トイレの花子さん
高黄森哉
長谷川花子
夏休み、深夜の体育館。ドリブルやシューズが擦れる音が、空間いっぱいに反響する。私の名前は長谷川花子、高校二年生、バスケットボール部所属。練習しても上達しなくて、このままでは夏休みが明けても理央先輩たちにいじめられてしまう。そんなのは嫌だ。だから秘密の特訓中である。
先輩たちは厳しいのだ。その厳しさが時々、暴力や嫌みに変わってしまう。でも私も悪い。イライラさせてしまう私がいけない。ならば技術で黙らせるのみだ。だから秘密の特訓中。
スリーポイントシュート。ボールの動きを目で追う。放物線を描く軌道につられ頭を九十度にすると、UFOのような照明の光が目に入り刺さった。顔は天井に向けたまま、音だけが聞こえ、ボールがゴールに入ったのだなと分かる。やった。
もうどれくらい練習したか分からないので、水分補給。ペットボトルの水を飲むと、品のない話だが尿意を催した。体育館の女子トイレを目指す。
全身赤のスカートを穿いたピクトグラムを確認して、テカテカなタイル張りのお手洗いに入り、個室の扉に手を掛ける。内側に開くとそこには、戦争孤児のようにガリガリになった女生徒が入っていた。まだ水分が残っているから、正確にはミイラではないが、だとしても乾燥した紙粘土のような人体は気味悪い。私はたまらず逃げ出した。
体育館から校舎まで走る。後ろから足音が聞こえるが振り返ることは出来ない。足音の隙間から、「置いてかないで」と後ろから声が聞こえてきた。とても小さくてヴォイスチェンジャーを使用したかのような声だ。ここが真昼間の校舎だったら思わず笑ってしまっただろう。しかし、暗く長い無人の廊下で耳元に囁く小声は怖い。
私は三階まで走ってきた。しばらく、トイレに立てこもろうと思う。がしかし、解せないのはなぜ私がここを選んだかだった。不可解な点はいくつもある。そもそも考えてみれば体育館までの記憶がない。一体どういう運びで練習をすることになったのか、また学校は、なぜこんな真夜中に体育館の貸し出しを許可したのか、まったくの謎である。洋式便器の一番上の蓋を下ろしたままにして、これを椅子とし、そこに座って考える。はて、なぜあのミイラは私に「置いてかないで」なんて言ったんだろう。
トイレにいると忌々しい記憶が浮上した。あれは夏休み最後の部活動が終わった後だ。先輩たちから、ここでは書けないような、いじめを受けた。バケツの水を頭から被されたり、指が取れたり、やけどを負ったりして、ボロボロになった私は最後にトイレの個室に閉じ込められた。ここまで思い出してふと気づく。
私、あの個室から脱出した記憶がどこを探してもない。
あっ、……………… すべて思い出した。私、あそこから出れずに餓死したんだ。あのミイラは私だったんだ。だから、彼女は私に「置いてかないで」なんて囁いたのだ。今の私は長谷川花子の精神部分なんだ。私は扉を開く。すると、鼻と耳が脱落して、眼が眼孔の奥に張り付いた、長谷川花子の肉体部分が佇んでいた。
[後日譚]
「長谷川花子ってしってる?」
「なにそれー」
「なんかね、うちの高校のトイレで自殺したんだって」
「え? それいつの話?」
「十年くらい前かなー」
「なんだよもう。紛らわしんだから」
「なんだけどさ、ホントはね、他殺なんだって。だけど校長がもみ消したらしいよ」
「うわぁ~、それで?」
「それで彼女、今も犯人恨んでるんだって。だけどね、眼が干からびてるから、私らと区別付けられないんだって」
「なにそれ、ちょー、迷惑なんですけど」
「トイレしてるとき、三回ノックされても出ちゃだめだよ。彼女、視覚を取り戻すために目ん玉抜いちゃうんだから」
「もし、ノックされたらどうすんの?」
「もしノックされたらね ………………」
予鈴が鳴った。
トイレの花子さん 高黄森哉 @kamikawa2001
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