸亀島町の自宅にて病床に伏していた。



 彼は佐原の地の村方後見むらかたこうけんを引退後、50歳で師に弟子入りして以来、この国の正確な地図を作ることに生涯を捧げてきた。17年にわたり行ってきた測量の成果は、傍らの弟子達が必ずや形にしてくれるだろう。



 その完成をこの目で見ることなく逝くことが、忠敬の心残りであった。



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「……ここは?」


 目覚めた忠敬は、自らのいる場所が我が家の寝間でないことに気付いた。あたり一面が白く柔らかい光を放っており、それがどこまでも続いているように見えた。



「人が来るのは久方ぶりですね。はじめまして」



 純白の衣を着た女性が音もなく眼前に現れ、忠敬に話しかける。



「観音様?」


「……まぁ、そのようなものです」


「ということは、ここは極楽浄土でしょうか」


「正確には違いますが、そう思って頂いて問題ありません。ご理解が早いですね。あなたは残念ながら、あなた方の世界において亡くなりました」


「この歳ですし、肺を患っていたものですから、いつ迎えが来てもおかしくないとは思っておりました。私はこれからどうなりますか?」


「ここは元の世界で比類なき偉業を成し遂げながら、未練を持って死んだ魂が辿り着く所です。あなたが望むのであれば、その未練と紐づく異能を持って、別の世界で新たな生をやり直すことができます」


「そうですか。正直まだ理解が追いつきませんが、また悲願を成し遂げうるのであれば是非もないことです。お願いを申し上げます」


「わかりました。では、あなたの未練をお聞かせいただけますか?」


「我が国の全てを測り、それを形にしきれなかったことが心残りです」


「ではそのための異能、マッピングを授けましょう。あなたはあらゆる土地の地図を見定めることができる者、異能忠敬です」


「今、なんとなくからかわれた感じがしましたが」


「気のせいです」


「その、すわっぴんぐという異能はどう使えばいいでしょうか」


「スワッピングではありません。マッピングです。使い方はあなたの魂が教えてくれます。それはそうと、与えられる異能はもう1つありますが、何か元の世界でやりたかったことはありますか」


「そうですね。では…………」



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 気が付くと忠敬は草原に立っていた。空は青く、眼前遠くには山が連なり、その麓に沿って街道がある。しかし周りの草木は、かつて忠敬が日本中を回る中で見たものと幾分異なるように思われた。



 観音様が与えてくださった新しい力は目に見えないが、既に自分の手中にあるのを感じる。忠敬は感覚が示すままに、1つ目の異能を呼び出す言葉を口にした。



測量マッピング



 目で見る景色と重なる形で、視界に地図のようなものが現れる。地図には自分の後方も映っており、まるで頭上の鳥が空からこの地を見下ろしているようだ。視界にも映る山との距離から推測するに、地図は忠敬を中心として1里ほどの円状に広がっているようだった。地図にはいくつかの光点があり、その意味も頭に流れ込んでくる。



 視点を作る鳥をより高く飛ばすよう意識すると、地図はみるみるうちに広い範囲を示すものになっていった。5里ほど北に向かったところには大きな街があるようだ。そこから10里先には複雑な海岸線の海が見える。最初は地図に映るあまりにも多くの光点に頭痛がしたが、意識すれば光点を消すこともできた。



 なるほど。これは凄い力だ。この異能があれば自宅にいながらにして、日本全国の地図を一夜で作り上げることすら可能かもしれない。その力を得た忠敬は、


「……少々、味気ないですね」


 悲しそうに独りごちた。



 この力に比べれば、忠敬が後半生を費やして行ってきたことはひどく非効率だ。時間も人の手も必要だし、間違いも沢山起こる。しかしなんだかんだで、彼はその非効率さや苦労を楽しんでいたことを実感した。



 とはいえ、力を頂いてしまった以上は責任がある。この世界の地図を作り上げ、誰にでも利用できるものにしよう。それはきっと、力を持たない多くの人を救うものになるはずだ。忠敬は再度決心した。



 その時ふと、地図で起きていることが目についた。ここから東に三~四町ほど先の街道で、緑の光点が2つの赤い光点に追われている。そちらに顔を向けると、馬に乗った二人の人間が一台の馬車を追いかける様が肉眼でも確認できた。緑は私に敵意がない者、赤は私に危害を加えうる者だ。推測するに、あの馬車が追い剝ぎに追われているのだろう。



 武芸の心得もない私が行って役に立つかはわからないが、気づいてしまった以上知らんぷりはできない。追い剝ぎは人数が少なく、人が増えれば諦めるかもしれない。忠敬は光点に向かって走ることにした。そこで初めて気が付いたが、彼の肉体は20代の頃のように若返り、力がみなぎっていた。馬に乗った見慣れない服装の男達が馬車に追いつく前に、忠敬は間に割って入ることに成功した。



「その者たち!止まりたまえ!」


「あぁ!?誰だテメェは!変な格好しやがって」


「私は伊能三郎右衛門忠敬という者だ。まずは話を聞いてみる気はないか」



 男達は威圧してくるが、襲い掛かってくる様子はない。観音様が気を利かせて家宝の刀を持たせてくれたため、忠敬は一応帯刀している。向こうから見れば、おかしな格好で身元不明の武装した男とは交戦したくないようだ。試みは今の所うまくいっている。



 忠敬は割って入る前から、賊と対峙したら強気に振る舞って、ひたすら時間を稼ぐことに決めていた。なぜなら先ほどから私や彼らよりも大きな青い光点が、馬を超える高速でこちらに向かっているのが地図で見えたからだ。青は私に益する者か、私の敵を排除する者である。足音は聞こえないが、それがもうすぐこちらに来る。三、二、一。



 上空にさっと影が横切り、鳥のような龍のような知らない獣が舞い降りて、賊の一人に襲い掛かった。獣の体高は馬の3倍ほどあり、襲った賊をその大きな口に咥えている。ひと呑みとはいかないが、胴に牙が食い込んで痛そうだ。


「う、うわ!ワイバーンだ!なんてこった!」


「が、あがぁぁぁーーっ!!」


 襲われなかった方の賊はもう馬車や忠敬には目もくれず、反転して馬に鞭を入れ逃げ出した。咥えられた賊の馬もとっくに別の方向へと逃げ出している。わいばぁんと言うらしいその獣は、一人を咥えたままもう一人を追いかけて再度飛び立った。あの獣が私の味方には見えないので、おそらく彼らが何か獣の恨みを買っていたのだろう。とりあえず、馬車も私も無事で済んだようだ。



 止まっていた馬車の幌が空いて、一人の女性が降りてきた。栗色の髪に碧眼の南蛮人だ。


「あノ、助けて頂き、どうもありがとうございまス」


「こんにちは。私は何もしていないですが、無事でよかったです」


「私は商人をしているのですガ、道中で野盗に見つかってしまい、危ない所でシタ。お名前を教えて頂けますでしょうカ?」


「私は、伊能三郎右衛門忠敬といいます」


「タタタタ?」


「異国の方には難しい名前かもしれませんね」



 商人は近くの街に行くというので、忠敬も馬車に乗せてもらうことにした。馬車の中には塩や油などの食品や日用品が詰まれており少し手狭だったが、歩くよりは楽ができそうだ。馬車の中で体を休めながら地図を拡大したり縮小したりしていた忠敬は、ふとまた違和感に気付いた。



「困ったことになりました」


「どうしましたカ?」


「我々に対して害意のあるものが15人程、馬の速さでまっすぐこちらに向かっています。先ほどの2人は様子見だったのでしょう。このままでは半刻も経たず追いつかれます」


「そんナ……」


「……私に考えがあります。すぐ向こうに見える林に馬車ごと隠れていてください。それと、そこにある商品の一部を貸してください。あとで埋め合わせは必ずします」


「危険なことをされるのではないですカ?」


「乗りかかった船です。なんとかしましょう」



 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 野盗の頭目は、隊列の中心で機嫌よく馬を駆っていた。



 斥候からは連絡が来ていない。先ほど上空にワイバーンが見えたので、恐らくヘマをして、この間俺たちが荒らした巣の主に見つかったのだろう。可哀想だが囮になってもらおう。



 自分と副長は元騎士団だ。部下の連中にも訓練を施してある。斥候で向こうの戦力が確認できなかったのは予定外だが、多少護衛がついていようと商人の馬車を略奪するくらい朝飯前の戦力だ。じっくり蹂躙して積み荷を頂くとしよう。もうすぐ馬車が見えてくるはずだ。



 その時、轟音と閃光が突如彼らを突き刺した。



「何が起きた!」


「わからん!前列のグレッグたちがやられた!」


 誰一人事態が呑み込めないまま、今度は後衛を務めていた奴等が吹き飛ぶ。



 国の騎士団でもこんな攻撃は仕掛けてこない。敵はどこから何をしてきたんだ。



 三度目の轟音と閃光の前に、頭目は初めて敵の攻撃を視認した。火のついた小樽が空から降ってきて、副長とその騎馬を吹き飛ばしたのだ。すでに隊の半数近くが倒れ伏し、残った者達も馬が興奮して陣形を維持することすらままならない。



「くそっ……なんでこんなことに………。退け!全員退くぞ!」



 憎々しげに空を見上げた頭目の目に映ったのは、小樽を持って遥か上空を飛ぶ、一人の男の姿だった。



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「……与えられる異能はもう1つありますが、何か元の世界でやりたかったことはありますか」


「そうですね……では、空を飛べるようにして貰えますか。私が地図を作っても、その地図が描く土地の姿を直接確かめることはできません。私は自らが記録した世界を、空からこの目で見たいのです」


「わかりました。あなたは本当に世界が好きなのですね」



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空飛ぶ測量士スカイマッパー



 忠敬は、積み荷にあった油の小樽を持てるだけと燐寸マッチを持ち、2つ目の異能を使って空に飛び立った。異能忠敬による、この世界最初の空爆である。火砲すら普及していない水準の戦いに慣れ切った賊達に、成す術はなかった。



 こうして前世で前半生は村の名主として救貧に努め、後半生は測量士として偉業を成し遂げた男の、第三の人生が始まった。後に「マップマスター」「空の悪魔」としてこの世界の歴史に語り継がれる男の、異世界最初の一歩であった。

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